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蛇神様暴走奇譚

 大学から帰ってきたら部屋に下半身蛇の黒髪和服美少女がいた。
「――えぇーッ!? なっ、えっ、ラミアえぇーっ!!?」
「やあやあ失敬失敬! 私は見ての通り神である! 君に頼みがあってここに来た次第!」
「う、嘘だぁー! どっちかっていうと悪魔でしょうその見かけは!」
「何を言う! 蛇はすごいぞ! エデンの園にもいるんだから蛇は!」
「それ悪魔じゃないですか!」
「あくまで『一説によれば』の話だ! 悪魔とは断言されていない!」
「そもそもあなたいかにも和風ファンタジックな格好してるのに、どうして出てくる例が聖書なんですか! もっとあるでしょ白蛇とか!」
「そりゃだって、下手に日本から例を直接引っ張ってきたら私の真名がバレちゃうかもしれないじゃないか」
「え、真名がバレるとよくないんですか?」
「いや、知らないけどゲームでそう書いてあったから」
「現実とゲームをごっちゃにする神様がどこにいるんですか!」
「あ、ちなみに私の名は清姫ではない」
「分かったからちょっと自重してください!!」
 叫び疲れて息を切らす僕を見て、蛇美少女は「ふむ」と呟きとぐろを巻いた。
「まあ、お遊びはこの辺にして本題といこうか」
「その前に状況を整理させてください……こっちは『部屋に下半身蛇の黒髪黒髪和服美少女がいる』の段階で情報処理が止まってるんですよ」
「なんと無能な。しょうがない、エデンの園の蛇は別に悪魔と断言されているわけではないという情報を処理するまでは待ってやろう」
「それは別に情報処理のフィルターにかけてないです」
「分かった、ならば言おう!! このままではもうすぐ彗星が日本に落ちて未曽有の大災害が起きる!!!!!」
「えぇぇぇーっ!!? なんっ、えー!? どっかで見た設定!!?」
「落ちる場所は私への信仰が厚い土地なんだ。私は信仰に報いなければならない」
「何勝手に話進めてるんですか! 待ってくださいってば!」
「世間は君の母親ではないっ! 君の理解をいつまでも待ったりはせんのだ!」
「いやあなた僕にお願いをしに来てるんですよね!?」
「うむ。すまん、言ってみたかっただけだ。こうした形で人の前に現れるなど初めてでな」
 この神様、日本のサブカルチャーに染まりすぎじゃないだろうか。
「それで、あなたは……えっと、とりあえず名前……いや、なんて呼べばいいですか?」
「おっ、私の名か? 知りたいか? 私の名を? 私の名が?」
「はい。僕の名前は米山敦ですのであなたが尋ねる必要はないです」
「なんだつまらん」
「これ以上際どいラインで反復横跳びするのはやめてください……」
「私の名は……そうだな。美沙とでも呼ぶがいい」
「はあ。美沙さん」
 なんだか知ってる人が聞けば真名が即バレしそうな仮名だけどいいんだろうか。と思ったものの、本人が忘れた設定にまで付き合ってられないので黙っておくことにする。
 さて、とりあえず何を聞くべきか……。今のところ何から何まで全部意味不明だ。
「そもそも、その彗星が落下して災害とかいうのは、本当なんですか? 地球に彗星が接近中なんて話は聞きませんけど」
「未確認の彗星はまだまだ無数にあるんだぞ少年。宇宙の広さをなめるなよ」
「でも、さすがにもうすぐ落下するレベルで地球に接近するような彗星なら発見されて然るべきでは……申し訳ないですけど、すんなりとは……」
「いやいや来るんだって本当に近々! 確認できないほど遠い宇宙の果てから、こう、すごい速度でばびゅーんと! 神様パワーで分かったんだよ!」
「う、嘘くさぁ……というか、太陽系の軌道上にないんじゃそもそも彗星とは呼べないのでは……」
「もー細かい奴だな理系男子か君は! 後で彗星になるんだよ! 神を信じろ! むしろ信仰しろ!」
「いや信仰はしませんけど……まあ、信じないと話が進まないので、とりあえずそれが本当としますよ。でも、僕に何ができるって言うんですか? 正直な話、それこそ神様パワーとやらで何とかすればいいじゃないですか」
「む……君、さてはバカにしてるだろ神様パワー。なめるなよ神のパワーを。日本語で言うと神力だぞ」
「最初から日本語で言ってください」
「むぐぐ。反応も淡白になってきたし、真面目にやるか」
「…………」
「当然、私も最初は自力で何とかしようとしたんだ。彗星が落ちると分かったその日から、鍛錬を始めた。日々のランニングや腕立て伏せはもちろん、この私の身ひとつで彗星を受け止めることを想定し、試しに総武線の電車を真正面から止めてみたりもした……」
「な、なんてはた迷惑な……」
「平日くらい人が多くないとごまかせそうになかったから、これは週5でしかできなかったがな」
「多っ! やっぱり悪魔だこの人!」
「何を言う。君たちはいつも学校行きたくないとか会社行きたくないとかぼやいてるじゃないか。感謝されたっていい。むしろ信仰してくれ」
「しませんよ信仰は!」
「まあ、そんな激しい鍛錬虚しく……ある日私は、このような鍛錬が無駄だと悟ったのだ。なぜか分かるか?」
「むしろ、なぜ始める前に気づかなかったんだって思いますけど」
「違うっ、私に足りないものは何だったか? それは筋力でも度胸でも愛嬌でもない! 信仰だ! 神は信仰によって力を得る。つまり信仰がなければ神は無力だ! 科学に信仰を奪われ弱った平成日本神様連中にはせいぜい電車をちょっと止める程度の能力しか残っていない!」
「はぁ……」
 僕は力説する美沙さんの言葉を聞き流し、せっかくの信仰を電車止めで浪費されている村の人々に想いを馳せた。
「そこで、君に協力を頼みたい!」
「へ?」
「私を信仰せよ少年!!」
 びしっとサムズアップしてドヤ顔をする神様を信仰したいかどうか、という話をするとまた面倒なことになるので、ひとまずそれは置いておくとしよう。
「……まあ、別にそれはいいとしても、僕一人の力でなんとかなるもんなんですか?」
「自惚れるな小僧! 君の信仰ひとつで彗星止められると思うなよ! 人の儚さをなめるな!」
 なぜ僕が怒られているのか。
「ま、とにかくだ。話は単純。できるだけ多くの人間に私を布教するのだ少年」
「えぇー、嫌です……」
「なんでぇ?」
「だってそれ完全にカルトの類じゃないですか……」
「なに、信仰といってもそんな大層なことはない。ただ私を想ってくれればいいのだ。どんな形でもいい。祈願、感謝、畏怖、友好、興味、愛、それらすべては私の力となる。つまり君は、こんな話があるのだと私のことを触れ回ってもらえればいい」
「なるほど。なんとなく分かってきました。それくらいなら確かに、人間関係を崩すことなくやれそうですね」
「うむうむ。ではやってくれるな?」
「僕は、別にいいですよ。でも、やっぱりなぜ僕なのか腑に落ちないです。僕なんてろくに友達もいないし親類も少ない、美沙さんの布教には役立てそうにないと思うんですけど」



「ほほーう?」
 美沙さんの目が悪戯っぽく光る。
「な、何ですかその思わせぶりな態度は」
「布教に役立てそうにない、ねえ。本気でそう思っているのかい少年」
「そ、そりゃそうですよ。僕より顔の広い人くらいたくさんいるじゃないですか」
「ふっ、とぼけても無駄だよ少年。君も感づいているだろう。なぜ私が君のところに来たのか」
「さ、さあ……見当もつきませんよ」
「ほう、ほう。私の姿を目の当たりにしたときの君の顔、写真に収めておけばよかったか?」
「ぐっ、ぐ……何のことだか」
 鎌をかけているだけ。そう自分に言い聞かせるけど、彼女の目を直視できない。
「私はもう知っているのだよ、米山君。君がどういう人間で……何を好み……何を趣味としているのか」
 そんなはずはないんだ……。
 僕の秘密を、僕の表と裏の顔の両方を知っている人間なんて、この世に数えるほどしか……!


