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誘う幻、手を引く住処

「ん……」
 目を覚ます。ぼんやりとかかる雲が青い空をゆったりと流れ、頬に柔らかく当たる風が心地よかった。微かに草を下にしているような感覚がしたので、おそらくここは草原だろう。
「起きたのかい?」
 声が聞こえてそちらへ顔を向ける。俺の隣には真っ白な王子様が座っていた。金色のひらひらしたものがくっついた白い高そうな、いかにも貴族とか王族っぽい服を着ているし多分王子というか、ルックスは完璧に王子様のそれなので暫定王子様。西洋風ながらはっきりしすぎない目鼻立ちが温和そうに見え、白っぽい金髪が眩しく、服装も含めて似合いだった。
「誰」
 思ったことをそのまま発声して、上体を起こす。そう、俺はこの王子様にフランクに話しかけられるような覚えは何一つないのだ。
「僕は、この世界の王子様ってとこかな」
「はあ」
「……信じていないね?」
 そういうと自称王子様はいかにも悲しいと言ったようにハの字に眉を下げた。
「僕に個人名はないよ。王子様、という役職をもらっているんだ。それが僕を識別する鍵。だから、僕は王子様と名乗るしかない」
「はあ」
「そして、王子様の役割は迷子のお迎えなんだ、君みたいなね。君も向こうの世界から来たんでしょう? つまり、僕は君の案内役」
 そこまで言い終わると、王子様はにこりと笑った。
「……はあ」
 結局出てきたのはそれだけだった。困ったのと悲しいのとを足して二で割ったみたいな表情で、王子様は言う。
「……どうしても、信じられない?」
「まあ、王子様が俺のお迎えなのはわかったが……他はよくわからない」
 正直に述べると王子様はうんうん言いながら困っていた。
「ええと、じゃあ何か聞きたいことはないかな?」
 やっとのことで、といった声色で言うと、王子様はこちらを窺う。聞きたいこと、と考えて、先ほどまでの会話をもう一度頭の中で反芻する。
「向こうの世界って、何? ……ここはどこなんだ?」
「忘れているのかい」
 驚いた、といった様子で王子様が言う。それから、そうかあ、と言いながらまた何か考え始めたようだった。俺はついていけず、ただぼうっとそれを眺めていた。
「それじゃあ、一度戻ってみる?」
「え」
「うん、きっとそれがいい。それからでもこちらには多分来られるだろうしね。」
 王子様は満足げな顔で頷く。
「そうしたら、あの二本の木、わかるかい」
「あ、ああ。見えてる」
「あれの間をくぐっておいで。それから、またこの世界まで、おいで」
 それじゃあ行ってらっしゃい、と王子様は笑顔で手を振る。これ以上王子様に会話する気は無いようだし、言うとおりにしておこうと立ち上がって歩く。そして思ったよりすぐに着いた二本の木の片方に手をついて、くぐった。
 その瞬間、世界が変わった。四角い電子画面に、四角いボタンの並んだ装置、様々のペンが立てられたペン立て。蛍光色の付箋、ホチキス、疲れて外した眼鏡。職場の、自分のデスク。そこに俺は座っていた。おい何ボーっとしてんだ仕事しろ、と背後で機嫌悪い声がした。上司の声だ。すみません、と早口で言って、今まで何の仕事をしていたのか、思い出す。さっきのは何だったのか、と考えかけてやめる。そんなことより仕事をしなければ。二日後には休日が控えている。頑張らなくては。気を引き締めて、俺は仕事にとりかかった。


 あれは、あれは何だったんだろう。仕事や家事を片づけている間はなんとなく忘れていられたが、それでもずっとあの出来事が頭の中に居座っていた。書類の印刷の合間、電車の中、食事を咀嚼するとき、風呂でくつろいだ瞬間。様々なタイミングで思い出しては不思議に思った。
 そして、まるであれが嘘か幻だったみたいに、今日という一日は終わろうとしている。夏用の薄い布団の中で、蝉の声のない静寂に包まれて、俺は眠ろうとしている。そうしてそのまま朝が来れば、俺はまた、日常の中に埋没して――。
「おーい、遅かったねえ。少し心配したんだよ」
 遠くから声がする。あの、王子様の声だ。
「ん……?」
