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月に祈りを

 ああ、やってしまった。同じことを何回繰り返せばおれは反省するのだろうか。いや、反省はしている。今も反省はしている。ただ、それが次に反映されないというだけ。むしゃくしゃして、気分が落ち着かない。
 こういうときは町の小高い丘に位置するある建物を目指して歩く。周囲に人の気配はなく、静まりかえっている中、青白い満月だけがやかましい。どこに行ってもつきまとってきてうんざりだ。
 目的の場所に到着した。屋根に大きな白い十字架がついているのが特徴的な建物、つまり教会だ。でも正面からは入らず、裏口から入る。正面から入るのは敬虔な信者達で、おれみたいなやつが正面から入るには恐れ多い。まあ、単にこんな夜更けに教会に入ること自体が神聖なものを冒す背徳的な感じがして正面から入りにくいってのが本音だ。
 裏口のドアを開け、中に足を踏み入れると、静謐な空気が身体に染み渡っていく。誰も居ないと確信したおれはそのまま前に進み木製のベンチに座ろうとした。が、歩いているとき人影が目端に写った。人影の正体を見ようとそちらへ顔を向けると、そこには女性が正座をして祈りを捧げていた。
 おれはすっかり彼女のその姿に見惚れてしまった。
 月光が教会のステンドグラスを透過して彼女を淡くライトアップしている。大きな十字架の前に跪き、頭を垂れ、胸の前で指を力強く組むその姿があまりにも人とは思えないほどに美しく儚げで触れるどころか近づくことすら禁忌であるかのように感じる。長く縁取られた睫毛、引き締められた唇。簡素な麻のワンピースを着て、月光を浴びる薄い金色の髪は秋の稲穂を連想させ、まるで稲の女神だ。
 一人になりたくて丘の上の教会に来たが僥倖だった。だってこんなものそうそう見れるものじゃない。
 このまま引き返すのはあまりにもったいないが、かと言って声をかけるのも論外だ。とりあえず、前から二列目の中央通路寄りの木製ベンチに腰掛ける。手持ち無沙汰だから指を組んで頭を垂れ彼女のまねをした。別に信心深くないがすることもない。
 頭を垂れていて気づいたが、この姿勢は気持ちが安らぐ。自分に素直になっているのが分かる。自分は今、さっきしでかした過ちを悔いている。ああ、次こそ、この反省を生かせるように――。
「――もし、聞こえてますか?」
 鈴を思わせるような声が耳朶を打つ。ゆっくりと目を開けると、そこには先ほどまで祈りを捧げていた少女の顔があった。翡翠色の大きな瞳がおれを捉えている。あまりに距離が近く後ずさろうとしたがベンチがそれを阻む。心臓が高鳴ってうるさい。言葉を発することができない。
「あのー、さすがに無視されると傷つくんですけど……」
 伏し目がちにそんなことを言われて慌てふためいてしまう。
「あ、ああ、すまない。少し考え事をしていたのと、その、距離が近くてびっくりしていたというか……」
「ご、ごめんなさい! すぐに離れますね」
 彼女が少し遠ざかってしまったことを後悔する。彼女は通路を挟んだ向こう側のベンチに腰掛け、問いかけてくる。
「ところで先ほど言っていた考え事とはいったい何ですか? あ、詮索するつもりなんてありませんよ。言いたくなければ言わなくて構わないです」
 両手を左右に振りながら話す彼女。動作がいちいち可愛らしいなこの人。
 まあ、考え事に関しては話すことはできない。特に自分のような臆病者の考えなど話すようなことじゃない。でも話さなければ何かやましいことだと憶測されるだろう。……でっち上げるか。
「しょうもないことですよ。昨日妹と喧嘩したから、どうやって機嫌を取り戻すか考えていたんです」
 大嘘だ。自分に妹なんていない。
 だが彼女はそれを信じたようで、怒っているような泣いているような悲しんでいるような顔を順に見せる。百面相の最後に柔らかな微笑みをたたえて、「妹思いなんですね」と。
 思わず、はい? と声が漏れてしまった。今のを聞いてどうしてそんな言葉が出てくるんだ。意味が分からない。
 俺が首を捻っていると、彼女が説明してくれた。
「だって、そうじゃなかったら喧嘩した後、機嫌をとって仲直りしようなんて考えないですよ。あなたが妹思いの優しい方だから、そういう考えができるのですよ」
「そういうポジティブな考え方ができるのも君ぐらいなものだと思いますけどね。普通は情けないって思いますよ」
「そんな普通、私は知りませんから」
 彼女は慈愛に満ちた笑顔で、そう言い放った。
 その笑顔を見ていると、嘘をついたことが申し訳なくて、情けなくて。
「……優しい、ね。おれは君が思うような優しい人間じゃないですよ」
「あなたがどういう人間かは他者が見て判断するものです」
「そういうものですか」
「そういうものなのです」
 ああ……彼女の生きる世界はおれには眩しい。でもその世界に住んでみたいという憧憬を抱いているのも確かだ。……いつかそちらの世界に行くことが出来るだろうか。
 そんなことを考えていると、彼女の「そういえば」という言葉と共にぱんっと音がした。彼女が手のひらを打ち合わせたみたいだ。そしてそのまま身体を斜めに傾け、下から覗き込むようにして尋ねてきた。
「あなたの名前はなんて言うのですか?」
 さっきまでの憧憬を振り切り気持ちを切り替えて答える。
「リオン。おれの名前はリオン。君はなんていう名前なのかな?」
「私はルルウェル。ルルと呼んでください」
「ルルか。分かった」
 忘れないように頭の中で反芻させる。心に刻んだ後、ルルに疑問に思っていたことを聞いてみた。
「そういえば、ルルはなんでこんな時間に教会に?」
「いつもの祈祷の時間だからです」
「いつもってことは毎日夜遅くに祈りを捧げているのですか? 親は心配しないのですか?」
「両親は私が生まれてすぐに私を教会に置いて出て行きました。司祭様が親代わりに私をここで育ててくれたから、私は今を生きているのです」
 両親のことを話している時、少し顔が悲しげだったが、すぐに笑顔に戻った。
「そうだったのですか……。嫌なこと聞いてしまってすみません」
「気にしなくていいですよ。それよりリオン君は時間大丈夫ですか?」
 ここは彼女の家でもあるのだからいつまでも居座るのは彼女に迷惑だろう。でも彼女との時間を今日だけで終わらせるのは悲しいから、期待を込めて尋ねた。
「さすがにそろそろ帰った方がいいかな……。また、ここに来てもいいかな?」
 それに対して彼女は「もちろん! 大歓迎ですっ!」と満面の笑顔で答えてくれた。嬉しい。その気持ちで満たされた。その気分のまま、彼女に別れを告げ軽い足取りで家路につく。月が帰り道を明るく照らしてくれていた。

