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翡翠の裔

 蟲師アニメ21話のその後を妄想した作品です。独自解釈を含む糞二次創作な
ので、そっと流してやってください。

 鬱蒼とした森の中を、境界を曖昧にさせながら走る一本のけもの道。
 盛夏の焼けるような日差しが木々の隙間から注ぎ、騒がしい蝉の鳴き声が響き
渡っていた。
 踏み固められた黒い土は乾き、そのところどころに岩が露出している。
そんな道中にガラス製の小瓶が一つ、転がっていた。
 誰かが落としていったのだろう。岩に当たり、底にひびが入っている。
 瓶の中には、緑色の塊が封じられていた。
 ひび割れから外に逃れようと不定形の身体を蠢かせている。
 粘菌の類にも見えるそれは、瓶から完全に這い出ると、日差しから逃れるよう
に移動を始めた。
 見た目に合わぬ敏捷さで、あっという間に樹木の根元に空いた洞に滑り込む。
 後には、壊れた空き瓶だけが残された。

  およそ遠しとされしもの
  下等で奇怪
  見慣れた動植物とはまるで違うと思しきもの達
  それら異形の一群を、人は古くから畏れを含み
  いつしか総じて「蟲」と呼んだ
  漆原友紀『蟲師』より

――弟の話をしよう。
 弟と言っても、血は繋がっていない。
 もう何年も前のことだ。猟師をしている父が、冬ごもりを終えてすぐの熊を狩
った。
 その時、近くで泣いている赤子を見つけたのだそうだ。
 父は大層驚いたらしい。多分、不気味にさえ思ったのではないか。
 しかし、母が私を産んでしばらくして他界していたこともあり、父はその赤子
を育てることにしたのだそうだ。
 どこから来たかも分からぬ、名無しの赤子。
 名付けたのは私らしい。まだほんの子供だったから、はっきりとは覚えていな
いのだが。
「この子はワタヒコって名前だよ、だってそう言ってるもん」
 そう主張する私を、父は馬鹿馬鹿しいと笑った。だが、父に他に良い案がある
わけでもない。
 こうして「渉彦」は私の家族になった。
 今も、渉彦は私に手を引かれて夕暮れ時の帰り路を歩いている。
「まったく、あんたもじっとしてないで反抗しなさい」
「無理だよ、姉ちゃん。あいつらの方は人数が多いし」
 もう何度目かのやり取りだ。
 私は足を止めて振り返った。渉彦の顔には、殴られて青黒い痣ができていた。
 もともと私の家は、狩猟を行っていることもあって里の人々との繋がりが弱い。
 ましてや渉彦は得体の知れない拾われっ子で、愛想も悪い。表だった言動はな
くとも、里の人々に煙たがれているのはなんとなく分かる。
 そんな大人たちを見た同年代の子供達から、渉彦は格好の標的にされていた。
 今日は二人で里に下りる用事があり、私が目を離した隙に連れていかれたのだ。
 そうやって散々に虐められていたのに、渉彦の反応は淡泊だった。
 眼窩には、翡翠のように緑がかった瞳の、ガラス玉のように無感情な目玉が、
潤むこともなく収まっている。
「このままじゃ、いつまでもやられっぱなしだよ?」
 里の連中が不気味だと囁くそれも、私には見慣れたものだ。躊躇なくのぞき込
む。
「あいつらだって、殺そうとしてくるわけじゃないよ」
 しかしこいつはピクリとも表情を動かさず、当然のようにそう返してきた。
 まるで自分の身が傷つくことを意に介していないかのような反応。
 私は呆れてしまって、半ば投げやりに言った。
「当たり前でしょ……。もう、次はせめて助けを呼ぶのよ」
 弟はこくり、と頷く。しかし、それが素直な承認の様には思えなかった。
 結局、この生意気な弟には何を言っても無駄なのかもしれない。
 この期に及んで、全く表情を変えない渉彦を見てそう思ってしまう。
 私はため息をひとつ、ついた。


