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 電話がきたのは午前三時頃だった。

「おかあさんがね、死んだの」

 だから、かえってきて。ゆいちゃん。



 お通夜は本当にささやかだった。
 近所の集会所を借りて、夏帆と私とお坊さんの三人きりだったから、まるでい
つかのごっこ遊びのようだと思った。パイプ椅子が三脚と簡易机の上のおばさん
の遺影。今度は本当におばさんが死んでしまったけれど。白木の棺とその中の白
い百合が薄暗い蛍光灯の下で異様だった。
 夏帆は今度は泣かなかった。眉間にしわを寄せて、ただ黙っていた。
 私もただ黙っていた。俯けばうなじの傷が引き攣れてまだ痛むような気がした。

 お坊さんはお経だけ読むと、帰っていった。ほかに来る人も無いので大仰な告
別式はしないらしい。今夜この集会所で一晩泊まったら、明日はもう午後から焼
き場だ。
 夏帆は母親の棺の傍らに座って、じっとその顔を見つめたまま動かない。黒い
ワンピースの袖から覗く手は5年前より痩せて骨が浮き出している。かつていつ
でも赤く火照っていた頬も今は青白く、眼窩も心なしか落ち窪んでいるように見
える。
 5年間。この町を出てから夏帆とは一切連絡を取っていなかったけれど、私が
いないこの町で、夏帆はずっとあの薄暗い家でただおばさんのためだけに生きて
いたのだろうか。当たられて、けなされて、それでも?

「由依ちゃん、ご飯食べた?」

 唐突に夏帆が口を開いた。見つめすぎたかと思ったけれど、夏帆はまだ棺の中
を見つめていた。
「来るときの電車でおにぎり食べたからまだお腹空いてないよ」
「そう、よかった。ほんとはちゃんとお料理も頼んで、最後にお母さんと食べら
れたら一番良かったんだけどね」
 お金が足りなくって、と夏帆は苦笑いする。そして息を大きく吸い込んだかと
思うとうつむいたまま流れるように喋りだした。

「葬儀会社の人にね、電話したら30分で家まで来てカタログ見せてくれたの、朝
の5時なのに、よ。慣れてるのね。お通夜だけします、って言っても動じなくっ
てね。お棺選んだらすぐ大きいおじさんたちがやってきてお母さんをちゃんとし
てくれたの。それからお花はね、お母さんの好きだった百合がいいですって。ち
ょっと高くついたけどお母さんに最期にあげるものだからいいよね。ご飯はお母
さんは食べられないけど、お花はお母さんと煙になれるもの。それからね、」
「夏帆」
「それからね、集会所が良いですって言ったらちゃんと鍵借りてきてくれてね、
忍び込んでたあの頃の私たちに見せてあげたいね。でね、」
「夏帆」
「それでね、」

「ねえカホ」

 つい駆け寄って掴んでしまった手首は冷え切っていた。夏帆はゆっくりと顔を
上げた。
 丸い目が揺れる。私の目を見て、棺を振り返って、再びこちらを見た目は潤ん
でいた。
「ねえ、夏帆。ちょっと外に出よう」
 夏帆の手首に力を込める。
「え、でもお通夜だし」
「いいから」
「だめだよ」
 夏帆の声が尖った。
「由依ちゃん、これは遊びじゃなくて、本当のお葬式なんだよ?」
「じゃあ、どうして私なんか呼んだの」
 おばさんの死なんてこれっぽっちも悼めない私なんか。
 私の手をもう片方の手で開くように解くと夏帆は私に背を向けた。
「ごめん由依ちゃん、少し外に出ててよ」

 表は木に囲まれているせいか、湿って少し涼しかった。ベンチに腰掛けて足を
組む。
 黒いストッキングは今朝二本も爪に引っかけて駄目にした。スマートフォンに
表示された「カホ」の文字に初めは驚いて、でも出てしまった。久しぶりに聞く
声はかすれていて、それでいてやはり少し高い女の子らしい声で、けれどまさか
おばさんの訃報だとは思わなかった。
 夏帆のお母さん。
 厳しく古風な人で夏帆がほかの子供と遊ぶのにいい顔をしなかった。特に私は
市外からの転入生だったから、得体の知れない気持ちの悪い子だと思っていたら
しい。夏帆はそれでも私のことが大好きだったし、私も夏帆のことが大好きだっ
た。二人で作ったおそろいの白いスカートをはいて、近所の小さな商店で買った
おそろいの髪留めを付けて。私たちの世界は多分二人だけで完成していたし、一
生このままだと、どうしてか信じて疑わなかった。
 そして、私たちは見つかってしまった。夏帆に呼び出されたあの日、そこには
包丁を持ったおばさんがいた。
 今から考えるとおばさんは心の病気だったのだと思う。
 だからといって許せる訳ではなかった。怒り狂ったあのまなざしと、バケモノ、
と叫ぶ恐ろしい声を、いまだに思い出しては震える。怖くて、怖くて、恐怖のあ
まり私は高校卒業と同時に町を出た。夏帆を置いて。
 かつては確かに夏帆を守りたいと思っていた。ブラウスの隙間から見え隠れす
るあざを心から憎んでいたはずだった。二人でいつか自由になれると思っていた。

 どのくらい外にいればいいのか分からなかったけれど多分もういいな、と感じ
た。私たちはこういうところは感じ方が近いから。戻ってきた私に夏帆は笑った。
合っていたみたいだ。

「謝りたくて、呼んだの」
 白い指が棺から一輪、百合を取り上げた。
「あの日ね、私由依ちゃんと結婚式しようって思ってたの」
 うん、私もだよ。
 夏帆は一歩ずつゆっくりと近づいてくる。
「その前の日にお母さんのお葬式ごっこ、したでしょ?」
「でもお葬式が本物じゃなかったから結婚できなかった」
「お母さんが、ごめんね」

 沈黙が落ちた。なぜこの子が謝っているんだろう。一人ぼっちで苦しんでいた
のは夏帆の方なのに。痛みなんて無いみたいに、私の前ではひたすらに笑って。
心までこんなにボロボロになっても、へたくそに笑って。

「あんな人でもやっぱりお母さんだったからね、認めてほしかったんだけどね」
「でも、もう死んじゃったから」

「由依ちゃん、自由になってよ」

 夏帆は私の両手をつかむと百合を握らせ、その上から自分の手を重ねた。
「結婚はできない、由依ちゃんのこと死ぬほど好きだけど。だってもう、わかっ
たでしょう」

「お母さん一人に勝てない私たちなんだもの」

 私たちは手を重ねたまま泣き続けた。互いを抱きしめることもできずに泣き続
けた。
 喪服の黒だけが、ゆがんだ視界のなかで溶け合って流れて行った。



テーマ「薄墨」

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第三十三回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2017.08.08(Tue) 00:00
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