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旅人マトン

   旅人マトン


こつん、こん、こん
扉に何かが当たる音がした。
「どんぐりだな。北風が連れて来たんだ」
マトンはそうつぶやくと、マフラーを黄色いしなやかな首にくるっと巻いた。
 マトンは、ぐんじょう森に住む子狐だ。黄金色の冬毛を自慢げに毛づくろいしている。これから旅に出るための準備だ。身支度オッケー、食糧よし、持ち物も準備万端。今年も北風の吹く季節になった。これは旅に出る合図だ。マトンは毎年、この時期には旅に出る。どこへ行くとも知れず、数ヶ月、気ままに出かけるのだ。
マトンが留守の間、彼の住んでいた木のうろは、リスたちの住処となる。親もとを離れ、始めて長期休暇を過ごす子リスたちが、方々の巣穴から集まってくる。ここで集団生活と宿泊を経験し、新しい季節を迎えるのだ。フクジュソウの黄色い花が姿を見せ始めると、彼らは一回り大きくなって、家族の待つ巣穴へ帰っていく。このリスたちにとっても、一大イベントなのである。

北からの強い風に吹かれて、どんぐりの木のうろから一匹の狐が飛び出した。寒空の下、マフラーが風になびく。腰には食糧や最小限の旅道具が入っている麻の小袋。その袋からは、ころころころと、リスたちの集めてくれた森の木の実の楽しげな音。マトンは鼻先を空にツンと向けた。
(うん、まだまだ雪は降らないな)
落ち葉の溜まった大地をひたすら駆けて行く。ぐんじょう森の木々が目の端を流れる。森に漂う甘い匂いは、土にかえっていく落ち葉の匂いだ。その匂いの隙間から、さらさらと話し声がする。
(落ち葉の音?)
マトンは立ち止まった。
足元、木の下、大地全体から音がする。さらさら、かしゃかしゃ、みずならの落ち葉が不自然に揺れ動いている。ははあ、とマトンは思って、その茶色い葉のひとひらをめくってみた。
「やあ、何すんだい!」
落ち葉の下、そこには、何十ものてんとう虫がびっしりと固まって座っていた。そのうちの一匹が声を上げたのだ。黒い小さな目が一斉に振り向いた。
「やっぱり、きみたちだったんだね。今年も仲間が多いなあ!」
マトンが感心して言うと、最初に声を上げたてんとう虫が、いらいらしながら言った。
「まったく、のんきな旅人だ! こっちは、誰を追い出すかの話し合いをしているっていうのに!」
「え? 追い出すって?」
「今年も、冬を越すための場所取りにあぶれたやつがいるんだ。そいつらが俺たちのホテルへ溢れんばかりに押しかけたのさ」
その横にいるてんとう虫が言った。
よく見ると、この辺りの落ち葉は何層にも重なっていて、きれいに整えられている。初めは気づかなかったが、「つるばみホテル」という、小さい小さい看板がてっぺんに立っていた。成虫のてんとう虫たちは落ち葉の下や、木の幹で越冬する。大勢で肩を寄せ合って過ごすのだが、当然、場所取りに出遅れる者もいるようで……。このように大きなホテルでも、収まり切らないほど多くのてんとう虫が訪れ、あふれてしまうことがある。ひとりでホテルの一室――、一枚の葉の下を占領している者もいるというのに。そのことは、落ち葉からする音の数で分かった。マトンもだてに耳がいいわけではない。
「まだ、入れる余地はあるだろう?入れておやりよ」
すると、途端にてんとう虫たちは顔をしかめた。
「な、何を言い出すんだ!」
「どうしてきみなんかに、そんなこと言われなくちゃいけないんだ」
「部外者は黙っていろよ!」
マトンは、胸の辺りに灰色の絵の具が溶けたような気持ちになった。とても、嫌な気持ちだ。
「でも、入れるのに入れてやらないのは、ひどいよ……」
てんとう虫たちはマトンの呟きを無視して、場所取りができなかった者たちをホテルから押しやっている。入れなかった者は三十匹ほど。横になったり、ひっくり返ってしまったりした者も出てきた。それを見て、マトンは居ても立っても居られなくなった。押しやられて転倒したてんとう虫に、鼻先をそっと差し出す。
「じゃあ、きみたち、僕についておいでよ。僕が、旅の途中でとっておきの場所を見つけてあげよう」
「ほ、本当?」
「うん、もちろん!僕は旅人、旅人マトンだからね」
「わーい!」
ひし、と、一匹が鼻先にしがみついた。二匹、三匹、ぶーんと飛び立って四匹、……こうして、全員がマトンの頭の上に登り終えた。彼らが上から、ホテルを見下ろして叫ぶ。
「やーい、いいもんね、僕らはいい住家を探しに行くもんね」
「冷たい奴らとは、おさらばだ!」
マトンは、それじゃ、とホテルのてんとう虫たちにお辞儀をすると、北風に乗ってひとっ飛び、森を抜けて行った。後ろからは何やら声が聞こえたが、もうそれも風の音と混じって、わからなくなった。駆け抜けながら、マトンは小さい頃、父さんに教えてもらった歌を口ずさむ。

