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人魚姫論争


   人魚姫論争
 

「やっぱり、王子は人でなしだ」

そんな、完全なる批判から、この論争は始まった。

前触れもなしに、王子批判を始めた彼女―水森 梓(みずもり あずさ)は、本を持った手をわなわなと震わせ、頬を紅潮させながらつぶやいた。
「なんだ、いきなり。……ん?」
梓の声に、同じく部室にいた津田 義臣(つだ よしおみ)は、読んでいた漫画から顔を上げる。
「……“人魚姫”?」
梓の持つ本の題名を見て、義臣は首を傾げた。
「今日は、童話か? お前は、読むジャンル幅広いなー」
感心した声で自分へ呼びかける義臣の声は、しかし、梓には届いていない。
梓は、ますます頬を紅潮させながら、つぶやき続ける。
「こんっっっっっ――――なに健気に自分を思い続けている姫に気づかず、たかだか自分を介抱してくれただけの娘さんに、すぐさま心奪われてしまうなんて……! 大体、本当は、人魚姫が本物の命の恩人だし?! 王子が海の藻屑とならなかったのは、姫のおかげだって言うのに! 恩知らずにもほどがあるーーーっっっ!!」
「ちょっ……水森?! 分かったから落ち着けって……! 声、だんだん叫び声になってるぞ!?」
あまりの梓のヒートアップぶりに、義臣は座っていた椅子から立ち上がって、梓をなだめる。
「な……なんか、お前がその本を読んで、王子? に問題があるって感じたことは分かったから! とりあえず落ち着け!」
「王子の……王子の……!!」
「水森! ちゃんと言い分は聞いてやるから!」
「……!!」
義臣の言葉でやっと我に返った梓は、はっと義臣の顔を見ると、顔を青ざめた。
「あ……あたし、また先輩にタメ口で感想言ってました……?!」
義臣は、はー、とため息をつきながら頷く。
「ああ……まあ。もう、いい加減慣れたけどな。お前のその、『本に入り込みすぎると、無意識に感想を口に出しだす』クセ……」
「すみません―――!!」
梓は、義臣に思いっきり頭を下げた。
タメ口の原因となった、“人魚姫”の本を胸に抱いて。

梓と義臣の叫び声に震えていた部室のドアには、この部の名前の書かれたプレートが揺れている。
―《読書倶楽部》。
それが、梓たちの所属する部活動の、由緒正しき名である。部が創立されて以来、この名は一度も変更されず、現在に至る。しかし、そんな伝統深き名を付けた、いろいろな面で“畏敬”する先代たちに、梓はあえて言わせてもらいたい。
―これ、中学校の部活動の名前としてどうなの?!

「……こんにちは」
ふいに、ガチャリと部室のドアが開いて、一冊の辞書を抱えた男子生徒が入ってきた。細身で、小柄な体格をした彼は、分厚い紙辞書を、まるで守るように抱え込んで持っている。
「あ、天宮城くん!」
下げていた頭を勢いよく上げ、自分に顔を向けた梓を見て、男子生徒―天宮城 瑞紀(うぶしろ みずき)は、呆れた表情でため息をつく。
「……またですか、水森先輩。さっき、部室の外まで叫び声が聞こえましたけど」
「う……」
「そーなんだよ、瑞紀……。こいつ、いきなり、“王子は人でなしだ”とか言い出してさ。終いには叫び始めたから、なだめてたんだ」
やれやれと、首を振る義臣を見て、梓はがっくりとうなだれる。
「すみません……」
「……王子? って、なんのことですか」
顔をしかめる瑞紀の言葉に、梓は突然、びくうっ!と背筋を伸ばして、叫んだ。
「そう! 王子!!!」
「はあ?」
ますます顔をしかめる瑞紀の肩を、梓は両手でがっちりと掴むと、瑞紀の顔を強いまなざしで見つめた。
「 “人魚姫”の、王子のことよ!!」
「にんぎょ……ひめ?」
梓の眼光にたじろぎながら、瑞紀はつぶやく。
「そうなの。ちょっと、とある本を読んでいたら、アンデルセンの“人魚姫”の原本が読みたくなってね。…流石に、私の残念な英語力じゃ英語の原本はすらすら読めないと思ったから、和訳されたものを借りてきたの。それを読み終わった今、私は断言するわ」
すうっと息を吸い込むと、梓は力強く言い放った。
「王子は、人でなしであると!!!」
その言葉を聞いて。
突然、瑞紀は抱えていた辞書を、光の如く速さでめくった。0.5秒後、瑞紀は一つのページを広げ、梓に告げた。
「―新明解国語辞典において、“人でなし”とは、【外貌は人間でありながら、恩義や人情の分からない人】、となっています」
「……………………」
沈黙。永遠の如く、長き沈黙。それを破って、静かに、梓が口を開く。
「…………天宮城くん」
「はい?」
ひきつった笑みで、梓は言った。
「その、『気になる言葉を聞くと、新明解国語辞典で瞬時に言葉を引く』クセ、発動するタイミングを変えることはできないかな?」

