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Maggots

 バスの車窓から見える景色はひどく長閑だった。川沿いの道をバスは行く。青葉だけの桜並木が一本また一本と右から左へ。それらは埃を被ったように褪せている。その向こうに並ぶ建物はどれも疲れきった目をして佇む。人がどれほど行き交おうが、その景色は不気味なほどの静けさを湛えてそこにある。流転から外れているわけではない。それらは移ろいゆきながらも半永久的に静止している。変化にはレベルがあるのだ。個体は部分の最小単位の集合としてある。ふと、そのうちのひとつが変わり、その隣が変わり、またその隣が変わる。そうして絶えず揺れ動く状態の、その奥の奥の奥には、静止したままの中心が存在している。それは静止しつつも目を見開いて変化を読み取り、個体の輪郭をそこに見出す。変わる表層と、変わらない深層と。世界の価値は、変わらない深層によって決定される。

 やめる必要はないんだよ、と先生は言った。
 誰しも生きていくためには戦わなくちゃならない。自分の生存を守るために。無理に戦うことをやめれば、取り返しのつかない部分がぽっきりいってしまうかもしれない。だから、戦っていいんだよ。でも、少しでも辛い思いをせずに済むのなら、その方がいい。

 そうだな、と思う。私は生きるために戦わなければならなかった。死に物狂いで探し当てた戦い方は決して褒められたものではない。他に何もなかったと言えば恐らく嘘になる。そんなことを言えるほどまともに、生きることと向き合ったわけではない。半ば、それ以外の選択肢を見つめることで現実逃避をしながら、大事なものを誤認しようとすることでここまでやってきた。それでもここまで生きてきたのだから、そう大きな過ちでもなかったのかもしれないが。
 バスが大きく揺れて全身の筋肉が緊張する。左手首につけたヘアゴムが軽く腕にぶつかる。どこにでもあるようなアイビーグリーンの、ラメや何かもついていないシンプルなヘアゴム。髪を縛ることはあまりない。それは手首に、そして左手首についていることに意味がある。それは私の新しい戦い方になるかもしれないし、ならないかもしれない。でも武器は多い方がいい。勿論、戦わずに済む人というのも世の中には山程いる。戦わずとも相手が降参したり、そもそも身の回りの人間が誰ひとり敵にならないということもありうる。でも私はそうではなかった。私の周りには敵が満ちていた。敵にならずともよいはずの人々が誰も敵に見えて仕方なかった。敵に見えるのに敵ではないと分かっていた。害を為してくる存在でありながら、それらの影は私の耳元で他を害すべからずと囁いた。結局私が戦っていたのは他者を敵視する私自身だったのだろう。だからこそ私は私自身を傷つけ、そして今になってもまだそれをやめられない。体中の傷は増え続け、自分ではもう、どうしようもなくなってしまった。

 お守りだと思ってさ、と先生はこれを私の前に置いて言った。切りたいなと思ったら、これをパチンと弾く。耐えられそうなら、それで済ませてしまえばいいから。

 それで事足りるなら苦労はしない。そう思ったが私には言えなかった。先生は敵でなかったし、傷つけていい相手ではなかったからだ。だから何も言うことはなかった。ただ黙って頷いた。今まで私に求められてきたのはそういう立ち回りだったから、それに従った。
 自分自身がその時どうしたかったかはよく分からない。普通の人はそう考えないのだろう、という感想だけが残っている。きっとそれらの人々は、こんなことを考えることもなく動くことができる。普通の人がさほど引っかかることもなく自由にできるはずのことが私には上手くできないのだろう。自動ドアのようだと思う。普通の人は難なく通ることが出来るのに、私はいつもどこかしらを挟まれている。そうやって傷が増えていく。増えた傷を人が見る。たくさんの視線が降り注ぎ突き刺さる。でもきっとそれらは全て、私自身の中にある。視線も、傷も、それを与えるドアも、何もかも。余程、私が私でなくなればいい。私が私でなくなれば、全ては解決するだろうに。
 困ったことにそうすると私は残らない。私は世界ごと喪われる。