「そうっ、君は知る人ぞ知る人外フェチの若き人気同人作家!! ロールミー伊賀橋!!」

「ちっがぁぁぁう!! なんですかその一昔前のお笑い芸人みたいな名前! らいちですよ、加藤らいちっ!!」
「ふっ」
「――はっ!!?」
 し、しまった、よもや自分からバラしてしまうとは……! これまで幾度となく垢バレの危機を回避してきた僕が、まさかこんな簡単な引っかけに……!
「し、しかしどこでそれを……! 米山敦イコール加藤らいちであることは、僕の親友数人程度しか知らないはずなのに」
「神様はすごいので何でも知っているのだ」
「何ですかその理屈! 日本の神様はそういう全知全能な感じじゃないでしょ!?」
「細かいことはいいだろう米山君、いやらいち先生。さあ、もう分かったんじゃないか? 己のすべきことが」
「いやそれは全然分かんないです」
 それを聞くや否や美沙さんは上半身を一気に僕に近づけてきた。そして、がしっと肩を掴まれ――


「描くんだよっ、私の同人誌を!!!」


「え、えぇーーーー……?」
「なんだその反応」
「いや、突拍子がなさすぎますよ……僕があなたの同人誌を描くって、それがいったい何になるっていうんですか」
「鈍いなあ君は。言っただろう。信仰とは相手を想うこと。その想いは、どんな形でもいい……そう、どんな邪な形でも」
「そ、それって、もしかすると……」
「つまりそういうことだ。君の同人誌が売れる。すると私に対する、まあ、アレな想いが集まる。それが私の力となり、彗星を止められる。どうだ、完璧な作戦だろう」
「力の源がアホらしすぎてアホらしい作戦としか思えないです……」
「ふんっ、まあ理解せずとも構わんさ。ともかく君は近日、即売会で本を出すのだろう。そして目下ネーム制作中だ」
「そ、そうですよっ。今回描くのはケンタウロスって決めてるし、ツイッターでも進捗状況を上げてて、僕の本を楽しみにしてくれている人がいる! 同人作家の誇りにかけて、自分が描きたいと思ったものは曲げられません!」
「貴様ァ人々の命を秤にかけても同じことが言えるのか!」
「だ、だからっ……僕じゃなくたって、そんなの国の偉い人に頼めばいいでしょう! 下半身蛇なんだからきっと信じてくれますよ!」
「そんな回りくどいことしている時間はない!」
「どー考えたって僕が即売会であなたの本出す方がよっぽど回りくどいですよ!!」
「だぁって国家権力を介入させるんじゃ私が村を救ったことにならないじゃないか!」
「なんですかそれ! 結局ただのヒーロー願望ですか!?」

「――それは違うッ!!」
 今日一番の真剣な声で叫ばれ、僕はつい押し黙った。
「私にはあの村の人々を救う義務があるんだ! 科学がこの世を支配し、森にも村にも灰色の線が引かれ、行き場を失った私を、それでもなお信じてくれている人がいる! 私は彼らをこの手で守りたい、いやっ! 守らなければ、今度こそ私は神とは名乗れない!」
 僕は、何も言えなかった。
 (強引にシリアスな展開へ持っていったもんだから合わせるべきか軌道修正すべきか悩んでいたのもあるけど、)長年生きてきた神様の苦しみは僕なんかには到底想像もつかなくて、どんな言葉をかけるべきか分からなくなってしまったのだ。
「……だんまりか。まだ、悩んでいるのだな」
「ええ、まあ……」
 そんな悲しい顔をしないでほしい。まるで僕が悪役みたいじゃないか。突然押しかけられ、わけのわからないお願いをされて、泣きたいのは僕の方なのに。僕は一体、どうすればいいっていうんだ。
「じゃあ仕方ない、か」
 しかし美沙さんは、意外なくらい早く折れた



「こうしようじゃないか少年!!」


 わけがなかった。
「君が私を描いてくれるなら、その見返りとして私は君に『ネタ』を提供しよう!!!」
「この加藤らいち全身全霊を以てして貴女様を描かせていただきます!!!!!」



 米山敦21歳。ペンネーム加藤らいち。彼女いない歴イコール年齢。コミケ三日目に参加してる系男子。「ネタ提供」の誘惑に勝てるはずもなく即堕ち。
 村ひとつ分の命がかかった一大作戦が今、幕を開ける――。


* * *


「――で、だな。ここで私が『どうしてほしいのか言ってごらん』と言うんだ。ここで大事なのが私の表情! 蠱惑的な笑みで主人公を挑発する私! ここで読者のスイッチを入れるのだ!」
「いやここは蠱惑的っていうより嘲笑を浮かべた方がよくないですか。ていうか、そっちの方がいいです」
「なにを言う。それではただの意地悪おばさんじゃないか。私はそんな神ではない」
「あなたが意地悪じゃないかどうかはさておいて、僕はそっちの方が好きなのでそっちで書きます」
「いいや、ならん。私はネタを提供すると約束したのだから、こうもことごとく提案を断られては立つ瀬がない」
「…………」
 まあ、そんなことだろうと。
 そんなことだろうと、思ってたけど。