「人魚姫、ねえ……」
義臣は、パイプ椅子にもたれかかりながら、天井を見上げる。
「すげー小さい頃に読んだ絵本の内容を、おぼろげに覚えてるか、覚えてないか……ってとこだな」
瑞紀が、義臣に冷たい目線を向ける。
「津田先輩、小さい頃“人魚姫”読んでたんですか?」
瑞紀の言葉を聞いて、義臣は慌てて弁解する。
「なっ……別に、好き好んで読んでたわけじゃねえよ! 姉貴がラストにぼろぼろ泣きながら、あんたも読め……! ってしつこいから、仕方なくだな……!」
「別に、何とも思ってませんよ。津田先輩が、人魚姫……うわ……とか、思ってませんから」
「思ってんじゃねえか!!」
いじけた顔をしながら、義臣がぶすっとした声で尋ねる。
「そういうお前はどうなんだよ、瑞紀」
「僕は、きちんと原本を読んだこと、ありますよ。好みとしてではなく、児童文学にふれるという意味で」
「お前、俺に恨みでもあんのか……?」
「ある訳ないじゃないですか。僕、津田先輩のこと、とっても尊敬しているんですよ」
「これ以上ない棒読みだな……」
義臣のつぶやきを完全にスルーして、瑞紀は話を続ける。
「―人魚姫は、一八三六年、デンマークのハンス・クリスチャン・アンデルセンによって発表された童話です」
「陸の世界に憧れる人魚姫は、十五の誕生日に、初めて陸の世界を見に行くことを許され、そこである国の王子に恋をします。しかし王子が乗っていた船は、突然の嵐に遭います。荒れる海の中、王子を救い出した人魚姫は、意識を失った王子を陸まで送り届けると、自分の姿を見せないまま、海へと帰りました。その後も王子のことが忘れられなかった姫は、美しい声と引き換えに、海の魔女から人間の脚をもらいます。“王子と結ばれることができなければ、お前は泡となって消える”という魔女の言葉を胸に、王子のもとへ行った人魚姫は、しゃべることのできない彼女を優しく受け止める王子と幸福な日々を送っていましたが、ある日、王子は隣国の姫と結婚することになってしまいます。嘆く人 魚姫のもとに姉たちがやってきて、彼女にナイフを渡すと、“これで王子を刺せば、あなたは死なずに人魚に戻ることができる”と言いますが、姫の隣、幸せそうに眠る王子を見て、姫はそのナイフを海へと投げ捨て、最期、泡となって消えていきます」
「あぁー、確か、そんな話だったな」
うんうんと頷いた義臣の様子に、ふう、と息をついた瑞紀が、続けて言った。
「―絵本では、大体このような内容が描かれています。……けれど……僕は、その後原本を読んだ時、自分の中の人魚姫のイメージが少し変わったのを覚えてます」
「そうなの!!!」
その言葉に、梓が、突然叫び出す。
「ちょっ……、水森先輩! 急に叫ばないでください! 何度言われたら……」
「そうなの、天宮城くん! 私も、そう感じたの!」
梓は、目を輝かせながら、ぎゅっと瑞紀の両手を握りしめた。
「うわあ!? 何ですか急に!?」
慌てて振り払おうとする瑞紀だが、どこから出てくるのかわからないほどの強い力でがっしりと握られた手は、びくともしない。
「水森先輩!」
瑞紀の悲痛な叫びには反応せず、梓はうっとりとしたまなざしで、語り始める。
「私は小さい頃、絵本で読んだきりだったけれど、原本を読んで、本当の“人魚姫”を知ることができたような気がしたわ! ―まず、文体が本当に美しいの! 私は、原本の和訳されたものしか読んでいないから、絶対とは言えないけれど、原本の文体もきっと美しいんだと思うわ!」
梓は、続ける。
「深い海の世界の、清く透った―それでいて、きらびやかな美しさ。海の底の建物や植物の持つ、神秘的な空気と、不思議さを併せ持った美しさ。そして、十五になった人魚の姉妹たちが初めて目にする、街、夕日、人、海原、氷山…あらゆるものが創る、陸の世界の美しさ。そして、人魚姫が海の泡沫となった後向かった場所の、崇高で清らかな美しさ――。すべての場所がそれぞれに持つ美しさが、こんなにも繊細な文体で描かれていたなんて、今まで知らなかった……」
休むことなく、歌うように語り続ける梓に、瑞紀は無駄だと分かりつつも、声をかける。
「水森先輩……手を放してくれませんか……?」
“美しい”という言葉を調べたいのに、この状況では、辞書に触れることができない……。しかし。
「―それに、物語の内容も、今まで思っていたものより、もっと深さを持っていたの……」
案の定、瑞紀の声は、梓にまったく届いていないようだ。
「はあ……」
瑞紀は、深くため息。
義臣はそんな二人をよそに、いつの間にか、先ほどまで梓が読んでいた“人魚姫”の本を、無言でめくり始めている。
梓は、語り続ける。
「何より、姫が、見ている私たちが辛くなるほど、王子を強く想っていて……! 三百年の時を生きることができても、人間が持っている永遠に生きる魂を、持たない人魚。そんな人魚が魂を授かるための条件は、人間に、自分を最も愛おしい存在だと想ってもらうこと。姫は、王子に愛されることによって、永遠の命を授かることで、王子のそばで生き続けたいって願うの。姫はその願いのために、魔女から脚をもらう代わりに、“舌を切り取られて”この世で最も美しい声を失くしてしまったり、十五という齢で、海にいる家族へ永遠の別れを告げたり、軽やかに、誰よりも美しく脚で歩き、踊れる代わりに、いつも“鋭いナイフを踏んで、血が噴き出すような痛み”を味わうわ。絵本と比べて、原本 で姫は、より辛い境遇に立っていると思う。けれども、涙を持たない人魚姫は、その悲しみを表す術さえもっていない……」

