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テレポ

「2番線に、列車が、到着します。黄色い線まで下がって…」



 電車の来訪を告げるアナウンスの声に、手元の文庫本から目を上げる。予定より15分ほど遅いが、まあ運が良い方だろう。右手から迫る黄色い車体を眺め、後ろに誰も並んでいないのを確認して半歩下がる。徐々にスピードを緩める二両編成の車内には、案の定誰も乗っていなかった。目的の駅まではおよそ40分。一冊くらいは読み終わるだろうけど、どうせなら景色でも見ていたほうが有意義だ。電車に乗る機会なんてあまりないのだから。



 Transport equipment locating every point for object。全域設置型物質伝送装置、通称テレポが実用化されたのは、僕が生まれるよりも10年ほど前のことだ。現在一万機以上が日本中に設置されたそれは、簡単に言えばワープ装置である。人件費がかからず、輸送時間もごく短く、輸送時の事故も報告されていない(もちろん「報告されていないだけ」なんてブラックジョークではなくて、10年単位の実験によって安全が実証されている)。距離的な制約で海外輸送は不可能だが、それでもテレポは革新的だった。従来の輸送手段のほとんどはテレポの登場と共に無用の長物と化し、飛行機とタンカー以外の運送業は壊滅した。

 今ではテレポはあって当たり前のものだけれど、祖父の時代には大分荒れたらしい。それはそうだろうと思う。思うだけで想像はできないけど。車なんていう無駄の多い装置で一軒一軒を回るなんて、現実味がなさ過ぎてSFチックですらある。



 じゃあなんで僕が電車を待っていたのかといえば、それはテレポのメンテナンス・デイが今日だからだ。一週間の内二日だけ、地域ごとに順番に回ってくるその日だけは、近所のテレポは使用不可能になる。立ち並ぶ人が優に20人は入れそうな卵型の装置に、デバイスを持った輸送局の役人がやってきて、一日以上をかけてなにやらやっていく。運送局の役人になればくいはぐれはしないのだろうけど、生憎文学部の僕には工学センスがなかった。



「相変わらず物好きだね」

「宮川さんに言われたくないですよ」



 乗り込もうとした矢先、顔なじみの車掌のからかうような声にそっけなく返す。テレポ最盛期の時代に鉄道会社に就職している時点で宮川もそうとうな変人だと思う。会社の会議だってホログラムで済ます昨今、メンテナンス・デイなら家にいればいいや、という人は多いのだ。だからこそ僕は広々と電車を使えるわけだが。

 そういえば前になぜ入社したか尋ねたら「なんだかほっとするんだよな」という答えが返ってきたのを思い出す。三十前後の宮川にとって電車は寂れ切った遺物でしかないはずなのだが、このどこに魅力を感じたのかは結局のところ聞けないままだ。



もっとも、遺物に執着しているのは僕も同じだろうけど。



「おじいさんの具合はどうだい」

「良くはないですが、わるいということもないようです」

「よく分からん言い方をするなぁ君は」

「僕のことはいいですから、さっさと仕事をしてください」



 はいはい、と苦笑いをして、おざなりな安全確認を始める宮川。僕はそれを確認して、ベンチシートの隅っこに腰掛ける。眠気を誘う揺れに意識をあずけながら、みるともなしに窓の外を眺める。冬から春になろうとしているはずの風景には、どこまでも無機質な街並みが広がっていた。



***************************************



「よう、来たか」



 ベッドに横になっていた老人は、ドアから入ってきた僕の姿を認めると、しわだらけの顔を不機嫌そうにゆがめた。といっても本当に不機嫌なわけではなくて、嬉しいのを押し隠そうとしているだけなのだ、ということを知っているのは、おそらくこの世で僕くらいのものだろう。この数少ない肉親を見るたびに、動画サイトで見たシベリアンハスキーの動画を思い出す。撫でられると凶暴な唸り声を上げるあれだ。



