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「REFRAiN」

「 」
 
7時45分のアラーム。起床。ジーパンとワイシャツに着替える。洗面所で顔を洗い寝癖を直す。朝食。トーストとゆで卵と野菜ジュース。8時30分。家を出る。
通学、片道15分。
1限、英語。ユニット1の和訳。
2限、空きコマ。早めの昼食。わかめうどん。250円。
3限、西洋思想史。デカルト。
4限、国際政治。主権概念。
駅へ向かう。門を出て、そのまま道路を渡る。
クラクション。


 * * *


「 」

7時45分のアラーム。起床。ジーパンとワイシャツに着替える。洗面所で顔を洗い寝癖を直す。朝食。トーストとゆで卵と野菜ジュース。8時30分。家を出る。
通学、片道15分。
1限、生物学。ヒトの骨格。
2限、ドイツ語。挨拶文と数字。
3限、空きコマ。遅めの昼食。わかめうどん。250円。
4限、生命倫理学。臓器移植。
駅へ向かう。門を出て、そのまま道路を渡る。
クラクション。


 * * *


「 」

7時45分のアラーム。起床。ジーパンとワイシャツに着替える。洗面所で顔を洗い寝癖を直す。朝食。トーストとゆで卵と野菜ジュース。8時30分。家を出る。
通学、片道15分。
1限、空きコマ。間違えて登校した。2限の予習。
2限、科学基礎論。ディスカッション。
昼食。わかめうどん。250円。
3限、教育学概論。子ども概念の変遷。
4限、英語。リスニング。
駅へ向かう。門を出て、そのまま道路を渡る。
クラクション。
クラクションの後、サイレン。


 * * *


「 」

救急車のサイレンで起床。
4時36分。
かなり近い上に止まない。眠れない。泣く。泣きながら眠る。


 * * *


「 」

7時45分のアラーム。起きられない。9時30分にアラームをかけ直して起床。ジーパンとワイシャツに着替える。洗面所で顔を洗い寝癖を直す。朝食。トーストとゆで卵と野菜ジュース。10時15分。家を出る。
通学、片道15分。
2限、東洋哲学。荀子。
昼食。わかめうどん。250円。
3限、ドイツ語。自己紹介文。
4限、日本文学。古代中世文学史。
5限、ゼミ。論文を一本読んでくるように言われる。
図書館に行く。適当なところに座って論文を読む。
「私」という言葉が気にかかる。
目はそのまま文面を追い、適宜線を引きながら読み終える。
駅へ向かう。門を出て、そのまま道路を渡る。陽は既に落ちている。
クラクションは聞こえない。
帰宅、片道15分。読み終えた論文を半分ほど要約する。夕食、冷凍ご飯と沢庵と味噌汁。シャワーを浴びる。ショパンピアノ名曲集のCDを再生する。「私」という言葉が気にかかる。子守唄変ニ長調まで聞いてやめる。雨だれが聞きたかった。0時23分。就寝。


 * * *


「 」

7時45分のアラーム。起床。ジーパンとワイシャツに着替える。洗面所で顔を洗い寝癖を直す。朝食。トーストとゆで卵と野菜ジュース。「私」という言葉が気にかかる。レジュメの続きを少しやる。10時15分。家を出る。
通学、片道15分。
2限、宗教思想史。原始キリスト教。
昼食。わかめうどん。250円。「私」という言葉が気になる。違和感が消えない。何かがすっきりとしない。何か、収まりが悪い。
3限、フランス文化論。地域史。「私」という言葉が気になって仕方ない。
駅へ向かう。門を出て、そのまま道路を渡る。
クラクション。
クラクションが聞こえる。すぐそばに聞こえる。
車の一台も見当たらない横断歩道で。身体は何事もなく道路を横断していくのに、車が身体にぶつかり、身体が宙を舞い、アスファルトに叩きつけられ、歪む。その生々しい身体感覚は、明らかに今ここにあるものではないにも関わらず、身体に強く結びついて今ここに立ち現れている。
それは、私の記憶には全く合致しない。
ぼんやりとした空白の後の、サイレン。