梓が、切なそうに表情を歪めながらしばらく語り続けていた横で、義臣がパタンと本を閉じ、大きく伸びをした。
「んーっ……ふう。人魚姫って、原本ではこういう話だったんだなー。確かに、俺が絵本を読んだ時のおぼろげなイメージとは、違うとこが結構あったなあ……」
「……え? 津田先輩……」
相変わらず、梓に両手を握りしめられたままの瑞紀が、ぽかんとした顔で義臣の顔をみつめる。
「ん? なんだ?」
義臣も、瑞紀の方に顔を向けた。瑞紀は、恐る恐る、尋ねる。
「まさか……もう、読み終わったんですか?」
「うん」
「はあ?!」
あっけらかんと答える義臣に、瑞紀は驚愕する。
「だっ……だってまだ、二分くらいしかたってませんよ?! 童話とはいえ、文字数もそこそこあるし、一応五十ページくらいはあるんですから。読み終わる訳……」
「んー、読んだっつーか……“見た”っつーか。いや、“感じた”っていうのも若干当てはまるな」
真剣に言葉を選び始める義臣に、瑞紀は唖然としながら尋ねた。
「もしかして、津田先輩って……速読、できるんですか?」
「んー。まー、近いっちゃ近いかなー」
軽く答えた義臣に、瑞紀が詰め寄……ろうとして、梓の手に引き止められる。仕方なく、できるだけ顔を近づけて叫んだ。
「そんなの、初めて聞きましたよ! そもそも、やってるところ、見たことありませんよ!?」
「だって、普段やらねーもん」
義臣の言葉に、瑞紀は、少しの間口をつぐみ、何かを考えた後、つぶやいた。
「……そういえば、津田先輩って、そもそも小説とか読みませんよね。いつも、漫画ばっかりで」
「小説はな……。嫌いじゃないけど、疲れるんだよなあ」
「速読って、やっぱり疲れるものなんですか」
瑞紀は、小さく首をかしげる。問われた義臣は、うーんと唸った。
「……いや、速く読むこと自体は疲れないんだけどさ」
「?」
「小説を読んで、いちいち言葉の意味とか、作者の意図とか考えるのが、めんどくさいんだよな……」
なんてことなくつぶやく義臣に、瞳へ一気に冷やかさをたたえて、瑞紀は言った。
「……津田先輩、なんでこの部活入ったんです?」