「やった本は読み終わったか?」

「まだだけど」

「これだから最近の若者は、本一冊も読めん」



 カバー越しに勝ち誇った顔でこちらを見る祖父を僕は無視した。こんなひねくれものだから、実の娘からも見舞いに来てもらえないのだ、と思う。思うだけで言わないけど。老い先短い老人のクリティカルなポイントをついても、八つ当たりされる看護師さんが一人増えるだけだし。

 部屋は少なくとも居心地はよさそうではある。リノリウムの床にライトが反射してピカピカと光る。転落防止用に覆いのついたベッドは、檻ではなくシェルターといった様相で、閉塞感よりは安心感を覚える設計。窓際に置かれた花瓶には生花と見紛うほどの造花が挿されていて、不快でない程度に人工の芳香を放っていた。どこまでも快適に管理された病室で、老人一人だけが不純物のように映る。

 この老人、僕の祖父の新谷宗二朗は、入院はしているが重病患者ではない。そもそも今年で90歳、2000年後半から伸び悩んだ平均寿命と同じなのだから、病気云々以前に老衰で弱っていくころであって、多くの後期高齢者がたどる当然の帰結として、祖父も病院で死を待っている。科学によって全てを超克してきた人間にも、寿命には打ち勝てないということに、僕は毎回奇妙な安堵感を覚える。



「調子は悪くなさそうだね」

「あたりめぇよお前、まだまだくたばるかってんだ」



 そういう祖父だったが、もう長くないのは明らかだった。骨と皮ばかりになった腕、チューブの通った喉、落ちくぼみ空いているのかも分からない瞳、威勢はいいけど掠れて出なくなった声、黄色く変色した皮膚。全てが避けえない「死」を主張していた。本人は気づいていないだろう。最近ではこうして覚醒していることも珍しい。



「今回は電車で来たのか」

「今日は日曜日だから」

「高校は休みなんか」

「俺もう大学生だよ、じいちゃん」



 そうかそうか、そりゃ忘れてた。もうそんなに経つんだな。時間がたつのは早ぇもんだ。なに、俺が若ぇころには今ほど便利じゃなくてな。え?ネット通販ぐらいあったっての。そういえば免許はとったのか。何のってお前、自動車の免許に決まってるだろう。なに、取る予定がないだぁ⁉仕方ねぇ、俺の助手席に乗せて、136号線あたりをドライブさせてやるよ。綺麗な海が見えるから。退院が待ち遠しいなぁ、おい。

 時間の話になると、祖父は間違いなくといっていいほど昔のことを話す。懐古する。昔はよかったという。同意はできない。僕は祖父の活きていた時代を知らないし、そんな不便な時代に戻りたいとも思えない。だから黙って耳を傾ける。僕からは電車から見えた風景のことを話す。野良猫のこと、桜並木のこと、道を行く派手なスポーツカーのこと。祖父はそんなくだらない話をうれしそうに聞く。言葉にすればそれだけの時間だったが、祖父は孫に会えるだけでご満悦だったし、僕は僕でこの非生産的な行為を気に入っていた。切符代を払ってもいいと思える程度には。



「新谷さん、そろそろ…」

「はい、もう帰ります」



 祖父の清拭を担当する看護師さんが来て、それなりの時間がたったのを知る。いつの間にか眠り込んでいた祖父をちらと見て、清潔な病室を後にした。受付の事務員に「見舞いに来るなんて偉いねぇ」とほめられ目礼で返す。十九にもなってこんなことで褒められるのは気恥ずかしいものがあった。



「次も来週に来るの?」

「はい、そのつもりです。祖父をよろしくお願いします」



 別に予約を取る必要はないんだけど、僕くらいの歳の人間が病院に来るのは珍しいし、あまり縁起のいいことではない。最近ではみんな慣れてくれたけど、新しく入った看護師や入院患者は訝しく思うので、一言予定を言っておくようにしていた。「次はぜひ親御さんと来てください」という言葉に笑ってごまかす。

