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SHINOBISM


 令和——。日本の新たな元号として制定されたそれは、「万葉集」の梅花の歌、三十二首の序文「時、初春の令月にして、氣淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」を出典としている。
「揃ったか」
 頭目の甲賀勘八郎が地面を震わせるような低い声で言った。ここは甲賀の里と伊賀の里の中央に位置する山の中、大自然に囲まれた木造の小屋だ。そこに彼ら甲賀の忍4人は集められていた。腕を組んで部屋の中央に立つ勘八郎と、それを囲むようにして跪く4つの黒い影。並ぶ忍装束は宵闇に紛れ、気配すら感じさせない。
「いよいよ今夜だ。平成最後の合戦では辛酸を嘗めさせられたが、今回はそうはいかせん。今年こそは伊賀の奴らに一泡吹かせてやろうじゃないか」
 勘八郎はそう言って、小屋の扉を開け放った。朧月が小屋を照らし、忍装束を纏った5人の輪郭はぼんやりとだがようやく露わになる。顔まで覆われているせいで表情は見えないが、誰もがその眼を爛々と輝かせ、開戦を今か今かと待ち望んでいた。
 そう、今宵は遥か昔、江戸の頃から続く忍たちの力比べ、「忍者合戦」の令和最初の回が執り行われることとなっていた。忍者合戦とは、伊賀、甲賀両方の里から実力のある忍が5人ずつ出陣し、勝ち抜き戦でその技を競い合う戦である。本来であれば10年に1度しか行われないこの合戦だが、元号が変わった年にだけ特別にその区切りを無視して開かれる。忍者というのはかなり体力のいる職業であり、同じ人間が10年後の合戦に続けて参加することは当然ながら難しい。——2015年に行われた15回目の合戦、平成最後の忍者大合戦として今でも語り継がれているその合戦では、現頭目の勘八郎も出陣し、得意の土遁の術と卓越した苦無捌きで伊賀の里の代表を3人も破る快挙を成し遂げたが、伊賀の現頭目である伊賀蟹蔵の水遁の術の前に敗れ去り、そのまま合戦も敗北していた。本来ならば再び術を交えることは難しかった2人であるが、今回元号が変わったことによって奇跡的に衰えぬ身体のまま再び相見えることとなったのであった。
 勘八郎は頭目である。彼は甲賀の長として、合戦の勝利を第一とせねばならない。この合戦に勝てば、次の合戦までの間甲賀の里は、伊賀は元よりのこと他の里からも一目置かれる存在となる。昨今、忍を必要とする人々も段々と減ってきており、たまに声がかかったかと思えばやれテーマパークの忍者ショーだの忍術体験会だのの依頼ばかりで、伝統と格式を重んじる忍にとっては辛いものがあった。しかし合戦に勝った里は、その強さを国から認められ、ボディーガードなどの依頼を受けることも増える。里の発展と皆の生活のためには、何よりも合戦で勝つことが大切なのである。……しかしながら、勘八郎は頭目である以前に一人の男であり、忍であった。彼には雪辱を果たさなければならない相手がいる。蟹蔵の性格を考えれば、恐らく自らが大将として出陣してくるだろう。戦術の上ならば、勘八郎も大将となり、体力を温存しておくべきだ。しかし、彼は甲賀の代表たちの実力をよく知っていた。今年の甲賀は平成最後の合戦の時とはひと味もふた味も違う。秘密兵器も用意した。彼が危惧していたのは、自分の出る幕もなく合戦に勝ってしまうことだった。無論、伊賀の代表も精鋭揃いではあることだろう。しかし甲賀の秘密兵器、あれが良くなかった。あれが上手く働けば、大将の出番など到底ありはしないだろう。男勘八郎32歳は、里と己の狭間で揺れていた。
