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星鳴き

星鳴き


まだ、夜空に白い帳がなかった頃。この世界は果てしなく広く、聳え立つ大きな灰色の壁も、目を射るような灯火もなかった頃。ただ空に浮かぶいくつもの輝きだけが、その柔らかな光で世界を照らしていたころ。じつは、そんな日々があったのです。わたしたちがここにうまれる、そのずっとずっとまえに。
この世界の片隅。それは、橙に染まった落葉が一枚一枚まで眠り込み、せせらぎのくしゃみが草原の隅々まで届くような、そんなある夜のことでした。

  *  *  *

草原の端なのか、はたまた森の淵なのか。そのふたつが、まるで溶け合うようになっている場所があります。いつしか「あわい」と呼ばれるようになったそこに、ある一匹のうさぎが暮らしておりました。名前を、ココといいます。ぴんと伸びた小さな耳に、光り輝くように真っ白な毛並みのうさぎです。草むらにいるとすぐにそれと分かりますので、みんなは「一番星のココ」と呼び倣わしておりました。
その日の夜、一番星のココは、真夜中にふと目を覚ましました。けれど、どうして起きたのでしょうか。ココにはさっぱり分かりません。ぴんと伸びた耳を欹ててみても、それらしい物音はひとつも聞こえないのです。ただ、優しい夜の風が草原を抜けてくる、その声が微かにするだけ。ココを狙う獣たちの唸りや、真っ黒な雨雲の近づいて来る足音も聞こえません。ココの耳の捉えた限りでは、普段とあまり変わらない、平和な夜です。
けれど、そこには普段と全然違う何か、例えば夏の訪れを告げる湿った風や、或いは雪の合間に漂う花の香り、そんな何かが、あるような気もしたのです。
ココの鼻がぴくりと持ち上がって、夜の匂いをいっぱいに吸い込みます。胸の中に、ほんのり涼しい夜が膨らんで。すると、柔らかく湿ったような空気の中に、ほんの少し、何か煌めくような香りがしました。それは、大好きな人参の匂いや、森の木々の匂いや、雨上がりの土の匂いの全てにも似ていて、だけどその全てと違う、何とも美しい香りなのでした。

「この匂い、ということは……」

部屋の隅に溜まった闇をぼんやりと眺めながら、ココは少しばかり考えを巡らせました。この匂いは、何だったかしら。きらきらして、しっとりして、ぴりぴりして。不思議な感じがするのに、怖い感じはしない。
こんな香りが漂う夜は、確か――――。

「……星鳴きの夜、かしら」

小さく、ココは呟いてみました。
こういうことは声に出してみると、なおのことそうであるような気がするものです。ココはもう、今夜が星鳴きの夜だということを信じて疑いませんでした。一瞬、ほんの一瞬だけ、不安で背筋がびりっとします。けれど、ココは頭をひとつ振って、滑るように窓から庭へと降りました。その場でじっと待っていられるような、そんな気分には、どうしてもなれなかったのです。
外は、夜に覆われておりました。足元の草は少しばかり露に濡れて、ココの足をそっと撫でてゆきます。ふと見上げてみると、ココの思った通り、空には大粒の星が今にも零れそうに輝いて、ともすれば頭をぶつけそうな具合でした。空を見上げたココの口から、小さな溜め息が溢れます。今晩はどうやら、本当に星鳴きの夜のようです。もうひとつ頭を振って、ココは静かに走り出しました。目指すのは、この辺りで一際高い「涙の丘」の天辺です。

星鳴きの夜は、何年かに一度、星の一段と美しい夜に起こる大空のお祭りだ――――ココは、そのように聞いておりました。前に起こった時には、ココのお父さんも、お母さんも、それを見たといいます。ココもその場におりましたが、まだ右も左も分からぬ子うさぎでしたから、それがどんなに美しく素晴らしいものか、全く覚えてはいません。ただ覚えているのは、不思議な匂いのする夜だったこと。とても胸がドキドキしたこと。そしてその夜に、ココのお父さんとお母さんがいなくなってしまったこと。それだけは、ココの心にもよく残っておりました。
だから、実を言えば、ココは少しばかり星鳴きの夜が怖かったのです。お父さんとお母さんがいなくなってしまったのは、星鳴きの夜のせいだと、ココは思っておりましたから。それに、満天の星空に魅せられて外へ出てくるのは、何も草を食べる動物たちだけではありませんから。もちろん、ココはその事をよおく心得ておりました。
ですから、最初のうちこそココは、静かに、慎重に進んでいたのです。駆け出しそうになる気持ちを、ひとつ、ひとつ、息をする度に落ち着かせて。けれども、ただでさえ空の星には、あらゆる生き物の心を惹き付ける力があるもの。じっとしていられないのは、ココのせいではありません。空に幾つもの星が輝くなら、私たちだって、それを見上げずにはいられないのですから。
気付けばココは、柔らかな毛並みを星明かりに波打たせて、出せる限りの速さで丘へと駆けておりました。

