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着せ替え人形

 もう一週間たったのか。
 空虚な部屋に鳴り響いたチャイムに目を覚ましたケイは、まず思った。
 週に一度くる宅配便は、ケイに時間の経過を思い出させる。
 ケイの部屋の時計はいつも同じ時間をさしている。いつ止まったのかは覚えていない。昼に起きようと、夜に起きようと、ケイにとっては同じことだった。起きてしまったことだけが、彼女にとって意味のあることだった。
 今日もまた目覚めてしまった。
 いつから始まったかわからない長い睡眠から覚めるたびに思う。いつになればこの人生は終わるのだろうか。この怠惰な時間は、いつまで続いていくのだろうか。
 墓場から起き上がる死体のように重い体をフローリングの床から引き離す。長い黒髪が床を滑る。片膝を立てて座り、だらりと垂れ下がった髪をかきあげる。
 部屋は、ほとんど家具がない。冷蔵庫と鏡台。たったそれだけだ。ベッドさえない。ケイはいつも、動けなくなるまでジンを飲み、床の上で死んだように眠る。彼女にとって自分の体はただの物質に過ぎなかった。いくら体が痛くなっても、気にも留めない。どうでもよいのだ。
 ケイは立ち上がり、転がっている空き瓶を蹴飛ばし道を作った。
 玄関を開けると、外の明るさに目がくらむ。配達員の指し示す枠に須藤、とサインを書く。荷物を送ってくる男の苗字だ。
 荷物の中身は、一日分の服と、一週間分のジンと水と開ければすぐ食べられるようなものが少し。須藤の好みと、ケイの要求で、この毎週の物資は決められている。
 荷物を玄関に放置し、ケイは服を着たままシャワールームに入る。蛇口をひねると勢いよく水が流れてきた。まだ冷たい水を頭のてっぺんから浴びながら体に張り付いてくる服を、一枚ずつ足元に落としてゆく。ろくな食事を取らないケイの体は華奢だ。すべてを脱ぎ切るとあたたかくなりかけた水を止め、頭を振る。水を含んだケイの黒髪はよくしなって滴をまき散らす。
 足元の服を着に留めず、ケイは全身を泡立てた。
 髪の毛も体もシャボンだらけだ。そしてケイから落ちた泡は脱ぎ捨てられた服の上にたまっている。
 そしてまた蛇口をひねりすべて洗い流す。
 シャワールームから出たケイは髪の毛を乾かし終わっても服を着ない。長い黒髪のみをまとって、大きなゴミ袋に、瓶もペットボトルもシャワールームにある水浸しの服も入れてゆく。袋の口を縛り、届いた段ボールの隣に置くと、物の無い部屋は空っぽの箱のようになった。
 荷物を封じているガムテープを引きはがし、箱を開ける。
 一番上に黒いワンピースと下着、ワインレッドのハイヒールが乗っている。
 順に身に着けてゆく。どれもケイの体にぴったりだ。ハイヒールも、足になじむ。コツコツと音を立てながら鏡台へ歩き、全身を確認する。送られてきた洋服に合わせてメイクをするのだ。
 須藤が選んだ服をメイクもネイルも併せて完璧に着ること。それがケイの生活を維持する須藤との交換条件なのだ。
 須藤と出会ったのはケイがまだ働いていたころだ。厳しい職場に精神を蝕まれ、逃げるようにバーへ入り浸っているときに声をかけられた。須藤の第一印象は余裕のある大人。決して整った顔なわけではないけれど、数十年世の中を渡ってきた、自信をにじませる味のある顔をしていた。須藤は一人でカウンターに座っていたケイに声をかけ、ケイが疲れて眠ってしまうまでずっと話を聞いていてやった。そして、寝ている間ずっと隣で飲んでいて、目を覚ましたケイをまるで捨て猫を拾うかのように家まで連れ帰ったのだ。
 須藤はアパレルの会社を経営していた。ケイに会社を辞めるよう勧め、生活費の心配はいらないから、と交換条件を提示してきたのだ。
 誰でもいいから逃げ場が欲しかったケイはすぐさまそれに飛びついた。
 社宅に住んでいたケイのために須藤は部屋を借り、五十万円を渡した。必要な家具はこれで買いそろえるように、と。そして毎月決まった額を生活費として振り込んだ。
 しかし当時のケイはお金をおろすことさえ面倒で、どんどんやつれていった。そこで、見かねた須藤が服とともに物資を送ってくれるようになったのだ。
 須藤にとってケイは、金のかかる着せ替え人形なのだ。
 須藤がそろえてくれたメイク道具を鏡台の上に並べる。化粧水をはたきこみ、下地クリームを広げる。順々に塗ったり描いたり、色味に気を付けながら服に合わせた顔を作っていく。口紅以外が、出来上がったところで、今度はマニキュアを塗り始める。色は靴に合わせた深い赤。
 爪が乾くまでの時間、ケイはただ座り込んでいた。何をするわけでも、考えるわけでもなく、ただ過ぎ行く時間を見送っていた。
 マニキュアの表面を触っても跡がつかなくなると、ケイは再び鏡台の前に行き、口紅を手に取った。唇に乗せると、鮮やかに色づく。
 最近のケイは、この紅色のものばかり使っている。