瑞紀が、義臣の新たな一面を知ることとなった一方で、梓の語りはピークを迎えていた。
「それなのに、王子は……! 大怪我をする危険さえも顧みず、自分を助けてくれたのは人魚姫なのに、それに気づかないどころか、様々な仕打ちを……!」
「仕打ちって……」
瑞紀が、呆れ顔でため息をつく。
「もう、仕打ちって言っても差支えないほどの行動をとってるじゃない! まず、美しく愛らしい姫をとても可愛がって、『いつでも、ぼくのそばにいておくれ』なんていう反面、姫を自分の部屋じゃなく、自分の部屋の戸口の前の、ビロードのクッションに寝かせるのよ?!」
「うわ……確かに、改めてそう言われれば、あれはちょっとなあ……」
梓の言い分を聞いて、義臣が、顔をしかめる。しかしその一方で、瑞紀は、納得のいかない顔で、うーんと唸っている。
「それは……」
そんな瑞紀の様子に気づかない梓は、自分の言い分を声高に述べ続ける。
「それに王子は、『ああ、ぼくは、きみがいちばん好きだよ』って人魚姫に言うし!」
「ん? それのどこがひどい仕打ちなんだ?」
首をかしげる義臣に、梓は答える。
「その言葉自体がひどいわけじゃないんです! ひどいのは、王子がそのあとに続けて話す、人魚姫を好きな理由! セリフは省略しますけど、『きみは、ぼくの命を救ってくれた、ある若い娘さんに似ているんだ。そのひとは、ぼくがこの世で愛することのできるただひとりのひと。神聖なお寺におつとめをしているそのひとの代わりに、幸福の神様が、きみをぼくのところへよこしてくれたんだ!』って! とどめに、『だから、ぼくたち、けっして、はなれないでいようよ!』って、ふざけんなあああああ!!!」
「ちょっ……水森! ヒートアップすーるーなー!」
「なんて残酷なセリフ……! そんなの、“きみはあのひとの代わりでしかないんだぜ!”って言ってるようなもんじゃないですか!!」
「確かにそう考えるとひどいけどな!?」
梓のものすごい剣幕に押されながら、義臣がうなずく。
「それも……」
一方で、梓の正面では、相変わらず瑞紀がうなっている。
「はあ……はあ……。それに王子は……! 両親の願いで、隣国の美しい姫に会いに行くことになった時、『その姫は、あの娘さんに似ているわけがないから、愛することなんて、ありっこないよ!』と言って! その言葉は置いておくとしても、その後、『もしぼくが、いつか、花嫁をえらばなければならなくなったら、そのときは、いっそ、きみをえらぶよ』……って……」
「み……水森……?」
「 “いっそ”……って……なんだあああああああ!!!!!!」
「だから、落ち着けえええ!!」
暴れだしそうな勢いで叫び散らす梓の肩を押さえて、必死になだめる義臣。
もはや、修羅場へと化している二人の横。
「それだって……」
梓にぶんぶんと両手を揺らされながら、微動だにもせずにつぶやく瑞紀。
梓は、なおも口を開く。
「あげくの果てには……!」
「まだあるのか?!」
義臣が、この世の終わりのような表情を浮かべる。
「これこそ、最終かつ最低な仕打ち! 隣国の姫は、神聖なお寺で教育を受け、王女にふさわしい、様々な美徳を学んでいました……。そう! 隣国の姫こそ、王子が想い続けていた、あの娘さんだったのです!! そのことを知り、姫に会った王子は、感動に打ち震え、人魚姫の前で姫を抱きしめ……そして……」
「『ああ、ぼくは、このうえもなく幸せだよ!』と! そして、『きみは、ぼくの幸せをよろこんでくれるよね。だってきみは、だれよりもいちばん深く、ぼくのことを好いていてくれるんだから!』……と……!!」
「その時、人魚姫が、何を想ったか……!」
泣き出す寸前のような表情で、強く手を握りしめる梓。
「いっ……たあああああ!!」
必然的に、瑞紀の手がミシミシと音をたてる。
「水森先輩!!!」
「くっ……!」
にじみだしそうな涙を払うように、梓が一度、強く首を振る。
そして、瑞紀の手を解放すると、義臣と瑞紀に向かって、言い放った。

「結論! 王子は、人でなし!!!」

ようやく梓の語りから解放され、どかっと椅子に座り込むと、その背もたれへぐったりともたれかかる義臣と瑞紀。
「終わった……」
義臣は、掠れた声でつぶやく。瑞紀は、ジンジンと痛む両手をさすりながら、涙目だ。―しかし。