「……ココ。ココ」

丘まであと少しというところ。昼間なら聞き逃してしまいそうな程小さな声が聞こえて、ココはぎくりと体を縮こまらせました。けれど、ココがその長い耳をぴんと立ててみても、同じ声は聞こえてきません。しかし暫くすると、代わりに草の影が揺れて、そこから一匹のねずみが顔を出しました。緩やかに撓った鬚が、鼻の動きに合わせてぴくぴくと動いています。毛並みは滑らかで、星の光を弾いて澄んだ銀色に輝くようです。その中から、優しく濡れた真っ黒な目が、ココを真っ直ぐに見つめておりました。
彼の名はルル。ココの、たった一人の親友です。

「まあ、ルルも星鳴きを聴きに行くの?」

途端に全身の力を抜いて、ココは明るい声でそう返しました。

「そうさ。決まっているじゃないか」

ルルはそんな風に、小さな胸を精一杯張って言います。それは、どこか澄ましたような言い方でした。ルルはいつも、少しばかり澄ました顔をしています。けれどその髭が揺れているのは、ルルがとても緊張しているという何よりのしるしなのです。ココはそのことをよく心得ておりました。ですから、これも星鳴きの夜の力なのかしらと、少しばかり多めに瞬きをしました。

「何て言ったって、今日はこんなに星が綺麗なんだ。きっと、とても良い音がするに違いない」
「ルルもそう思う?」
「そうさ。この草原に住むものが空を見たなら、みいんなそう考えたと思うよ」

ルルはそう言って、ふと丘の方を振り返りました。ココもつられて目を上げると、丘の左手に広がる森と、その上に広がる夜空との間に、一段と明るい星が輝いています。他の星々は僅かに金色を帯びているのに、その星だけは澄んだ銀色に、そして殊の外明るく輝いておりました。ココは、その美しさに小さく息を飲みました。

「綺麗、あれが「響き星」なの……?」
「そうとも。響き星が東の空で大きく煌めく時、全ての星たちが一斉に響き始めるんだ――――」

ルルは暫くきょろきょろと空を見回しておりましたが、丁度同じものを見つけたようでした。満月のように丸い両の耳が、慌てたようにぴくんと動きます。

「しまった、もうあんなところに出ている」
「急ぎましょう。丘まで少しも無いわ」

そう言うや否や、ココは軽く背を低めて、それから全身の力で勢い良く飛び出しました。
湿った土はココの足を柔らかく支え、隣を進むルルは、その小さな体で草を薙ぎ倒すようにして走ってゆきます。あの煌めくような香りが次第に強くなっていくのを、ココは心臓が痛くなるほど感じておりました。何かがココを引っ張っているようでした。ココの心が、身体が、ココという全てが、空へ空へと駆り立てられていくのです。
まるで転がるように、ココとルルは駆け抜けて行きました。もう丘は見えません。その代わりに、足元の地面は少しばかり角度をつけて……それから段々と急になり……やがて、もう一度緩やかになって。

「――――なんとか、間に合ったみたいだね」

ため息のようなルルの言葉に、ココはしゃっきりと背筋を伸ばして、辺りの様子を窺いました。やはり、夜の草原は危ないという直感があったからでした。けれども、頭の上に広がるそれを見た瞬間にココは、あるかもしれない危険のことなど、全てどこか遠くへやってしまったのです。

それは、ココの目がまん丸になるほど、美しい景色でした。

あわいからでは見えるかどうかも怪しい森の天辺が、今はココの目よりも少し低いところにありました。太陽の下ではくっきり別れているはずの森と草原が、星の下ではほとんど見分けのつかないほど、同じ夜の色に染まっています。そしてその上には、ルルの瞳よりも深い黒をした夜の空が、大きく、そして高く、ココたちの上に広がって、あのなんとも言えない煌めくような香りを、ふんわりと降らせているのでした。
闇の中に濃い青を一滴垂らしたような空。そこに星の光は、まるで虹を帯びたように瞬きます。手の届かない、遥か高みに光るそれは、しかし庭から見上げた時よりも明るく、くっきりと浮かび上がって見えました。草木が風に靡く音はどこか遠くから聞こえて、代わりにココの心臓が、星の瞬きと同じリズムを覚えて、それをゆっくりと刻み始めておりました。