 バスの窓の外には曖昧な青を湛えた曇天が、曇った緑色の合間に覗いている。
 どんよりと沈黙する空の下に遠く、錆色の校舎が見える。通うときには何の感慨も引き起こしはしないのに、こうして制服を着ずに眺めるとそれは随分とよそよそしく見える。日曜日の昼下がりであってもあの中には多くの人が蠢いているはずだ。日曜に活動する部活もあるし、タスクを消化しに来る教員も少なくない。それでも、こうして見ているとまるで死んでいるように思われてくる。既に息絶えている校舎の中に蛆のようにのたくっている人々。少し羨ましいようにも思う。私の中にも蛆が住めばいい。血管の中を泳ぎまわり、肉を喰らい、脳を掻き乱せばいい。上手くすれば私から私だけを消すことが出来るかもしれない。内側のない、外側だけの私になれるのかもしれない。でもやはり、それすらも私の中で手慰みに織り上げた虚構でしかない。
 結局、私はどこまでも私で、どこまでも私として有り続けるのだ。如何に表層が移り変わろうと、その核にある私自身は変わらない。それがどんなに凄惨なことでも。そんなことはずっと分かっている。分かっているのにどうにも出来ない自分が嫌なことも、そうして自分を嫌うことがそれなりの快感を齎すことも。
 荒い振動と共にバスが止まる。けたたましいブザー。扉が開いて、目の前の席に座っていた客が慌てて降りていった。それと入れ違うように新たな客が乗ってくる。



 それが琴葉であるということを、私はほとんど一瞬で見て取った。



 目を上げた琴葉が私を認識するのもほとんど同じくらいだっただろう。長い黒髪を後ろで一つに束ねているのは昔のままだ。淡いミントブルーの長袖ブラウスに、真っ白な
ロングスカート。一瞬何もかもゼロになるくらいに私は驚いた。驚きながら、相変わらず海が似合うと思った。爽やかな、煌く海。

「弥生?」

 問うた声も、大きく目を見開く仕草もあの頃と変わらなかった。ただ、どこかほんの少しばかりぎこちなかった。

「うん」
「久しぶりね」

 眩しいほどの笑顔。今までと変わらない。

「元気にしてた?」
「それなりに。座る?」
「うん、ありがとう」

 目の前の空席に琴葉を通す。貧血で倒れがちな琴葉を優先的に座らせるという習慣を私はまだ覚えていた。反射的にそうしたあとで、それにしても、と私の中に何かが蟠る。どうして。どうして今、ここで?

「ホント久しぶりね。なんか久しぶりって感じしないけど」
「確かに。でももう何ヶ月ぶり?」

 うーん、と唸った琴葉の表情は僅かばかり憂いを帯びながら、それでも穏やかに微笑していた。

「ほとんど半年ぶりくらいかなあ」
「そうだっけ」

 そうだったかもしれない、と思う。
 ある日何の前触れもなく、琴葉はふっつりと学校に来なくなった。何度か連絡はしたものの、そう遠くないうちに戻るから待ってての一点張りで、途切れがちだった返事は暫くしないうちに来なくなった。そういうものだろう、と私は思うしかなかった。琴葉には琴葉の事情があるのだと。待てというからには待つしかないだろうと。そうして待った相手が今、何の変わりもない姿で目の前にいる。微笑んでいる。
 確かに待てたのだな、と思う。少なくともこうして再会するまでは。