 更に、数年が経った。
 今、家には私一人だ。父は山に狩りに出かけ、渉彦はそれを手伝って同行して
いる。
 渉彦はすくすくと成長し、背が私に追いつく日も近いだろう。
 対称的に、父は最近髪に白いものが混じり始めていた。そして私は、とうに子
供とは言えない年齢になっている。
 もうすぐ……
「そろそろご飯の準備をしなきゃ」
 益体のない物思いを切り上げて、そうつぶやく。
 普段と変わらず、台所に向かおうとした時だった。
「おい、開けろ!」
 突然、家の入口の戸が激しく叩かれ、父の切羽詰まった声が聞こえてきた。
 慌てて扉を開けると、よほど急いでいたのだろう。全身汗だくになった父が立
っていた。
 その背には、ぐったりとした様子の渉彦が背負われていた。
 表情を僅かにしかめ、だらだらと脂汗を流している。
「渉彦!?」
 殴られても表情一つ変えない子なのに。今まで見たことのない程に、弱ってい
た。
「早く医者を呼んで来い!」
 父は渉彦を寝床に寝かせながら、そう命じた。棒立ちだった私は我に返って、
お医者様のいる里に向かって駆け出した。
 夕暮れ時の里は、夕餉を煮炊きする匂いが漂って、どこかのんびりとした雰囲
気で包まれている。
 その中心を走る道を、指先に草履を引っ掛けて駆ける。
 息が荒くなり、乾いたのどから鉄さびのような味が登ってきた。
 里人たちは奇異の視線を向けては来たが、話しかけてはこない。
 ようやく、目的の家にたどり着いた。
 その後、すぐに駆けつけてくれたお医者様が、渉彦の脈や体温を測ったり、眼
球をのぞき込んだりと丁寧に診察をしてくれた。
 そして、父よりも一回り老いた顔に皺を寄せて、首を振る。
「どうですか、先生」
 父が恐る恐る尋ねると、お医者様は重々しく口を開き
「詳しいことは分かりませんが、大分悪いですな。これは。しばらくは持つと思
いますが、少なくとも私にはいかんとも」
 と言って、目を伏せた。
「そんな……」
 茫然としてしまって、それ以上の言葉が出てこない。
 父も口を引き結んで黙りこくっている。
 しばらく、重苦しい静寂の中に渉彦の弱く細い息遣いが響いた。
「痛み止めを処方しましょう。あとは、出来るだけ話しかけてあげるように」
 お医者様が口火を切って、幾ばくかの薬を渡してくれた。
「では、私はこれで。症状が重くなったら、すぐに呼びに来てください」
 薬の使用法を指示して、お医者様は帰っていった。
 残された私たちは、渉彦の身体を拭いてやり、夕食を作った。
「ほら、渉彦。食べられる?」
 お粥を匙に掬い、口元に運ぶ。
 薬が効いたのか、呼吸は比較的穏やかになっていた。むせることもなく食べら
れたようだ。
 それを見届けてから、隣の部屋で自分たちの分を食べ始める。
「俺たちのことは、気にしなくていい」
 突然、父が口を開いた。
「急にどうしたの、父さん」
「できれば、渉彦に俺の後を継いで、この家に居て欲しかったが。それは叶わな
いだろう。だが、お前が残る必要はない」
 有無を言わさぬ様子で、食事を再開しようとする。
「それじゃあ父さんたちはどうするのよ。これから一人で暮らしていくつもり?」
 父は再び手を止めて、
「何とかするさ」
――せっかく、良縁に恵まれたのだからな。
 と呟いた。
 そう、私は近々結納を控えていた。
 相手は里の人だが、他所の家に嫁入りすればそうそう実家の世話をすることも
出来なくなるだろう。
 この家には、老いた父一人が残されることになる。
 しかし碌な土地も持たないこの家を、私一人で支えるなど、どちらにせよ出来
ようがない。
 父はこれで話は終わりだとばかりに、黙々と食事を続けている。
 私が何も言えずに押し黙っていると、誰かが控えめに扉を叩く音がした。
「どちら様ですか?」
 戸の前で尋ねると、おずおずとした声が返ってきた。
「ごめん。夕方、君が医者を呼びに走ってたって噂を聞いたから」
 私の、婚約者の声だ。

