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ディザイア・イットセルフ

 きっかけは、とある少年が抱いた、小さな小さな疑問だったのです。
 その日、少年はお母さんに頼まれて、八百屋さんに買い物に出かけていました。
 その買い物自体は何も問題なく終わりました。むしろ、うまくいったと言ってもいいくらいです。少年は大根と玉葱とお芋を買いに行ったのですが、八百屋のおじさんは「偉いねえ」と言って、白菜をいくつかと、人参を何本かおまけしてくれたのです。やったあ、お母さんも喜ぶぞ。そう思いながら、少年は悠々と帰り道を歩いていました。
 その時です。少年の耳に、大きな大きな大人の声が聞こえたのです。
「お願いします! 助けてください!」
 どうしたのだろうと顔を上げると、大人の女の人が歩道に横たわっていて、その横に大人の男の人が座っていました。よく見ると、その男の人は左手に携帯電話を持っていました。傍には一台の車が止まっています。事故でしょうか。
 まもなく、少年の目の前に一台の車が止まりました。その車を見て、少年はあっ、、と思いました。その車が救急車だったからです。ちょっと前に、「はたらくくるま」の本に書いてあった、救急車そのものでした。
 救急車の中から何人か大人の人が降りてきました。そして、
「イシキはありますか?」
 と座っている男の人に話しかけていました。その男の人は、
「いいえ、イシキはありません」
 と答えていました。
 イシキ。少年にとってその言葉は聞きなれない言葉でした。いったいそれは何なのだろう、と思いましたが、その場で質問することは何となくダメなことな気がしました。だから、少年はそのまま家に帰ることにしました。
「ただいまー」
 家に着くと、少年はそう言いました。そう言うのが「まなー」だとお父さんに言われていたからです。ですが、少年は「まなー」とは何なのか、いまだによく分かっていません。
「おかえりなさい、早かったわね」
 お母さんが玄関まで出てきました。少年は手に持っていたレジ袋を渡しながら、
「八百屋のおじさんが白菜と人参をおまけしてくれたよ」
 とお母さんに伝えました。するとお母さんは笑顔になって、
「やった。これならメニューをもう少し増やせるわ。よくやったわ」
 と言いながら、少年の頭を撫でまわしました。
「さて、野菜を仕舞わないと」
 そう言って、お母さんはくるりと回り、キッチンの近くにある冷蔵庫に向かいました。しゃがみ込み、冷蔵庫の一番下を開けて、レジ袋から野菜を取り出して入れています。
「イシキって何なんだろう……」
 言おうと思って言ったわけではありません。ただ、ふっと口から出てきてしまったのでした。その言葉を、お母さんがしっかりと聞いていたのです。
「え、どうしたの、急に」
「え、あ、いや……」
 少年は言い淀んでしまいます。何と言っていいか、分からなくなってしまったからです。
「言えないの?」
「ええと、そういうわけじゃ……」
 少年は頑張って何か言おうとしますが、うまく考えを纏められません。そんな時、お母さんが言いました。
「まあ、いいけど。ただ、どうしても知りたいなら、山の上に物知りのおじいさんが住んでるから、その人の所に行くといいかも」
「おじいさん?」
「そう、おじいさん。この辺りでは、確か老師って呼ばれてたはずよ」
「へえ」
 少年は興味ないような返事をしましたが、心の中では何か光が見えた気がして、ワクワクしていました。お母さんは、そんな少年を見て、微笑んでいたのでした。
 その夜、少年はワクワクでなかなか眠れませんでした。

 次の日、少年は山を登り、老師に会いに行きました。といっても、山の斜面はそれほどきつくなく、少年でも楽に登れました。老師の家は、その山の頂上にありました。
 玄関のドアの前に立ち、深呼吸を何回かしました。インターホンのスイッチに何度も手を伸ばしかけて、何度も引っ込めました。少年は自分では気付いていませんでしたが、かなり緊張していました。何しろ、一人で知らない人の家に行くのは初めてだったのですから。
 再び少年がインターホンに手を伸ばしかけた、まさにその時でした。
 ガチャリ。
「どうか、しましたか?」
 うわあ、と声を出しそうになりましたが、何とか少年は堪えました。少年はもちろん、突然ドアが開いて、中にいた人から声をかけられたことにもびっくりしていました。しかし、もっとびっくりしたのは、中から出てきたおじいさんの姿でした。
 ――まん丸のお腹と、黄色いシャツと、黄色いズボンと、白い髪。
 白い髪が無ければ、そこはかとなくどこかで見たことある格好です。そう、少年はその格好に思わず笑いそうになってしまったのです。しかし、「人を見て笑ってはいけない」とお父さんに言われていたので、頑張って少年は堪えました。
「どうか、しましたか?」
 同じ調子でおじいさんが話しかけてきたので、少年は呼吸を整えて、言いました。
「あの、おじいさんが物知りだと聞いて」
 来たんです、と言おうとしたら、おじいさんが急に真顔になって言いました。
「はちみつがありませんね」
「え?」
 急に何を言っているのだろう、と少年は思いましたが、おじいさんは続けます。
「何か私に質問するなら、はちみつです。はちみつを、はちみつを、持ってきなさい」
 そう言って、おじいさんは扉を閉めてしまいました。

