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金平糖

 ロングヘアと言ってもいいような長さの黒い髪が、さらりと音を立てたような気がする。視界にこぼれてきた髪をとかすように、雪さんは細く長い指で掻き上げた。一瞬だけ耳が見え、再び隠れた。ふっくらとした唇は難しげに引き結ばれている。伏せられたまつげが、長く濃い。

 雪さんは前髪を作らず真ん中分けをしている。ともすれば古臭く見えてしまうような髪型だが、彼女の凛とした顔立ちにはよく似合っている。私自身の髪質も悪くはないとは思っているのだけれど、雪さんと比べてしまうと同じロングヘアといえども艶が全く違う。
 私は肘をついて目の前に座る美しい人を見つめる。昼時を過ぎて人がまばらになっているとはいえ、大学の食堂はざわざわと雑多な音と人が動いている。けれど、隣のテーブルの話し声や少し大きすぎるBGMなど雑音が満ちている部屋の中で、雪さんの立てる音だけは一つ残らず私の耳に入ってくるようだ。雪さんの周りだけ、音も景色も遮断されているように感じる。
 雪さんから漏れる小さなため息。カサリ。ページをめくる。カサリ。
 雪さんは、いくつもの付箋が貼ってある教科書を開いて、文字を追っている。
「だめだ……。さやか、いい?」
 顔をあげて、教科書を見つめていたのと同じ表情で私を見た。少し寄せられた眉ははっきりとしていて、その下には細くアイラインを引いてある目。視線はまっすぐと私の瞳をとらえる。表情の強さに、思わず心臓を突かれる。それを気取られないように微笑む。目を細めると、雪さんの視線に射抜かれる感覚が和らぐ。
「どうぞ」
 普段よりかすかに低い声を出して答えると、雪さんは真剣な表情のままさっきめくっていた教科書をひっくり返して私の方に向ける。メリハリのある整った字でいくつも書き込みがある。教科書を汚しても平気なタイプなんだ。そう思うと同時に勉強に対する姿勢を感じて、背筋が伸びる。丸く整えられ、透明のマニキュアが塗られた爪の先が、教科書の一行を示した。まっすぐな指沿って視線を動かす。
「ここが、どうしてもわからないの。どうしてこうなってるの?」
 素早く前後の文を読む。すぐに把握して、雪さんに教えなければ。もたついてしまえば、がっかりされてしまう。次から私を頼ってくれなくなってしまう。雪さんはそんな人ではないことをわかっているのだけれど、どうしてもそういう強迫観念がちらついてしまう。
 私の説明を聞く雪さんは真剣だ。声は低く、口調はゆっくりと、表情は穏やかになっているのを自覚する。雪さんに対しては、落ち着いて頼りがいのある自分を演じてしまう。一種の見栄だろう。
 再び教科書に向き合った雪さんを見て思う。
 なぜ私が選ばれたんだろうか。勉強は比較的できる方とはいえ、優秀なわけでもないのに。彼女の周りには、私以外にも喜ん教えてくれる人が多いだろうに。私のように彼女に惹かれている人間は多いだろうに。
 私と雪さんは学科が違う。知り合ったのは一年の前期。いろんな学科が集まるドイツ語の授業。どこにでもいそうな大学生がたくさんいる教室の中で雪さんは異質だった。彼女は目を引いた。変わっているわけではないけれど周りとはどこか違う服装。艶めくまっすぐな黒髪。美しいドイツ語の発音。他学科であるのに、私は彼女のことを一番に覚えた。廊下側の前から五番目の机が定位置だった。その隣の机の一列後ろに座っている私からは、足を組みながら気だるげに頬杖をついて授業が始まるのを待っている横顔がよく見えた。物おじしない雪さんは誰とでもペアワークをする人だったから、席の近い私とペアになってくれることがよくあった。