 帰りも電車で帰るか迷ったけど、財布の中身がさみしくなっていたので、格安で使えるテレポで最寄りの町まで跳ぶことにする。電子マネーを卵型の装置にかざし、自動で表示される行先の中から一つを選んでタップする。体を包み込む転移粒子の流れを感じて、次の瞬間には向こうのテレポの中にいた。いまさら感慨はない。ただ電車がいかに不便で割高なのかを思い知るだけで。



****************************************



 ただいま、とも言わず家に入ると、リビングで黙々と仕事に励む母が目に入る。父は外での仕事中をしているから家にはいない。ひと声かけるかどうか迷ったが、、口を開けば進路のことしか聞かない母だと思い出し黙って部屋へ戻る。母は僕が歴史学に進んだことを、あまり快く思っていなかった。

 部屋に入ると端末を起動してメールをチェックする。講座からの「合コンのお誘い‼」という題名を見て読みもせずゴミ箱へ。「留学のススメ」「早すぎることはない!企業説明会のお知らせ」といった意識高い系も全部捨てる。新学年に向けたガイダンスの知らせだけ保護して、「後で見るか」と一人でつぶやいて放置。歴史書でも読むかとアプリを立ち上げるが、漫画本の方に目が吸い寄せられて断念した。時間は午後三時半を回ったところで、何をするにもタイミングが悪い。

 何となしにテレビを立ち上げたけれど、やっているのは何年か前の刑事ドラマしかない。もちろん時代設定は半世紀以上も昔だ。今の警察は聞き込みなんてするまでもなく、コンピュータを検索するだけで犯人を捕まえてしまうのだから。

 ならばとろくに見ていない有料チャンネルを開いてみたが、やっていた映画はAIに仕事を奪われた人間の復讐劇だった。「こんなクソッタレな世界、ぶっ壊してやる‼」。そう喚く主人公の男は、結局AIの支配を受け入れる人々によって殺されてしまった。



****************************************



 父と僕は多くを話すほうではないし、母は仕事を終えた後はたいていぐったりしている。その結果、僕たちの夕食は静かなまま進むことが多い。でも今回の沈黙には、形容しがたいような気まずさが伴っていた。その最大の原因であるところの母は、実の息子をねめつけるようにしながら口を開いた。



「あんた、またあの人のところに行ってたでしょ」



 母にそう聞かれて思わず口ごもる。が、よく考えれば責められるような筋合いはない。むしろ死を目前にした祖父を孫が見舞うのは、世間的に見て美しい話である。ということを(できるだけ逆なでしないように)説明してみると、母ではなく父が反応を返した。



「そうなると、葬儀の準備もしておいたほうがいいな」

「いいわよ、あんな奴放っておけば」

「そういうわけにもいかないだろう。」



 母は祖父に対してどこまでも辛らつだ。父もそれをたしなめはするが、どこまでも儀礼的というか、本心では面倒だと思っているのがよくわかる。ありていに言えば、二人は祖父のことをかなり嫌っている。母なら憎んでいるといってもいいかもしれない。物心つく前からそうだったので、僕が知っているのはぼんやりとした話だけだ。



 曰く、祖父は父を殺そうとしたことがあるらしい。



 らしい、というのは親戚の集まりでちらっと耳にしたことがあるだけで、両親からその手の話を聞いたことがないせいだ。どうも父と母の結婚に強硬に反対した祖父は、父に凶器を持って殴り掛かったというのだ。あの祖父ならやるかもしれない。いや、きっとそうしただろう。祖父はそういう人だ。殺人未遂というほど大事にはならなかったようだが、その事件がきっかけで元々折り合いの悪い母と祖父は決裂し現在にいたる。見舞いに行ったことは一度もないだろう。僕と違って。



「とにかく、あんたはあの人のところには行かないこと。これからが大事な時期なんだから」

「大事な時期って…まだ大学の一年だよ」

「ほかの子は一年から準備してるの。ただでさえ不利なところに行ってるのに…」

「その辺にしておきなさい。」



 父の思わぬ横やりに母は鼻白んだようだが、渋々矛を収める。僕は息をつく。父は僕の味方をしたわけではないだろう。日本で最も重要な省庁に勤める父は、僕が適性を持たなかったことを残念に感じているはずだった。今だってきっと、母のカリカリした姿を見たくなかっただけ。就職のことについて懸念があるのは父も同じだろう。仕事のことで親からせっつかれるたび、友人に話を振られるたび、サイトの片隅にその手の広告を目にするたびに、僕はこういわれているような気分になる。「いそげ、いそげ、みんなに置いて行かれるぞ」。