「……綺麗」

ココはぽつりと、そんな言葉を呟きます。

「そうだね。世界で一番、綺麗な空だろうね」
「ええ。きっとそうよ」

ルルの小さな呟きに、ココもまた、小さな呟きを返しました。何かとても張りつめて、少しのことで千切れてしまうような、そんな雰囲気が、丘の上には漂っておりましたから。
来てしまった。と、ココはそう思いました。小さかった頃は行きたくても行かせてもらえなかった、みんなに止められて諦めるしかなかったその場所に、ココは今、立っているのです。
ココを止めた大人のうさぎはみんな、星鳴きの夜に丘へ出掛けていって、そして、それきりココは彼らに会いませんでした。お父さんもお母さんも、やはりそれきりでした。きっと人間に捕まったのだとか、一緒に星になったのだとか言う者もいましたが、本当のところはココにも分かりません。結局みんな星鳴きの夜に消えてしまって、今ではココひとりきりなのですから。それでも、彼らがここへ来た理由は、ココにも何となく分かる気がしていました。ここに来るまでに感じた、この不思議な高揚感が、きっとその全てなのだろう。ココはそのように感じました。
きっと大人のうさぎたちは、ただ、この星空に引き寄せられてしまっただけだったのです。

「――――ココは、何をお願いするんだい?」

ルルは、何気なくそんなことを訊きました。
ココは空を見上げたままでしたので、ココを見上げるルルの、その不安げな顔には気付きませんでした。

「……お願い?」
「そう、お願いだ。響き星が空の真ん中に来た時、二度大きく瞬くだろう? その間に、お願いをするのさ」

そんなことも知らないのかい、とでも言いたげに、ルルはそう答えます。それからはっと息を呑むと、しょんぼりと背を丸めて、ごめん、と呟きました。ココが初めて星鳴きを聞きに来たことを、ルルはほんの一瞬忘れてしまっていたのです。
けれど、ココは星空に見とれながら聞いておりましたので、ルルが落ち込んでいることには気付きません。ただあやふやに、ええ、とだけ返事をしました。
ココは空を見上げながら、星の美しさと、お願いという、その二つのことについて考えていたのでした。なんだか、出来過ぎているような、そんな気がしました。お腹がいっぱいになった時に、大きくて甘い、とっておきの人参のことを思い出したような、そんな感じになったのです。それは、ココがそう思うというより、半分くらいは今見上げている空から降ってくるような、そんな感じだったのですが。

「――――ねぇ、ルル」
「何だい?」

ココは、ゆっくりと瞬きをしました。開いたココの目に、満天の星空が映りこんでいます。それを、ルルは何も言わずに、ただ黙って見つめていました。緩やかに撓った鬚が揺れます。心の中では、とても、とても不安な気持ちでおりました。ルルは、星鳴きを前にも見たことがあります。星鳴きを見た時に何が起こるのかも、ルルは全て知っていたのです。ですから、ルルは星を見上げるココの目を見て、心の底から悲しい気持ちになりました。

「これだけ素敵な夜空を見て、素敵な匂いを嗅いで、素敵な音楽を聴いて――――それでお願いまで叶えてもらおうだなんて、なんだか、欲張り過ぎじゃないかしら」

返事はありません。
その代わりに、鋭く息を飲む音が、ひとつだけしました。

「私たちは、お星様のお願いを、聞いてあげるべきだと思うの。だって、きっとこれだけのことをするのは、とっても大変だもの」
「――――ココ」

ルルは、ひどく強張った声でそう言いました。

「……なあに?」

ゆっくりと空から下りてきたココの視線を、ルルはその大きな黒い目で受け止めました。それから、少しばかり背伸びをして、ココの右手をしっかり両手で包み込みました。

「ココ。星に願いを掛けるのは、自由だよ。それは僕らの自由だ。だけどね、星に恋をしちゃダメなんだ。それをしたら星は、ココのお父さんやお母さんと同じように、ココを、ココのことを好きになって、連れて行ってしまうのだから――――」