 学年が同じだということを知っても、私はさん付けをやめることができなかった。雪さんの雰囲気に私が気おされているからだろう。それは今でも変わらない。けれど雪さんは最初から親密そうに話してくれた。二年になった今も、勉強を教えてと言われる以外では会う機会も減ってしまっているけれど、会うたびにフレンドリーな笑みを向けてくれる。
 心理的距離を詰め切れない私へ向けてくれる雪さんからの一方的な親しみ。
 私が持つのは気づかれないように隠し続ける雪さんへの強いあこがれ。
「あ、なるほど」
 声帯を震わせないささやき声でも雪さんから発されたものであれば私の耳はとらえる。
 眉間に寄っていたしわが伸びていく。数ミリ口角が上がる。シャーペンをひっかけていただけの手がきちんと握りなおす。黒目が動き、ルーズリーフの束を見る。左手がそれに伸びる。片手で袋を開けて、親指と人差し指で紙をつまむ。薬指と小指でほかの束を抑えながらそっと引っ張り出す。腕を持ち上げると一枚のルーズリーフがするりと袋から滑り出てきた。右手が教科書を私の方に押しやると、その準備されたスペースにルーズリーフが置かれた。
 紙越しに机と芯が当たる音が聞こえ始める。またさらりと音を立てて零れ落ちた髪の毛をまた耳にかけた。ドキリとする。
 雪さんは時たまこうやって勉強を教えてと言ってくる。そのたび私はまた選んでくれたことに安心しうれしくなる。けれど、不思議で仕方ない。彼女は友達が少ないわけでもなさそうなのに、なぜ学科も違う私を選んでくれるのだろうか。
 私は雪さんと対等な関係を築くことができないというのに。
 シャーペンが止まり、雪さんは顔を上げた。晴れやかな表情をしている雪さんはまぶしすぎる。こんなにも一方的に魅かれ、見つめ、引け目を感じている私は彼女の視線を受け止めることができない。唇を曲線的に曲げ、目を細める。穏やかに頬笑みを浮かべているふりをする。余裕のない心の中を悟られないように。
「ありがとう、さやか。納得した! これで分からないとこはなくなったわ」
 雪さんが笑うと尖った犬歯がすべて見える。白く整った歯並びを臆することなく見せる表情。私にはできない。雪さんの前では特に。
 自分を飾って、見せかけて、そうやって落ち着いたさやかを演じていなければ、雪さんの前にいられない。あらを見られないように。雪さんの求める私でいれるように。
 勉強道具をカバンにしまいながら、雪さんは一つのカラフルな小さい袋を取り出した。
「あ、そうだ。これ食べる?」
 カラフルだと思ったのは、透明のパッケージから透けていた金平糖の色だった。
 勉強が終わると雪さんはいつもお菓子を出してくる。それは日によってチョコレートだったり、飴だったり。なんで今日は金平糖なのだろう。けれどそれは声にならない。私はそんなことすら聞くことをためらってしまう。
「うん、もらう」
 私は彼女の発した言葉にこたえることしかできない。
 袋を止めていたゴムを外し、くしゃくしゃになっていた口を開いてから私の方に向けてくる。私は手を伸ばそうとして、とどまる。小さな袋に入っている小さな砂糖の塊をどうやってとればいいのだろうか。手を突っ込んでもいいのだろうか。手を出して雪さんに袋を傾けてもらうべきなのだろうか。指を入れたら私がとる金平糖以外にも触れてしまう。私の手を彼女は嫌がらないだろうか。彼女に出してもらうべきだろうか。彼女の手を煩わせて。
 一瞬のうちに頭の中を掛け巡った。
 私を見ながら片眉をひょいと上げ、雪さんは長く細い指で桃色の金平糖をつまんだ。見本を見せられているように思った。つまんでいる人差し指と親指以外がピンと伸びている。優雅なしぐさで血色の良い唇の間に挟み込んでから、ちろりと見えた赤い舌で口の中に落とした。金平糖の角と雪さんの白い歯が当たってカラリ、コロリと軽い音を立てているように感じた。
 口の中で金平糖を転がしながらもう一度私の方に袋を差し出してくれた。雪さんに倣って慎重に指を差し込み、一番数の多い白いものを選ぶ。唇に挟み、落とさないように気を付けながら舌を使って口の中に入れる。
