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感情の卵

感情の卵


物には情景が宿る。
 それは別に何でもいい。何なら消しゴムでもハンガーでも、ペットボトルの蓋でもいい。大事なのは状況とタイミングだけだ。それは思ったよりも強い引力で、俺の感情と結びつきたがる。

「ろんちゃん」
 ささやかで繊細な声が、とろんと閉じかけていた俺の瞼をちょんと引っ張り上げる。ここで返事をしないと、飯山はまたしばらく俺を放っておくだろう。飯山のさりげないやさしさと引き換えに、俺は出来立ての昼食を食べ損ねてしまうことになる。
「ん」
「ごはんだよ」
「ん」
 もぞりと肩を震わせて、俺は体を無理やりに起こす。
 それが三日前の話だ。つまり、あいつはもう二日、俺と連絡を絶っていることになる。
 飯山と喧嘩した。ほんの些細なことでだ。こういう時、基本的に原因は俺にある。飯山は声を荒げることはないけれど、つんとどこか冷たい目をして俺の前から姿を消す。もちろん、謝るのは俺からだ。飯山は主張したがらないタイプだけれど、都合のいい奴に成り下がる人間では決してない。
「もう五時かよ……」
 携帯を放り投げて体を起こすと、ぎしぎしと肩のあたりが痛んだ。姿勢が悪かったのだろう。所構わず眠ってしまうのは、俺の悪い癖だ。
 クーラーをつけたままで寝入ってしまったからか、頭が妙に重い。それと相まって、飯山の寂しそうに震える睫が思い返されて胸が痛んだ。
 額に手をついてため息をついたとき、腹がぐるるると情けない音を立てた。悲しい顔になるのをこらえられないまま、俺は立ち上がる。
 怠惰な夏は魔物だ。すべてのことに対するやる気を失わせてしまう。おかげで、飯山に頼り切っていた食生活も、案の定惨憺たるものになっていた。
 二日ぶりに開いた冷蔵庫、その換算とした光景の中で、場違いに家庭的な色合いが目についた。
「んだよ、言っとけよなあ……。まだ食えんのかなこれ」
 西友で適当に見繕った皿の上に、四つに切った一口サイズの黄色いものが載っている。薄い生地状に伸ばしたものを、器用にくるくると巻いてある。見た目はきれいなものだが、原材料が原材料なだけに若干の不安がつきまとう。なんていったって夏、である。冷蔵庫の中ならばまだ許容範囲だろうか。
 サランラップを取り払って、冷えた皿を電子レンジに放り込む。
 簡単に温めなおしていると、不意に覚えのある香りが鼻をついた。蝉の声が妙にうるさくがなっていて、思わず後ろを振り返った。
 ぎい、と、ゆがんだ音が聞こえた気がした。
 つう、と、頬を一筋の汗が滑り落ちる。
 こみ上げる良くない思い出を振り切るように、クーラーをつけようと一歩踏み出した。リモコンの横に置いてある卓上カレンダーに目が留まる。飯山が「曜日感覚を忘れないように」と買ってきたものだった。
 八月十四日。
 知らない内に盆に入っていた。俺はナスもキュウリも置いていないけれど、それでも死人は帰って来るものなのだろうか。

 当時二人きりで暮らしていた母が死んだのは、七年前の秋のことだ。
 二学期が始まって一週間も経たないある朝、俺が目を覚ますと、家の中は何とも妙な静けさに包まれていた。リビングの他に二つ狭い部屋があるだけの、ぼろい町営住宅が、あの時は何だかやけに広く感じられたのを覚えている。
 リビングに行ったけれど誰もいなかった。首を傾げながら、俺は母さんの名前を呼ぶ。ちょうどその時一台の大型トラックがアパートの前を通り過ぎて行って、がたがたと小さな地震が起きた。
 ぎい、と、背後で何かが軋む音が聞こえた。
 母さんの部屋のある方だ。
 何だよ、母さんいるの? 開けるよ、と俺はドアノブを回す。
 露わになった部屋を前に、僕はゆっくりと目線を上にやった。
 確かに、そこに母さんの体はあった。でも、俺の知っている母さんは静かに、とても静かに、さよならすら言わずにこの世界からいなくなってしまっていた。
 葬式の席で、俺は母さんの同僚から、職場で母さんがひどいいじめを受けていたことを聞いた。あの狭い住宅で笑顔を振りまいていた母さんからは、想像もつかない話だった。