 月影の中でなにやら物思いにふけるような表情を見せる頭目を、後ろから見つめる男がいた。彼の名は鵜飼双六。甲賀の代表5人の中では最も若く、まだ20歳前の少年である。彼もまた、今回の合戦において1つの悩みを抱えていた。伊賀の里の代表の1人である、百地難波。彼と双六は旧知の仲であった。伊賀と甲賀は世間では抗争のイメージが強く根付いているが、実際のところその関係は極めて良好である。特に双六や難波のような若い世代は、親同士の仲が良いこともあって、物心ついた頃から共に野山を駆け回り修行をするような中であることも珍しくはなかった。幼馴染といっても良いだろう難波と本気で争わなければならないことに、双六は抵抗を覚えていた。合戦は模擬試合とはいえお互いの術を本気でぶつけ合う。大怪我を負うことも少なくはなく、現に頭目の勘八郎は、平成最後の合戦で負った傷が癒えるまでに半年を費やしている。それほど危険な合戦なのだ。双六は瞼を閉じ、難波の顔を思い浮かべた。彼の記憶の難波はいつも挑戦的な笑顔を浮かべており、それは寡黙な双六とは対照的な難波の軟派な性格を良く表していた。共に修行を積んできた10年余を思う。決して、負けるわけにはいかない。それでも、双六は難波を傷つけたくなかった。それは彼の優しさ故だ。虫も殺せぬ双六に、今回の合戦は些か酷なものであった。拳を固く握り、天上の月を見上げる双六。
「そろそろ行くぞ」
 勘八郎が厳しい表情で告げる。合戦の地はこの山中のさらに奥深く、山頂に近い場所である。
「……はい、頭目」
 双六は、覚悟を決める。難波の実力は良くわかっていた。加減をして勝てる相手では到底ない。里のため、そして己の沽券のために。双六に瞳に、最早迷いはなかった。
 
 一方、山頂を挟んで反対側、伊賀の里に近い場所にある山小屋。そこで難波は己の忍刀を丹念に磨いていた。小屋の中には、伊賀頭目の蟹蔵の姿も見える。
「……頭目。俺は、本当に戦うべきなのでしょうか」
 難波がぽつりと独り言のように呟く。彼もまた、迷いがあった。
「……難波。俺が前回の合戦にも出ていたことは知っているな」
「はい。頭目の怒涛の4人抜きは今でも語り草ですからね」
 前の合戦で伊賀は、甲賀側の先鋒であった勘八郎に立て続けに中堅までの3人を破られたが、副将であった蟹蔵が逆に怒涛の4人抜きを果たし、大将まで引きずり出したのであった。
「俺が倒した忍の中には、俺の幼馴染もいたんだ。……小さい頃からずっと一緒だった。里は違えども、俺たちは確かに親友だった。だが、奴は死んだ。俺の放った水遁の術に耐えきれず、そのまま山道を濁流に流されていって……」
 蟹蔵は立ち上がると、小屋の戸に手を掛け、勢いよく開いた。小屋の中は月明かりに満たされる。そのまま蟹蔵は続けた。
「……俺は今でも奴を夢に見るよ。奴の伸ばした手が、あの表情が、今でも記憶に残っている。……戦とは、そういうものだ。忍とは、そういうものだ」
 ゆっくりと、難波の方へ向き直る蟹蔵。その表情は、難波からは逆光で見ることができなかった。
「お前がもし忍を辞めたいのなら、俺は止めない。好きにするといい。誰も責めやしないさ。……だが、それでもまだ忍でありたいならば、お前は今日を乗り越えていかねばならぬ。情けは捨てるのが、身のためだ」
 蟹蔵はそのまま小屋の外へ消えていった。小屋には1人、難波だけが残される。唇を噛みしめる難波。その表情からは、未だ迷いは消えていなかった。
「俺だって……」
 吐き捨てるような呟き。覚悟はしていたつもりだった。この合戦のためにこれまで修行してきたと言っても過言ではない。百地難波は、伊賀忍術の祖と言われる百地家の末裔であった。彼にとって、世界とは忍の道でしかなかった。無論、蟹蔵がそれを知らぬわけはない。知っているからこそ、あのような物言いをしたのであろう。難波は望んで忍になったわけではない。それ故に、彼は苦悩していた。