「でも」

瑞紀は、強い口調で言った。
「違う見方も、あると思います」
「違う――見方?」
肩で息をしながら、梓が瑞紀を見つめる。
「瑞紀?」
義臣も、疲労に満ちた顔を、瑞紀の方へと向けた。瑞紀は、落ち着いた声で言う。
「王子は、自分を救ってくれたのが、人魚姫だったと、本当に知らなかったんです。知らないまま、人魚姫と出会い、同じ時を過ごした。確かに、真実を知っているものから見れば、王子の行動は残酷に見えかねません。けれど、王子は、真実を知らなかった」
「……ええ。―――けれど……」
梓は、瑞紀の言葉を受け止めつつも、手を強く握りしめる。
「そう考えたとしても、王子の言動は、思いやりに欠けていないとは言えないと思う」
強いまなざしを自分へと向ける梓の様子に、瑞紀はふう、と息を吐いた。
「そういう見方もあるとは思いますが。……あくまで、僕の見方で行くと、水森先輩の言い分とは反するところが多々あります。さっきまで、水森先輩はまったく聞いてくれませんでしたけど」
“まったく”の部分を強調して、いじけたように言う瑞紀に、梓は目を丸くする。
「そうだったの?! 他にも考えがあったなら、早く言ってよ!」
「だから、言おうとしたんですってば!!」
「確かに、なんか言いたそうにしてたな」
思い出したように言う義臣に、梓は驚く。
「先輩も気づいてたんですか?!」
「俺は、あの時はお前をなだめるのでいっぱいいっぱいだったから……。瑞紀に答えてやれなかったけどな……」
はは……と、義臣は乾いた声で苦笑する。
「そ……そうだったんだ……。ごめんなさい、私、また……!」
梓が、しゅんとうつむく。
そんな梓を見て、義臣がすぐに明るい声を出す。
「いや、まあいつものことだし! 本にそこまで入り込めるのは、ある意味すごいことだしな。そー落ち込むなって!」
「津田先輩、それフォローになってるんですか…?」
怪訝そうに聞く瑞紀の傍らで、梓は微笑みを取り戻していた。
「先輩……ありがとうございます」
しかし、突如、梓の表情が引き締まった。
「……でも……」
「うん?」
義臣と瑞紀は、梓の方を向く。
そこには、小さく身体を震わせる梓。
「……水森?」

