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 君は、まだあの場所にいるのだろうか。
 とうに日は落ちていた。車窓から見えていた長閑な田舎の風景も今では深い闇に覆われ、がらんとした無人の車内を半透明に映し出すばかりだ。ぼんやりと、何の意味も無く窓の外を眺めるこの時間が僕は好きだった。高校生のころから怠惰を絵に描いたような男だった僕は、よく昼前の人もまばらな電車に乗って、大幅な遅刻を気にも留めず登校していた。高校を辞めることもなく通い続けた理由は、単純にやめるほうが手間だったからだ。高校さえ卒業してしまえばあとは勝手に大人になれるのだと思っていた。大人にさえなればあとはただ死ぬまで生きていくだけで、そこに理由なんて無くて。あの日、君と出会うまでは、ずっと。
 ぎぃ、と全身が軋むような音を立てて電車が止まった。終点を知らせる車掌のアナウンス。夜の帳を切り取るようにして開かれた自動扉から、僕はゆっくりと見慣れたホームに降り立つ。ぬるい夜風が頬を撫ぜる。あの日と同じ満月が僕を照らしていた。駅の明かりが眩しいせいか、晴れているのに星は姿を眩ませているようだ。片田舎にある割には大きめな改札をくぐり、西口から僕が数年前まで住んでいた住宅地を突き抜けるようにして歩く。時刻は夜十一時半。こんな時間に閑静な住宅地を歩く人などいるはずもなく、ところどころ明かりの溢れる窓から家族の話し声やテレビの音が聞こえるばかりだ。僕の住んでいた家はもう二本隣の路地沿いにあるけれど、今日ここに来た目的はいまや誰も住んでいない実家を見に来ることではなかった。黙々と、一人暗闇を歩く。向かう先は決まっている。夏の満月の夜。君はきっと、あそこにいるはずだ。

◇ ◇ ◇

 彼女と初めて出会ったのは高校二年の時だ。一年生から二年生になるときにクラス替えがあった。僕は友達が多い方ではなかったから、仲のよかった友人とクラスが離れてしまったことばかりに気をとられて、他のクラスメイトなど気にも留めていなかった。そこに、その意識の外側、思いがけぬ世界に彼女はいた。
「へぇ、沢渡君、絵上手いんだね」
 それは五月の連休明け、まだ休み気分の抜けきらない午後、美術の時間のことだった。座学の授業に比べれば、こういった手を動かす授業が僕は好きだった。特に美術は、小さい頃からずっと絵を描いてきていたから、人よりも大分得意な自信もあった。でも、それを面と向かって言われたのは初めてで。しかも話しかけてきたのは。
「私、楠木志織。話すの初めて……、だよね?」
 顔もろくにわからないような、同じクラスになったばかりの少女だった。長い黒髪を高いところでポニーテールに結わえた、少し不揃いな前髪の少女。出席番号順に円く並べられたイーゼルの左隣から、彼女は僕の描く油絵をまじまじと見つめていた。
「ごめんねー急に。あんまり上手かったから、つい。元々やってたの? 油絵」
「あ、いや、うん、そう。元々絵は好きだったから、趣味程度にだけど……」
「そうなんだ! すごいなあ、私音痴だから音楽嫌で美術選んだけど、絵もてんでなんだよね……」
 あはは、と笑いながら言う彼女のキャンバスには、確かによくわからないもやもやした何かがめちゃくちゃに塗りたくるように描かれていた。
「確かにこれは……、ちょっと……」
「あはは、私も自分でひどいなとは思う。沢渡君の絵とは大違いだね」
なんの嫌みも無くそうすっと言ってのける彼女――楠木の伸び伸びと育つ若木のようなまっすぐな善良さに僕は驚かされた。根暗で人と話すのもあまり得意でない僕にとって、楠木のその朗らかな笑顔、快活な雰囲気は、あまりに眩しすぎて。今思えば、一目惚れだったのかも知れない。
 彼女と仲良くなるまで、そう時間はかからなかった。彼女のその社交的で明るい性格は、僕のような人間でも拒むことを知らない。少しずつ話す回数が増えていき、一緒にいる時間も長くなっていった。友人の多い彼女は交友の輪も広かったけれど、僕のどこにそんなに興味を持ったのか、休み時間や放課後など、かなりの頻度で僕の前に現れた。
「ねえ、沢渡君」
「ん?」
 それはとある夏の日、あまりに青すぎる八月の午後。夏休みの課題を終わらせよう、と、僕ら二人は図書館に集まってうんうん唸っていた。一時間半ほど経ったころだろうか、唐突に楠木が僕の名を呼んだ。
「沢渡君ってさ、何になりたいの?」
「何って、何?」
「君のなりたいものだよ」
まるで要領を得ない会話。あまりに唐突な質問に僕は困惑する。
「沢渡君、全然頭悪いわけじゃないのに、テスト勉強しないから成績微妙だったし、部活とかだって入ってるわけじゃないし。学校に来るのも遅刻が多いから、何か別な目標とか夢とかあってそうしてるのかなって。勉強も部活も意味ないし! みたいな?」
「ああ、そういう意味ね……。とくにそういう訳じゃないよ。やる気が無いだけ。できるならこのままダラダラと過ごして、卒業して、適当な会社にでも入って、適当に……」
「そんなのもったいないよ」
 強い語調で否定する楠木。司書が眼鏡の下からきつい眼光で抗議の意を示してきたので、僕は思わず首をすくめた。
「急にどうしたのさ、楠木」
「だって、もったいないじゃん。せっかく色々できるだけの能力も時間もあるのに、最初から全部捨てちゃうなんて。沢渡君、絵、得意じゃん。そういう道とかだめなの?」
「絵、絵か……」
 僕はこれまで、自分の絵に関して趣味程度にしか考えていなかった。それが急にそんなことを言われても、正直何も考えられない。
「うーん……、とりあえず今は課題やらない?」
「あっ、それもそっか」
 再び僕らは黙々と課題に取り組み始めた。けれど、僕の頭の中には楠木の「もったいない」という言葉が呪いのようにこびりついて消えることがなかった。

