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reflection

1.
 彼はいつもそうだった。メニューにある酒を片っ端から頼んでは一息で飲み干した。普段の口数の少なさとは打って変わって、アルコールに浮かされてよく喋る。やたらと眉尻を下げてひたすらに淡々と喋りつづける。話題の切れ目で、杯を空にしてはまた喋る。彼があんまり喋るから、他の社員は彼に寄り付かなくなった。しかし、彼は相変わらず飲み会に参加する。私は薄いチューハイを片手にただ黙って聞いている。返事がなくとも彼の舌は止まらない。
 彼はオムライスが好きだといった。彼は赤色が好きだといった。上司の無能を、部下の無知を、今年のクライマックスシリーズの顛末を、どうでもいいことを彼は延々と語りつづけた。そんなことすら酒に身を任せなければ口にできない彼はとても哀れでくだらないと思った。彼はそうして吐きこそしないけれど、一人で歩けなくなるまで飲んでは。
「奥さんに連絡する?」
 彼は酔いつぶれていた。薄暗い店内で、赤く濁った肌だけが照らされている。私はこの暗く眩しい電球の下で何度尋ねたことだろう。何度こうして煙草臭い鞄をあさっただろう。
 真っ白なハンカチの下に彼のスマートフォンはあった。1125、で開くのを知ったのはちょうど一年前の、やはり忘年会だったように思う。彼の奥さんはいつも駅まで迎えに来てくれるらしい。酔いつぶれてもかならず地元の駅に着くと目が覚めるのだと、いつかの彼は言った。そうして迎えに来た妻の車の助手席に座って帰るのが好きなのだと。
 いつも通り「終電までに帰ります」とだけ入力したところで後ろから声がかかった。
「僕が先輩運んでいきましょうか」
 振り向けば一つ下の後輩が立っていた。彼もほとんど飲んでいないようで、髪もきれいなセットを保っている。そんな良いスーツで飲み会に行くのを叱ってくれる奥さんを早くもらったらいいといつも思う。少し後ろでじっとこちらを窺がっている女の子たちの中で適当に見繕えばきっと幸せになれる。
「いつものことだから大丈夫よ」
 私はいいからあなたは同期のお嬢さん方を送ってあげなさいな、と笑って言えば彼は目を少し見開いて、また細めて、よいお年を、とまたにこやかに一礼をして去って行った。女の子たちの黄色い歓声が遠くで沸いた。
 向き直って再び手元の青白い画面を見つめる。
 指が震えた。
 2分後に「待っています」とだけ返ってきた。

2.
 肩に載せた腕が重くて酒臭くて、中途半端な体温がくっついているのが気持ち悪くて、それでもおぼつかない足で歩く彼を放り出すわけにはいかなかった。エレベーターのドアが開いた瞬間、冷たい風が吹きつけてくる。重い首を持ち上げ電光掲示板を見れば千葉行きは20分遅れだという。居酒屋を出てからずっとぼそぼそと歌っていた彼がいつのまにか静かになったから眠ったのかもしれない。歌う元気があるなら自力で歩いてくれたら良かったのに。あまりの重さに腕を担ぎなおすと襟元からアルコールに交じって薄くラベンダーの香りがした。365日も彼を恨んで、憎んで、それでも飲み会の度に終電までにこうして彼を電車に乗せていた。
 年末の終電間近のホームは人もまばらで、ガタイのいい男をヒールの女が担いでいても、やつれたサラリーマンが胡散臭そうな顔で見てくる程度だった。コンビニとラブホテルとマンションと、年の瀬にもいつもと変わらず輝くその向こうから小さな点がやってきた。今なのかもしれないと思う。私が足を滑らせて彼が線路に落ちてしまう未来も、平然とした顔で目の前に転がっているはずだった。何でもできる気がした。
 威勢良く、ごおお、と音を立てて黄色い電車がやってくる。私の過去も、今も、未来も。この電車は運んでいって終わらせることが出来る。見つめ返せば眩しさで視界がつぶれた。
 開いたドアに彼を押し込む。そして鳴り響くベルと一緒に、私も乗り込んだ。