「誰が何と言おうと、王子は人でなしです!!!」

「まだ言うか?!」
義臣が、愕然と叫ぶ横で、瑞紀が梓に対峙した。
「いいえ!」
「え?!瑞紀?!」
あっけにとられている義臣には答えず、瑞紀は梓に反論する。
「そう決めつけるのは、正しくないと思います」
「なら、理由を聞かせてもらいましょうか!?」
突如反旗を翻した瑞紀に、梓は腕を組み、正面から向き合った。
「……ええ、そうさせてもらいます!」
瑞紀も、瞳に鋭い光を宿しながら、梓に向き合う。
「……え? お……お前ら……?」
突然の流れについていけない義臣は、二人を交互に見比べながら、ただおろおろしている。
―瑞紀が、語り始めた。
「まず、王子が人魚姫を、自分の部屋の戸口の前の、ビロードのクッションに寝かせたことについてですが……。仮にも、王子は王位次期継承者なんですよ? 王子がどう思っていようと、周りの者が、身元も分からないままの人魚姫を、そう簡単に王子の部屋に入れるはずがありません」
「けれど、何も部屋の前に寝かせなくたって……!」
「王子は、『いつでも、ぼくのそばにいておくれ』と人魚姫に言っていたんです。単純に考えて、王子の部屋の前は、睡眠する際に、最も王子の側にいられる場所じゃないですか」
「それでも、隣の部屋を用意するとか、もう少しいい方法があったんじゃないの?!」
「そんな、城の中の間取りなんて僕らには分からないんだから、他にいい方法があったかなんて分かりませんよ! それに、むしろ人魚姫が、ずっと王子の側にいることを願って、自ら選んだことなのかもしれないじゃないですか」
「そうじゃないかもしれないじゃない!」
二人の論争を聞きながら、義臣がつぶやく。
「これ、埒が明かないんじゃないか……?」
義臣の心配をよそに、二人の論争は次の議題に移っている。
「次に、王子が人魚姫に言った、“きみをいちばんに好きな理由”についてですが……。王子は、人魚姫の好きなところとして、自分を助けてくれた娘さんに似ていることのみを挙げているんじゃありません。誰よりもやさしいこころをもち、自分にまごころをつくしてくれる人魚姫だからこそ、好きなんだと言っています」
「けれど、『幸福の神様は、その娘さんの“代わりに”人魚姫を自分のところへよこしてくれた』とも明言してるわ!」
「それはそうですが、王子は人魚姫に対し、きちんと、『ああ、ぼくは、きみがいちばん好きだよ』と言っています。あくまで、今、自分にとっての一番は、人魚姫であるということではないんですか」
「でも、その後に、『娘さんだけが、自分が愛することのできるただひとりの人』って言ってるのよ? 結局、一番に愛しているのは、娘さんてことじゃない!」
「その、最も愛する娘さんの代わりに、ってことは、娘さんとは結ばれることができないと分かっている今、王子の最も愛する存在は、ここにいる人魚姫だってことになるでしょう?」
「なら、 “代わり”なんて言葉、使うべきじゃないわ……!」
そんな梓の言葉に、瑞紀の目が鋭く、きらりと光る。
刹那の内に辞書を引きよせ、0.5秒後にはあるページを広げていた。
「新明解国語辞典において、“代わり”とは、【ある物事が果たすことになっていた役目を他の物事によって果たすこと。また、その物事】となっています」
「ほら! 辞書的な意味でだって、王子は人魚姫を娘さんの代替として想っていたってことになるじゃない!」
「先輩。辞書に載っているのは、一つきりの真実ではないんです。辞書には、こうも書いてあります。“代わり”とは、【相手から受けた行為、恩恵に見合う何かをすること】と。王子は、姫から受けたまごころに対して、自分も姫を想う心を送りたいと思った。そう読み取ることだって、できるんじゃないでしょうか?」
「けれど……! 王子が人魚姫へと送ったのが、姫を“娘さん以上に”愛する心だったということの証拠はないわ!」
「辞書では、【恩恵に見合う何かをする】と言っているんです。姫のまごころに見合うのは、姫を一番に想う心でしょう? よって―辞書が言っていた。それが、何よりもの証拠です。こんなに確かな証拠がありますか……?!」
「それは、辞書に傾倒してる瑞紀くんにとっての“確か”でしょー?!」
「俺、頭こんがらがってきたんだけど……」
徐々に早口となっていくのに加え、“代わり”という言葉の真意について語り始めた二人の論争に、義臣はすでについていけなくなってきている。
二人は、さらに論争を続ける。
「それに! 王子が、隣国の美しい姫を愛する可能性を否定し、『もしぼくが、いつか、花嫁をえらばなければならなくなったら、そのときは、いっそ、きみをえらぶよ』と言ったことについても、ただ王子を非難するのは、間違っていると思います」
「いえ、このセリフは、やっぱりひどい。“いっそ”って何よ?! ただ、『きみをえらぶよ』でよかったのに!」
「そこは、原作を読んで、どんな言葉が使われているのか、確かめなければいけない気もしますが……。同じく和訳を読んだ僕は、そうは思いませんでした」
「どうして?」
「そもそも、王子は、両親である王やお妃にも話していない自分の心の内を、人魚姫には明かしているんです。僕にとっては、そこで話した言葉についてより、その事実のほうが大切なことのように感じました」
「けれど、ここでも人魚姫は、娘さんの代わりとして選ばれているでしょう? そんなの、辛すぎる……」
「けれど、王子が自分を選ぶといってくれた時、人魚姫は“人間としての幸せと、死ぬことのない魂を夢見ていた“と、本文には書いてあります。姫がこのとき感じていたのは、幸せな気持ちだったんですよ」
「人魚姫は優しかったから、それで済んだかもしれないけどね……! ほんとに、王子は、言葉の選び方が毎回間違ってる……!」
「あいつら、一つの童話で、よくそんなに語れるな……」
読書倶楽部の部員とは思えないセリフをつぶやきながら、義臣は、すでに論争の内容を理解することをあきらめ、二人の姿をぼんやりと眺めている。
すると。
バンッ!!!
「うお?!」
突然響いた大きな音に、義臣は椅子の上でのけぞる。梓が、近くにあった机に、強く手をついたのだ。
「王子は、やっぱり人でなしよ! 隣国の姫が自分の想い続けていた娘さんだったと知って、感動に打ち震えた王子は、よりにもよって人魚姫の前で姫を抱きしめたのよ?!」
「それが、人魚姫にとって残酷なことであったのは分かります。けれど、王子は決して結ばれることがないと思っていた愛する人と、結ばれることができると知った。あふれだす心を止めることは、王子にもできなかったんじゃないんでしょうか?」
「それでも……! 今まで、あんなに人魚姫へ伝えてきた言葉は、何だったの?!」
「それは、絶対に自分を救ってくれた娘さんとは結ばれることはないと、王子が分かっていたから。その時、いつも側で微笑んでいてくれた人魚姫を、一番大切に想っていた王子の気持ちは本当だったと思います」
「……王子は、言ったね。『きみは、ぼくの幸せをよろこんでくれるよね。だってきみは、だれよりもいちばん深く、ぼくのことを好いていてくれるんだから!』って。そのことに気づいているのなら、なんで! せめて、人魚姫の気持ちに、向き合ってあげなかったの……?!」
「王子は、人魚姫が自分に抱いてくれている“好き”を、愛としての“好き”とは、気づいていなかったんじゃないでしょうか? これは、根本的な話になりますが……。王子は、たかだか十六歳ほどの年齢です。まだ“少年”ともいえる王子に、そこまで気づけというほうが、無理があると思います」
「でも、こういう話をしている天宮城くんだって、まだ十三歳でしょー?! ……いや、確か天宮城くんは三月生まれだから…まだ、じゅっ……十二歳……!?」
「そこ、関係あります?!」
「おいおい、だんだんただの喧嘩になってないか?! 喧嘩はよくないぞ!」
仲裁に入ろうとする義臣に向かって、二人は言い放った。
「「これは“論争”です!!」」
「お……お前らなあ……」
肩を落とし、眉間をもむ、義臣。