雪ふりゃこんこん、足跡てんてん、お宿の仲間にゃよーいよい、暖をとるもの集まれや

すると、頭の上のてんとう虫たちも調子を合わせて歌い出した。

雪ふりゃこんこん、足跡てんてん、お宿の仲間にゃよーいよい、暖をとるもの集まれや



それから幾週間が経ち、マトンたちは開けた野原に出た。遠くまで広がる薄茶色の大地と、その上に被さる薄曇りの空。地面は冷えて固い。辺りはしんとしており、そろそろ雪が降り出しそうな気配が漂っていた。
今までの道中、てんとう虫たちの住処探しをしてきたが、どこもパッとしなかった。彼らもなかなか注文が多く、ここでもない、あそこでもないと、わいわい議論をしているうちに、もう、雪が降りそうな時期になってしまった。
「まずいぞ、そろそろ僕らの住処を見つけないと、雪が降ってきてしまう」
「やっぱり、昨日見つけた木の幹が良かったんじゃないかなあ」
「だめよ、あそこの木にはおっきなミミズクが住んでいたもの。邪魔だ! って、追い出されちゃうわ」
「そもそも、一昨日のならの落ち葉にするべきだったんだよ」
頭上で繰り広げられる言い争いに耐えられず、ついにマトンは困った顔で言った。
「も~、みんな、僕の頭で喧嘩しないで~」
すると、てんとう虫たちのうちの一匹が声を上げた。
「あ! あの岩かげが良さそうだとは思わないかい!?」
みんながその方を見る。野原の外れに楕円の形をした岩があり、ちょうどその岩かげに落ち葉が溜まっている。風に吹かれることも、雪に埋もれることもなさそうだ。今度はてんとう虫たち全員がうなずいた。
よし、と、一歩踏み出したとたん、マトンは何かにつまずいて転んでしまった。てんとう虫たちは振り落とされまいと、必死に彼の頭にしがみつく。マトンは、頭の毛がきゅーっと引っ張られたので、痛くて目尻に涙が浮かんだ。
「いててて……」
目をこすりこすりして、マトンが身を起こすと、そこにいたのは一羽のユキウサギ。黒くて丸い澄んだ目が、茶色の毛の中からのぞいている。茶色い体が土色の地面に溶けて、そこにいたのがわからなかったのだ。
「ちょっと、どこ見てんのよ」
ユキウサギは冷たい目でマトンたちを一瞥すると、くるりと後ろを向いて、とっとっとっ……と、去って行ってしまった。少し離れただけで、地面なのかウサギなのか、すぐに見分けがつかなくなった。
 マトンはすまない気持ちでいっぱいになったが、その一方で、てんとう虫たちはあまり気にしていない様子だ。ぞろぞろとマトンの頭から降りていく。ぶーんと、飛んで降り立つ者の小さな羽音が耳に響く。今回は全員の意見が一致したようだ。みんな、新しい住処を褒め称えながら、岩かげへぞろぞろ入っていく。
「ここは今までで一番いいぞ!」
「最初にここを見つけたのは誰だっけな?」
「ここなら、あたたまりながら冬を越せそうだわ」
このような具合で、彼らはみんな、めいめいの位置におさまった。
外で、にこにこしながらその様子を見ていたマトンを、みんなが一斉に見上げる。
「ありがとう、マトン」
「君がいなかったら、寒さに凍えていたところだったよ」
「僕らのワガママに付き合ってくれるなんて、本当にいい旅人さんだ」
「ありがとう」
「ありがとう」
マトンは、てんとう虫たちを見回して言った。
「僕は、気ままに旅をしているだけさ。短い間だったけれど、君たちと一緒に過ごせて楽しかった。こちらこそありがとう。では、さようなら」
てんとう虫たちが小さな手を振って見送る。マトンは振り返り振り返り、そこから去っていった。たった今別れたてんとう虫たちを思い浮かべながら、マトンは歌を口ずさむ。