「でもネタ提供って言ったらさァー!! そういうんじゃないでしょ!! 女性が同人誌のネタを提供してくれるっていったらァー!!」
「なんだいきなり」
「もっとこう、あるでしょう! 直接的なネタ提供が! 僕のQOLを飛躍的に上げてくれるネタ提供の形が!!」
「何を言っている。同人誌の読みすぎで頭が沸いたか小僧」
「同人作家だもの!! いいじゃないのそんな妄想したって!!」
「ああ、いいだろう好きに妄想するといい。しかし今後その妄想が現実になることは百割無いとここで断言しておこう」
「ひどぅい……彗星落下を無事に防げたらご褒美とかそういう展開はないんですか」
「考えてやってもいいぞ。だから早くペンを動かすんだ」
「分かりましたよまったくもう……」
 電話しながらの作業は何度もしている僕だけど、さすがに真横に女性がいる環境で、しかもその女性が登場する漫画を描くのは初めてで、ろくに集中ができない。そんな僕の心境も知らず、美沙さんは僕の肩に顎を乗せて原稿を覗いている。重っ。この人重っ。
「今描いているこれが紙に写され、何万冊もの本になるんだろう? すごいなあ現代は」
「まあ、うちはさすがに何万も刷ってられませんけど……」
「なに? 人気サークルは何万単位が普通なのではないのか?」
「人気って一口に言ってもいろいろあるんですよ。ピンからキリまでごった返してるのが同人イベントの醍醐味ですから。うちは、そうですね、今回は2000部ってとこですか」
「にせん……ぐむむ、意外と少ないな」
「オリジナル、しかもニッチなジャンルですし、これでも相当頑張ってる方ですよ」
「ふむ。とはいえ、せめてもう少しほしいな」
「あ、いいこと思いつきましたよ美沙さん」
「ん。なんだ?」
「美沙さんが売り子すればきっともっと売れるんじゃないですか? 下半身蛇ですし」
「ッ!? ばっ、馬鹿者ォォー!!」
「ぶぇっ!?」
 なぜか僕は美沙さんから殴られた。グーで。顔を。
「何するんですか!!」
「さらっと恐ろしいこと抜かすな! そんな大勢の前に姿を晒す神がどこにいる!」
「でもこのご時世、コスプレってことでごまかせるんじゃ」
「限度があるだろ! 人間さすがにそこまで思考停止して生きてないと思うぞ! 頼むぞ米山君、君がボケたら私はどうすればいいんだ!」
「いやいたって真面目な提案だったんですけど……」
「君ってやつは……。いいかい、よしんばコスプレで奇跡的にごまかせるとしても、それは不可能だよ」
「どうしてですか?」
「本来この世というものは、あの世とは無関係で、一切の干渉を受けない。それは君にも分かるな?」
「ええ、まあ」
 基本的に死んだ人は生きている人に何もできない。当たり前のことだ。
「神や妖怪など、この世の向こう側にいる者は、現世への干渉力をもつ。まあ、この世界をどれだけ変えられるか、という力だと思っていればいい。この力は、本人の自力や信仰の多寡、そして状況により大きく変動する」
「状況っていうのは?」
「古びた廃病院には霊がよく出るとか、神社で願い事をすれば叶いやすいとかが典型例だな。その場所に縁があれば力を出しやすい。まあこれも想像がつくな?」
「そうですね」
「ここからが重要だ。この干渉力、基本的には人が多ければ多いほど減少する。あの世の向こう側としての『この世』というのは、人の営みそのもの。この世があの世の干渉を受けない力、いわば非干渉力は、人の数によって決まるのだ」
「えっと……世界の非干渉力が人の数で……でもそれって、単に世界人口の問題じゃないんですよね?」
「もちろん。この世とこの世の境界線は、ある意味でこの世とあの世の境界線より掴みにくいし、またある意味で前者と後者は全く同じともいえる。こればっかりは私にも説明できないが、とにかくそのイベント会場くらいは『ひとつのこの世』としてくくることができるし、当然その人が密集した『この世』において私は姿を見せることさえできない」
「なんか、難しい話ですね……理解できたようなできてないような」
「ああ。まあ、これは誰かさんの脳内設定を垂れ流しているだけなので軽く流してもらって構わない」
「言うのが遅いですよ……っていうか、どこ見てるんですか。それ誰に向かって言ってるんですか」
「この設定が気になったのであれば、また次の物語に乞うご期待! というやつだな」
「ちょっと? 美沙さんっ?」
「ええい私のことはいいから君は絵を描きたまえよ。君が描き終わるまで私はここを動かないからな」
「なに鬼編集者みたいなこと言ってるんですか。だいたい無茶ですよ。まだネーム段階です。書き上がるまでは早くても2週間はかかりますよ」
「なんだつまらん。あ、そこもう少し胸をドアップで描いた方がいいのではないか」
「嫌です、ここは胸よりも表情で魅せます。ま、何だって作業の段階はつまらないものですよ。ですから、とりあえず今日のところは帰ってください」
「何を言う。私は村の命を預かってるんだ。君がきっちり約束を果たすか、この目で最後まで見届ける義務がある。いやそこは絶対顔のカットインが必要だろう」
「いーえ。身体の動きで十分表情ついてますから、ここは読者の想像に任せた方がいいんです。……ちゃんとやりますよ。さすがに僕もそこまで薄情じゃないです」
「どうかな。む、そこのセリフは――」
「だぁーっ!! いちいち横槍入れてくるから帰ってくださいって言ってるんですよ!! 同人誌を描くときは誰にも邪魔されず自由で救われてなきゃいけないんです!」
「使い古されたパロネタは黒歴史の温床になるぞ」
「そ、それ以上いけない!」
「どれ、暇だから唐突に君の黒歴史でも漁るか」
「そんなものないですよ! やめてください!」
「神様はすごいので、君の引き出しの下から二番目には中学時代書いてなんとなく取っておいてあるポエムが封印されていることもお見通しである」
「この邪神め!! お帰りください! お帰りください!!」
「やめろやめろ、神に向かって塩を撒くな。分かったよ、今日のところは退散しようじゃないか。また来るからな。くれぐれもサボるんじゃないぞ」
 「ばいびぃ」と言い残すと美沙さんは一瞬で消え失せてしまった。何から何までテンポの速い人だ。一方で僕は生まれて初めて盛り塩の力を実感し、ゆっくりと塩に感謝を捧げたのだった。


* * *


 一ヶ月。僕は日夜美沙さんの同人誌作りに励んだ。その一ヶ月間は、涙なしには見られないシーンの連続であった。ある時は喧嘩し、またある時は友情を深め合い、そしてやはり総武線は週5で止まった。
 とはいえ、それをいちいち書いていてはキリがないので割愛させていただく。なお、泣けるシーンの大半は美沙さんがふざけて洒落にならないことをやらかすという展開で成り立っている。
 ひとつ見どころを紹介するならば、あのシーンだ。
 自分の思い通りに描こうとしない僕に業を煮やした美沙さんが、何を血迷ったか「ええい貸したまえ」と尻尾でパソコンを取り上げた。そしたら勢い余ってパソコンが彼女の尻尾からスポーンと抜け出し、窓をぶち破って闇夜へダイヴしたのだった。あのときばかりは、さしもの僕も般若の如き怒りで心が染め上げられた。だけど、あの美沙さんが泣きながら「ごめんよう」と平謝りするもんだからさすがに許さざるをえず、大事にならずに済んだのだった。ちなみにパソコンは神様パワーにより無事復旧した。


 まあ、今となっては良き思い出のひとつだ。



「よぉーし入稿ぉーっ!!」
「いえーぱちぱち!」

 ――無事入稿を終えた今となっては!
 12月24日午前9時半、我々は成し遂げたのである!!
「お疲れ様らいち先生! いやはや一時はダメかと思ったが、なんとかなったな!」
 美沙さんが巨大な胴体を上機嫌に揺らしながらはしゃぐ。床がミシミシいってる。やめて。今脳揺らすとヤバいからやめて。空の栄養ドリンクがいくつか床に落ちてしまったけど、今は拾い上げる気力すらない。
「ま、伊達に壁サークルやってませんよ……」
 波打つ蛇部分を速やかにまたいで渡り、僕はベッドにもぐりこんだ。
「この完成品はいつ届くんだ? 早く見てみたいな」
「直接搬入……イベント会場に直接届けられるので、ここには来ないです」
「なにぃ。それは困ったな。実に参った。まいっちんぐみさこ先生。せっかくの私の同人誌だ、どうにかして私も見られないか?」
「自分用にちゃんと数部は取っとくので、イベント終わったら見てみればいいんじゃないですか……」
「うーん待ちきれないぞ。そうだ、やはり私も会場に行こうか。なに、心配はいらんぞ、人の姿に化けていけば問題はない。知っているか少年、人の姿に近ければ近いほど現世への干渉力は強まるんだ」
「知らないですけど……美沙さん、テンション高いっすねぇ……」
「そりゃあもうバブル景気のように高いぞ。どれ、お祝いにこの前供えられていた酒でも飲むか? あれは美味いぞー、私の一等好きな酒だ」
「堪忍してつかぁさい……僕はもう寝ます」
「何を言う、神の御前で眠るのは御法度と相場が決まっているのだ。目覚めよ少年! まだ戦いは始まったばかりだ!」

「…………」
「寝るの早いな君ぃ! 私の上がりに上がったテンションの行き場がないじゃないか!」
「…………」
「……ふむ。ま、これだけ頑張ったのだ。許してやろう」
「…………」
「おつかれさま、敦君」
 意識の底で、彼女が僕の額に軽く触れたのが分かった。


* * *


 女性と半分同棲している状況だからといってクリスマス・イベントなどあるわけがない。なぜなら僕らの本当の聖戦はその後にあるからだ。僕ら陰の者は、いかにイルミネーションや街を歩くカップル達が眩しく映っても動じない。なぜなら、僕らには僕らのエデンがあると知っているからだ。
 そう、僕らは孤独じゃない。悔しくなんかない。


「米山君、性の六時間が始まったな」
 悔しくなんかないやい!!


