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ツユクサの約束

 あの時もちょうど、こんな空の色をしていた。夕暮れが去った後、夜がやってくるまでのほんの一瞬だけ現れる、明るいけれどもどこか靄がかかったような薄青色。
 宙に向かって覚えたての煙草をくゆらせながら、僕はネクタイを緩めた。盆の日差しをたっぷり蓄えた喪服たちはその程度で大人しくなってはくれなかったけれども、胸元にゆるりと風が流れ込んできた。六年前のあの日よりも、今日はずっと過ごしやすい。
 今日はタマの七回忌だった。マンションのお隣さんだった彼女はなんとも表情の乏しい少女で、喜怒哀楽表現の激しかった僕と足して二で割れば丁度いいのに、と親たちはよく言っていた。正反対故か馬の合った僕たちはよく一緒に遊んでいたが、タマは当時の僕にはよくわからない難しい名前の病気を患って、入退院を繰り返したのちにたった十四歳で居なくなってしまった。

亡くなる前日、タマはお見舞いに来た僕を散歩に連れ出した。陽炎が立ち上るアスファルトの上を、病院の外壁が途切れるところまで並んで歩く間、終始しゃべり倒す俺に対してタマはこくり、こくりと相槌を打つだけだった。いつもそんな調子だったから気にもとめなかったけれども。
『見て、フジマル』
 ほんの百メートルほどの距離をゆっくり時間をかけてのろのろ歩き、それでも遂に病院の端まで来てしまったとき、タマがしゃがみ込んで僕を誘った。彼女の足下には、うなだれた花が一輪。
 空の色と同じだね、と僕が言った。もう夜が来るね、と見上げてタマが返した。
『この花ね、ツユクサっていうの。知ってる?』
『ううん、初めて聞いた』
 彼女はその小さな手で、小さな小さな花を摘み取ると僕に差し出した。ツユクサは夏のけだるげな風に揺られて、僕の手の中で小さく震えた。
『それ、あげる』
 真っ白なワンピースをはためかせて立ち上がったタマは、少しだけ口の端をゆがめて僕に笑いかけた。テレビでお笑い芸人がどんなに面白いことを言っても無表情で手をたたくだけの彼女が笑うなんて珍しすぎて、思わずどうしたのと尋ねた。
『タマ、笑ってる。変だよ』
『私だって笑うよ。ばーか』
 たちまちいつもの仏頂面に戻り、そろそろ戻らなきゃ、とタマは踵を返した。
『じゃあね、また明日』
『大事にしなくていいから』
『え?』
『その花、大事にしなくていいから。じゃあね、フジマル』
 タマはそう言って、振り返らずに病院に戻っていった。
 その日の晩に彼女の容態は急変し、次の日まで保たなかったのだという。夜が明けて僕がその話を聞いた頃には、ツユクサは既に萎れてしまっていた。

 そのときの花は、押し花のしおりにして財布に入れてある。我ながら女々しいとは思ったが、タマとの最期の思い出だからとっておきたかった。
『大事にしなくていいから』
 どうしてタマがあんなことを言ったのか、聞きそびれてしまった。大切にする間もなく萎れてしまったこの花は、どことなくタマに似ていたような気がするけれども。
「フジマル」
 ふと誰かに名前を呼ばれた気がして振り返ったけれども、背後にはアスファルトの路面が延々と続いているだけだ。どこか懐かしいような、それでいて泣きたくなるような、そんな声だ。
「ふーじまる、こっちこっち」
 今度は正面から。バッと目線を戻すと、そこにはツユクサのような薄青色のワンピースから真っ白な手足をニョッキリと出した、小さな女の子が立っていた。六年間忘れられなかった、何度も何度も何度も何度も会いたいと願って会えなかったその少女は、昔と変わらないぷっくりと膨らんだ唇を開いた。
「おひさしぶりです、珠(たま)緒(お)です」
「……タマ」
 紛れもなくタマだ。珠緒というのは彼女の本名で、顔がまん丸で真っ白で、白玉みたいだからタマと呼んでいた。
 しかしありえない。タマは死んだんだ。六年前の今日、確かに息を引き取った。僕は葬式で棺桶の中に花を添えたし、骨になったタマを拾って壺に入れた。なのにどうして、六年前と同じ姿で、どうしてここに。
 思わず手を伸ばして、少女の頬をつねった。肌はなめらかで心地よく、ほっぺたを引っ張ると餅のように伸びた。触れる。あの時のタマと同じ感触だ。続いて自分の頬も思いっきりつねる。痛い。夢じゃない。
「大丈夫、ちゃんと死んでるよ」
 僕の胸中を見透かしたかのように、ニコリともせず彼女は言った。
「今日、私の七周年だったでしょ?」
「七回忌だろ」
「そう、それそれ。だからひさしぶりにフジマルと会いたいなって思って」
「……なんだよ、それ」
 俺がどれだけ会いたいと願っても、一度だって会いに来なかったくせに。
 タマは僕を見上げて、おっきくなったね、と呟いた。当時はほとんど身長差のなかった僕たちだが、今ではタマの頭は僕の肩にも届かない。六年前から時間が止まったままなのだ。
「そうだ、おじさんとおばさんにも知らせなきゃ。多分まだ家で片付けしてるだろうから」
「パパとママ、元気?」
「ああ、元気だよ。さっきは『あの子ったらちゃっかりお盆の初日に亡くなったから、いろいろと纏めてできて楽だわあ』なんて言ってた」
「あの人たちらしいや」
 タマはぼそっと呟いた。
手を引いてタマの家まで連れて行こうとすると、ぺちっと可愛らしい音を立てて僕の手をたたかれた。ふるふると首を振って、か細い声で言う。
「行けないの」
「どうして」
「私が会いに来たのは、フジマルだから」
 彼女のワンピースが空とひとつになって、白く浮かび上がる顔が本当に幽霊みたいだなあ、とぼんやり思った。