 気が付けば、またあの草原だった。俺は片手を木に押し当てて立っている。そこから数歩歩いて振り返れば、俺はあの二本の木の間からここに現れたようだった。他に目的になるようなものもないので、とりあえず王子様のところまで歩いていく。王子様の近くに到着すると、まあ立ち話もなんだし座りなよ、と隣に促される。特に逆らう意味もないのでそれに従い、彼の隣に座った。
「……思い出した?」
「ああ、多分」
 互いに、穏やかで静かな声色だった。
「確かに俺は、«向こうの世界»から来たみたいだ」
 苦笑いしながら答えた。
 ここで言う向こうの世界、俺の現実。採用された会社に勤めること数年、高圧的な上司と一向に上がる気配のない給料・役職に嫌気がさしてきていた。安月給に合わせて借りたアパートには学生も多く、大学生の宅飲み独特の騒がしさにしばしば安眠を妨害されることもあった。
 そんな世界とは別の世界。俺の世界は、向こうの世界。つまりここは異世界、ということではないかと、ぼんやり思う。確かに草原に王子様にとファンタジーな感じはするし、そう呼ぶのにふさわしいと思えた。
「そっか、思い出せたみたいでよかったよ」
 王子様は相変わらず王子様らしく微笑んでいた。
「でも、なんで王子様が案内役なんだ? それ以外にもそれっぽい奴とかいるだろうに」
「……うーん? 案内役は王子様の役目と決まっているからねえ」
 それきり王子様はうんうん言いながら考えこんでしまった。質問を間違えたかと考えるが、思ったことを正直に言っただけなんだから仕方ないだろう。とりあえず、その理由を王子様は知らないらしいということだけはわかったが、それに対して質問をしたくなる程度には疑問に思われた。そして俺は、考えている人に質問を投げられるほど勇気のある方ではなかった。
 などと色々考えていたら、ああそうか、と王子様が声を上げた。
「きっと、民を知るためだろうね。王子様というのはやがて王様になる。王様の役目は国を、世界を統べること。その世界を統べるためには、その統べるべき世界たる民を知らなければならない。そういうことじゃないかな。今考えただけなのだけれど」
 そう言って王子様は満足げに笑った。なるほど、と俺は感嘆した。実際の理由はどうあれ、突発でこれだけの、いや、この答えに辿りつける人は、確かに「王子様」にふさわしいと思えた。
「なあ、この世界の事、教えてくれないか」
 それは、俺の中から自然に出てきた言葉だった。それに対して王子様は少し驚いたような顔をしたが、すぐにそれを快諾してくれた。
 それからは、たくさんのことを聞いた。ここには基本的には変化がないこと。変化が訪れるとすればそれは誰かが「望んだこと」であり、それを「望んだ」人がその変化の良さを他の人に説いてくれること。それを聞いてもそれを望まない人には、その変化が訪れないこと。だから、この世界には人々の疎む変化はない。それは、病気や老い、そして死にすら言えることだという。それから、この世界は膨張を続けていて、その膨張した土地は様々に異なる特性を持つこと。だから誰もが望んだような土地で生活を送ることのできること。そして、物が足りなくなるといったことも起こりえず、人々が憎み合うこともない。この世界では、誰もが望んだ生活を手に入れることができる。
 俺はここまでの話を聞いて、この世界を楽園のようだと思った。その旨を王子様に伝えれば、くすりと苦笑いした。
「向こうの世界は、そんなに窮屈なのかい?」
 その言葉を聞いたら、もう駄目だった。向こうの世界の酷い話を王子様に沢山聞かせてしまった。仕事のこと、プライベートのこと、家族のこと、今ではもう忘れて大したことはないと思っていた過去のことも。俺が傷ついた瞬間全てのことを、俺は王子様に話した。
 王子様はときどき頷き、相槌をうちながら、俺の話を静かに聞いていた。その静けさは、草原という場所とも相まって柔らかく、俺の心を十分に慰めてくれた。優しい風が、そよぐ葉が、俺の話を聞いてくれる相手の存在が、俺の胸の中に染み入ってゆく。目頭に違和感を覚えて、自分が泣きそうなんだと気付く。
「こっちが、俺の現実だったらよかったのに」
 沢山の想いの中からそれだけをなんとか選び取って言うと、何故か王子様は苦しそうに顔を歪めた。
「君は、こっちに生きてはくれないのかい」