「難波くん、大丈夫?」
 先程から小屋の戸口から覗き込むようにしていた少女が、難波の様子を見かねて声をかけた。彼女の名は竜子。伊賀の女忍者であり、また難波とは恋仲であった。竜子は度々難波から忍であることへの苦悩について聞かされていた。彼の気持ちをよく知るからこそ、彼女は今回の合戦に対して不安な気持ちを抱いていた。勝ったとしても負けたとしても、難波は深く傷つくことになるだろう。ましてや、甲賀には難波の幼馴染の双六がいるのだ。2人が争う姿を、竜子は見たくなかった。しかしそんなことを難波に直接言えるはずがない。だから——。
「あのね、難波くん。今日、私を先鋒にしてくれるよう、頭目にお願いしたの。だから、難波くん、応援しててね」
 だから、彼女は自ら先鋒を選んだ。自分が甲賀の忍全てを、双六さえも倒してしまえば、難波は戦わずにすむ。そうすれば、彼はもうこれ以上苦しまずにすむはずだ。もちろん、彼女の本当の目的は誰も知らない。彼女はただ、私が最初に出たいとだけ頭目に伝えた。誰にも知られてはならない。もし難波が知れば、彼のプライドは大いに傷つくだろう。彼が望んだわけではなくとも、それでも彼は忍なのだ。忍とは、耐え忍ぶこと。彼がいかに苦しんでいようとも、忍であるからには、それに耐えねばならない。
「竜子が先鋒なのか。こりゃ俺の出番はないかもな、はは。……頼むよ、竜子」
「うん。だから……、どうか、無理しないでね」
 見つめ合う2人。いつの間にやら戻ってきていた頭目が声をかけるまで、2人はしばらくそのままだった。
 
 朧月がちょうど頭上に昇る頃、甲賀と伊賀、双方の忍たちは山頂近くの広場に向かい合って並んでいた。
「いよいよ始まりますね。実況は私平石が務めさせていただきます。解説には、前合戦で伊賀の大将として活躍されていた服部正則さんに来ていただきました。よろしくお願いします」
「うむ……!」
 広場には忍達以外にも人の姿が見えた。この合戦は一部の界隈でカルト的な人気を博しており、某大手動画サイトなどで配信も行われている。そのため、スポーツ中継のように戦いの実況、解説を行う者や、撮影、配信を行うカメラマンなど、おおよそ忍者合戦には不似合いな面子も集まっているのであった。向かい合う忍達を臨むように用意された実況・解説席。実況席にはe-sports等の実況で有名な平石祐佑が、解説席には前合戦で火遁、土遁などありとあらゆる遁術を使いこなし、圧倒的な実力を見せつけた忍、服部正則がそれぞれ着席し、合戦の開始を今か今かと待っていた。
「伊賀、甲賀からそれぞれ選ばれし5人。彼らが鎬を削り、忍者の頂点を決める戦いの聖地へようこそ。第16回忍者合戦――開幕!!」
 スペシャルアンバサダーの三重県知事が号令をかけるのとほぼ同時に、両里の忍達が割れんばかりの歓声を上げる。いよいよ合戦が始まった。
「まずは初戦、先鋒同士の戦いです。解説の服部さん、どのような忍が先鋒を任されることが多いのでしょうか?」
「うむ……!」
「これまでのデータによると、先鋒は試合の流れを掴める動きの速い選手が置かれることが多いようですね。ありがとうございます」
 実況・解説席では、すでに始まっている配信に合わせてトークが繰り広げられている。そう、忍者合戦とは忍達の命運と沽券をかけた戦いであるのと同時に、大衆にとってのエンターテインメントでもあるのだ。動画配信サービスでの同時接続数は既に1万人に達している。大勢がパソコンやスマートフォンの前で合戦の様子を見守っていた。
「これより第1試合を行います。伊賀、甲賀、それぞれの先鋒、前へ!!」
「それじゃあ、行ってくるよ。ちゃんと見ててね、難波くん」
 竜子は難波の手をとると、祈るようにして言った。彼女の両の手が、その小さな肩が、怯えるように震えているのが、難波にもはっきりと伝わる。