3.
 ふと窓にもたれれば、息で曇ったガラスの向こうの街灯たちは虹色に滲んでいる。
 届いたメールをまた見返す。今日もきちんと帰ってくるだろう。まだ23時38分。


4.
 彼を座らせて、自分は1つ後ろの車両に乗りドアによりかかった。この時間の総武線は青白い光が際立って嫌いだったし、一人になるのは何となく恐ろしかったけれど、彼の隣に居たら、肩の重みと酒臭さに苛立ちながらもその中に沈んでしまいたくなりそうだった。
 もうすぐ着く。彼は次の駅で目を覚まして降りていく。あるべき姿に戻っていく。そもそも何も変わってはいないのにそう思うのは私の独りよがりだろうか。でもその姿を見たなら、きっとこの気持ちにけりが付く。そして私はこのまま終点まで揺られていく。今から上り電車に乗り替えたところで武蔵野線の終電はもう無いからどこか適当にホテルを探せばいい。深く息を吸い込んだ。暖房が効いているはずなのに鼻の奥が冷えて痛い。

「まもなく、稲毛、稲毛」

 大きく揺れて停車した。よろめきながら彼がひとり降りていくのが見えた。本当に目を覚ました彼に驚きながらその後ろ姿を目で追う。黄色いホームを黒いコートがのそりのそりと歩いていく。薄い潮の香りの中をかえっていく。
 エスカレータに乗って彼は降りていき、そしてあのロータリーで妻の車を待つのだろうか。いや彼女のことだから、あのメールが届いてすぐに家を出てもうずいぶん前から彼をそこで待っているのかもしれなかった。想像したら、ついハハッと声が出た。涙も出た。
 聞こえたのか聞こえなかったのか、彼は足を止めて振り返った。目が合った。
 垂れた目尻に、呆けたようなその表情に。似ても似つかぬずっと大きな身体に、華奢な少女の姿が被って見えた。私は彼にはなれなかった。そして彼が彼女になったのだ。
 ちゃんと知っていた筈だった。あの日とは違う。ドアは開いている。
 彼はもう行ってしまった。三度目の貴女とのさよならだ。


5.
 なんとなく、ぼんやりとした頭で振り返ると、その後輩は泣いていた。いつもいつもこんなに酔っ払った自分を担いで総武線に放り込む、勇ましく頼もしいその後輩の頬を幾筋もの涙が伝っている。この女性は本当に僕の後輩だったろうか。見てはいけないものを見てしまったような気がして目を逸らしてエスカレータに乗る。たまにはお礼を言うべきだったかとも後悔したけれど、そうではないと思った。アナウンスの後にドアが閉まる音がした。「駅に着いた」とメールを送る。改札を出て再び振り返る。人気のない構内で電光掲示板が下り電車の30分遅れを知らせていた。


6.
「また後輩さんにご迷惑かけたの?」
 どうしてわかるんだと彼は隣で居心地悪そうに答える。
「あなたは駅に着いてからでないと連絡しない人でしょう」
 酔っ払うとメールも打てないあなたなんだから。
 一年くらい前からその人は酒癖の悪いうちの夫の世話を焼いてくれている。夫は頑なに後輩と呼ぶし、詮索しようとは思わない。時々上着のそでに長い髪がついているから予想はつくけれど浮気を疑う必要もなかった。毎回必ず連絡を彼の携帯から入れて、終電の2つ前には必ず彼を乗せる辺り、多分その気は無いのだろう。彼女からであろうその文面はいつも変わらなくて、近頃ではメールが来ると安心するくらいには信頼している。
「来年もよろしくお願いしますって言わないといけないわね」
 ガラガラの交差点を左折する。カラオケの看板もボウリングの大きなピンも夜の灰色の中で黙り込んでいる。唐突に彼は言った。
「彼女今日泣いていたんだ」
 枯れた声に横を見ると、彼は赤信号に照らされながら迷子みたいな目をして静
かに泣いていた。いつかの私みたいな顔をして泣いていた。
 彼が愛しいと思った。彼のその涙は確かに私の涙だった。

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第三十二回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2017.01.05(Thu) 00:00
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