 実際のところ、僕たち人間が行くべき場所はほとんど残されていないのに。



****************************************



 その日は気持ちいいくらいの晴天だった。大学の講義の最中だったけど、教授のつまらない雑談を聴くのに飽きて、自室で本を読んでいるところだった。春一番がわずかに空いた窓から吹き込んで、虎落笛が悲し気な音を立てていた。そして、覗き込んでいた個人用端末に通知が来て、僕はそのときが来たことを知った。



「いますぐ病院に来なさい」



 父からの端的なメールは、なにが起きたかを悟らせるには十分だった。貴重品だけをコートのポケットに放り込んで家を出る。反射的に駅へと向かいそうになって、先週の見舞いからまだ四日しか経っていないことに気づいて舌打ちをする。テレポへと乗り込もうとして一瞬躊躇するが、えいやっと足を踏み出した。視界が、変わる。

 次の瞬間には見慣れた、ある意味では見慣れない風景が目の前に広がっている。祖父の入院する2-5地区病院の目の前だけれど、こうしてテレポで来るのは今日で二度目だった。そうしてやってきた病院の姿は、どこまでも硬質で冷たいものに見えた。

 受付の前を通ると、いつもはこちらが不安になるほどのんびりした看護師たちが、どことなく慌てた様子で僕を見る。すみません。頭を下げる。今回は縁起の悪い方の訪問なんです。そういう僕の申し訳なさが伝わったのか、いつもの受付のおばちゃんがいたわるような目で僕を見る。その視線を振り切ってエレベータに駆け込むが、うっかりどうでも良い階を押して苛立ちが募る。とてつもなく長い数分が終わって、ようやくたどりついた祖父の部屋には、医者と、父と、ベッドに横たわる祖父だけがいた。



「僕が最初だと思ってた」

「仕事で近くに来てたんだ。母さんは?」

「寝てたから起こさずに来た。起こしてきた方が良かった?」

「いや、これでいい。あいつがいるとまともに会話にならないからな」



 いなくてもまともに会話できるとは思えないが。そう言いたげな顔で父は僕をベッド脇へといざなう。一通り祖父の状態を確認し終わった医師が、一瞬何かを言いかけて、僕の顔を見て場所を開けてくれた。



 医者に聞くまでもなく、祖父は死にかけていた。



 黄色味が強かったはずの肌は病的に青白く、顔中のシミが余計に目立っていた。皺の中にもぎらついていた目は、もはや何も映してはいないように虚ろだ。柔らかそうなベッドに横たえられた四肢は、風が吹けばカサカサとはがれそうなほど脆く乾ききっていた。



「じいちゃん、俺だよ、俺。」



 そう呼び掛けてから、なんだか詐欺師みたいだなと思う。そんなことを考えている場合ではないのに、なんだかシリアスになり切れないのは、たぶん僕がまだ受けれられていないからだ。祖父が死ぬことに、現実味がない。



「おじいさん、お孫さんが来ましたよ。何か言い残すことはありませんか?」



 医者の言葉にようやく反応を見せた祖父は、枕元に立っているのが僕だということに気づいたようだった。「…んしゃ………けぇ…んうぇ…」。何か言葉を発そうとして、不明瞭なつぶやきだけが空気に溶けていく。でも祖父が僕に言うことなんて一種類しかない。「電車で来たのか?景色はどうだった?」。祖父との会話はいつもそればかりで、それだけが僕たちにとって重要だった。