◇ ◇ ◇

 長く長く続いた寂しげな住宅地を抜ける。一時間ほど歩いただろうか。さすがに深夜にもなるとどの家も明かりは落ち、街は死んだように静かになっていた。よく登下校に使っていた通りが見えてくる。突き当たりの丁字路を左に曲がった。
錆び付いたカーブミラーが月明かりを反射している。この路地をまっすぐ進み、二つ目の角を右に。鼓動が早まる。物音一つしない真夜中の道路。石塀の上からくの字に折れ曲がって向日葵が枯れているのが見えた。角を曲がる。右手に目的の公園が見えてきた。夜の街の中でも、この公園は圧倒的に静けさの密度が濃い。期待に反して、公園には誰もいなかった。駄目だったか。頭上、遙か遠くで満月が嘲る。僕は肩を落として、公園の奥の方に設置されていた古い木造のベンチに座り込んだ。視線を落とし、つま先をじっと見つめる。もういないのだろうか。できれば、そうであってくれれば。

◇ ◇ ◇

 夏休みも終わりに差し掛かった頃。僕は楠木からの呼び出しを受けて、夜の公園のベンチに一人座っていた。今年の夏は比較的穏やかな暑さで、夜にもなると大分過ごしやすいくらいの気温まで下がっていた。こんな時間に何の用だろうか。急な呼び出し、しかもこんな時間になんて楠木らしくなかった。彼女は何をするにも前もって計画を立てたいタイプのようで、無計画な行動を嫌った。なにかよほど大事な用なのかも知れない。思案を巡らせていると、路地の角から彼女が姿を現した。
「ごめんねー、こんな時間に。どうしてもこの間の話をしたくて」
「この間の?」
「ほら、図書館で話した、覚えてる?」
「ああ、何になりたいのー、みたいな」
「うん、その話。やっぱり私、どうしても嫌で。沢渡君がこのままどうしようもない大人になっちゃうのが」
「そんな大げさだよ……。どうしようもない大人だなんて。そもそもなんでそんなに僕にこだわるのさ。僕は君が思ってるほど大それた人間でも何でも無いよ」
「……それは、沢渡君が私にないものを持ってるからだよ」
 今にも泣き出しそうな顔で楠木が呟く。彼女がそんな顔をするのを見るのは初めてだ。
「初めて沢渡君の絵を見たとき、私、まるで全身を壁に叩きつけられたみたいな衝撃を受けた。私も本当は絵が大好きでね、昔賞とかとったこともあるし、結構自惚れてたんだ。でも君の絵は、何をとっても私よりずっと上で。色使いも、塗りの技術も、何もかも私より。自分の陳腐な絵を君に見られたくなくて、ついムキになって塗りつぶしちゃったけど、本当はすごく悔しかったんだ。でも、真剣に絵を描く君の横顔を見たら、ああ、勝てるわけ無いな、って思えて。いつもはそんなやる気無い感じだけど、君、自分で気づいてる? 絵を描いてるときだけ、まるで別人みたいに生き生きしてるよ。……そんな君に、軽率に才能を捨てないで欲しい。私が伝えたかったのはそれだけ」
 ――唖然とした。彼女が僕なんかに過剰に興味を示したのは、そんな理由があったのだ。言葉が出ない。楠木は一度うつむいたかと思えば、次に顔を上げたときにはいつもの朗らかな笑顔に戻っていた。
「ごめんね、急にこんな話して。でも君がこのまま腐っていくのが、どうしても見てられなくて。……沢渡君。私は君の才能が、君の無気力さが、君の持つすべてが、憎いよ。どうか、その才能を、無駄にしないで」
 冷たく言い放ち離れていく楠木。一人立ち尽くす僕は、どれだけ惨めに見えただろうか。満月が僕を冷たく照らす。生ぬるい風が吹き抜け、伸びきった前髪を揺らしている。才能。自分には関係ないと思って手放していた言葉が、心臓を貫く。僕でも、届くのだろうか。惰性で生きるだけの日々から抜け出す理由に、手を伸ばすことができるのだろうか。貫いた言葉が鼓動を止める。腐りきった心臓を、灼熱をもって焼き尽くす。もし、まだ間に合うならば。