「ああ、俺は竜子を信じてるよ。竜子の実力は俺が誰より知ってる。負けるはずないさ」
 難波の言葉は嘘ではなかった。彼は彼女がどれだけ努力してきたのか、どれだけ辛い思いをし、どれだけの血と汗と涙を流してきたのかを知っていた。彼女の腕は最早そこいらの男に劣るようなものではなかった。彼女の戦う姿はその名の通り竜のように猛々しく、平時の花のように可憐な姿からは想像もできないほどだ。難波はここ数年、彼女が誰かに不覚をとる姿を見ていない。そんな彼女だからこそ、彼は心の底から勝利を信じて疑わなかった。
「伊賀の里より、先鋒、竜子、参ります」
 柿渋の装束を身に纏い、名乗りを上げる竜子。一度忍装束を纏えば、そこに怯える少女の姿はすでに無い。仲間達の怒号のような声援を背に受け、竜子は戦場に立った。その背中を、難波は信頼を込めて見つめる。大丈夫、負けるはずがない。彼女なら、きっと――。
 ――そのとき、大地が嘶いた。
 先ほどまでどこに隠れていたのか。甲賀の人並みを掻き分けて、聳え立つ巨大な影。白んだ月影に照らされ、在ってはならない異形がそこに立っていた。黒々とした巌のような体躯。身長は目算で2.5mはあるだろうか。到底忍とは思えない巨体は、一歩踏み出すだけで地面を震わせ、空気を軋ませていた。
「……甲賀の里より、先鋒、金剛寺呂美雄だ」
 伏し目がちに勘八郎が告げる。それが広場に立ちはだかる異形の名であった。忍装束の隙間から覗く瞳は、人間のものとは思えない。
「服部さん、あれは……?」
「うむ……!」
 服部の言うとおり、彼こそが甲賀の秘密兵器であった。禁術によって改造を施したその体は、もはや人の限界を超えていた。合戦に禁じ手はない。各々のモラルに委ねられているそれを、甲賀の里はギリギリのところで破ろうとしていた。
 雄叫びを上げる金剛寺。その悲鳴のような叫びは、竜子から戦意を奪い去るには充分すぎた。
 竜子の背中越しに、伊賀の忍達に絶望が伝わる。ソレが明らかに異質であることは、場にいる誰もが理解できた。伊賀だけでなく、甲賀の里にも焦りと同様の色が見えた。おそらくは全員に彼の存在が伝えられていたわけではないのだろう。誰一人、声を上げることができない。金剛寺の雄叫びで世界から全ての音が掻き消されたかのようだった。果たして、金剛寺に理性は残っているのか。その姿は人よりもむしろ野獣に近い。
「し、試合開始ィィィ!」
 呆然としていた司会がやっと我に返り、試合開始の号令を掛ける。その刹那、金剛寺の巨体が姿を眩ませた。狼狽えた竜子が辺りを見回し、金剛寺の姿を捜す。忍であれば、土遁や水遁で姿を隠すのは得手である。しかし金剛寺の消失は、遁術を使ったにしてはあまりにも早すぎた。
「服部さん、これは一体どんな術を……、え?」
 服部は空を見上げていた。会場の人々もそれに気づき、同じように天を仰ぐ。いつの間にか空を覆う薄い雲は無くなり、澄んだ夜空が広がっている。――そこに。
「そんな……」
「あれってまさか……?」
「おい、嘘だよな?」
 ざわめく忍達。見上げた空には、爛々と輝く月とは別に、もう一つの影。まるで凶つ星のように、ソレはそこに在った。その身ひとつで宙に舞い上がった黒の巨人は、隕石のような勢いで大気を切り裂き、竜子めがけて落下する。その巨体からは想像もつかないほどの身軽さだった。
 竜子が息を呑む。躱せる速度の落下ではなかった。すんでのところで身を捩り直撃を避けようとするが、金剛寺の落下の衝撃は予想を遙かに凌駕していた。空気が震える。ただ飛び上がり、落ちる。それだけの動作で、広場には大きなクレーターができていた。
 肩を押さえ蹲る竜子。躱しきれなかった衝撃波による負傷で、腕が上がらなくなっていた。無防備な姿を晒す竜子に、金剛寺がゆっくりと歩み寄る。