 ワンピースとともに入れられていた小さなバッグに口紅を放り込み、玄関を出た。
 外はまだ明るい。
 ケイは一週間ぶりの外気にくらくらしながら、須藤と出会ったバーへ歩く。須藤が来るのはいつも夜遅くだが、ケイは夕方からバーに座る。
「いらっしゃい」
 扉を開けるケイの姿を見つけると、マスターが微笑みながら声をかけた。須藤よりは少し若い彼は、須藤に負けないくらい落ち着いて見える。
 ケイは定位置でもある、扉から離れたカウンターの端に腰かけた。
 ケイの正面ではバーテンダーが道具を磨いている。ケイの好きな顔立ちをした三十過ぎの男だ。薄い唇がケイに向かって笑みを作る。
「今日は、何を?」
 かすれ気味の低い声にケイは紅の口角をあげる。切れ長の鋭い視線を受け止めて、先週ぶりの声を出した。
「紅の色を」
「かしこまりました」
 バーテンダーはすっかりケイの好みを覚えていて、抽象的な注文をしても、的確に作ってくれる。ケイはいつも、リキュールをはかっていく手を見つめる。長く細い指が優雅に動いていく様はいくら見ていても飽きることはない。
「どうぞ」
 爪の先まで美しい手を持つバーテンダーは、カクテルの名前を告げながら、カウンターの上を滑らすようにグラスを差し出した。
「ありがとう」
 カウンターの中に戻っていく手を惜しみながらも、ケイは視線をバーテンダーの顔に戻した。
「相変わらず紅のグラスが似合う手ね」
「ありがとうございます」
「とても色っぽいわ」
 ケイの言葉に、まるで仮面を付けているかのよう思えるほど整った笑みを浮かべる。
「ケイさんも、本当に紅色が似合っていらっしゃいます」
 ケイと、バーテンダーは、毎週同じ会話を繰り返し、互いに作りこまれた笑みを交わし合う。変わるのは出される紅のカクテルと、ケイのファッション。
 ケイとバーテンダーはほとんど話さない。ケイは無言でバーテンダーを観察し、バーテンダーはケイの視線を気にせず動いている。
 魅力的な横顔や首、肩や手などを眺めるのに飽きると、ケイは店の客を誘い始める。
 とはいえ、自分で声をかけることはしない。ただターゲットに微笑みかけるのだ。艶のある黒髪を揺らし、紅の唇を妖艶にゆがめながら。男女問わず、その微笑みに引き寄せられる人間は多い。
 作り物の笑顔を浮かべたケイの隣で、人々は道化になり、須藤が来るまでの時間を埋める。
 須藤は店につくと、苦笑しながらケイの相手を丁寧に除けて、ケイの隣に腰かけるのだ。
 いくら須藤が呆れようとも、ケイは自分の魅力を確かめるかのように、微笑みかけることをやめない。
 今日も、須藤が店につく頃にはケイの隣は若い男が陣取っていた。
「ケイ」
 低くはないがよく通る声で須藤が呼ぶと、ケイは美しく笑った。
「済まない。場所を代わってもらえるか」
 須藤は男に声をかけ、カウンターの椅子に腰かける。須藤はまず、ケイの全身を眺めた。
「相変わらず黒い服がよく似合う子だね」
「ありがとう」
「とてもきれいだ」
 毎週送る荷物のことや、買い足さなければならないものがあるかなど、ケイの生活状況を確認すると、須藤は自社の服を眺めながらゆっくりと酒を楽しむ。
 その間、ケイは須藤を眺めていた。くっきりとした二重。滑らかだけど少しくたびれた肌に浮かぶ皺。しっかりと主張する鼻筋。厚みのある肩。筋張った手。手首には重そうな腕時計がついている。
 ケイは須藤を観察してはバーテンダーと見比べ、バーテンダーを観察しては須藤と見比べた。何度も何度も、同じことを繰り返した。
 しばらくすると、須藤は腕時計を確認し時間にせかされるように立ち上がった。自分とケイの勘定を済ませ、ケイに一万円を持たせる。
「じゃあ、また来週」
 片手をあげてバーの扉の向こうへ消えていく。
 ケイは微笑みながら須藤を見送ると、渡されたお札をカウンターの上に放ったまま椅子から降りた。
「お帰りですか」
 バーテンダーが声をかけた。
「ええ」
 須藤が帰ったならば、ケイにはもうここで飲み続ける理由はない。バーテンダーに完成された微笑みを送る。
「ケイさんの微笑みには、本当に紅がよく似合いますね」
 バーテンダーはすべてを見透かして笑った。
「須藤に言われなきゃ意味ないわ」
 ケイも自虐的に笑い返す。
 ケイをただの着せ替え人形としてみている須藤は、服に似合う女としてしか褒めることをしない。
 まだ来週が来てしまうのならば、ケイに唯一残っているプライドのため、バーテンダーに一番魅力的だといわれた色で唇を染め続ける。



テーマ「紅」

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第三十三回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2017.08.08(Tue) 00:00
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