 ちょっと話そうか。そう言って彼女は、よっこいしょとかけ声をしながら、土や草がつくのも気にとめず道ばたに腰掛けた。釣られて僕も腰を下ろす。お盆特有の生暖かく気だるい空気が纏った青臭い草の香りに、思わず顔をしかめた。
「どうだった? 私の居ない六年間は」
「そういう言い方、やめろよ」
 思わずきつい口調になると、タマは素直にごめんと頭を下げた。同い年だったはずなのに、自分より一回りも二回りも年下の女の子に頭を下げさせているこの光景はなんだか胸がズキズキする。
「僕は……寂しかったよ、タマが居なくなって。タマほど気の合う友達なんてできなかったし」
「あ、四つ葉のクローバー」
「おい、話聞けよ」
 自分から聞いておきながらさほど興味はなかったのか、タマはぷちんとクローバーを摘み取り、そして何故か四枚ある葉のうちひとつを取ってしまった。
「四って、死を連想させるから嫌だと思わない?」
 そう言って、無理矢理三つ葉にしたクローバーをぽいっと投げ捨てた。タマのその発想が嫌だと思ったけれども、何も言わなかった。するとタマは僕の眉間を、親指でぐいっと押さえつけてきた。
「眉間にしわ。フジマルはすぐ顔に出るね」
「タマが顔に出なさすぎるだけだから」
「うん、ごめん」
「別に、謝られるようなことじゃないから。……タマはさ、何してたの? この六年間」
「そうだね……ずっとふわふわ、かな」
「ふわふわ?」
 タマは立ち上がって、僕の周りをゆらゆらと揺れながら歩いた。そういえば最期にあった日は真っ白なワンピースを着ていたし、タマはこんなワンピースを持っていただろうか。ひらひらはためく布には草のかけらも土くずもついていない。僕は自分のおしりをぱんぱんとはたいて立ち上がった。
「こうやってね、フジマルの周りをつかず離れず、ずーっと見てたの」
「……なんで?」
「なんでだろうね。トイレの中まで丸見えだったよ」
「嘘だろ?」
「嘘だよ、ばーか」
 そう言って彼女は鼻をふんと鳴らした。僕はその白いおでこにデコピンをしてやったけれども、ちっとも赤くなんかならなかった。
「なあ、タマ。言いたいことがあるならはっきり言えよ」
「……なんのこと?」
「おまえが大して面白くもない冗談を言うときは、言いたくても言えないことがあるときって決まってるんだよ」
「別に、そういうんじゃないけど」
「幼馴染み舐めんな、六年ぶりだからわからないとでも思ったか」
 タマはしばらくの間何も言わなかった。日は既に隠れていたけれども、夏の暑さはしつこく僕にまとわりついて、僕の首筋にいくつもの滝を作った。タマは汗一つ書かず眉一つ動かさず、僕の顎から落ちた汗が草の上で砕けるのをじっと眺めていた。
「ねえ、フジマル」
「ん?」
「私が何で今更フジマルの前に現れたか、わかる?」
 タマはそう言って、僕の尻ポケットから財布をスッと抜き出して、しおりを取り出した。
「大事にしなくていいって言ったのに」
「大事にするに決まってるだろ!」
 タマから最期にもらった思い出なのに。こんなに小さくても、萎れていても、タマを思い出す縁だったのに。捨てられる訳なんてないのに。
 半ばひったくるようにしおりを取り返し胸ポケットに入れると、タマは返してと言いながら再び奪おうとしてきた。返しても何もこれは僕のだ。
「タマが僕にくれたんじゃないか! だから大事にしてたのに」
「大事にしちゃだめなの!」
 ビクッとして一歩後ずさると、僕の足下で蛙が抗議をするように一声あげて跳ねていった。タマが声を荒らげるのを、初めて聞いたかもしれない。肩で息をしている彼女の唇は、わなわなと震えていた。
「フジマルのことだから、どうせツユクサのことなんて何にも調べてないんでしょう」
「……どういうこと?」
「忘れて欲しかったの」
 タマはうつむいて僕の胸を力なくたたいた。緩く握ったこぶしは本当に小さくて、とすんと軽い音を立てて滑り落ちていった。
「ツユクサはね、昔染料として使われていたの。きれいな青が出るからね。でもツユクサを使って染めた着物はすぐ水で色落ちしちゃうから、心移りや儚さを表すんだって。だから、だから……私のことなんてさっさと忘れて、私との思い出なんてさっさと捨ててって意味だったの!」
