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茄子と豚肉の炒め物

トン、トン、トン。

ふと思い立ち、茄子と豚肉の炒め物を作り始めた。

茄子を切るのは好きだ。肉厚な茄子だが、包丁を入れると、驚くほどすっと通る。その爽快さと、切るときの もきゅっ という、何とも言えない音が好きだ。

 

普段はあまり自炊をすることはない。料理が嫌いなわけでもないし、節約を考えるときちんとした方がいいのだろうが、どうしても近場のコンビニに足が向いてしまう。正直棚に並んでいるのはいつも同じ面々で、飽きないかと言われると否定は出来ないが、手軽さには変えられない。決して味は悪くないし、洗い物もしなくていい。

実家の母に言ったら確実に怒られることだろう。母は料理において、手作りを大事にする人だったから。  スーパーの総菜が食卓に並ぶことはほとんどなく、お弁当に冷凍食品が入っていることもなかった。

 

茄子が切り終わったので、豚肉を炒め始める。バラ肉だから油は引かなくていいだろう。

ジュージューという音がし始めたところで、軽く塩胡椒をふる。塩は母イチオシのあら塩。上京するとき、とりあえずこれだけは持っていきなさい、と持たされたものだ。初めは重くなるからいらない、としぶっていたが、母に押し切られた。

今となっては持ってきてよかったと思う。食塩にはない、どことなく甘味のあるしょっぱさが、どんな食材にもなじむ。特に肉との相性は抜群で、炒めるときは必ず使っている。

 

塩と言えば、夏に実家で食べていたスイカを思い出す。上京してからは食べることもなくなってしまったが、それまでは毎年のように食べていた。正直、スイカ単体では味が薄いように感じ、あまり好きではない。しかし、塩をふることで、スイカの甘みが引き出される。その甘みと、塩のしょっぱさの組み合わせが好きで、毎年食べるのを楽しみにしていた。

 

豚肉に大方火が通ったら、茄子を加える。このまましばらく放置し、茄子がしんなりとしたところで醤油、みりん、砂糖、生姜、にんにくを混ぜた調味料を加える。肉の油を吸い、しんなりとした茄子は驚くほど調味料を吸収し、深みのある味わいを出す。口にいれ、噛んだときに じゅわっ と広がる醤油の味。後から追い付いてくる生姜とにんにくの風味がまた堪らない。

 

「ほら。茄子に味が染み込んでて、美味しいでしょう?」

この炒め物を初めて食べたのは、確か小学生の夏休み。真夏の日差しの中、くたくたになるまで遊んだ日の夜、母が暑かったでしょう、と出してくれた。茄子に染み込んだしょっぱさと甘さは、遊び疲れた俺の身体の隅々にまで染み渡った。あれは、美味しかった。特別な味付けをしていたわけでも、特別な茄子を使っていたわけでもない。しかしあの茄子の味は、20歳になった今でも色褪せることなく、舌に染み付いている。

 

調味料が行き渡ったところで、火を止める。炊いておいた米をよそい、その上に直接炒め物を乗せる。この方が米に味が染み込むので、皿を分けることはしない。単に洗い物を増やすのがめんどくさい、というのもあるが。

 

「いただきまーす……」

一人暮らしになった今も、いただきます、と言うことだけは欠かさないようにしている。実家で言わずに食べ始めると、すかさず母の叱りが飛んでくる。今そばに母はいないが、なんとなく言わなければ、との思いにかられ、言うようにしている。

 

上京してから、約一年半が経った。漫画家になるという夢のもと、大学には行かず、バイトをしながら賞に応募したり、持ち込みをする生活を続けている。

しかし現実は甘くはなく、これまでこれといった成果を残せていない。地元の学校では、絵は上手い方で、よくイラストを描いてと頼まれることもあった。だがそれはあくまで地元の学校という小さな世界での話。その小さな世界を出たら、「ちょっと絵が上手い」だけの俺が通用するはずはなかったのだ。

そんなことにも気付けず、心配する両親を振り切ってほぼ家出同然で上京してしまった。今思えば、専門学校に行ってスキルを養ったり、人脈を築いたりと、色んな方法があったはずだ。若かった、というだけでは拭いきれないほどの大きな失敗が、そこにはあった。

 

まだ、20歳。されど、もう、20歳。来年には成人式もある。けれどこのままの自分では、とても恥ずかしくて行くことなどできない。

最近は結果の出ない現状に諦めを感じ、無気力に日々を過ごすことが多くなった。このままでは駄目だ。そう思いつつも、なにもすることができないまま、時間だけがただ過ぎていく。

そんなとき、久しぶりに行ったスーパーで茄子を手に取った。思い出したのだ。あの夏休みに食べた、茄子の味を。あのときの自分はまだ何者でもなかった。膨大な時間を遊びに注ぎ、よく食べ、よく寝ていた。

もちろん、今の自分もまだ何者でもない。未だ叶わない夢を追いかけ、日々を虚しく過ごすただの男だ。

しかし、あの頃の自分とは変わったところもある。あの頃の自分はただ出された茄子を食べることしかできなかった。だが今は、自分の金で茄子を買い、調理し、食べることができる。

20年生きてきて変わったところがそれかよ、と思うと虚しくもあるが、しかし、それでも成長したことに変わりはない。

 

茄子の炒め物を作れない小学生の自分と、茄子の炒め物を作れる今の自分。……うん。十分、成長したよ、俺。

 

出来上がった茄子と豚肉の炒め物を、熱々の米と共に食べる。しょっぱさと甘みが、口一杯に広がる。これだ。この味だ。夢中で箸を進める。噛めば噛むほど、味わいが増す。

美味しい……。

ふと目を横に向けると、まだ描きかけの原稿がある。構想を練り初めてから3ヶ月。ようやく、形になり始めた。

この原稿も、また駄目かもしれない。日の目を見ることもなく、「駄目だった作品ボックス」の仲間入りをするかもしれない。

でも、駄目ならまた、新しいものを作ればいい。茄子の炒め物は、茄子と豚肉と調味料さえあればできる。原稿だって、紙と画材と、後は俺のアイデアさえあればできる。

ならばそれが尽きるまで、とりあえずがむしゃらにやってみよう。先のことを考えて悶々としていても仕方がない。描きたいものを、思うままに描けばいい。

 

食事を終えた俺は、再び机に向かう。次のシーンは、どうなふうに描こうか。

 

さあ、また、

 

 

つづきからはじめよう。

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第三十五回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2018.08.21(Tue) 08:00
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