 * * *


「 」

7時45分のアラーム。起床。ジーパンとワイシャツに着替える。洗面所で顔を洗い寝癖を直す。朝食。トーストとゆで卵と野菜ジュース。ゆで卵よりもスクランブルエッグが好きだった記憶がある。朝食はトーストとスープとコーヒーが基本だった記憶もある。手が止まらないので仕方なく卵をゆでた。8時30分。家を出る。
通学、片道15分。
1限、心理学基礎。人格心理学。
2限、情報倫理学。現代社会の情報技術。
昼食。わかめうどん。250円。たまには何か別のものを食べてもいい気がする。こってりとした背脂たっぷりのラーメンにおろしにんにくと胡椒を山程かけて食べたい。700円位かけたっていい。身体がわかめうどんを頼んでしまうので食べた。身体がわかめうどんを食べてしまうので為すに任せた。
3限、空きコマ。図書館で教育学に関する本を読む。中身はさっぱり分からない。そもそも、専門は認知心理学だった。教員免許の取得を考えたことはない。「私」という言葉が気になる。視線は勝手に文字を追い、時々小さく頷きながらページを繰っていく。
4限、ユーラシア文化論。ラーマーヤナ。
駅へ向かう。門を出て、そのまま道路を渡る。
クラクション。情景は勝手に浮かび上がる。呼び出してもいないのに現れて、消える。
この前読んだ論文のことを思い出す。「人間の心は脳内現象である」という一文。それを認識する主体は「私」。「私」という意識は脳内から出現する。脳は身体を制御する。身体の感覚は脳に伝達される。「私」、脳、身体。心と意識と感覚。深く関わるべき事柄。
ここにあるのは、何だ。
私は、今ここで思考する「私」は、誰だ。


 * * *


「 」

7時45分のアラーム。起床。登校のための準備が進んでいく。私の意志を置き去りにして、体の方だけが勝手に動いていく。洗面所の鏡の中に顔が映っている。視界の位置関係から、この身体に付いている顔なのだと分かる。知らない顔だ。歯は左上の奥歯から順に磨く癖があったはずなのに、右上の奥歯から磨き始める。左上から磨きたいのに、手が全くそれを受け付けない。「私」という言葉が気にかかる。「私」、脳、身体。その関係性。
どこかで断線しているのか。
脳からの制御なしに身体は動かない。ならば、動いている以上、脳と身体とは正常に機能し、私だけが、「私」だけが、それと独立して生きているのか。しかし、見ている。聞いている。嗅いでいる。味わっている。感じている。世界がそこにあり、肉体がそこにあることを私は感覚している。身体の感覚は「私」へ、伝わっている。けれど、身体は勝手に動いていく。まるで、小さな窓だけがある部屋に、「私」だけ閉じ込められているように。勝手に移りゆく世界を、ただ眺めている。全てが遠くにあるように見える。枠があるような感覚。紗幕が下りているような感覚。捉えどころのない広大な流れの中に閉じ込められて、私は為す術なく流され続けている。
私は、私の「私」はどこにあるのか。どこから来るのか。
この身体は誰のもので、この脳は誰に繋がるもので、この世界は何で出来ていて。
私の身体は、これではなくて。
それでもこの身体を通じて、私の「私」は世界の流れを認知している。
人というひとつの存在が普通こんなあり方をしないことを、私は覚えている。かつて、私は「私」と脳と身体とを有したひとつの存在だった。自らの意志で起床し、左上の奥歯から磨き、スクランブルエッグを作り、ラーメンにおろしにんにくと胡椒を山程かけて食べた。わかめうどんは嫌いではないが、毎日食べるほどではない。明らかに、この身体の制御者は私の「私」ではない。私の脳は、身体は、どこにあるのか。或いは、私が変容したのか。どちらかが激しく変様して、その親和性が限りなくゼロに近付いたのか。
分からなくなった。
それとも、分かるようになったのか。
それも、分からない。
クラクションが鳴っている。