「んなことわかるわけないだろ! 中学生だったんだぞ!」
「それはフジマルが馬鹿だからでしょ!」
 とすん、とすんとたたき続けるタマの薄い肩が小さく震えているのが痛々しかった。タマを右腕で抱き寄せると、片腕で身体全体をすっぽりと抱えられるほど小柄で、驚くほどひんやりとしていた。
「ごめん」
「……言えなかったの」
「うん」
「本当は覚えていて欲しかったの」
「うん」
「でも、忘れられなきゃ駄目なの」
「なんで?」
「そうしなきゃ、フジマルは前に進めないでしょ?」
 空いた左腕で頭を撫でると、タマは盛大に僕のワイシャツで鼻をかんだ。派手な音がした割に、シャツがしめったり粘液まみれになる感触はなかった。それがいやに腹が立った。
「毎年命日にはお墓参りに来るし、捨てて欲しかったツユクサは大事に持ってくれちゃってるし、しょっちゅう私の夢見て泣いてるし」
「待って、最後のはしてないんだけど」
「ほんとに?」
「……たまにだけだから」
 タマは僕を恨めしげににらみつけて、唇だけでばーかと言った。そっと指で涙をすくい上げると、また新たな大粒の涙がこぼれ落ちてきた。
「私が、どんな思いで」
「うん」
「あの日、フジマルに言ったか……っ」
「うん」
「死んだ人のことなんか、いつまでも引きずらないで。私のことなんか忘れて明るく暮らしてよ。もう二十歳でしょ。大人になったんだから、踏ん切りつけてよ。……私、心配で成仏もできないんだよ」
「ん、ごめんな」
 とんとんとあやすように背中をたたいていると、タマはだいぶ落ち着いてきたようで、ゆっくり息をしながら僕の胸から顔を離した。涙と鼻水でぐずぐずになっていたけれども、いつもの無表情に戻ってしまっていて、なんだかちょっと惜しい気がした。
「だから、ちゃんとお別れしよう、フジマル」
いつの間にか空は藍色へと移りつつあって、僕の影が姿を朧にしていく。タマの足下に、影はない。
「夜が明けたら、フジマルはもう私のことなんか忘れるの。新しい友達を作って、彼女とかも作っちゃったりするのかな、とにかく前へ進むの。過去なんか振り返らなくていいから。フジマルが幸せになるのが、私の幸せ」
「……嫌だと言ったら?」
 タマは何も答えなかった。ただ無表情のまま僕を見つめ返した。こうなったらタマは頑固だ、てこでも意志を曲げようとしない。
「……わかったよ。タマがそうしろって言うなら、そうする。だけどお願い、これだけ持たせて」
 僕はポケットの上からしおりを押さえた。押し花にしたツユクサは、色落ちすることなくずっと僕に寄り添い続けてきた。だからこれからも、きっと。
「忘れないで、タマ。僕が忘れても、君は僕のことを」
 タマは、六年前のあの人同じように、ほんの少しだけ笑った。


 ふと気がつくと、僕は道ばたで立ち尽くしていた。やけに暑苦しい喪服のような格好で、その上汗だくで気持ち悪いことこの上ない。汗をぬぐおうとハンカチを探してポケットをまさぐっていたとき、胸元でカサリと小さな音がした。見ると、薄青色の小さな押し花のしおりがほんのりと熱を持って入っていた。
 なんだったかな、この花の名前は。知っているはずなんだけれども、喉元まで出かかっているようでどうしても思い出せない。まあ、思い出せないと言うことはその程度のものだったということなのだろう。
 さあっと一陣の風が吹き抜けて、僕の手からしおりを攫っていった。慌てて宙に手を伸ばすと、山の端から一筋の光が差し込んできた。
 朝はきっと、もうすぐそこまできている。



テーマ「つゆくさ色」

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第三十三回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2017.08.08(Tue) 00:00
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