 雪ふりゃこんこん、足跡てんてん、お宿の仲間にゃよーいよい、暖をとるもの集まれや

 *

 それから何日か経った夜。また別の野原のはずれ、マトンは木の下で休んでいた。音もなく光る星の下、広い野原も静まり返ったように見える。しかし耳を澄ますと、昼間聞こえていたよりも多くの、小さな物音が耳をくすぐってくる。マトンにはそれが、夜に起き出す動物たちの音や、土の中を動き回る虫たちの音だとわかった。その音の中に、とっとっとっ……と、聞き覚えのある音がかすかに混じった。マトンは首をかしげる。
(この夜に、誰の足音だろう? どこかで聞いたことがあるような、)
マトンは身を起こして辺りを見回した。とっとっとっ、とっとっとっ……と、足音はだんだんこちらに近づいてくる。そのとき、さっと北風が吹き、マトンはその冷たさに身震いした。そして、その風に乗って流れてきたにおいで、足音の主が誰なのか気付いた。
(この前会った、ユキウサギだ)
ユキウサギは、もう、マトンの目の前までやって来ていた。辺りはすっかり暗くなっており、その中で黒い瞳だけがきらりと光った。ちょこんとお辞儀をして、話を切り出す。
「こんばんは、私はユキウサギ。この前の旅人さんでしょ? あのときはきつく言ってごめんなさいね」
「いや、こちらこそごめんね。僕の不注意できみを蹴飛ばしてしまって」
マトンは深々と頭を下げた。ユキウサギは、そんなことはどうでもいいのよ、とでも言いたげに、顔の前で手を振って話を続けた。
「いいの、いいの、お互い様よ。それより、あなたは旅人さんなのでしょう? 旅の面白いお話を聞かせてくださいな」
「えっ、旅の話をかい?」
「そうよ、ぜひ聞きたいわ。どんな冒険をしてきたの? 夜が明けるまで、ずっと聞いていたいのだけれど、いいかしら」
 ユキウサギはマトンの横に腰を下ろし、すでにくつろいでいる様子だ。何を言っても一晩中動きそうにない。マトンは戸惑いながらも、断れない性格なので仕方なくうなずいた。それを見たユキウサギの、期待するようなまなざしを受けながら、ぽつぽつと話し始める。
「冬に旅に出るのは、これで三回目なんだ。父さんの旅についていったのが最初でさ。そのときの出来事と言えばね、――」

旅のお話、話す者と聞く者。冬の夜は二人を静かに包み込む。どこか遠くから、ミミズクの鳴き声が聞こえてきた。それは、一ヶ月ほど前てんとう虫たちといたときに見た、木の主の声だろうか……。マトンは、ユキウサギに話をしながら、そんな事に思いをはせていた。そして、旅の話をしていくうちに、だんだんと不思議に思ってくることがあった。
(父さんとの旅が終わった後、すぐに親元を離れて、もう二年経つ。僕は、どうして一人になった今でも、冬の旅を毎年続けてなんかいるんだろうなあ)
風が吹き、マトンの鼻の先で感じる気温が、ぐんと下がった。夜も更けてきたようだ。マトンは話をいったん止めて、ひとつ大きなあくびをした。ついでに、固まった体をほぐすために大きな伸びをしようと体をゆすった。すると、さっきまで相づちを打っていたユキウサギの体がもたれかかってくる。マトンは片手でそれを止めた。
「おい、そんなに寄らないでくれよ、伸びができないじゃないか」
ユキウサギに顔を近づけて文句を言う。マトンは、そこでようやく、ユキウサギがいつの間にか寝入っていたことに気が付いた。
「おや、もう寝てしまったのか。どこまで僕の話を聞いていたのだろう? まあ、夜も遅いし、僕も寝るとするか」
マトンは尻尾を顔の前に寄せて上半身を縮め、くるりと丸くなった。そして、すぐに寝息を立て始めた。その小さな音は、冬の星座を映した空に消えていく。夜空は、いつにも増して、ひっそりとしていた。