 ルルがまくし立てるように喋るのを、ココは、ただぼんやりと見つめておりました。

「それ、本当なの?」
「本当だよ――――僕は、ココのお父さんとお母さんが星に恋をするのを見た。ココのことなんてもう覚えていないみたいに、二人は星に惹かれて行ってしまったんだ。草原のことも、森のことも、あわいのことも、全部忘れてしまったみたいに」

まどろむような、ゆっくりとした瞬きの後、ココの目の中に星の光が宿っているのを、ルルは見ました。心臓がぎゅっと締め付けられる、そんな痛みが、ルルの心を満たしました。

「ココ。ダメだよ。行っちゃダメだ」
「……私、それでもいいかもしれない」

ココは、ふわりと笑います。それを、ルルは半分泣きそうな顔で見ておりました。細くしなやかな髭が激しく上下に揺れて、ルルの体の震えがココにまで伝わってきます。それは、酷く苦しいことでした。ココの心はちくりとしました。けれど、空から降ってくる星のリズムが心を揺らす度、その痛みは少しずつほぐれて、やがて薄れて、消えてゆきました。
ルルは、ココを揺らす星のリズムを、包むように握ったココの右手から感じていました。

「いいのかい? それじゃ、それじゃココは、一人だ」

 ココはそっと目を閉じて、それから、左手をルルの手に乗せました。ルルの手の震えを宥めるように、優しく、優しく、その手でさすってやりました。

「大丈夫。私、きっと戻ってくるわ」
「……ココも、同じことを言うんだね。みんな、同じことを言う」

ルルはそう言って、それから少し笑いました。わざと、声を出して笑いました。その方がいいような気がしたからです。その方が、辛くないような気がしたからです。

「分かったよ、待ってる。帰ってきてね」
「ええ」
「絶対にだよ」
「絶対に」

 柔らかく微笑むココに、ルルは何か言いたげな顔をしましたが、すぐにそれを飲み込んで、ただ、ひとつだけ頷きました。そして、あの素敵な匂いがぐっと強くなるのを感じて、もうひとつ、頷きました。ぎゅっと力が入ってしまった両手を、ココはただ、静かに静かに、さすっていてくれました。

 それから、りぃん、とひとつ空が鳴り。

「――――始まるわ」

ココが弾かれたように顔を上げましたので、ルルもそのままつられて、夜空へと視線を飛ばしました。真ん丸に見開いた目に、小さな煌めきが、幾つも幾つも映り込みます。
満天に広がる星、そのひとつが大きく揺れたかと思うと、ガラスの破片のような美しい音を立てながら、地平線の向こうへ駆けてゆきました。それを見送ると、今度はまた別の星が、大きく揺れて、そして駆けてゆきます。星の駆けた後に、細くリボンのような跡が残って、やがて、ゆっくりと消えてゆきました。それはまるで、夜空に大きな絵を描いているように見えます。絶え間なく変わっていく星空に、ココとルルは、何も言わずに見入っておりました。 
ひとつが流れるともうひとつが、もうひとつが流れるとまたふたつが、後から後からとめどなく現れて。ただのひとつとして、同じ音を奏でるものはありません。幾重にも重なった星の軌跡が、その音が、香りが、柔らかい波となって夜空を揺らし、手を取り合ったココとルルの心までをも、そっと揺さぶるのです。それは、この世に又とない、素敵な素敵なひと時でした。

いつの間にか正面に昇った響き星が、ふたりの目を射抜こうとするように、ちかり、ちかりと瞬きました。その時が来たのです。ココとルルは顔を見合わせ、小さく微笑みあい。そして、ほとんど同時に、響き星を見上げて。

「「お星様。お星様。もし、叶うのなら――――」」

   *  *  *

 まだ、夜空に白い帳がなかった頃。この世界は果てしなく広く、聳え立つ大きな灰色の壁も、目を射るような灯火もなかった頃。ただ空に浮かぶいくつもの輝きだけが、その柔らかな光で世界を照らしていた頃。私たちがここに生まれる、そのずっとずっと前に、こんな出来事があったのだといいます。
 本当でしょうか?
それ以来、星を追ううさぎは無事を知らせるために、夜にはその影を月に送るようにした、とか。帰りを待つねずみは星が出始めると、今は街になった草原でうさぎを探し歩くようになった、とか。夜空に輝く星々は、時々生き物の心臓のように脈打つ、とか。
本当、でしょうか?

――――それは、空に輝く星だけが知っているのです。

おしまい 
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第二十九回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2014.12.31(Wed) 20:24
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