FC2ブログ
« 2018 . 08 »    1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | CM(-) | TB(-) --.--.--(--) --:--

朝焼と悪魔

「そういやさあ、東堂さんの話、聞いた?」
「あー、飛び降りたってやつ?」

 後ろの席の女子高生らしき二人組の話が、うつらうつらしている私の意識を浮上させた。完全に閉じていた瞼をうっすら上げると、薄闇の中で車内灯がにじんで見える。いつもの時間、いつもの風景。もう少し眠れるかもしれないが、それよりも後ろの会話が気になった。

「そうそれ。あれ、マジ?」
「マジらしいよ。学校来なくなった日の朝に、家の前に救急車とパトカー停まってたんだって」
「うわ、マジかあ。死んだの?」
「わかんない」

 学校には連絡ないらしいけど、と事情を知っているらしい方は軽く付け足して、ふうん、と事情を知らないらしい方は素直に相槌を打った。
 これ以上ないほどの低速で走るバスは、がたがたと不規則に揺れながら誰もいない真っ暗な停留所を通り過ぎる。金曜日の夕方だからか、車通りが多い。次は終点です、とアナウンスが流れた。

「ていうか、東堂さんと知り合いなの、ユイ」
「はあ? こんなバカっぽいやつとあたしが話すわけないじゃん」
「いや、別に。話したこともないよ」
「ていうか、そういうこと聞いてるおまえとも話したことないし。サイアク、死ねよ」

 口汚い罵倒が二人に投げられるとともに、ぐん、と右肩が重くなる。私は顔を前に向けたまま、小さく身じろいだ。隣で喚き散らし続けている声には耳を貸さないように。平常心、平常心。

「ねえ、あんたもなんか言ったら?」

 右肩の重みが増した。加えて、ギリギリと肩が握りしめられる感触。前言撤回、無視はできないらしい。私は不自然にならない程度に右隣の座席に目をやる。

 明らかに日本人として、人間としてありえない、鮮やかなピンク色の瞳が、私を射抜いた。ドールのように整った美しい顔には貼り付けたような薄笑いが浮かんでおり、艶やかな長い黒髪も相まって、ますます無機物らしさが強調されている。後ろの女子高生と同じであろうセーラー服に包まれた身体は、よくよく見ると向こう側がうっすら透けて見える。まるで、幽霊のように。
 どこか存在感の薄い、輪郭がぼんやりした彼女は、初めて電車に乗る幼児のように、だらしなく背もたれから身を乗り出したまま、にやにやとこちらを見ている。どうやら、二人の女子高生を罵るのに早々に飽きたらしい。

 私は彼女に何も答えないまま目を逸らし、もう一度ゆっくりと目を閉じた。公共バスの車内で、虚空に向かって話しかける成人女性なんて笑えない。彼女は私の考えていることを解った上で笑っていたのだろう、肩をつかまれる感覚はなくなった。
 女子高生の会話は、まだ続いている。

「東堂さんって、別にいじめられてたわけじゃないんでしょ? ぼっちだったとは聞くけど」
「かわいかったけど、何か暗かったからなあ。話かけづらかったんだよね」
「で、ハブったわけでもない、と」
「むしろ、東堂さんの方が話しかけてほしくないってオーラ出してた」
「何でだろうね、自殺なんて。報復?」
「うわ、笑えないんだけど」

 ちょっとした渋滞の中、バスはなかなか進まない。停留所に着くのに、もう少しかかるだろう。一向にやってこない眠気を待っているうちに、いつの間にか右肩の重みは消えている。

***

「……東堂さん、何でここにいるの」
「なんでだと思う?」

 心底楽しそうに、教卓にもたれかかった美しい少女は笑みを浮かべた。
 誰もいない教室は締め切られていて、夕陽で赤く染まった溶液で満ちているような錯覚を覚える。まるで、血の池のような。置き忘れていた弁当箱のことなんかどうでもよくなって、私は彼女に向かって思わず一歩踏み出した。驚くのも忘れていた私の口から、ぽろぽろと疑問がこぼれ出る。