その時。そっと、部室のドアが開いた。
「……こんにち、は……」
ドアの向こうから、女子生徒がおずおずと顔をのぞかせている。
「あ、季里ちゃん!!」
梓が、嬉しそうな笑顔で振り向く。女子生徒―折原 季里(おきはら きり)は、梓達に向かって、ぺこりと小さく会釈をした。
「お久し、ぶりです……」
「おう、久しぶりだな、折原! 今日、体調はいいのか?」
振り返った義臣は、季里に尋ねる。
「はい……。すみません、休んでしまってばかりで……」
うつむきながら、小さな声で謝る季里に、瑞紀が言う。
「別に、謝ることじゃないと思うよ。…そもそも、折原さんはちゃんと理由があって休んでるし、それを連絡してくれるけど、どっかのだれかさんたちは、ここ何日か連絡もないまま見当たらないし……」
瑞紀の言葉に、義臣も、うんうんと頷く。
「まー、うちはわりと、そこらへんゆるいからなあ……。結局、うちの部員って何人いるんだっけ……? とにかく、気にすることないぞ?折原」
「あ……ありがとうございます……」
顔を赤くしながら、季里は二人に頭を下げる。そして、部室に入ると、窓際に置いてある机のうち、教室の一番隅に置いてある机の椅子に座った。そこで、静かにノートを広げ始める。
梓は、ふいに季里のほうを見つめ、ふと思った。
……季里ちゃん、今日も、物語を書いてるのかな?
―つい最近、季里は部員にだけ、自分が書いているものが物語であると打ち明けてくれた。季里は、小さい頃から身体が弱いそうで、部活動だけではなく中学校自体も、よく休んでいるようだ。そのせいか、あまり学校では人としゃべらず、静かに何かを書いていることが多かったらしい。そんな季里を、同じクラスの瑞紀が、読書倶楽部に勧誘してきた。そして、紆余曲折の後入部した彼女は、できる時にはこうして、部室に顔を出している。まだ、人と積極的にしゃべることは少ないが、部員たちとは、徐々に打ち解けてきていた。
それまで下級生に女の子がおらず、寂しい思いをしていた梓にとって、季里の入部がどれだけ嬉しかったか、梓は今でもはっきり覚えている。ふと、先ほどまでの熱がよみがえってきて、梓は季里に尋ねた。
「ねえ、季里ちゃん! 季里ちゃんは、“人魚姫”の原本、読んだことある?」
「 “人魚姫”……? あ、えっと、和訳されたものなら……あります」
季里の答えに、梓は瞳を輝かせた。
「ほんとっ?! あのねっ、今、“人魚姫”について天宮城くんと論争をしていたんだけど、全然決着がつかなくて……!」
「ろ……論争……ですか」
「私は、王子は人でなしだと思うの! けれど、天宮城くんは、それは違うんじゃないかって」
「 “人魚姫”の、王子……」
梓の勢いに圧倒されながらも、小さくつぶやき、考え込む季里に、梓は言った。
「そうだ! 季里ちゃんは、どう思う?」
「……え?!」
「あのね、まず私は……」
季里の答えを聞かないうちから、先ほどまでの論争内容を語り始める梓。
「けれど、僕は……」
いつの間にか、瑞紀までそれに加わり、自分の言い分を語り始めている。
「折原……可哀想に……」
二人に詰め寄られている季里を見ながら、横で涙ぐむ義臣。
季里はしばらく、熱のこもった二人の言い分を、黙って、静かに聞いていた。おおかたを説明し終えたところで、再び梓は瑞紀に向き合い、叫ぶ。
「大体、なんで天宮城くんは、そこまで王子を擁護するのー?!」
瑞紀はその言葉に、心外だ、と抗議した。
「別に、王子を擁護しているんじゃありませんよ! 自分なりの“人魚姫”の捉え方と、読んで感じたことを、素直にそのまま言っているだけです! そういう水森先輩こそ、どうしてそんなに姫を擁護するんですか?」
「それは……」
瑞紀の言葉に、梓はうつむく。
少しの間の後、梓は、そっとつぶやいた。

「――悲しい、から」

「悲しい……?」
瑞紀は、小さく、瞳を揺らす。梓は、深く息を吐きながら、口を開く。
「王子が、隣の国の王女を選んだことが、駄目って言ってるんじゃないの。誰を最も愛するかなんて、誰かに決められたり、強制されるものじゃない。……けれどね」
「姫は、王子に想いを告げることすらできなかった。目で、訴えかけることしか。確かに、それは、姫自身が選んだこと。だけど」
「姫は、誰より、王子の幸せを祈ってた。最期、隣国の姫の額にも、キスを残していくほどに。そして、想いを伝えずに、泡となって消えていった」
「本当は、誰かが悪いんじゃないって分かってるの。だからこそ、姫を想うと、どうしようもなく、悲しくて……」
梓は、瞼を伏せて、握った手を、小さく震わせた。
「…………」
梓の言葉を、部員たちは、静かに聞いていた。