 * * *


「 」

 眠っているのだという感覚。全身は弛緩し、呼吸は深く、規則的に繰り返されている。目を開けたいが、目は開かない。私の「私」がどこにもつながっていないからだ。私はここで完結し、誰のものかも分からない世界を享受している。今あるのは、無明と、柔らかな布団の感触、上下する胸の動き。微かに雨の音がする。世界を知覚し、思考し、そして、ただそれだけだ。何も出来ない。行為するということは、変化をもたらすという事だ。それがないなら、行為してはいない。私は考える。故に私はある。あるだけ。あるだけでは、ないのとそう変わらない。私はないに等しい。存在しないに等しい。それでも私はある。あるけれど、ないに等しい。誰も、私に向かって「ある」と言えない。
 7時45分のアラーム。
 つんざくような音に向かって腕が伸び、ボタンを押す。
 音が止む。
 緩く伸びをしながら、目を開ける。
 おはよう、と言いたくなった。

「 」
「ふあぁ……ぁ」

 大きなあくびがひとつ出た。私の気持ちはひとつも反映されていない、呑気極まりない調子のあくび。思わず笑ってしまった。笑い声は出ず、表情は微動だにしない。泣いた。涙は出ない。身体も脳も、それを表現しようとはしない。ジーパンとワイシャツに着替える。泣いている。それは表現されない。洗面所で顔を洗い寝癖を直す。朝食。トーストとゆで卵と野菜ジュース。スクランブルエッグが食べたい。ゆで卵を齧る。コーヒーが飲みたい。野菜ジュースを流し込む。8時30分。家を出る。
 1限、隣の席の学生が話しかけてくる。

「おはよう」
「 」
「うん、おはよう」

 笑顔を浮かべているのが分かる。教科書を引っ張り出すのを感じる。私を置き去りにして世界が流れていく。

「怪我はもう平気?」
「平気平気。ギプス取れてからはもう、普通に歩けてるよ」
「そっか」
「 」
「交差点とか、歩けてる?」

 クラクション。サイレン。稲妻のように一瞬閃き、どこかへ押し殺されて消える。

「……うん、歩けてるよ。普通に。てか、そんなに心配しなくたって大丈夫だって」
「」
「ふうん。そっか。それはよかった」

 フラッシュバック。
 この身体は、つい最近交通事故に遭った。分かる。しかし私の「私」が、この身体に接続しないまま、その内部にある。分からない。目の前の学生はこの身体の持ち主の知り合いらしい。分かる。しかしこの身体と接続できていない私は、この学生に対して何一つ行為できない。分からない。何が起こっている。私は確かに私というひとりの人間だった。記憶がある。今は、なんだ。これはなんなんだ。
 
「ところで、この講義って先週何やった?」
「レジュメ見る?」
「見る!助かった!」

 今、目の前の人間としゃべっているのは誰なんだ。
 私の「私」があるのはどこで、誰の見ている世界を「私」は見ているんだ。
 ここにあるのは、今ここに存在している身体と脳と「私」の複合体は、誰なんだ。私は誰なんだ。それは私の言葉ではない。それは私の行為ではない。この身体は、私のものではない。私のものではない身体の中に私の「私」が存在している状態を私の「私」が捕捉することによって私の自我は成立し、私はあるがないに等しい「私」のみの存在として私のものではない身体の感覚の下にある。分かる。分からない。あるようでない理解。あるのに現れない感情。
 それはあるのか。
 分からない。

「うん、ありがとう。なんとなく分かった」

 分からない。

「なんとなくって、どの辺がはっきりしないの?」

分からない。

「いや、大丈夫。自力で理解するから」

 出来ない。

「そう。何かあったら言ってね」

 出来ない。
 分からない、分からないことを伝えられない、何もできない、どうしようもない、ただここにあるだけの何かとしての私、それだけがここにある。
 聞いて。誰か聞いて。「私」という言葉が気になる。教えて。「私」という言葉が分からない。「私」が分からない。どこにあるの。何と繋がってるの。どうすればひとりの人間に戻れるの。どうすれば笑えるの。泣けるの。どうすれば。
 ねえ。

「 」
「……うん?」
「いや、何も言ってないけど?」

 助けて。

「 」


 * * *


「 」

 7時45分のアラーム。起床。

「 」



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第三十一回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2016.08.13(Sat) 12:00
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