 瞬間、冷気が背筋を走った。
 今の自分の行動。雪さんのことをじっと見ていたことがばれてしまうのではないだろうか。雪さんの一挙手一投足を逃すことなく見つめ、無意識のうちに同じ動きをしてしまったことが。ただの友人にそこまで見つめられ、観察されることは心地よいものではないだろう。
 そらしてしまっていた視線を恐る恐る戻す。目の前の雪さんは、さっきと同じしぐさでもう一度桃色の金平糖を口に入れた。カラリ、コロリ。
 ため息と思われないように、静かに長く息を吐いた。金平糖のせいで呼気が甘い。
 雪さんの口の中も温かく甘い息で満たされているのだろう。暗い口内で赤く柔らかい舌が、大きいものと小さいもの、二つの砂糖の塊をもてあそんでいる。ピンク色はもう取れてしまっているだろう。白い歯に、白い金平糖が当たり音を立てる。カラリ、コロリ。雪さんが舐めているのは、もしかすると私の手が触れたものかもしれない。それならば、今私が舐めているものも……。
 そんなことを想像してしまう自分が嫌だ。甘い塊を奥歯ではさみ力を加える。角が崩れ、割れた。そのまま奥歯を食いしばる。砂糖の欠片が口の中に広がった。舌の上にあるザリザリとした感触。
 雪さんには絶対に嫌われたくない。そう思っているくせに、私は彼女に強く魅かれてしまうことを止められない。対等な、仲の良い友達でありたいのに。雪さんに頼られたり、雪さんに笑いかけられたり、そういうことがずっと続いていける関係でありたいのに。
 本当は、たまにじゃなくて毎日。毎日会いたい。だけど、私のぼろが出てしまいそうで怖い。でも会いたい。本当の私を押し殺してでも、彼女の笑顔を、彼女の困り顔を、怒った顔を、全て見ていたい。彼女に必要とされたい。
 それは、友だちというには強すぎる感情で。
 気づかれたら終わり。この重すぎる気持ちを抱いているなんて。
 気持ちが透けてしまわないように、私の表情に出るのは穏やかなほほえみで。
 雪さんは私に袋を向けて尋ねてから、最後にもう一つ、今度は黄色を唇に挟んで、食べた。よく見ると、透明な袋の中には水色の金平糖がたくさん残っている。水色は嫌いなのだろうか。そう思うけれど、やっぱり訊けない。
 雪さんは袋をカバンにしまい、帰り支度を始める。私もコートを着込み、マフラーを手に取る。すっかり暖かそうな格好になった雪さんは、いつものきりりとした雰囲気が少し和らいだ。可愛さに見とれてしまう。
「いつもありがと! 訊きやすいからつい頼っちゃう。また教えてね」
 食堂を出てすぐに雪さんは手を振って私と違う方向へ歩いて行った。ブーツのかかとがコツコツと音を立てて私から遠ざかって行く。目を閉じて最後に向けてくれた笑顔を頭の中で再生する。こうやって別れてから、不安な時間は始まる。あの笑顔は自然なものだっただろうか。今日も雪さんに嫌われずに済んだだろうか。また会おうとしてくれるだろうか。次に声がかかるまで、私は自己嫌悪と恐怖に押しつぶされそうになる。
 私は彼女に対して強い感情を発露できない。強い気持ちへの評価もまた、強くなってしまいそうで。雪さんに拒まれてしまったら、そう思うだけでぞっとする。
 今日の私は、うまく演じられただろうか。嫌うところのない、さやかを。雪さんの求めるさやかを。
 今日の、私は……。

テーマ:「今日の装い」
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第三十四回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2018.01.08(Mon) 23:59
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