「へ、へぇーそうですか……まあ、僕らには関係のない話ですよね? クリスマスなんかで浮かれてたらこの先生きのこれませんよ」
「え、勝手に君と同類扱いしないでくれるか?」
「辛辣っ!! でもあなた日本の神様なんだし、どっちみちクリスマスなんて関係ないでしょ!!」
「いや、日本のいわゆるクリスマスは別にキリストの生誕を祝うイベントではないと思うのだが……」
「うわァー正論!!」
 この人ときたら相変わらずろくなことを言わない。
 分かっているさ、分かっている。僕ら陰の者は光を求めてやまないのだ。でも、陰には陰の生き方があると虚勢を張って、なんとかごまかしごまかし生きているんだ。虚勢は男の生きる道だって光の者代表も言ってたし。
「めっちゃ気にしてるじゃないか。大丈夫? 鱗触る?」
「触ります……」
「え、本当に触るのか」
「もちろんです」
「あっちょっと、おい」
 有無を言わさず触りだす。男子たるもの、女子の身体に触れるチャンスを逃したりはしないのである。健やかなる女性の皆さん、男に対してこういう冗談を言ってはいけません。男は阿呆ばかりなので真に受けます。もし真に受けてしまった男が眼前に迫っている場合、冷静に引っぱたいてあげましょう。判断が遅れるとこうなるので気をつけましょう。人生初見殺しのQTEばかりです。世知辛いね。
「まー、別にいいんだが……君はそれで満足なのかい」
「何言ってるんですか、女の子の鱗ですよ。満ち足りますよそりゃあ」
「確かに私の鱗には違いないが、そこはほぼ蛇だぞ。ただの蛇の鱗だぞ」
「はぁーこのツヤツヤ感……弾力……筋肉……パーフェクト」
「うっわ気持ち悪ぅ。絵面が完全に性犯罪のそれだぞ」
「蛇の鱗触ってるだけなのでセーフ」
「見事なダブルスタンダードだ」
 美沙さんの冷めた目をかわしつつ存分に鱗を触る。これが天からのクリスマスプレゼントなのだとしたら僕は今日この日生まれた神の子に感謝を捧げよう。サンキュージーザス。
 蛇娘の魅力は、なんといってもこの筋肉の引き締まった胴体。ツルツルの鱗を触ってもよし、柔らかい腹を触ってもよし、またはあえて人部分に触れてみるもよし、一人で三度おいしい無敵カワイイモンスター。人外界隈ではお約束のフレーズ「ロールミー」が生まれたのも彼女たちがいればこそ。さあロールミー! 僕に巻き付いて! あ、思ったより人外要素が薄いからって急にテコ入れを始めたということに気づいてしまった勘のいい諸君はあの頃の純粋な君に戻ってくれ。
「私の高貴な身体を触らせてやったんだ、即売会の時は頼むぞ。きっと完売してくれよ」
「ええ。任せてください」
 本当は書店委託分も合わせて刷ってるから完売なんて想定していないが、日本男子はそんなロマンのない突っ込みはしないのだ。決して鱗惜しさにごまかしているわけではない。
「おや、米山君。雪が降ってきたぞ。こういうの、ホワイト・クリスマスと言うのだろう?」
「そうですよ。なんだかホワイト・クリスマスっていいですよね。映えるっていうか、ロマンチックで。僕は好きです」
「私の身体にしがみついてロマンチックの欠片もない変態が何か言ってるな」
「手厳しィー!」


* * *


 そして、12月31日。きたる某同人誌即売会。
 いきなり同人誌の内容を変えたことで多少のブーイングはあったけれど、さすがに炎上というほどの騒ぎにはならなかった。新刊も無事届いた。体調も万全。売り子さんも揃ってる。他の作家さんへの挨拶回りも済んだ。あとは開場を待つのみ。
 ただ、ひとつ問題があるとすれば。

「うおー本当に本になっている! すごいなあ、これが文明というやつか! うーむ実に煽情的! これなら信仰もたくさん――あっ、ええと、たくさんの人が気に入ってくれるだろうな、らいち先生! 大義であった――いやお疲れさまでした!」

 本当に美沙さん(人の姿)がついてきてしまったことだ。
 彼女は今、一人で勝手に新刊を読んでいる。何か仕事を任せているわけではないので、それでいいんだけど。むしろ最後までそうしてくれていたら助かる。彼女には悪いが、彼女が手伝いなんてし始めたら列がいつまで経っても進まなくなってしまう。
 断るつもりだった。ただでさえ狭いスペースで売るのに、その中で人ひとり遊ばせるなんて本来もってのほかだ。でも僕は所詮陰の者。美少女から甘い声でお願いされたらそんなもん即陥落するしかない。
 その結果、売ってる最中にちょっかいは出さない、神であることは隠しておく、という最低限の内容を条件にして、彼女をこの会場に連れてきてしまったのである。
「さも当然のごとく使ってるが、その『陰の者』とかいう恥ずかしい表現は一体全体何なんだ? 要はただの日陰者だろうに」
「それは言わないで!! というかあなたこそ何当たり前のように人の心読んでるんですか!?」
「神様はすごいので――あっ、ちがくて、き、君のことは何でもお見通しなんだぞっ☆」
「うわキツ」
「は?」
「キツネ」
「は?」
「ごめんなさい」
「許す」
 この神様、ごまかすの下っ手ぁ……大丈夫かな本当に。
「らいちさん。あの子は一体……?」
 売り子さんの一人に聞かれて内心ドキッとする。そういえば考えてなかった。えーとえーと居候――はちょっと世間体的に問題あるからえっとー、
「い、妹です。こういうイベントに興味あるみたいで、どうしても一度見てみたいって言うので……」
「へぇー、らいちさん妹いたんですね。勝ち組じゃないですかーやだー!」
「い、いやいやそんな。わがままで傍若無人で、全然勝ち組とかじゃ」
「それマジで普通にどっかのキャラでいそうな感じじゃないですか! しかもめっちゃ可愛いし!」
「いやぁははは……」
「おっ。さては私、今褒められてるな? 神様じゃないけどお見通しだぞ?」
「美沙はちょっと黙ってよっか……」
「む、仮名とはいえ神を呼び捨てとは――あっいやぁー、うん、ごめんよ兄者。ん? お兄ちゃん? 兄上?」
 やめてェ! ただでさえ独特な口調で怪しまれそうなところを、「あーまあ中高生のオタクってあんな感じで好きなキャラの口調まねて黒歴史作るよね(苦笑)」みたいな感じの雰囲気でなんとかごまかしてるのに、これ以上不信レベル高めないで!
「でも、なんか……新刊のヒロイン、なんとなく妹さんに似てません?」
「ヘェッ!?」
 まずい! これはまずい! そうだよ妹ってことにしたらまるで僕がリアル妹に性的な欲望を向けてるリアルヤバい人みたいじゃないか! 三次元はまずい! 我々誇り高き陰の者は二次元と三次元をしっかり区別して健全なる青少年の育成を見守っております!
「えっとぉー……いや、まあ、ね? 人生で一番見てる女性の顔は妹なんで……ある程度似てるキャラデザができるのもしょうがないかな? みたいな?」
「……らいち先生。別に、正直に言ってもいいんですよ? ここには紳士しかいませんから」
「いやっ、ほんと違いますって! そういうんじゃないんです! やめてそんな温かい目で見ないで! いやァ!」
 僕の風評被害が他の売り子さんへ隣のサークルさんへ、さざ波のように広がっていく。誰か止めてこの流れ! 僕は人外っ娘にしか興味がないということを思い出して皆ぁ! いや確かに美沙さんは人外っ娘だけども!
「お、なんだか外の方が盛り上がってきたな」
「嘘っもう開場!? あっ本当だ拍手起きてる! 美沙さん再三言っておきますけど売ってる最中だけはふざけないように! 列をスムーズに解消しないと僕ら怒られちゃうので!」
「分かってる、分かってる」
 そうこう言っている間に、人の波がこちらへ押し寄せてくる。この光景、何度見ても圧巻だ。さしもの美沙さんもここまでの人だかりは見たことがないのか、「おおー」と感嘆の声を漏らした。
 しかし、美沙さんを気にしていられたのもここまで。すぐに列ができて大わらわだ。僕はいつものように、しばらくの間「新刊500円です」「ありがとうございます」を言う機械と化した。
 なお、美沙さんは買っていく人たちに「じっくり読みたまえよ!」とか「ありがたく受け取るのだぞ!」とかいらないことを言っていたが、それに構っている暇はなかった。幸いにして不快感を露わにしていた人はいなかったのでよしとする。