 *  *  *

 その日以降、夜間になると教会へ足繁く通うようになった。雨の日も風が強い日も。さすがに最初は何日かおきに行っていたが、半年が経った今ではほぼ毎日だ。
 目的はもちろん、ルルだ。ルルと話していると気持ちが落ち着いて楽になる。
 いつもと同じ時間に教会に向かって歩き出す。今夜はどんよりとした重苦しい雲が空にのしかかっている。
 
 いつも通り裏口から入ろうとしたが、今日は一時間早く来たことだし、正面入り口から入ることにした。ドアを開けようと、取っ手を握ると何か話し声が聞こえた。聞こえる声は二つ。一つはしわがれた老人の声、もう一つは鈴の音のようなルルの声。なんとなく中に立ち入るのが躊躇われて、その場で耳を澄ませる。
「ねえ、お父様。どうしてもそこに行かないとだめなの?」
「ああ。もうこれは決定事項だ。覆すことはできない。……なあに、ルルは私の自慢の娘だ。不安に思うことはない。立派にやれるさ。」
「でもだからって、知らない人と結婚だなんて……」
 え? 今、なんて……?
 ぽつぽつと雨が降り始める。
「隣町の貴族の嫡子がルルに一目惚れをして、結婚をしたいって申し出が届けられたんだ。こんな名誉なことはないぞ」
「だからって、私に確認も取らずに話を進めるなんて……」
「私はお前の幸せを思ってそうしたんだ。今まで一つも浮いた話を聞かないお前の将来を心配してるんだ。それにもう決まったことだ。今更、何か言ったって無駄さ。三日後にお前を迎えに遣いの者を寄越すと言っていたからそれまでに支度をしなさい」
 そう言って司祭の老人の足音が遠ざかる。すすり泣くルルの声が聞こえる。けれど、おれにはこの扉を開けることができなかった。ドアの取っ手を握る力が抜け、情けなく腰を抜かし、天を仰ぐ。雨が目に入り頬を伝って落ちていく。
 あと三日。彼女との時間はたったそれだけ。それを理解してなお、自分はここから動くことが出来なかった。動くことが怖かった。
 ――どうか神様、ルルを遠くに連れ去らないでください。ルルを遠くに行かせないでください。
 この半年で習慣化してしまった祈りの姿勢。それは斬首される罪人の姿勢と似ていて。このまま祈るだけだと、首を斬られるのを待っているのと何も変わらない。
 ああ、そうだ……。ここで初めてルルと出会った時、おれは反省を次に生かせるようになると誓った。自分は何もせずに周りがどうにかしてくれる、こんな甘ったれたことを止めると誓ったのではないか。なのに、このていたらくはなんだ。半年前となにも変わっていないじゃないか。変わると誓ったのなら、変わってみせろ。今こそ、まさにその時じゃないか。まずはこの扉を開けることから――。