「すまない、心配をかけてしまったようだ」
 家に迎え入れた彼に、父はそう言った。
「いえ、もうすぐ家族になる人のことですし」
 彼は恐縮した様子で答えた。
「それで、渉彦君の容態はどうですか?」
「いいとは言えないな。だが、君が心配することはない。それよりも、娘をお願
いします」
 父が頭を下げる。
「そんな、こちらこそ。私も出来るだけの手助けは」
 彼も慌てて返礼した。
「ありがたいことだ。今日は、渉彦に会っていきますか? あれも娘の結婚を喜
んでいましたから」
 そうだったのか。私にはそんな仕草は見せなかった気がするが。彼を紹介した
ときも、これといった反応は見せなかったはずである。
 もっとも、父がそう思っているだけかもしれないが。
「そうですね、ぜひ」
 彼がそう答えたので、二人で渉彦の寝る部屋に入った。
「渉彦、起きてる?」
 僅かに反応する気配がして、続いて体を起こそうと動き始めた。
「渉彦君、無理をしないでいいよ。寝たままで」
 彼が制止すると、諦めたようでおとなしくなる。
「義兄さん」
 弱々しい声が上がった。
「その呼び名は、ちょっと気が早いよ」
 彼は、少し気恥ずかしそうに笑った。
「渉彦、どこか痛いところある?」
「大丈夫だよ、姉さん。随分楽になった。それよか、どうして義兄さんがいるの?

 普段通りの、感情に乏しい目がこちらを見た。なんとなく安心してしまう。
「お医者様を呼んだのを知ったらしくてね。来てくれたんだよ」
「そうなんだ。ありがとう」
 渉彦は彼の方に視線を移す。
「いや、これくらいどうってことないよ」
 呼び名についてはもう指摘しなかった。
「そろそろ帰ろうかな」
 いくつか言葉を交わしてから、彼はそう言った。
「泊まって行かないの?」
 渉彦が尋ねた。確かに、随分夜も更けて、外は真っ暗だ。
「いや、遠慮しとくよ。いろいろと忙しいし。じゃあ、またね」
「うん」
 彼が立ち上がる。
「苦しくなったら呼ぶのよ、薬あげるから」
「分かった」
 私は彼と一緒に部屋を出た。立ち上がろうとする父を制して、家の前の道まで
送っていく。
 家の外に出ると、提灯の明かりを持った彼が尋ねてきた。
「実際のところ、どうなんだ? 渉彦君は」
「かなり、悪いみたい」
 つい、俯いてしまう。
「そうか……。あんまり思い詰めないようにな。お義父さんのこともあるし」
「うん」
 気のない返事をしてしまった。
「元気出してくれよ。普通に話も出来ていたじゃないか」
「うん」
「なあ、もう。そんなに泣かないでくれよ」
「……うん」
 いつの間にか、熱い雫が頬を流れていた。彼は戸惑いながら、私を抱きしめた。
「ごめんなさい。ずっと、一緒だったから」
「ああ、昔から君は弟のことを大切にしてた」
 そう言って、優しく頭を撫でてくれた。けれど、彼の着物に染みを作るほどに
涙はあふれてくる。
「こんなこと言うと、機嫌悪くするかもしれないけど。」
 懐かしむような声が、頭の上から聞こえる。
「最初に渉彦君を見た時は、本当はちょっと怖かった。全然顔が動かなかったか
らさ。けど君に悪く思われたくなくて、黙ってた」
 少し申し訳なさそうな口調が混じっていた。しかし、驚きはしない。
「……知ってたよ。さっきだって、目線があってなかったし、固かった」
 逆に、彼の方が意外そうな声を上げた。
「そんなに分かりやすかったかな」
「うん、すごく」
 しかし、なぜ今そんな話をするのだろうか。
「参ったな。いや、良かったのかも」
 やっと私も落ち着いてきて、しゃくりあげながらも彼の話を聞く。
「ともかく、最初はそんな風に思っていたんだけど。渉彦君を世話している君は
本当に楽しそうだったからさ。いい姉弟だと思って」
「よくわからないよ」
 ただ、私を元気づけようとしているのは分かった。
「ごめん、俺もなんでこんな話しをしだしたか分からなくなった。でも、あのさ、
これからも俺は一緒だから、きっと大丈夫だ」
「……うん、そうだね」
 私は彼からそっと離れた。まだ目は赤くてひどい顔だろうけど、幸い今は真夜
中だ。きっとはっきりとは見えていないだろう。
「じゃあ、また」
 私はそう言って手を振った。彼は地面に置いていた明かりを持って、里の方へ
去っていった。
 その光が見えなくなるまで、待とうと決めた。
 そして、そろそろ家に入ろうかと思った時。
 山の方から、一つの明かりが降りてくるのが見えた。
 私は怖くなって、急いで家の中に入った。
 しかし、暫く経つと戸の外から聞き知らぬ声が聞こえてきた。
「蟲師のギンコと申します。どうか、一晩宿を貸してほしい」