「竜子!」
 叫ぶ難波。これが忍のやることか、と彼の頭の中は怒りと混乱で満ちていた。忍者合戦は、礼節と伝統を重んじる忍達が磨いた技を競い合う、言うならば忍のオリンピック的行事なのだ。それなのに、今目の前で繰り広げられているのは何か。礼節とはほど遠い、ケダモノによる虐殺だった。こんなことが、こんなことが許されてなるものか。
「勘八郎、貴様……!」
 勝てばそれでいいのか、と抗議するように勘八郎をにらみつける。一方勘八郎は、憂鬱そうな顔で溜息をついていた。……元々、この秘策は彼が思いついたものではなかった。恐らく次の頭目になるだろう副将の骨川、彼が合戦の数日前に突然持ち込んだ計画だ。無論、勘八郎は乗り気ではなかった。しかしながら、甲賀の里の実権を握っているのは、知力と若さを備え持った骨川である。彼が白と言えば、烏さえも白になってしまうのが今の甲賀だ。勘八郎にもはや以前のような力は無かった。それ故に、この秘密兵器も受け入れるほかなかったのである。
 金剛寺が背の刀を抜いた。凶刃が竜子に迫る。振り下ろされる忍者刀は、瀑布のごとき勢いで竜子の首筋を狙う。大地をも殺しかねない一撃は、しかしすんでのところで、竜子の首には届かなかった。
「……頭目」
 激しく鍔迫る音。竜子と金剛寺の間で凶刃を受け止めたのは、伊賀頭目、蟹蔵だった。
「いくら禁じ手がないって言っても、こいつは少しばかり度が過ぎるんじゃないかい、甲賀さんよ」
 金剛寺の一撃をいなすと、蟹蔵は勘八郎に向き直りきつい語調で詰め寄った。もちろん、合戦の形式で見ればルール違反である。しかし――。
「そっちがそこまでやるっていうなら、こっちもそれなりにやらせてもらうぞ。なんせ禁じ手なしだからな」
 両里の忍がざわつく。いくら勝つためとは言え、甲賀の策は確かにやりすぎだろう、と皆が感じていたのだ。
「これはどうなるのでしょうか、服部さん」
「うむ――」
「やはりこれは、そうでしょうね」
 うなずく服部と平石。司会が叫ぶ。
「たった今、今回の合戦は特例として、勝ち抜き形式ではなく総力戦にすると運営からの通達がありました! よって合戦は続行とします!」
 忍達から割れんばかりの歓声が上がる。と同時に、難波が弾丸のように飛び出し、勘八郎に向けて刀を振りかざした。しかしその特攻は、横から飛んできた火球によって阻まれる。
「双六、貴様ッ……!」
「すまないな難波、俺たちも負けるわけにはいかないんだ」
 難波の対面に立ちはだかる双六。火球は彼の得意とする火遁の術によって繰り出されたものであった。その技に加減はなかった。双六は殺すつもりで来ている。難波の背筋に悪寒が走った。――俺も、殺すつもりでやらねばならない。
「俺たちの戦績、覚えてるか? 双六」
「俺の4502勝4322敗だ。そうだろう?」
「良く覚えてるな。でも最後に勝つのは俺だぜ。……俺だかんね」
 高く飛び上がる難波。双六もそれをまた空中で迎え撃つ。月影に照らされ、二人の刀が交差した。
 その後ろでは、蟹蔵が一人で金剛寺を押さえ込んでいた。力任せに振るわれる金剛寺の刀が瀑布であるならば、蟹蔵の太刀筋は旋風だった。台風の金剛寺の猛撃を、いなし、払い、打ち落とす。間断なく広がる無数の剣戟、鋼の嵐を、刀一つで押さえ込む。間合いの差、膂力の差、体力の差、その全てを己が技量で凌駕するその姿は、まさに頭目であった。
 その様子を、不敵な笑みを浮かべて静観する男がいた。彼こそが骨川。黒の凶人をこの合戦に送り込んだ張本人である。彼の真の狙いはここにあった。混乱する戦場で、伊賀の忍たちを足止めさせる。そこに彼の渾身の遁術をたたき込めば――。高笑いをする骨川。忍達が気づいたときにはもう遅かった。