「死んだんじゃないの」
「あんたが死んだと思うなら死んだんじゃないの」
「幽霊なの」
「あんたが幽霊だと思うなら幽霊なんじゃないの」
「埒が明かない……」

 私の言葉に、東堂さんは笑みを深める。彼女が学校に来ていた頃には見たこともないような表情、態度。おとなしく、教室の隅で独り、ひっそりと昼食をとっていた彼女に似つかわしくもない。

「その目、どうしたの」
「あ、やっぱりわかる?」

 今日は夕焼けがきれいだからごまかせると思ったんだけど、と東堂さんは続けた。彼女の瞳は、造り物じみた薄桃色、――言うなれば、撫子色、石竹色、と形容できる不思議な色合いにきらめいている。無論、私が知っている東堂さんはこんな色の目ではない。

「なんか、こんな色になっちゃったんだよねえ、死んだら」
「やっぱり死んでるんだ」
「あんた、ぜんぜん驚かないんだね」

 私の問いには答えず、東堂さんは能天気に返した。

「そりゃ、まあ、なんというか、驚きすぎてというか……」
「あんた、バカなのかもね」
「はあ……」

 幽霊に罵倒される日が来ようとは思わなかった。私の気持ちとしては、驚きというより呆れの方が大きいんだけど、と訂正する気にもならない。

「それにしても、なんであたしがあんたに会いに来たのか、聞かないわけ?」
「え?」
「あたしだったら、まっさきにそれを聞くと思うんだけど。祟りとか、こわいしさあ」

 幽霊のあなたがそれを言うのか、というツッコミを寸でのところで呑み込んだ。どうして、と小さな声をかろうじて絞り出すと、東堂さんはどこか得意げに頬杖をついた。

「んー? そんなに知りたい?」
「はい、知りたいです」
「……嘘でもいいからもうちょっと感情を込めて言ったら?」
「とってもとっても知りたいです。マジで知りたいです」
「……まあ、いっか。実を言うと、あたしもよくわからない、ってのが答えなんだよねえ」
「ええー……」

 もしかして、理由が分かるまで私付きの幽霊にでもなる気ですか、とはさすがに聞けなかった。祟り云々よりも、そっちの方が怖い。

「ねえ、あんたはどうしてだと思う?」
「ええー……東堂さんが、私のことを好きだったから、とか……」

 冗談のように私が口にした言葉に石竹色の目を丸くした東堂さんは、すぐに破顔した。

「そっかあ、そういうのもアリかあ」

 どこか嬉しそうに、どこか悲しそうに、東堂さんは笑う。心なしか、彼女の輪郭が曖昧になった気がする。瞬きをしたらかき消えてしまいそうな、薄い存在感。
 気がつけばいつしか、教室の中の溶液がほの青く濁り始めている。陽はそろそろ沈み切る。夜が来るのだ。私はゆっくりと瞬きをする。

***

 がたり、という物音に目が覚めた。大して眠っていないはずなのに、どうしてか起きなければならない気がした。
 起きなければならないって?
 私は急いで布団から抜け出して、部屋を出る。たぶん、リビングに面したベランダだ。

「さすがに気づいたんだ」

 がちゃり、と音を立ててドアを開けると、××は振り返った。リビングとベランダとを隔てる窓ガラスは全開で、心地よい風が吹き込んでくる。閉めていたはずのカーテンはきちんとまとめられていて、わずかに揺れている。

「……どうして」
「何でだと思う?」

 久しぶりに聞いた義娘の声。××は、幅が10cmほどしかない手すりの上に、足を外側に向けて座っていた。なぜか着込んでいるセーラー服の、スカーフが風にたなびいている。

「……私への当てつけのつもり?」
「何で私があなたのために自殺しなきゃいけないの」
「お父さんのことを恨んでるのかもしれないけど、少し落ち着いて」
「うるさいよ、黙って」

 いつにない乱暴な語調に思わず口をつぐんだ私に、××はゆっくりと噛みしめるように言う。

「私さあ、生まれ変わりたいんだ」

 人形のように整った顔には、何の感情も浮かんでいない。私はぼんやりとして、能面のような××の顔を眺めた。

「私以外の誰か、別の人になりたい。全部リセットしたいの」
「……それは、生まれ変わらないとできないことなの」
「そうだよ」

 というか、そもそもオカアサンは私を止めないでしょ? わざとらしく発音して、小さく笑う。事実、私の身体はドアを開けたところから一歩も動いていない。動けない、わけではない。