「え」
 突然、地面が落ちくぼんだような気がして、見まわす。確かに、俺の座っているところだけが、他の地面より低くなっていた。その高低差は急速に作られてゆく。不安と何故という疑問から、上を見上げる。俺はもう穴の中にいるようになっていた。その穴の上から顔を出した王子様の声が、降ってくる。
「そうして、君は自分の力で帰ってしまうんだね」
 その声を聞いた直後、ぱちりと目を覚ます。窓から射す幽かな光から、夜明けぐらいの空の明るさだと思った。時計を見れば午前4時、夜明けという判断は妥当らしかった。二度寝してしまおうかと考えて、ひどく喉が渇いていることに気付く。とりあえず水を飲まねばと思って台所で水を用意する。その間に今から二度寝をして6時に起きる自信はないと思い直し、寝汗を流すためにシャワーを浴びる。最後はあんな状況になってしまったが、あの夢を、あの世界を悪夢だとは、思いたくなかった。
 それから支度をしている間もあの世界のことを思い出した。土地が膨張していると言っていたが、どういうことなんだろう。王子様は王様になると言っていたが、今の王様はどんな人なんだろう。様々なことは考えながら、どうしても、あの最後のことだけは考えないようにしていた。


 実に慌ただしく、今日の仕事は終わった。コピーをとっているような時間にも別の書類のチェックや作業をしなければ、翌日の休暇など認められないと上司が言ったからだった。幸か不幸か、そのおかげで仕事中にあの世界のことを考えることはなかった。ただ、昼食を食べながら今朝の続きに思いをはせたぐらいだった。
 だから、あの世界のことを強烈に思い出し考えたのは、帰りのことだった。会社の最寄り駅からとある駅で別の路線に乗り換える。その路線は都市の近くにあるながらあまり走っている数の多い方ではなく、待ち時間が長いのが特徴だった。だから、その待ち時間に俺は、あの世界のことを強く思った。
 そういえば、老いや病気や死も望まなければ訪れないと言っていた。そして王子様がそれを知っているということは、実際にそれを願った人がいるということだろう。その人は、何を思ってそれを望んだのだろう。俺が変化を望むなら、それはどんな変化だろうか。もしかしたら、何も望まないのかもしれない。ただ静かで穏やかで、誰も俺を惨めにしないのなら――。
 そうだ、あの世界で、あの世界に。俺はあの世界に、行きたい。
 そう願った瞬間だった。
「また、来てくれたね」
 王子様の声が近くに聞こえた。俺はまた木に片手をつけていて、あの二本の木の間から来たのだろうと思った。王子様は、俺が手を付けていた方の木に寄りかかっていた。
「……もしかして、待ってた」
「まあね。そう来客の多い場所じゃないし、これくらいは待てるよ」
 俺の方へ微笑んだ顔を向けて王子様は言う。安堵感がこみ上げてきて、そして衝動的に、王子様の肩に手をかけて目をしっかり見た。王子様は驚いた顔をしていた。自然と口が開く。
「なあ、王子様。俺は、ここに来たい。ここで、生きたい。どうすれば、俺はどうすればいい」
 逸らすことなく目を見ていた。今更ながら、王子様の瞳の色が翡翠の色であることに気付いた。王子様は、しばらくは視線を彷徨わせていたが、しっかりとこちらの目に視線を合わせてからこう言った。
「ただ、信じればいい」
「しん、じる」
「そう。僕を、君の居場所を、信じて」
 その間に肩に置いていた手は外されていた。そうして逆に、俺の方が王子様の強い視線に刺されとどめられ、揺さぶられる番だった。
「俺は、俺は、この世界で。この世界に、生きたい……」
 想いを吐き出す。
「この世界が、この世界がいい。あの、クソみたいな現実じゃなく、この世界で……!」
 凝縮した思いを言葉にする。すると、変化が起きる。
 また、地面が落ちくぼみ始めていた。
「なんで、なん……俺、は……」
 また、俺は穴の中に落ちていた。今までいたはずの世界を見上げる。王子様の、悲しそうな声が聞こえる。
「そうかあ、そっかあ。こういうことも、あるのかあ」
 王子様は顔をのぞかせ、深い悲しみを湛えた目をしっかりとこちらに向けて、口を開く。
「寂しいなあ」