「らいち先生らいち先生!」
 ようやく落ち着いてきた、というところで、にわかに美沙さんがはしゃぎだした。そして、僕に耳打ちをしてきた。
「早くも信仰が集まってきている! もう読んでるせっかちな奴がいるんだな!」
「あー、そういう人も一定数いますね。でもよかったですよ、狙い通り集まってるみたいで」
「そうだな、本当によかった。この調子で集まるならば彗星を止められる……!」
「そういえば、決行はいつか決めてるんですか? 美沙さんの話が正しければ、まだ観測が難しいほど遠くなんですよね」
「わざわざ地球に近づいてくるのを待つことはない。決行の時間は明日の午前1時だ!」
「ず、ずいぶん急ですねっ? そうだったんですか?」
「ああ。信仰は風化が早い。読者の私への想いは新鮮であればあるほど強い……というのもあるし、理由はもうひとつある」
「ん、何ですか?」
「気づかないか少年。明日は何日だ? どんなイベントがある?」
「え……あっ!」
「そう。初詣だ。おそらく一年の内で最も信仰の力が高まる日。最近は年明けの瞬間を狙って初詣に行く参拝者も多い。この二つの層からの信仰が最大限生かせる時間、それが午前1時だと私は踏んだ! よってこの作戦をマルヒト作戦と名付ける!!」
「いや名付けなくていいですけど……僕は何か、その時間にできることはあるんですか? たぶん、打ち上げで疲れてクタクタになってると思いますけど」


「何を言う。君も来るんだぞ」


「へ?」
「神に近ければ近いほど、その信仰の力は増すんだ。神社で願うと御利益が増すというのと同じ原理だな。分かるだろう?」
「まあ、理屈は。ん?」
「だから、君は私の側にいて、私を想ってくれ。私のために祈ってくれ」
「僕が、彗星を止める美沙さんについていく」
「うむ」
「宇宙へ?」
「宇宙へ」
「…………」
「らいち、宇宙へ」



「――っうぇえええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!??」
「頼む、協力してくれ。そうでないと困る」
「やだぁーやだぁー!! スプートニク2号には乗りたくないよぉ!!」
「それはライカだ!! 日本の神様にこんなグローバルな突っ込みを求めるんじゃない!」
「せ、先生? どうしたんですかそんな大声出して」
「あぁーいやー何でもないです何でも! いやっ何でもある?! 何でもない!? 気にしないでください!?」
「いやマジで大丈夫ですか!! 大丈夫じゃないでしょ!! ちょっとスタッフさん呼んできますね!」
「大丈夫です! ホント大丈夫ですから! ほらこの通りピンピン! マッスル! ブートキャンプだってできちゃう!」
「ああぁぁあぁらいち先生が本格的にヤバいことに!!!」
「だいじょーーーぶ!!! 皆さんステイヒアプリーズ! も、もう落ち着きました! ちょっと頭が混乱していただけですので! はい、皆さん即売会終了まであと少しですが頑張っていきましょー!」
 ととととととにかく、まずは即売会。手伝ってくれてる皆さんのためにも、一般参加者さんのためにも、もちろん美沙さんのためにも、やり切らなければならない。
「美沙さん……とりあえず、それについての返事は保留させてください」
「わ、分かった。待とう」
 激しい混乱っぷりを見たためか、彼女はいつになく素直に了承した。
「では、私は君の家に帰って信仰を蓄えておくことにするよ」
「そうしてください。ちゃんと帰ってくるので」
「日が変わる前までに頼むぞ」
「分かってます」
 次の瞬間には、美沙さんはいなくなっていた。人混みに紛れたのか、はたまたこっそり神力を使ったのか定かではない。が、ともかく彼女がいなくなったことで、僕の心はにわかにざわつきだした。
 だって、宇宙だ。美沙さんが一緒にいるときは、現実味がなくてまだ騒いでいられたけれど、実際問題宇宙となればそれどころの話じゃない。たぶん、僕は今土気色の顔をしていると思う。だって、……宇宙だ。もうこの単語ひとつで僕の不安の全てを表せる。
 落ち着いたとは言ったものの、自分がもうすぐ宇宙に行くかもしれないと知ってなお平常心を保っていられる人間はそういない。

 新刊500円になります……ありがとうございます……皆さんお疲れさまでした……すいません打ち上げの話なんですけど急用ができちゃって……。最低限の意思疎通はこなした気がするが、そのどれもこれもいまいち記憶が曖昧だった。
 それからなぜか総武線に乗って……電車は止まることなく、真っすぐ千葉に戻ってきた。そして僕は上の空で帰路を歩いたが、交通事故には遭わず、不審者にも襲われず、気づけば自室の扉の前に立っていた。
 ドアノブを握ったまま、今までの光景はぜんぶ僕の幻だったのではないか、なんて考える。でも、彼女は売り子さんにも見えていた……いや、実は彼女は本当に僕の妹で、僕は記憶を失っているだけ……さすがにそれは無理がある。とにかく扉の先の未来を見たくなくて、僕は立ち尽くしていた。


 すると突如、僕の手がぐりんと捻じれた。


 扉がゆっくりと開いて、僕は後ろによろめいた。
「……おかえり、敦君」
「ただいま……です、美沙さん」
「ここは君の家だ。堂々と入っていいんだよ。それで何かが変わってしまうわけじゃないだろ」
「そう、ですね。何バカみたいに突っ立ってるんでしょう、僕は」
 言われるがまま部屋に上がる。美沙さんはいつもの蛇の姿に戻っていた。どうしようもなく非現実な現実が突き刺さる。部屋の中で、何をするというわけでもなく、床にどっと座る。
 話し合わなければならない。
 分かっているけれど口は人形みたいに動かなくなってしまい、気まずい沈黙が流れた。

「すまなかったな、少年」
 先に口を開いたのは、美沙さんだった。
「? ……何がですか?」
「人の身で宇宙へ飛ぶということ。その意味を解せず、君に大役を押しつけるのは神の傲慢だった。私がどうかしていたよ。君の命の保障すらできないのに」
「い、いや……そんな」
 何を否定したいのか分からず、僕は黙った。
「彗星は私ひとりで止める。なに、君がいないと困るというのは嘘だよ。独りで宇宙へ行くのは、少々寂しくてね」
 嘘だ。それくらい、僕にも分かる。
 美沙さんは、ごまかすのがとても下手だから。
「今までありがとう敦君。君はこれにて、晴れて普通の生活に戻れる。でも、……せめて事が終わるまでは、私を想っていてくれよ?」
 美沙さんが、その長い体を引きずって僕から離れていく。その上半身の向かう先は、玄関の扉だ。そうか、もう行くんだ。時計を見ると、時刻は0時。もう時間がない。
「じゃ、さよなら。敦君」



「待って」
 声が出ていた。
 なんだ。何を言えばいいっていうんだ?
 感動的な言葉? 決意の言葉? 熱い言葉? それとも愛の言葉?