その静寂の中で。
ふいに、季里が口を開いた。

「王子が気づいたら――どうするんでしょう」

「――え……」

梓は、季里の言葉に、顔を上げる。
季里は、続けた。
「もし、王子が……。嵐渦巻く海の中から、自分を救い出してくれたのが、人魚姫だったと気づいたら。王子は、そこから、どんな選択をするんでしょうか」
「どんな、選択、を……」

「……あ……」
季里が、小さく息を漏らす。
「…季里ちゃん?」
梓が季里の顔を覗き込もうとすると、季里は、すさまじい勢いで、ノートにペンを走らせ始めた。
「っ……ええ?!季里ちゃん?!」
驚く梓の横で、義臣が、口を開く。
「―そーゆー姫の気持ちを想う読者がいるってことが、人魚姫の救いになるんじゃねーかな。俺は、そう思うよ。……まあ、俺は論争に途中からついていけなくなったけど、二人が“人魚姫”を大事に読み解いてたっていうのは、分かったぞ?」
義臣は、そう言って二人に笑いかけた。そんな義臣に、瑞紀は冷たく言い放つ。
「津田先輩が、物語について考えなさすぎなんですよ。もう少し、ちゃんと考えてください」
「なっ……! お前、せっかく人が褒めてやったのに! ほんっとかわいくないな!」
「津田先輩に、かわいいなんて思ってもらわなくても結構です」
「お前なあ……!」
横で文句を言い続ける義臣を完全に無視しながら、瑞紀は、梓に向かってぽつりと言った。
「……原本では、最後、人魚姫は三百年良い行いをすることを条件に、魂を手にいれることを許されます。その時、姫は初めて涙を流した。涙をもつことが、できたんです。姫は、これから、悲しみを表すことができます。そしていつか、死ぬことのない魂を手にいれたとき…自身で幸せを掴むことだって、できるかもしれない」
「……天宮城くん……」
梓は、驚いた様な表情を浮かべる。ふう、と、瑞紀は息を吐いた。
「……まあ、物語の感じ方なんて、人それぞれですから。――もっとも」
瑞紀は、聞き取れないほど小さな声で、ぶっきらぼうにつぶやいた。
「……未来の人魚姫の幸せを願うのは、多くの人にとって、同様だと思いますけど」
梓は、しばらくぽかんと口を開けていたが、最後には、ふっと笑みをこぼした。
「――うん!」
花が咲くように笑う梓を見て、瑞紀はそっぽを向く。
「なに、ニヤニヤしてるんですか、気味悪いですよ」
毒を吐いた瑞紀の耳は、後ろから見ても分かるほどに、真っ赤だ。
「……ふふ」
そんな瑞紀を見て、梓は、小さく微笑んだ。

―しばらくして、季里の動きが止まった。
「……季里ちゃん?」
梓が、心配そうに梓の手元をのぞくと、
「きゃあああっ!!」
季里は、悲鳴を上げて、ずしゃあっ!と、ノートを両腕で隠した。
「あっ……ごめん! つい……!」
梓は、季里に謝る。
「いっ……いえ……! すみません、は、はずかしくて……!」
顔を真っ赤にして、季里はぺこぺこと頭を下げる。
「ほんとに、ごめんね! 次から気をつけるから……!」
そういいながら、ふと、梓の脳に、先ほど見た景色が思い出される。季里がノートを隠した時、一瞬だけ、いくつかの文字が見えてしまった。結局は、文の一つも読み取れなかったが、唯一見えた文字が、梓の脳裏に浮かぶ。
あの時、ただ、ひとつだけ見えたのは。
「……“沫”?」
その、一文字。……まあ、なにはともあれ。きっと、《季里ちゃんらしい》物語が、そこには描かれているのだろう。
……いつか、私たちにも見せてくれたらいいな。
梓は、そう思って、彼女の真っ赤な横顔を見ながら、微笑むのだった。

部屋の壁にかかった時計を見上げて、義臣が三人へ呼びかける。
「よしっ。今日の部活動、終わりっ!! ほら、お前ら、帰るぞー!」
「「「あっ……はいっ!!」」」
四人は、バタバタと帰り支度を始め、全員で部室を後にした。
「「「「お疲れ様でしたっ」」」」

―これにて、人魚姫論争、終着。
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第二十九回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2014.12.31(Wed) 20:29
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