 朝になり、マトンはあまりの寒さに目を覚ました。木の下で寝ていたが、読みが甘すぎたようだ。彼が思っていたよりも、今朝の冷え込みはきつかった。
木のうろや洞穴で寝たほうが良かっただろうと後悔したところで、隣で寝ているユキウサギのことを思い出した。自分よりもひとまわり小さい彼女は、いっそう寒かったのではないだろうかと、あわててそちらを見た。そこにいたのは、想像していたような茶色い小さなウサギでなく、こんもりと、白い毛に覆われたいきものだった。
「うわ、だ、誰!?」
マトンが驚いて声を上げると、その白い毛玉から、二つの細長い耳が、ぴんと突き出した。そして、その下に黒い瞳がぱちりと現れる。そこでようやく、この白いいきものが、冬毛に生え変わったばかりの、昨晩のユキウサギであったのだとわかった。
「きみ、昨日のユキウサギか! 朝起きたら、きみの毛が見違えるほど綺麗な白に染まっていたんで、一目見ただけではわからなかったよ」
ユキウサギはそれを聞いて、自慢げに大きく伸びをして言った。
「おはよう、旅人さん。ええ、そうよ。昨日、すべて白い毛に生え変わったの。旅人さんに会ったのは昨日の夜だったから、私の体の色はわからなかったでしょう? 私が白くなったってことは、もうすぐ雪が降るってことよ」
その言葉が、寒い野原のはずれに響いた。
「雪が。もう、そんな時期になっていたのか」
そのとき、マトンの鼻先に、ふわりと白くて冷たいものが触れた。それは、彼の吐いた息で一瞬にして小さなしずくになった。
「ほら」
ユキウサギが空を見上げ、マトンもそれに続いて顔を上げた。白い空から、空の破片が小さくちぎれ、ちらり、ちらりと、細かい雪が舞い始めた。周りを見回すと、渋い茶色の野原のはずれを背景に、白い小さな雪が降っているのがわかる。二人はじっとその景色を眺める。すぐそばで体をくっつけていると、黄色と白の毛の温かさが合わさって、あまり寒さを感じなくなる。ユキウサギが、雪を目で追いながら話し始めた。
「私は最近、ちっとも眠れなくて、困っていたのよ。そうしたら、昔聞いた話を思い出して、旅のお話を聞きに行こうと思い立ったの」
「旅の話を聞くと眠れるのかい?」
「そういう話を聞いたことがあっただけよ。でも、旅についてのお話では、ちっとも眠くなんてならなかったわ」
「でも、きみは、昨日の夜、僕よりも先に寝ていたよ」
ユキウサギは嬉しそうに、こくんとうなずいた。
「そうなの。それはね、お話の途中で歌ってくれた歌で、不思議と、うとうとしちゃったのよ」
「あの歌のことかい? 父さんが教えてくれた歌だよ」
「あら、そうなの。不思議な歌よね。あの歌を聴くと、自然と心が温まる気がするわ……」
そして、はっとしたように空を見上げた。雪の降る中、太陽が、白い空の東の方にうっすらと浮かんでいるのが見える。地面には、二人の座っている所を除いて、雪が積もってきていた。
「いけない。旅人さんを、これ以上引き止めてはいけないわ」
ユキウサギはぴょこんとお辞儀をした。
「私にお話をしてくれて、どうもありがとう」
「いやいや、そんな、僕はたいしたことはしていないよ」
マトンはそう言って立ち上がった。頭に薄く積もった雪を振り払う。
「ねえ、最後にもう一回あの歌を歌ってくれる、旅人さん?」
「いいよ、この歌、僕も好きなんだ。気に入ってくれて嬉しいよ」
かすかに風が吹いて、マトンの周りで雪がふわりと舞った。鼻先を天に向けて、踊るように歌いだす。

 雪ふりゃこんこん、足跡てんてん、お宿の仲間にゃよーいよい、暖をとるもの集まれや

ユキウサギも目を細めて歌い出した。

 雪ふりゃこんこん、足跡てんてん、お宿の仲間にゃよーいよい、暖をとるもの集まれや

マトンは、くるくると舞う雪に合わせ、あたりを駆け回る。踊るようにして、だんだんとユキウサギから離れていく。彼女が雪の色に混じって見分けがつかなくなるほど離れたとき、マトンには、「もう、覚えてしまったわ。これで今夜も、この歌を口ずさんでぐっすり眠れるわ」そう、つぶやく声が聞こえた。