 同僚の彼は泣いていた。事情を知っていたのに母さんを救えなかった自分を、随分と責めているようだった。
 母さんには人徳があったようで、葬式に参加していた人のほとんどが心の底から悲しそうに涙を流していた。
 まだ中学一年だった俺は、隣の県の親戚の家に引き取られることになった。幼いころに何度か遊びに行ったばかりの住み慣れぬ家に挨拶をしに行き、悲痛な面持ちをした叔父さんに肩を抱かれても、俺はまだ泣けなかった。
 従兄弟たちが陰で、あいつは薄情者だと囁いているのを聞いた。俺だって内心でずっと焦っていた。自分が何を感じていて、本当はどんな風に振舞えばいいのかが分からなかった。
 ようやく様々な手続きが終わり、転校の挨拶もかねて中学に登校した時、他の生徒たちはそれぞれの憐れみの感情でもって俺に駆け寄ってきた。
大丈夫かとか、俺がいるぞとか、なんかあったらいつでも言えとか。自分と他人との関係性は窮地に陥ったとき初めて分かるだとか聞くけれど、彼らの一つ一つの言葉が純粋に嬉しかったし、幸いだと思った。
だけどやっぱり俺は泣けなかった。
その日の昼食までは。
俺がそれまで通っていた中学には給食がなかった。俺が弁当を広げたとき、向かいに座っていた奴が静かに目を見開いたのが分かった。給食を食べるときには、近くの人と班をつくらなければならないことになっていたのだ。
なんてことはない。今まで母さんが弁当を作ってくれていたのだが、その母さんがいなくなった今、情けないことに炊事は母さんに任せきりにしていた俺に出来るのは、コンビニ弁当を買ってくることだけだったのだ。
ハンバーグの焦げ目が何だか偽物っぽく思えて、俺は思わずため息をついた。
おぼろげな記憶によれば、確かその時の班は俺を含めて二人だけだった。クラスの人数の関係だ。担任の配慮のなさのせいで、そういうことになっていた。名前は思い出せない。確か、二学期の始業式の日にやってきた転校生だったように思う。大人しくて、なんだかか弱い印象ばかり残る奴だった。
だが、その時の俺にとっては都合がよかった。下手に友達と同じ班だったら、気を遣ってしまったに違いないからだ。結局、世話焼きの友人が何人か俺のところへやってくることになったけれど。
「あれ、ろんちゃん、それコンビニのやつ?」
「量少ねえな。そんなんで足りんのかよ」
「俺のグラタン、やろっか」
「あ、じゃあ、オレも蜜柑やるよ」
「ほら、これ」
「ブロッコリーはお前が食べたくないだけじゃね? 押し付けてんなよ」
 とまあ、何だか変なプレゼント会が始まってしまった。転校前というのも大いに影響していたのだろう。断るのも面倒なので、俺は「ありがとー!」と笑顔で受け取ることにした。
 騒ぎが収まり、手作りのものと出来合いのもの、洋風のものと和風のものなんかが入り混じって混沌としている弁当を前に、俺は一息ついた。
「よかったなあ、穴吹!」
 先生が不意に前方から声を投げてきて、俺は咄嗟にそちらを向いた。
「はあ……」
「みんなからの贈り物だ。ありがたくいただけよ!」
 そこで、先生がなぜか少し驚いたような顔をした。けれどすぐに、びっくりするくらい優しい表情になる。
「え?」
 よく分からなくて首を傾げると、先生は「さ、早く食べろ。昼食の時間はもうすぐ終わるんだぞ」と言った。
 仕方なく向きなおると、向かいの席のやつがじっと弁当を見つめていた。ほとんど話をしたことのないやつだったが、俺はにこりと笑いかけた。
「すげーよな。ま、このピーマンとか嫌いなやつだったんだろうけど」
 そいつは何も言わなかったが、俺は構わずひょいひょいと弁当の中身を平らげ始めた。
 卵焼きを口にしたときに、それは突然訪れた。
 それは、涙のような味がした。出汁がきいていたけれど、それだけじゃない。海苔が入れられていたみたいだ。かすかな海の香りが広がり、もうどこにもない母さんの声が脳裏に響いた。
 今でも、そんな馬鹿な、と、思う。でも、考えてみれば仕方のないことだったんだと、必死に言い聞かせている。