 ……違う。違う違う。違う違う違う違う違う違うっ!! 

 そういうんじゃないんだ! かっこつけるなよ! 僕はあくまで、ただの人外が好きなだけの、ただそれだけのちっぽけな人間だ!
「……? どうしたんだい?」
「……美沙さん、僕は人外が好きだ」
「ああ、知っている」
「美沙さん、僕は人外が好きだ!」
「うん、うん。うん?」
「美沙さん! 僕は人外が大好きだ!!」
「え?」

「鳥娘が好きだ。馬娘が好きだ。蜘蛛娘が好きだ。人魚が好きだ。単眼娘が好きだ。異形娘が好きだ。吸血鬼が好きだ。狐っ娘が好きだ。蛇娘が好きだ!」
「ちょ、ちょ、ちょちょ、敦君」
「古代で 中世で 近世で 近代で 現代で 西洋で 東方で 異世界で 深海で 宇宙で この世界で生まれるありとあらゆる人外っ娘が大好きだ」
「今ここでそれやるのか? この状況で? なんか違くないか?」
「セイレーンの、船を沈める恐ろしくも美しい歌が好きだ。そんな彼女と打ち解け、彼女に掴まって共に空中高く飛び唄を歌う展開など心が躍る。吸血鬼にかどわかされ自ら眷属と化すのが好きだ。強大な力を持つ彼女が己の正義のため敵をなぎ倒す展開は胸がすくような気持ちになる。名状しがたき異形の娘に容赦なく襲われるのが好きだ。正気を失い恐慌状態に陥った主人公が彼女を何度も何度も攻撃している、というのに一切動じない様など感動すら覚える。森に入ったらアラクネに襲われ蜘蛛の糸で吊るし上げられる様などはもうたまらない。ラミアに魅入られ、その筋肉の引き締まった胴体で巻き付けられるのも最高だ!」
「よくぞそんなにポンポンと言葉が出てくるな……」
「諸君、私は人外を、奇跡のような人外を望んでいる! 諸君! 僕の同人誌を読んでくれる人外紳士諸君! 君たちは一体何を望んでいる!?」
「もはや誰と話しているんだ……」
「更なる人外を望むか? 情け容赦なく心を鷲掴む悪魔のような人外を望むか? 六根清浄の限りを尽くし、三千世界の人外紳士を浄土へ導く仏のような人外を望むか?」
「何を言ってるんださっきから! 一体どういうつもり――」
「よろしい!!! ならば人外だ!!!!」
「話を聞けェ小僧!!!!」
 夜中の午前0時にも関わらず、僕らは大声で叫び合う。

「つまりどういうことか分かりますか美沙さん!」
「分からないよ!! 何が言いたいんだ君は!」
「僕は人外が好きです! ただただ! ひたすらに! 無闇に! 闇雲に!! 人外が好きなんです! だから僕はっ、悲しんでいる人外の女性から目を背けるわけにはいかない!!」
「そ……そんなくだらない意地で命を危険に晒す気か!? バカなのか君は!?」
「えぇーくだらない意地ですよ! どーせバカですよ! でもですね、あなたを助けなきゃ僕はもう人外好きを名乗れないんだッ!!」
「ぐ、う……君ってやつは……死んだらそれで、何もかも終わりなんだぞ!?」
「僕は死にません!! あなたが好きだから!!」
「っ!? そ、そ、そんなこと言って……知っているぞ、それもどうせ君の言葉じゃなくて、有名ドラマのパロディなのだろう? 神様はすごいので――」
「本心ですよ!!」
「にゃんでもっ!?」
「そうです恥ずかしいのでヘタレなのでドラマのセリフを借りました、でも本心です! あなたのことが好きです! 美沙さんが好きなんです! だから僕も一緒に連れていってください!」
「――だあぁぁもぉぉじゃぁ勝手にしろ! 私は忠告したからなっ!」
 美沙さんはぷんすか怒りながら、荒々しく出て行った。僕も後を追う。


 これでいいんだ。


 僕は三枚目で構わない。僕と彼女の間には、何もなくていい。

 ただ、彼女を助けることができれば、それでいい。


* * *


 1月1日午前1時。静まり返った市内某公園。
「時間ですね、美沙さん」
「……ああ」
 目を合わせ、僕らは静かにうなずく。


「マルヒト作戦、開始!」
 その瞬間、僕らは空を飛んだ――!


「うおおぉぉ……! 飛んでる……もう日本列島の形が見えてきた……!」
 もちろん僕は自力で飛んでいるわけではない。美沙さんに掴まっている。どういう状況か想像しづらければ、某昔話アニメの龍に乗ってる坊やを思い浮かべてほしい。あんな感じだ。スピードが違うので僕の方がだいぶ余裕のない表情をしているけど。
「信仰の膜で酸素は確保してある。けれど、あくまで最低限だ。窒息したくなければ早く終わるよう必死に祈るように!」
「信仰って何でもありですね……」
「信仰が集まることで人々の願いが叶う。いわば信仰は奇跡の種。何にでも対応できなければ、むしろ困るというものだよ」
「なるほど」
「さて、作戦内容をもう一度確認するぞ。まずはスペースデブリ帯を抜けるまで飛行を続け、安全を確保する。その後彗星の軌道を確認し、そこに信仰の壁を設置する。あとは彗星の衝突を待つ! その間君はエンディングまで泣かずにただ祈りを捧げる! 以上だ!」
「バッチリですミササン!」
「よし! では大気圏に突入する!」
 速度が急激に上がり、手を離してしまいそうになる。危ない危ない。こんな人生半ばでミンチにはなりたくない。周りの風景は抽象画みたいに見えるばかりでしっかり認識できない。ワープってこんな感じなんだろうか。
「大気圏突破! スペースデブリ帯に入るぞ、気をつけろ!」
「はっや!! ちょっと待ってくださいここもう宇宙なんですか!? 速すぎて何が何だか!」
「無論宇宙だ! 神様はすごいのでスペースシャトルよりずっと速い!」
「神様すごい!!」
「はっはっは、ようやく分かったか! さあ、いよいよ信仰の壁を――」
 そこで、美沙さんの言葉が途切れた。
 彼女の顔を伺うと、驚嘆の表情で冷や汗を滴らせている。
「どうしたんですか、美沙さん?」