◇ ◇ ◇

 風に前髪をさらわれて顔を上げると、いつからだったのだろうか、目の前に君がいた。
「……久しぶりだね、沢渡君」
「うん。五年ぶり? かな」
「もうそんなに経つんだ……。背、少し伸びたね」
「そうかな? ほとんど変わってないと思うけど。……君は、あの頃のままだね」
 現れた楠木は、何もかもがあの頃と変わらなかった。僕たちが高校を卒業した、あの頃のまま。
「まあ、私は仕方ないよね」
 あはは、と笑う楠木。月の光に濡れた髪はあの頃と同じポニーテールに結わえられている。本当に、何も変わっていないのだ。
「私はずっと一八歳のままだもんなぁ。沢渡君が少し羨ましいよ」
 物憂げな表情を見せる楠木。彼女はもう、成長することはない。
「ここに来れば、会えると思った。ずっとここで、待ってるんじゃないかって」
「……そっか。ごめんね、沢渡君」
「ずっと、謝りたかった。あの日のことを。僕が東京に向かった、あの日の」
「私がここにいるのは、沢渡君のせいじゃないよ。だから、謝らないで。私は……」
 優しく微笑む楠木。胸が苦しくなる。君は、どうして。

◇ ◇ ◇

 卒業式から一週間が経った春の日。僕は東京へ向かう電車を待って、一人駅のホームにいた。東京で一人暮らしをする、と決めたのはつい先日のことだった。アルバイトをしながら、空いた時間で絵を描いてそれを売るのだ。美術系の大学にいけるほどのお金は無かったから、そうすることが僕が絵に対してできる精一杯の向き合い方だった。あの公園での日から、僕は毎日休むことなく、一心不乱に絵を描き続けた。彼女の言葉がどうしてあんなに胸に響いたのかは自分でもわからない。でもあの日、確かに僕の腐った魂は焼き払われ、新たな何かが宿ったのだ。
 電車が来るまで、あと十分。足音で振り返ると、走ってきたのだろうか、肩で息をしながら楠木が立っていた。
「本当に、行くんだね、東京」
「ああ。……画家を目指そうと思ってね」
 半分茶化すように笑いながら答える。でも、彼女はくすりともせずに言った。
「……私、応援してるから。沢渡君なら、きっと、すごい画家になれるよ」
 真剣な眼差しでこちらを見つめる。その瞳がかすかに潤むのが見えた。
「ありがとう。君がいなければ、僕はきっと、酷い大人になるところだった」
「沢渡君なら、きっと一人でもなんとかしてたよ」
「まさか……。あのさ」
「ん?」
「……いつか、胸を張ってこの街に帰ってこられるくらいの大人に僕がなれたら、そのとき……、あの公園で、また会おう」
「……うん。待ってる」
 駅のベルが鳴り響く。電車がホームに滑り込んできた。大荷物を抱えて乗り込む。
 扉が閉まる直前、彼女がいつもの、朗らかな笑顔で言った。
「君は。君は、きっとこれから先も……」
 ドアが閉まり、音は遮られる。楠木はなんて言っていたのだろうか。ガタン、ガタンと音を立てて走り出す車両。彼女の姿はあっという間に後方に流れていく。日が傾いて車内に差し込む。まぶしさで思わず顔を背けた。僕はこの先、どう生きていくのだろうか。僕の不安ごと抱えて、電車は田園を走り抜けていった。

◇ ◇ ◇

「僕があの日あんなことを言ったから、君は今でも」
「違うよ、沢渡君。私は君に言われたからここで待ってるわけじゃないよ。私の意思で、君を待ってるんだよ。……でも、君、まだやるべきことがあるんじゃない?」
 楠木が不敵に微笑む。一歩、僕に歩み寄った彼女は、そのまま僕を抱きしめて耳元で囁いた。
「私はずっと待ってるから、安心して。……君はきっと、大丈夫だから」
 感じるはずの無い温もりを肌に感じた。意識が遠のく。待ってくれ、まだ……。

◇ ◇ ◇

 目を開けると、アトリエの天井が視界いっぱいに広がった。頭が酷く痛い。何日も飲まず食わずで描いているうちに倒れてしまったようだ。危ないところだった。
 イーゼルに乗せられた描きかけの絵を見上げる。満月の下で、天使がこちらをにらむように見つめている一枚の絵だ。……五年前に事故で亡くなった友人をモデルにした絵、描きかけのまま長い間放置していたそれを、どうして今になって完成させようと思ったのかはわからない。新しく描き直したほうがよほどいい作品ができるだろう。それでも、どうしても僕はこの絵を続きから描き始めたかった。カーテンを開けると朝日が柔らかくアトリエを包んだ。光の下で改めて見直すと、この天使の表情もなかなかよく描けているのではないだろうか。
「……なぁ、楠木。僕は君がくれた夢の続きを、まだ追いかけているよ」
無人のアトリエで一人呟く。意図せず涙がこぼれた。月光の天使と目が合う。光に包まれたそれは、まるで凜々しい微笑みを浮かべているようだった。

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第三十五回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2018.08.21(Tue) 15:01
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