 それから、少年は家に帰って、お母さんに今日あったことを話しました。
「で、どうするの? はちみつ持ってもう一回行く?」
 お母さんがそう言うと、少年はすぐに答えました。
「うん。僕、あのおじいさんにもう一度会いたい。会って、イシキって何なのか、聞いてみたい」
すると、お母さんはキッチンからはちみつを壺のようなものに入れて持ってきてくれました。
「明日、これをもっていくといいわ。そうすれば、老師もきっとあなたの質問に答えてくれるはずよ」
 優しいお母さんです。心の中でありがとうと言いながら、ずっと気になっていたことを言いました。
「そういえば、あのおじいさん、何かプーさ――」
 そこまで言いかけましたが、お母さんが掌で少年の口を塞ぎに来たので、少年は声を出すことができなくなりました。
「ダメよ、それを言っちゃ」
 お母さんが真顔で言います。
「それは、絶対にいけないわ。巷には、彼のことをプー老師などと馬鹿にしている人もいるんだけど、それはダメ。それを言ってしまっては、この世の終わりよ。終末よ。本当のことを言ったら、人は怒られるの。怒られて、終末を迎えるの。分かるわよね。それは馬鹿のやること。あなたは馬鹿じゃないのだから、そんなことをやってはいけないわ。分かったわね?」
 そう早口で言われて、少年は、無言で頷くしかありませんでした。
 その夜、少年はドキドキでなかなか眠れませんでした。

 次の日、少年はお母さんから貰った壺に入ったはちみつを持って、再び山を登りました。
 玄関まで来ると、今日はインターホンを迷わずに押しました。すると、間髪入れずにプーろ――じゃなくて、老師が出てきました。今日も黄色いシャツとズボンに白髪、そしてまん丸のお腹。間違いなくあの黄色い熊的な生物にそっくりです。そんな老師は、開口一番、
「はちみつは持ってきましたか?」
 と言ったので、少年は壺を老師に渡しました。受け取るや否や、老師は人差し指で壺の中身を掬い、舐めました。
「うん、この感じ、いいですね。いいはちみつです」
 そうかよかった、と少年は思いました。これで、ずっと気になっていた「イシキ」についての話を聞けるからです。
「そういえば、昨日来た時から、あなたは何か知りたいことがある様子でしたね。いったい何が知りたいのですか?」
 少年の心臓がどくんと脈打ちます。ついに知りたい事が分かるのです。その興奮を努めて表に出さないようにしながら、少年は言いました。
「イシキっていったい何でしょうか」
「イシキ、ですか?」
「はい、一昨日、事故でイシキがどうこうって――」
 そこまで言って、少年の言葉は老師の言葉に遮られました。
「ジコに、イシキということは、もしかして、自己意識の話ですか。それは何かと言われれば、それは欲求そのものですよ」
 ジコイシキ。少年がまた知らない言葉が出てきました。少年が少し戸惑っていると、老師がどこからともなくペットボトルホルダーを取り出して、その中からペットボトルを取り出しました。
「たとえば、私が今、この物体を見て、これはペットボトルだと意識したとします。すると――」
 何か老師が説明してくれていますが、少年には難しくて全然分かりません。取り敢えず、イシキとはヨッキュウなんだ、ということだけ覚えておくことにしました。
「――という感じです。大丈夫、ですか」
「はい、ありがとうございます」
何もわかりませんでしたが、少年は元気いっぱいにそう答えました。
「そうですか。また何か分からないことがあったら、来てくださいね」
「はい」
「あ、はちみつも忘れずに持ってきてくださいね」
「はい」
 老師は笑顔で扉を閉めました。少年はお辞儀をして、山を下りていくことにしました。
 あの時、救急車の中から降りてきた人たちが「イシキはありますか」と言っていたのは、「ヨッキュウはありますか」という意味だったのか、と少年は思いました。次は、ヨッキュウとは何ですか、ということを質問しに行かないと、と思いました。
 またはちみつをお母さんに貰わなくてはなりません。そのために、少年は頑張って買い物のお手伝いとかをして、お母さんに褒められないと、と思いました。
 少年はランランと山を下りていきました。




使用テーマ
・もう一度会いたい
・終末
・ペットボトルホルダー
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第三十一回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2016.08.13(Sat) 12:00
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