「アンラッキーだったなあ、私の人生」
「待って」

 身体が前のめりに、もう××だけでは立ち直れないくらいにまで傾く。動けない私に向かって、重力に身を任せた義娘は悪魔のように美しく笑った。

「あたしが、あんたのことを好きになるとでも思った?」

 薄墨色の空が、徐々に白んでいく。東側の空は、赤と青と白がところどころ混ざった桃色にぱっと染まった。もうすぐ、夜が明ける。

***

「あらー、ずいぶんぐっちゃりいったな、あたし」

 あの日の朝、私は階下の景色をベランダから見下ろして、唖然として突っ立っているしかなかった。動かなかったんじゃない、動けなかった。
 すぐ向かいのマンションから飛び降りた人がいたこと、落下していく少女と目が合ったこと、彼女が美しく笑っていたこと、そして地面でぐちゃぐちゃになっているはずの彼女が私のすぐ隣にいて一緒に現場を見下ろしていること。このくらい驚きが重なれば、人間、動けなくもなる。

「これは、大成功ってことでいいのかな」

 誰かが読んだパトカーと救急車は、十数分ほどで駆け付けた。早朝にもかかわらず、朝の澄んだ空気を切り裂いたサイレンに引き寄せられた人が路上に溢れている。警官たちが、ブルーシートで『その辺り』を覆った。絶句している私を尻目に、セーラー服の美しい少女は楽しそうに騒ぎを眺めている。

「……あなた、誰、なの」
「え、それ聞く? ふつうにわかるでしょ?」

 少女はあっけらかんと答えた。指先で、ちょいちょいとブルーシートの方を指す。

「いや、その、誰なのかっていうか……何なのかっていうか……」
「ええー、あたしはあたしなんだけどなあ。少なくとも、もう人間じゃないのは確かなんじゃない? 幽霊とか?」
「そんなあっさり……」
「だって認めるしかないじゃん、死んだんだもん。あたしも信じらんないけど」

 私が二の句を告げないでいると、少女は頬杖をついて、うーん、と小さく唸った。

「じゃあさ、あんたの妄想ってことでいいんじゃないの」
「妄想」
「あたしのことが見えるにもかかわらず、あんたは幽霊っていうものを認めたくない。でも、あたしはあんたの前から消えない。じゃあ、妄想しかないじゃん?」

 あたしあったまいいー、と少女は棒読みで言うと、楽しげに笑いながら私の目を覗き込んだ。思わず、あ、と声が出る。

「なに?」
「あの、その目は」
「目?」

 きょとんと、年齢に見合ったあどけない表情で、彼女は首を傾げた。

「ええと……その目の色、生きてるときから、なの? ピンク色なんて」
「あれ、ほんとだ」

 振り返ってベランダと部屋とを隔てるガラスに映しこんだ顔を見て、驚いたように少女が目を見開く。幽霊なのにガラスに映りこむんだ、という疑問はとりあえず保留することにする。

「ええー、なんでだろ。こんな色」
「朝焼けが」
「え?」

 聞き返した少女に、私は考えのまとまらないままによくわからないことを口走った。

「私が見たあなたの目が綺麗なピンク色で……ほら、この部屋は西向きだけど、向かいのマンション……あなたが飛び降りたベランダは東向きでしょ? たぶん朝焼けの色があなたの目に映って、移って、とか……」

 私の声が尻すぼみに小さくなっていくとともに、対照的に少女の表情は明るくなっていく。

「……なるほど、あたしの目は朝焼けってわけか、なるほど」
「なるほどって」
「なんていうか、夢があるね」

 そういえばあんた、仕事はいいの、と妄想が言う。現実に引きずり戻された私は、そろそろ支度を始めなければいけないことに気がついた。いつの間にか、妄想の姿は空気に溶け込むように消えている。
 妄想って輪郭がどこか曖昧なものなんだな、と思いながら、私は部屋に入って少し早い朝食の準備に取り掛かる。



テーマ「石竹色」

スポンサーサイト
第三十三回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2017.08.08(Tue) 00:00
copyright © 千葉大文藝部活動情報 all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。