「時は満ちました。見なさい、これが私の――!!」
 両手を天に掲げる骨川。刹那、光が迸
 
§
 
「あ、しまった」
 はぁ、と大げさに溜息を吐く。私としたことが、ペンのインクを切らすだなんて失態を犯すとは。
「お母さん、駅前の世界堂って何時まで開いてたっけ?」
「お母さんに聞かないでよ、あんたいつも学校帰りに寄ってるんだから明日でいいんじゃないの?」
「明日が締め切りなんだよぉ、また原稿落として部長にどやされちゃうよ」
 やれやれ、と私は新聞のインクを煮たような味のするコーヒーを啜った。ラジオからはビートルズのビコウズが流れていた。私は頭を振った。まずはインクをどうするべきかを考えよう。原稿の完成はその後でも遅くない。物事は順序を間違えるとろくなことにならないと、私はうすうす気がつき始めていた。
「あ、世界堂、9時までだって」
「あと30分しかないじゃない。ちょっと急いで行ってくるね」
 私は急いでコートを着込む。まるで昆虫が変身をしていくように。玄関の扉を開けると、凍てつく白銀の荒野が広がっていた。雪だ、と私は呟いた。恐ろしく静かな雪だった。小さな砂糖菓子のような雪が一面に広がる。彼らはまるで溶け去ることを拒否しているみたいだった。そっと目を閉じるような、ひそやかな雪だ。
 人間というのは大別するとだいたい二つのタイプにわかれる。つまり小説を書く人間と書かない人間である。別に前者が読書好きで語彙力があって承認欲求が強くて後者がその逆で、とかいうわけでもなく、ただ物語を作りたいかどうかという単純な次元の話である。そして私は前者だ。しかしどういうわけか、私は純文学を書いているつもりなのに、周りからするとそうではないようだ。やれやれ。
 私はビーチ・ボーイズの「アイ・ゲット・アラウンド」を数小節分、鼻歌で歌った。冬の町で雪がそれ以外の全ての音を吸いこんでいた。まるで宇宙の中に私一人だけがとり残されたような気分だった。母は言う。私は小説家になってもいいし、ならなくてもいい。大学に行こうがそのまま働こうが、私が何をしようと私の自由だ、と。ただ、私は思う。ここから先は未知の領域だ。地図はない。道の先に何が待ち受けているかわからないし、見当もつかない。せめて私は私の夢に地図を持ちたかった。今書いている小説はそのためになるかも知れない。それはまるで暗い森を一人彷徨うときの松明のように。
 世界堂でお気に入りの万年筆のインクを手に取る。私は必ずこのインクと万年筆で小説を書くと決めていた。とるに足らないルールだ。でもそれを決めたときの私には、それがすごく大事なことに思えた。風の中でマッチの火を消さないみたいに大事なことに。
 早く帰って続きを書こう。せっかく筆がのっていた所だったのに。冷凍された死体のように凍り付いた町をいそいそと歩く。本当は知っている。完璧な小説なんて存在しないことを。完璧な絶望が存在しないように。それでも私は、ありもしない完璧を探すのだろう。砂浜に水を撒くような途方もない作業だ。それでもいいさ。堪え忍ぶのが、忍か。やれやれ。
 固くもなく、べっとりと湿ってもいない雪が降り始めたが、その殆どは、ゆっくりと空から舞い降り、積もる前に溶けた。インクは手に入れた。次は私の書く小説について考える番だ。間違えないように、松明が消えないように。
 
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第三十七回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2019.08.14(Wed) 04:35
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