 ハッと、意識が身体に宿る。カシャカシャと線路の上を行く音と、壁を隔ててジイジイと煩わしい蝉の声。俺は椅子に座っていて、目の前には立つ人のベルトとネクタイの先。無機質に冷えた空気に、集った人の体温が滲んでないまぜになって淀んでいる。ここは、電車の中に違いなかった。あの夢は、あの世界は一体。どうなってしまったんだろう。
 釈然としないままの俺に、車内のアナウンスが聞こえた。最寄り駅だった。人々の隙間から窓の外を見れば、景色の流れはゆったりとしていて、見覚えのあるものばかりだった。駅が近い。降りなければ、と荷物を確認して立ち上がる。ドアの前へ行くと、丁度よくシュウウとドアが開いた。そこから身体を滑らせ、駅に降り立つ。電車内とは違う熱気の中に、少し生臭さを感じた。人々が汗をかき、熱く呼吸をし、ひたすら生きている、そんな気配だと思った。ぼんやりとした気だるさを引きずって歩く。力の限りに蝉が、耳障りに叫ぶ。その中で生々しく燃える夕焼けが、この世界では強く、鮮やかだった。全てをその強い光で呑み込み、引きずり込み、暗く沈めてしまうような力に溢れていた。
「ただいま」
 扉を開けてそう言うも、返事はない。いつも通りだった。いつも通りの家の景色が、俺を迎えた。明かりをつければ、夕日の陰になっていた部分にぼんやりとした、ぱっとしない光が降った。いつも通りの景色に違いないのに、胸の奥に残るあの夢の残滓が、その景色を訳もなく悲しく思わせていた。
 あの夢を、あの世界を見ることは、きっともう、ない。これは予感だ。けれども、確信と言っていいほどに、決まっているように思えた。
 どうして、と考える。どうして俺はもうあの世界へ行く資格を持たないんだ、と。
 鞄を壁際に置いて、クーラーをつける。気の抜けた作動音がごうごうと鳴った。気怠さから、出しっぱなしにしてあった布団に飛び込む。どん、と人の倒れる音がした。俺の下から、塵芥が光の中に舞った。思っていたよりも疲弊して、床の硬さを感じる布団だった。
 寂しいと思った。でも、誰かと会いたいとも思えなかった。あの世界が、恋しかった。それでも、俺はもう其処へは行けない。それは何というか、こんな風に焦がれるほどにその資格を益々失っていくような、そんな感覚として俺の中にあった。
 この現実の中に、俺はあの世界を探してしまうのかもしれない。忘れられないかもしれない。そう考えて、気づく。俺は、あの世界を自分の現実だとは思わなかったな、と。いつだって、生きているのはこの世界で、現実はこちらなのだと、信じて疑わなかった。それが、あの世界へもう行けない確信と深く結びついているように思えて、眉根が寄った。
 じゃあ、どうすれば良かったというのか。二十数年生きてきたこの世界を、疑えれば。ずっと生きてきたこちらより、あちらが現実であると思えれば。そうすれば、あの世界に生きていけたとでも言うのか?
 俺の中の確信は、そうだとそれを肯定した。
 それは、酷いと俺は感じた。
 そんなこと、誰ができるというのか。そんな狂人めいた確信をどう持てばよかったというのか。ただの儲け話も疑ってかかるべきような世界にずっと生きて、都合良くあの世界だけは自分の現実として信じなければいけないなんて。そんなこと。
 あの世界への未練とこの理不尽への不満が、心の中で確信の隣にわだかまって、息が詰まった。じんわりと涙がせり上がってくるのを感じて、慌てて腕を目にあてがう。誰が見るわけでもないのはわかっていた。それでも、この世界に生きたプライドが、俺に泣くことを許さなかった。
 腕が、水の感触を覚える。自分の気持ちと水と空気が混じりあうような、ぼんやりした感じがした。その中でただ一つ確かだったことは。
 俺はもう、どれほど願ってもあの世界へは、届かない。



使用テーマ
・異世界
・ファンタジー
・届かぬ世界
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第三十一回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2016.08.13(Sat) 12:00
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