 いつものように言いかけて迷う。僕は必要なら嘘をつくのも厭わないが、嘘を言っていることを父が見とがめやしまいか。それで今までの嘘を、万が一にも祖父に悟られることがあってはならない。時間にすればわずかな逡巡のあと、僕は真実を隠すために真実を話すことに決めた。今際の際の祖父の願いを踏みにじってでも。



「じいちゃん、今日は…電車は動いていないんだ。だから窓から風景は見てないんだ」

「うぁ…?」

「だからごめん、今日は何も話してあげられないよ」

「ぉおぉ…」

「これからも見舞いに来るからさ、今日は勘弁ね」

「…………………………」

「じいちゃん?」



 そう問いかけて、初めて鳴り響く電子音に気づく。医師が祖父の顔を覗き込むようにして、父が肩の荷が下りたようにため息をついて、ようやく起床したらしい母からメールが届いて。医者が死亡時刻を宣告した少し前に、元トラック運転手・新谷宗二朗は亡くなった。



****************************************



 葬儀はすぐに終わった。もともと家族葬だったし、うちは特にどこの檀家というわけでもない。読経も焼香もない簡単な通夜式の後、祖父はただの骨の燃え滓になって、新谷家の墓に入れられた。母が何か文句を言うかと思ったけど、悲しそうにしていたのが意外だ。父は淡々と手続きをこなしていたが、時折何かを悔やむような表情をしていたのが印象的だった。納骨は、三人一緒におこなった。

 現代の技術をもってしても、骨の情報を電子データ化するなんて野暮なことはできない。納骨堂の一角をしっかりと占拠する骨壺が、「おれはここにいるぞ」と主張しているようで、死んでも祖父は祖父だなと思ったりしたことを覚えている。

 僕はといえば、どうやら一人前に感傷に浸っていたらしい。気づけば両親との同行を断って総武線に揺られていた。窓の外には相変わらず、街並みが厳然として存在する。白亜の高層マンション群、太陽光を反射して黒光りするルーフパネル、卵型のテレポ装置。それしかない。



 それしかないのだ。



 祖父に話して聞かせたようなことは、何も、見当たらない。



 ゴミステーションなんてないから、それをあさるカラスも、野良猫も、いない。

 花粉症を引き起こすから、生えているのは画一的な人造植物だけだ。

 車なんてめったに走っていない。大型トラックなんて言わずもがなだ。



 町を彩っていたはずの雑多な何かは、全て、失われてしまった。僕の生まれるずっと前に。僕が祖父にそれをひた隠しにした。ホログラムを送るのではなく、生身のままで祖父に面会し。ありもしない風景を、わざわざ大学で学んでまででっち上げて。紙媒体の文庫本を、10年以上前にもらったそれを読んでいないことにした。読み切ったと言えばきっと、祖父は新しい紙の本を買い求めるだろう。そしてそれがもうほとんど出回っていないことに気づく。気付かされてしまう。

 それはもう一度祖父に突き付けることになる。トラック運転手だった祖父が、時代に取り残されて居場所を失った苦痛を。それだけはしてはならなかった。祖父が好きだとかそんなこと以上に、居場所を追われる恐怖を慰め合う時間を最後まで壊したくはなかった。きっと、同じ場所にはずっとはいられないという当たり前のことを、僕はどうしようもなく恐れていた。



 電車は走り続ける。揺れは一定で、窓から見える風景は常に同じだ。そんな車両の中で独り、どうしようもない感情に歯を食いしばる。嫌だ嫌だと嘆いても、必ずそのときは訪れる。祖父がとうとう死んだように。居場所が奪われ続ける世界で、それを受け入れて、それでも何者かになることを強要されるときが、必ず来てしまう。



 無機質なアナウンスの声が聞こえて、コートのポケットにいれた端末がお尻に痛くて、僕裾を直すため身じろぎする。今なら祖父の死を悲しめるかと思ったけれど、結局涙は一滴もこぼれることは無くて。どこまでも無味乾燥な街並みが、窓の外を流れていく。



「次は~検見川浜、検見川浜。お降りのお客様は…」 〈終〉
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第三十二回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2017.01.05(Thu) 00:00
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