「まさか、こんな所で出会うとはな」
 渉彦が寝かせられている部屋に、一人の男が座っていた。
 この地では珍しい洋装を纏い、白い頭髪と碧眼を持っている。
 先程、ギンコと名乗っていた男だ。
「会いたくなかった」
 渉彦は、にべもなく切り捨てた。
 今、この部屋は二人きりだ。蟲師を名乗ったギンコが、渉彦の治療を申し出た
のだった。
「そう言うなよ」
 ギンコは苦笑いして、煙草をふかしている。
「それで、なぜお前はそれほど成長している。とっくに寿命は終わっているはず
だ」
 一転して、鋭い目つきが渉彦を見据えた。
「僕にも分からない。いつの間にか、僕はこの姿になっていた」
 澱みなく渉彦は答えた。
「確かに通常のヒトタケとは異なるようだな。しかし、お前が人を食う綿吐だと
いう事実は変わらない」
 綿吐――ヒトの胎内で胎児を食らい、本体が産まれると床下などに隠れ、子に成
りすましたヒトタケを宿主のもとに送り込む。そして成長したヒトタケが自らの
種をばら撒く蟲。
 その本体は、緑色のドロドロとした塊だという。
『渉彦』は、それらの一つだ。その容姿は、以前寄生した夫婦に似せたものに過
ぎない。
「お前は人の敵だ。生かしてはおけない」
 緊迫した空気が流れる。
「僕に、種をまく術はない。お前のせいだ」
 渉彦は、かつて自分を蟲師として殺そうとした相手を糾弾した。
「俺のせい?」
「ああ。そうだ。お前が長いこと閉じ込めていたおかげで、種は弱っていた。そ
の上、山奥に落とされたせいで次のヒトも見つからなかった。なんとか近くの雌
熊の胎内に入ったがこのざまだ。僕はおかしくなってしまった」
 そこには、明確な怨嗟が含まれていた。
「僕は熊にはなれなかった。それどころか、元のカタチにすらも。生まれ出た時
からこの姿で、種の残し方も分からない」
 自らの種を残す事。それは、綿吐にとってもっとも大事なことなのに。
 それを阻まれたことに、怒りを感じていた。
「それが本当なら、お前にとっては一番の苦痛だろうな。だが、言っただろう。
どんなことがあろうとも、お前にこれ以上人を食わせるわけにはいかないと」
 しかし、ギンコは断言する。
 どんなに人に似せていても、結局のところ綿吐は人を襲う害蟲だ。その願いを
聞くことなど、出来はしない。
「下手な知恵をつけたな。以前のお前なら、人以外に寄生しようなんざ考えなか
ったはずだ」
 そう、静かに言い放つ。
「確かに僕は失敗した。本当の自分を、忘れてしまった」
 渉彦は悔しそうに述べてから、尋ねた。
「お前は、僕を殺すのか」
「いや。その様子だとどうやら、本当に種を残すことはできないようだからな。
寿命まで生きるといいさ」
 種をばら撒くヒトタケは、成熟すると体表に緑色の染みが現れる。しかし、渉
彦の身体には見当たらない。
「……ああ、そうするよ」
 渉彦は目を閉じた。それを見守っていたギンコが、思い出したように問うた。
「なあ、最後に聞いておきたいんだが、なぜ『ワタヒコ』って名前に拘ったんだ?