「……足りない」
「え?」
「信仰の力が急激に弱まっている!」
「なっ……なぜ!? 信仰の風化ってやつですか!?」
「いや、いくらなんでも早すぎる! それに、こんな急に弱まるはずが……なぜだ、なぜこんなに――はっ!」
「何か分かったんですか!?」
 美沙さんは神妙な面持ちで目を閉じた。
「……敦君。人間は常に考える存在だ。何もしていないとき、あるいは眠っているときでさえ、人は何らかを考えている。これは科学的に脳が働いているという話ではないぞ。精神の活動だ。思考、欲求、夢――精神は常に、意識下・無意識化を問わず、何かを考えている。精神の活動は衰えない、そして信仰は精神から生じる……だから通常、信仰の力が急激に弱まる時間帯などない」
「じゃ、じゃあなおさら、どうして」
「しかしだ。精神も例外的に、急激に活動を減らすときがある。無我の境地――すなわち、悟りの時だ」
「……はぁ」
「無我は無欲……欲は信仰の源。つまり、それこそが信仰の弱まる状態というわけだ」
「……原理は分かりましたよ。でも、皆が皆一斉に悟りを開くって言うんですか? しかも、僕の同人誌を読んでくれてるような層の人たちが」
「敦君。考えてみてくれ。無我の境地に至った者を、我々は何と呼ぶ?」
「へ……? ええと、お坊さん? 仏様?」
「違う違う。もっとこう、瞑想とか使いそうな奴だ」
「ラスボス……?」
「なんでそうなる! ……いや、発想は間違ってないか」
「発想が間違ってない? ってことはRPGっぽい……魔法使い、僧侶、けん――ってぇ!? 美沙さん!?」


「それだよ少年。いわゆる――賢者タイムだッ!」


「えぇぇぇぇ……いや、ええええぇぇぇぇぇぇ……」
「どうした?」
「萎えるわぁ……」
「君も賢者タイムか」
「やかましいです……。なんなんですかそのアホみたいな原因……。せっかく盛り上がってたのに……このままクライマックスからの大団円みたいな感じだったのに、台無しじゃないですか……」
 確かに僕は三枚目でいいって言ったけど、だからってこんな展開ありか。まさか僕があの時ふざけたのが原因で、この世界がシリアス世界線からコメディ世界線に移動してしまったとでもいうのだろうか。……って、僕は一体何を考えてるんだろう。 
「何がアホだ! 性愛は信仰の重要な糧なんだぞ! 恋愛成就、安産祈願、子孫繁栄、それらは性愛なしには語れん! 民の繁栄は国の繁栄、つまり引いては国家安泰だって性愛で成り立っている! 違うか!?」
「た、確かにそうだけど……そうだけども!!」
「現に人々の性欲が弱まったことで私の力は弱まり、事態は困窮している! それは変わらない! 実際問題この状況はヤバいぞ敦君!」
「えぇっ……何か、他に手はないんですか!?」
「……あるにはある。けれど、かなり危険だ」
「今ならギャグ補正で彗星に直撃しても助かりそうな気がしますけど……どんな作戦なんです?」
「そう、まさにそれだよ」
「え?」
「彗星に自ら突っ込むんだ」




「へええええぇぇぇぇーーーー!!?」
「テンション高いな君。真面目に聞きたまえよ」
「いやっ、むしろ今の真面目な作戦だったんですか!? 冗談でしょ!? むしろ冗談と言ってください!」
「もちのろん、大真面目だ。信仰の力は、神の近くであればあるほど増すという話はさっきしたな?」
「え、ええ……だから僕がついてきたんですよね?」
「その通り。だが、この法則には二つの顔がある」
「二つの顔……?」
「ああ。ひとつは、先ほど話した通りの意味。神が得られる信仰の多寡だ。そしてもうひとつは――神が使う信仰の強さ」
「……。え、っと?」
「ふむ。たとえば怖い話で、神社に逃げ込んだら霊が追ってこなくなった、みたいな話がよくあるだろう? 要はそれと同じことで、神は自らに近い場所であればあるほど、信仰の力をより強力に発揮できる。そう言えば想像しやすいか?」
「な、なるほど……。なんとなく分かってきましたよ。つまり、美沙さんからは遠く離れた場所に信仰の壁を作るより、美沙さんが直接、信仰でできた……鎧みたいなものを纏って突っ込んだ方が、強力な一撃になると」
「君にしては理解が早いな。そう、遠距離技より近距離技の方が高威力なのは自明というわけだ」
 なぜゲームで例え直すのか。
「だが……やはり危険だな。私は精神体だから直撃してもどうってことないが……君があまりにも危険すぎる。私の『信仰の鎧』を纏わせるにしても、ぶつかるときの衝撃に耐えられるかどうかは、それこそぶつかってみないと分からないのだから」
「なんで今ちょっと必殺技名っぽく言ったんですか。分かりますよ、なんか強調してるし」
「黙れ小僧。で、だ。やはり『信仰の鎧――アーマー・オブ・フェイス――』を使うのは危険なので、残念だが君を一旦地上に帰そうと思う」
 天邪鬼かよこの神様。
「いえ、それには及びません。ここまで来たんだから、最後まで付き合いますよ。乗りかかった船ってやつです」
「そんなっ。ただの宇宙飛行とはわけが違うんだぞ! 想像してみたまえよ、巨大な岩にぶつかる己の姿を!」
「想像したくないですね、怖いので。僕は美沙さんを信じますよ。心の中の想いは、それだけで十分です」
「……大馬鹿者だよ、君は」
「そうですよ。大馬鹿です。じゃなきゃ、ここまで美沙さんについてきてないですよ」
「言うじゃないか少年。だが、すぐにその判断だけは正しかったと知ることになるだろう。――私は、絶対に君を守るのだから」
「ええ。分かってます」
「ふっ……行くぞ敦君――!」
「はい――!」





「あっ、いいこと思いついた!」
「えええええぇぇぇぇぇぇ!!!?!? このタイミングでぇぇぇぇ!!!!?」
「何を言う。君だって、より安全でより確実な方法の方がいいだろう?」
「もーいいよ! 突っ込みましょうよ! そういう流れだったじゃないですか!」
「なんだそういう流れって。流れで命を賭けるなよ少年」
「んんー何がいけなかったかな! まだコメディ世界線から抜け出せてなかったのかな!? 僕は過去の自分でも騙しに行けばいいのかな!?」
「君は一体何を言ってるんだ。現実とアニメをごっちゃにするのはよくないぞ」
「あなたが言いますか……もう、いいですよ分かりましたよ……」
 僕はきっと、こういう世界の下に生まれてしまったんだ。諦めるしかない。
「で、なんですかその……いいことって」
「私は最初に言っていただろう。彗星を止めるため、鍛錬に励んだと」
「はあ。言ってましたね」
「こうも言った。週5で総武線を止めていたと」
「はあ」
「つまり……ふふん、あとはもう分かるな、少年?」
「全然分かりません」
「なんだつまらん。だからな、私は毎朝毎朝、電車とぶつかっていたわけだ。つまり、必然的に総武線の電車は私の縁のある電車ということになる」
「んん? 言ってる意味がよく分からないんですが……縁?」
「剣。鏡。玉。――神の用いた道具は、神の信仰を吸い、神力を獲得し、やがてひとつの神体となる。神体は神の依り代――神がそこに宿る以上、神体は人々の信仰を集め、より神力を増す」
「待ってください。分かってきた気がするんですけど、脳がこれ以上の理解を拒絶してます」