 母さんの得意料理は卵焼きだった。この卵焼きとはまた随分と異なっていたけれど。海苔は入っていなかったし、確か、出汁ではなく砂糖やみりんを入れて甘くしていたのだ。
 ああ、嫌だなどうしてこんな時に、と俺は唇をかみしめた。母さんが死んでから初めて、こらえきれないような感情を抱いていた。
 じわり、視界が滲んだ。
 視線を感じて前を向くと、転校生がおろおろした表情で俺をのぞき込んでいた。
「どうしたの。不味かった?」
 何だか不安そうな声に、俺は首を横に振った。
「めちゃくちゃ美味いよ。泣くかも、……はは」
 冗談めかして、一生懸命に笑顔を浮かべたことを覚えている。
 その日帰宅してから、俺は夜通し泣いた。胸のつっかえが取れ、ふちに触れると痛む穴の存在を受け入れることで、すごくすっきりとした気持ちになれた。
あの卵焼きがコンビニ弁当のものではないことだけは確かだったが、誰がくれたのかは分からないままだった。弁当におかずが入れられる瞬間を逐一見ていた訳でもなければ、誰がどれを入れたのか確認出来ていたわけでもなかったからだ。
 もうあれから、七年もたつのだ。
 このあいだ飯山に好きな食べ物を訊かれた時、俺は何て答えたのだっけ。
 ああそうだ、何だかひねくれた返事だった。
「卵焼きかな。でも、苦手な食べ物も卵焼きだ。母さんの得意な料理だったんだよ」
 あんまり参考にならない答えをありがとう、と、俺の家の事情をすでに知っている飯山は困ったような笑い声を上げた。その華奢だけれどしなやかな背中を思い出しながら、温まった卵焼きに箸を突き立てる。
 これをあいつが焼いているときは、まだ暗雲はその片鱗すら見せていなかった。蝉の声にわずかに微笑みながら、飯山はつぶやくように「もうすぐお盆だね」ともらしていたのだ。
 ああ参ったな、どのタイミングで連絡を入れよう、と考え込みながら、卵焼きを口に放り込んだ。自分が悪い喧嘩の仲直りを始めるときは、いつだって臆病になってしまう。俺の悪いところは、臆病になるあまり感情を押えこんでしまう点だ、と、飯山に以前指摘されたことを思い出す。
 ふわりと、かすかな海の香りが広がった。
 その瞬間、転校生の顔が妙にはっきりと浮かび上がってきた。さらさらとした綺麗な黒髪、大きな目、細い鼻梁……その一つ一つを、妙に明瞭に思い出すことが出来た。
 何故ってそれは、ここのところ俺が思い浮かべてばっかりいる奴の顔だからだ。
 俺は携帯を取り出して、飯山の番号に電話をかけた。あいつは実家暮らしだから、遠くにはいないだろう。俺は中学まで暮らしたこの街が忘れられなくて、大学を機に一人暮らしをしている。
 あいつが転校してきたばっかりだった頃、俺は同じ班だったそいつの名前を尋ねた。ちょうど始業式の日に熱を出していて、人づてに聞いた苗字しか知らなかったのだ。
『俺は米谷理久郎。ろんちゃんとかって呼ばれてるよ。お前、下の名前は?』
 記憶の中のあいつが、形の良い唇を開く。
 飯山と大学に入ってから初めて出会ったとき、名乗った俺に、「じゃあろんちゃんって呼んでいい?」と笑った顔を思い出した。
 どちらの時も、ああこいつ、何だか澄ましているけど笑うとかわいいんだな、と思ったのだ。
 これは無視されているかなあ、と不安になるくらいには続いていたコール音が、ぴたりとやんだ。
 小さな息づかいが聞こえる。
「薫? えっと、なんていうか……卵焼き、ありがとな。美味かったよ。あ、それと、こないだは本当にごめん。俺が悪かったです」
 ろんちゃんって変なあだな、って笑った幼いあいつの顔が、耳元の優しい笑い声に呼び起こされた。
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第三十回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2015.08.16(Sun) 15:11
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