「ルルッ!」

 開けることが出来た。声を出せた。彼女の名を呼べた。
 そのことに自分でも驚いたが、ルルはもっと驚いた顔をしていた。泣き顔を見られたくないと思ったのか、顔を背ける。
「こっちにこないで!」
 叫ぶルルを無視して、雨に濡れた身体でルルの元へ歩み寄る。泥の靴跡が神聖な教会を汚す。ルルの前に立ち止まり、手を差し出す。
「おれと一緒に来てくれ」
 返事がない。……諦めたら何も変わらない。返事がないならもっと呼びかければいい……!
「おれの側にいてくれ、ルル!」
「……さっきの話、聞いてたの……?」
「ああ。何かルルの話し声が聞こえたから、聞き耳を立ててしまった。すまない」
 沈黙。今はルルの言葉を待つ。
「話を聞いてたなら分かるでしょ。もうどうしようもないの」
 震える声を賢明に抑えようとするが、それは噴火寸前の火山のようだ。
「ルルは本当にそれでいいのか?」
「いいわけないでしょ! でもしょうがないじゃない!!」
 爆発。金色の髪をかきむしり、両腕を振り下ろして怒りと諦観を露わにする。
「しょうがないなんてことはない! いいからおれについてこい、ルルウェル!!」
 彼女の手を引っ張り、身体を抱きとめる。軽い。けどそこに居る。熱い。そこにルルがいる証。顔と顔がくっつきそうなほどの距離。ルルの潤んだ大きな翡翠色の瞳がおれを捉える。月光が二人をライトアップする。
「リオン……私、諦めなくていいの……? あなたと歩む道を選んでもいいの?」
「ああ、諦めなくていい。諦めるという言葉は、君には似合わない」
 どちらともなく目を瞑り、顔を近づける。唇が重なる。とても熱くてちょっとしょっぱい味がした。唇を離し、二人の間に垂れる糸。目を開けると、紅潮したルルの顔。そんなルルを見てるとこっちまで照れくさくて、つい笑ってしまう。ルルもつられて笑顔になる。

 ひとしきり笑った後、ふと思い出したことがある。些細なことかもしれないがこれから人生を共にする上で隠していたことは明かした方がいいだろう。
「そういえば、ルルに謝らないといけないことがあるんだ」
「ん? なあに?」
 小首を傾げるルルの姿は可憐だ。いやそれは置いといて。
「初めて出会った日のことを覚えているかい? その日、実は嘘をついていたことがあって……」
「ああ、もしかして妹がいるっていうのが嘘だってこと?」
 開いた口がふさがらない。たぶん、今過去最高にみっともない顔をしているだろう。
「ど、どうしてそれを……?」
「だって、その日以来妹の話を一度たりともしなかったんだもの。両親の話とかは何回かしたのに、ね」
「嘘を隠し続けてごめんなさい」
「今回は特別に許してあげる。でももし次、嘘をついたら針を千本飲ませるからね」
 笑いながら平然と恐ろしいことを告げるルル。あの目はたぶん本気だ。無言で首を縦に振らざるをえない。
「ねえ、私からも一つ言いたいことがあるんだけど……」
「なんだい?」
「今まで育ててくれたお父様に恩を仇で返すようなまねはしたくないの。だからきちんと、お父様に説明をして貴族の方との縁談を破棄したいの」
 真剣な顔で決意を表すルル。
「ああ。それはおれもそうしようと考えていた」
 駆け落ちするよりも、そちらの方が後々厄介事が少ないだろうしね。
 めんどうくさいことも起きるだろうが、それは仕方ないと割り切るしかない。何かあれば、周りの人を頼ればいいんだ。自分たちだけでなんとかしようと思う必要はない。

 お互い、言いたいことはもう言った。だったら後はいつもと同じように祈りを捧げよう。地面に跪き、頭を垂れ、胸の前で指を組む。祈りを捧げ、愛を誓うルルとリオンを月が祝福し、これからの未来を優しげに照らし出す。



テーマ「月白」

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第三十三回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2017.08.08(Tue) 00:00
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