「そういうことだ!! 総武線の各電車はもはや私の神体に等しい!! つまり、あの電車は人々の信仰を集めに集めた、私の宝具というわけだな!!!」
「いやいやいやいやいや!!! 何勝手に日本国有鉄道の電車を私物化してるんですか!!」
「国の物は私の物!! 私の物も私の物だ!!!」
「なんて大規模なジャイアニズム!!!」
「やかましい! 元はといえば神々の私物を勝手に国宝などと抜かす国が悪いのだ!!」
「そ、それは許してあげましょうよ!」
「さぁ越せよ落せよ『新たな鉄の御柱――ミシャグジ・レールロード――』!! 汝を以て彗星を打ち破る!!」
「いつの間に命名したんですか! しかも決め台詞までバッチリだ!!」
 その瞬間、何もないはずの宇宙空間に、いきなりズオオオオォォォォッと鉄の塊が飛び出してきた。僕も見覚えのある、総武線を走る電車の数々である。やりたい放題にもほどがある。
「さあ、乗るぞ敦君! 神体となったこの電車は、もう彗星の衝突程度で壊れはしない!」
「やだぁー! もうなんか僕関係なーい!!」
「忘れたか、祈るんだ! 祈りは宝具の力を増幅させる!」
「分かりましたよ! やりゃあいいんでしょやりゃあ!!」
 半ばヤケになりながら適当な電車の中に入ると、自然と僕らは電車の床に足をつけることができた(美沙さんに足はないが)。しかもなんかガタンゴトン揺れてる。
「う、宇宙なのに、なんで重力が……」
「この宝具は重力ごと切り取って召喚できるのだ」
「なんでさっき初めて使った宝具のくせにやたら詳しいんですか!?」
「神様はすごいからな」
「あーもうすごいすごい!!」
「さぁーこのままつっこむぞつかまれッ!」
「展開早ァい!!」
 とりあえず吊り革を握りしめてみる。
 一方で美沙さんは何にも掴まらないどころか片方は腰に当てもう片方は真っすぐ進行方向を指差し、何かを見据えて目を輝かせていた。

 そしてそれは、僕にも不思議と見えた。
 彼女の指差す先――こちらへ真っすぐ向かってくる、青色を纏う彗星――まるで世界の速度が遅くなったみたいに――




「見えるか敦君! 今、彗星が目の前に! ついに我々はやったんだ!」
「いや、見えますけど! そんなことより、なんで時が止まってるんですかっ? これも神様の奇跡なんですか?」
「きっと宇宙の神秘だよ。タイムナントカ理論で時間がゆっくり進んで見えるんだ」
「そういう次元の話じゃないでしょう……。で、なんでいきなりこんなことしたんです?」
「いやいや。本当に私は知らないぞ。何もしていない」
「えっ?」
 確かに、美沙さんが嘘をついているようには見えない。でもだとしたら、一体何がどうなっているんだろう。誰が、何のために? そもそもちゃんと戻るのか、これ? もしかして僕が知らないだけで、本当にスペースナントカ理論で時が止まってしまった? なんだそれ。
「少しは落ち着きたまえよ少年。こんなに美しい光景、何度も見られるものじゃないぞ」
「むしろなんで美沙さんはそんなに落ち着いていられるんですか!?」
「なんでって、たかだか時が止まっただけじゃないか」
「いや一大事じゃないですか!」
「君たち科学信仰者にとってはな。我々からすれば、時など案外簡単に止まるものだ」
「……? ちょっと、言ってる意味が……」
「むーん、現代人の頑愚なことよ。時は空気の流れ心の流れ、それが止まらば即ち時止まれりと思われ、後ただ少しの信仰あらば即ち時は真に止まる。神でなくても起こせる奇跡だ」
 そんなことを言われても、「はぁ」と呟くしかできない。僕には意味がよく分からないが、とりあえず神様にとって時間が止まるというのはそう珍しいことでもないらしい。
「……で、じゃあ結局、一体誰が止めたんですか? 神様じゃないなら妖怪とか巫女さん?」
「さてな。案外、君かもな」
「えっ。なんで僕が?」
 美沙さんはくっくっと笑ってこそいるが、からかっているという雰囲気でもない。
「君に言いそびれていたことがあった。だから、……誰にでもなく、祈ったんだよ。時間よ止まってくれ、と。きっとその願いが、君に届いたんだ。うん、きっとそうだ」
 美沙さんは、自分で言っている内に納得したという様子で何度も頷いた。でも、やっぱり僕には、意味が分からない。
「なんで僕に、美沙さんの願いが届けられるんですか……?」
「ばか。言わせるな」
 痛い。頭をコツンと小突かれた。何なんだ一体。
「じゃあ、言いそびれていたことって?」
「もー、結局そうなるのか……しょうがないな」
 何が?
「返事だよ」
「え?」



「――私も君のこと、好きだ」
「…………あ」
「私が、初めてこの身を見せた人。私と、初めて対等に接してくれた人。私のために、道化を演じてくれた人。……私を、好きと言ってくれた人」
 ああ。
「私は、そんな君が、好きになってしまった」


 僕、今、幸せだ。


「うん、それだけだよ。らしくないな、ええと、こういうときは、ううん、どうしようか」
 美沙さんは、とっても分かりやすくうろたえた。尻尾は忙しなくぐねぐねと動き、顔なんか真っ赤になっていた。それを見ているだけで胸がいっぱいになる。彗星が目の前にあることも、時間が止まっていることも、すべて小さなことのように思えてしまう。なるほど、これが美沙さんの見ていた世界なのかもしれない。
 このままずっと時が止まっていればいいのに、なんて、調子がいい。
 でも、
「……うん、そうだ。最後くらい手を繋いでいようじゃないか、敦君」
 時間はゆっくりと、
「はい、喜んで」
 ゆっくりと、
「さあ。終わらせよう、この戦いを」
 動き出す――







 ――そしてその日、ひとつの彗星が、ひっそりとこの世界から消えた。


* * *


 あれから数日が経った。
 僕の日常は、驚くほど簡単に戻ってきた。
 ニュースを隈なく探ってみたが、あの出来事を取り上げた記事は見当たらなかった。地球からかなり離れた空間での出来事なのだから、観測されていなかったとしてもおかしくはない。でも、僕は段々と、今までのことが白昼夢だったのではないかと思うようになってきた。
 だって美沙さんのいた証は、どこにもないのだから。
 唯一、この同人誌を除いて――みたいな展開だと思った諸君。









「私の同人誌を読んで何を妄想しているんだ少年」
「……いや。なんで美沙さんは未だに僕の部屋に居座ってるんだろうって考えてました」
「なんだいきなり! いいじゃないか別に!」

 安心しろ、そんなわけがない! だってこの世界はそういうんじゃないから! 僕ちゃんと分かってるから!!
「……時が止まったときは、今度こそ世界線が移動したと思ったんですけどね」
「まだそんなこと言ってるのか? だいたい、消えるとは一言も言ってないし、好きな人と一緒にいたいと思うのは当然のことだ」
「まー、そうかもしれないですけど……」
 腑に落ちない。だったらどうして、あんな奇跡まで起こさせてあの場で告白したんだ。
「だって、宇宙で告白とかロマンだろう、君。クルーズ船で告白などと同じ類だよ」
「えぇー……旅行じゃないんですから……」
「やかましい、君が言えたことか。あんな大真面目な空気をぶち壊してそのまま強引に告白したのはどこのどいつだ」
 それにつきましては返す言葉がございません。完全にあそこから何かが狂い始めた。
「でもなぁ……この展開は、なんか、違うよなぁ……」
「もう、君ってやつは!」
「わっ! な、なんですか?」
 美沙さんの上半身が勢いよくぶつかってくるので、そのままベッドに倒れてしまった。必然的に彼女が僕に覆いかぶさる形となる。



「……私と一緒に暮らせて、嬉しくないのか?」
 ぷー、と頬を膨らませてそんなことを言うんだから、敵わない。
「めちゃ嬉しいです」
「だろぉー? それでいいではないかっ」
 途端に頬を緩ませ、ぎゅっと抱きしめてくる。抱きしめると聞いて、背中に腕を回すだけの絵面を想像した諸君、甘いぞ。彼女の「抱きしめる」は、それはもう蛇の身体を余すことなく使って全身をぎっちぎちだ。人外紳士冥利に尽きる。



 確かにまあ、それでいいんだ。
 幸せなんだけど……なん、だけど……



 まあ、幸せならそれでいいか。

 米山敦21歳。ペンネーム加藤らいち。まだまだ彼女との物語は続く。
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第三十二回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2017.01.05(Thu) 00:00
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