 *

 マトンは、雪の降る中、どこへとも知れず駆けていった。ユキウサギと別れて幾日か経ち、雪もだいぶ積もってきていた。自分の足跡が、自分のうしろを転々とついてくるのがわかる。
大きな湖のほとりで、マトンは立ち止まった。夜明けまであと少し。マトンがここに来たのは、去年旅の途中で会ったシカに、特に寒い冬の日の早朝、ここですばらしい景色が見られると教えられたからだ。
湖近くの木の下に突き出した岩に腰掛け、朝日が昇るのを待つ。静かな冷えた朝だった。
(僕は、どうして旅をしているんだっけなあ)
マトンは、ユキウサギに話をしていたときに思ったことを、思い返していた。
三年前、父さんと冬の旅をしたとき、マトンはただその後をついていくだけだった。父さんの大きな黄金色のしっぽを追いかけて走り、その道中、いろいろな動物たちに会った。彼らと別れるときに、父さんは決まって、あの歌を歌っていた。不思議な歌、心あたたまる歌。みんなはその歌を聴いて笑顔になり、その歌を歌い明るくなった。それを思い出して、マトンはふふ、と笑った。白い息がふわりと上に上がっていく。
(僕は、あの歌が歌いたくて旅をしているのかなあ)
そのとき、マトンの頭に冷たい雫が降ってきた。そして思わず上を見上げて、驚いた。
「わあ、なんて綺麗なんだろう!」
頭上に広がる木の枝に、細かい雪の結晶がたくさん連なっていた。まるで、木全体がチクチクとした乳白色の雪でできているようだった。薄暗い空に、はっとするように白い木の枝が広がる。あちらの木も、こちらの木も、すべての木が冬の色に染まっていた。
(僕の吐いたあったかい息が、枝の雪を溶かして、雫が落ちてきたんだな)
マトンは木の枝を見上げ続けている。じっと見ていると、枝の雪が、やわらかな水色の陰を帯び始めた。――朝日が昇ったのだ。

 どうして旅をするのかな どうして続けているのかな

しゃらん、と音がして、こんな歌が聞えてきた。それに続いて、硬い小さな氷がこすれあう音がする。マトンは湖に目を向けた。そこには彼が今まで見たこともない、幻想的な景色が広がっていた。
(きらきらした宝石が、降っている)
雪ではない、氷の粒が空から流れ出していた。朝日に照らされて、無数の小さな粒たちが、尖った光を反射している。北からの風に吹き上げられて、いっそう輝きを増して湖に舞っている。マトンは、これが、シカの言っていた「すばらしい景色」なのだとわかった。
きらきらの中から、しゃらんと音がして、また、小さな声が歌った。

 どこから旅して来たのかな どこまで旅をするのかな

まるで、目の前で揺れる宝石が歌っているようでもあり、マトン彼自身の心が歌っているようでもあった。旅、とマトンはつぶやいてみた。今彼は、旅の真っ只中にいた。先ほどと同じことを、繰り返し、思ってみる。
(僕は、どうして旅をしているのかな。あの歌が歌いたくて旅をしているのかな。どうなんだろう)
宝石たちは、ささやくように問いかけている。それを聞きながら、マトンはふうと息をついた。今のところ、その答えはどうもまだよくわからない。けれど、とつぶやく。
(――こんな景色が見られたり、いろんな動物たちに出会えたりするのが、楽しいってことは、わかる)
うん、とひとつ大きくうなずいてマトンは立ち上がった。氷の張った湖は、まだ溶けそうにない。もう少しの間、冬は続きそうだ。しっぽに積もった小さな氷をふりはらうと、彼は湖を背にして歩き出した。しゃりしゃりと、心地よい音が朝の高い空に響く。遠ざかるにつれて、湖からのささやき声はだんだんと薄れていった。

狐の父さん歌ってた 狐の息子も歌ってた

凍える冬に 心あたためる

不思議な歌が 伝わっていく

動物たちに 伝わっていく
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第二十九回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2014.12.31(Wed) 20:27
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