 アキという女性のつけた、名前だった。
「……さあな。もう、覚えてもいない」
 渉彦はどうでもいいように、答えた。
 それで、話は終わり。ギンコは渉彦の父親と姉に、自分では治療をできない事
を詫び、早朝には発って行った。

 その後、渉彦は日に日に衰弱していった。そして、姉が祝言を挙げた翌日。
 失踪した。
 すでに立てないほどの状態だったにも関わらず、忽然と姿を消したのだ。
 父親と姉は数日周辺を探し回ったが、見つかることはなかった。
――数か月後、姉が妊娠していると診断された

 昏く、狭いその場所はどろりとした液体に満たされていた。
 その、分厚くなった壁に、非常に小さな球状の塊が付着している。
 いくつもの細胞の集まった胚は、ヒトの一番初めの姿だ。
 それに、伸縮する体で液体内を泳ぎ、近づくものがあった。
 かつてワタヒコと呼ばれていた、綿吐だった。
(死の間際にこうしてもとに戻り、入り込むことが出来た)
 綿吐は思考の中でほくそ笑んだ。
(あの人間に見つかった時は殺されると思ったが、なんとかやりおおせた。われ
われの勝利だ)
 嘘はついていない。あの時の渉彦は本当に種を残す術を失くしていたのだ。
 しかし、こうも思っていた。自らが死滅に直面したとき、本来の姿を取り戻せ
るのではないかと。
 そして、種をまたいで寄生したことも、原因の一つではあっても本質ではない。
 綿吐は、壁の胚に腕を伸ばし、取り込んでいく。
 綿吐が両親に面影の似たヒトタケを作り出せるのは、恐らく宿主の子供を食う
からだ。
 親から子へ受け継がれるものの本質を奪い取り、それに基づいてヒトタケを作
成するのだろう。
(前回は、それに囚われていた。取り込んだはずのものに影響されて、自分自身
を作り変えてしまった。失敗した)
 いくら作り変えたところで、綿吐は人ではない。不完全な身体はその本質を維
持できず、崩壊した。
(今度こそ、完全な綿吐に)
 一つの細胞が溶け落ちて吸収される。
 綿吐はこの子どもの本質的な部分を読み取り……絶望した。
 綿吐の本能が、獲物に致命的な欠陥があることを示していた。
 これでは、ヒトタケを作れない。
(まだ残っているワタヒコのものと混ぜ合わせて……いや、無理だ。間に合わない)
 綿吐には時間がなかった。何しろ一度は死滅しかけているのだ。
 さらに、新たに得たものを馴染ませる時間も必要だった。
(死ぬ、のか)
 すでに体は壊れつつある。あと数分で崩れ去るだろう。
 綿吐はふと、姉の顔を思い出した。世話好きな彼女は、要求しなくても必要な
ものを与えた。おかげで、表情を整える面倒をせずに済んだのだった。
(本当に、都合が良かった。以前寄生した女も、正体を知っても殺さなかった)
 そして、自分を封じた人間の問が浮かぶ。
『なぜ、ワタヒコの名に拘るのか』
(忘れて、しまったな)
 それも、嘘ではなかった。
(細胞一つ一つ、個別に欠損部分を補填すれば、可能性はある、か)
 綿吐は、胚の細胞すべてに腕を伸ばし始めた。


「ねえ、この子の名前、どうしようか」
 とある民家の縁側に、赤子を抱いた母親が座っている。
「ゆっくり考えればいいさ。それより、体は大丈夫か?」
 家の中には、父親が佇んでいた。
「うん。すっかり」
 母親は微笑んで、しかしほんの少しだけ寂しそうな様子だった。
「本当に、この子だけでも無事に生まれてきてくれてよかった」
「ああ、きっと、もう一人が助けてくれたのさ」
 父親が、妻の肩を後ろから抱いた。
「そう、ね。それにしても、この子……」
「どうした?」
 母親は子の顔をじっと見つめてから、首を振った。
「やっぱり気のせいみたい」
 そう言って、笑った。
 赤ん坊の瞳が一瞬、翡翠色の光を反射したような、そんな気がしたのだと。

 終わり



テーマ「翡翠」

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第三十三回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2017.08.08(Tue) 00:00
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