「学校に用事?」
「まあね」

 努めてさりげなく訊けば、琴葉は更に憂いを重ねて、ふと視線を逸らした。

「私、退学するんだ」

 ぽつん、と琴葉は言った。ほとんど動じていない自分と、酷く困惑している自分とが半分半分といったところだった。琴葉の成績は学年でもいい方だったが、来なくなる半年ほど前から欠席が目立つようになった。元々皆勤賞を貰っていたような琴葉だったから尚の事それは目に付いた。大丈夫、なんでもない、と言い続けた琴葉は結局来なくなって、いつか戻ると言い残したまま、今度は退学と来た。

「停学じゃなくて?」
「ううん。退学。もうここには戻ってこない」

 さらりと言ってのける表情には、いつか戻るという雰囲気は欠片もなかった。もう戻ってこないのだ。散々待たせておいて。

「それ、理由は訊いていいの?」

 ほんの紙一枚分ほど、琴葉の表情が悲しくなる。

「……みんなには、内緒よ?」
「分かった」

 ひゅ、と息を吸うのが聞こえた気がした。がたん、とバスが大きく揺れる。

「入院するの」

 ピンポーン、と間の抜けた音がする。次、止まります。お降りの方は、バスが止まってから席をお立ちください。

 入院。

「どこが悪いの?」
「強いて言うなら、心とか、頭?」

 琴葉は自嘲気味に笑った。

「最近、神様の声が聞こえるの」
「……今、なんて?」
「最近、神様の声が聞こえるの」

 琴葉は正確にそう繰り返した。

「神様?」
「そう」

 平然と。

「でも、何を言っているのかは分からないのね。言葉というより、唸りとか……時々軋む音のようだったりする。それを延々聴いてると、ふっとどこかで突然、あっ、死ななきゃ、って思うの。火にかけっぱなしだったポットのことを思い出すみたいに」

 ぞわりとした。どこかで悍ましい音のサイレンが鳴っているような気がした。窓の向こうに犬の散歩をしている人がいた。
 視線を戻すと、琴葉はいつの間にか表情を失っていた。

「初めてそれを思ったとき、私、お風呂にカッター持ち込んで肘の内側に刺したの。とっても痛かった。でも温かくて、ふわふわしてきて、とても気持ちが良くなって、ああこれでよかった、正解だって思ったのに、気付いたら病院のベッドの上だった。私泣いたわ。死ななきゃいけないのにって。でも泣き止んでから、もう一回泣いたの。死ななくてよかったって。きっと私、死にたくないのね。でも神様がいつもそうおっしゃるから、時折また死ななきゃって気持ちになって腕を切るわ。そんなのが続いて、なんだか疲れちゃって、学校も行かなくていいかなって、どうせ死ななきゃいけないんだからって。神様は血管の内側で私を見ているの。そこから私に語りかけるのね。私、ちゃんと自分で死ななきゃならないの。母や先生も私を殺そうとしてるけど、あんな奴らに殺されたりしないわ。ちゃあんと、自分の手で、自分を、殺すの。病院はそれを止めにかかると思うけど、ここ最近、あっ病院に行かなきゃって何度か思ったから、行くの」

 どうしようもないの、と琴葉は言い、右手で髪をかき上げた。見下ろしたその手首にヘアゴムが揺れた。

 アイビーグリーン。何かの足しにはなるかもしれないその色。
 ミントブルーのブラウスの袖は透けて、細い腕の輪郭が微かに浮かんでいる。その一部分だけ不自然に色が違う。私にはひと目で包帯だと分かる。神の声が彼女に、それをやらせている。

「琴葉もやるんだ」
「……何を?」

 平然と、琴葉は言う。私の顔を見ないまま。じっと進行方向を見据えている琴葉の視界に入るように、アイビーグリーンの絡みついた左手首を差し伸べた。ちらり、と琴葉の瞳がそれを捉え、何事もなかったかのように元の位置へ戻る。

「ふうん。そっか。弥生もやるんだ」
「神様は教えてくれなかった?」
「そうね。教えてくれなかった。弥生に会うことも、弥生がそれをすることも」
「大事なことは教えてくれないのに、死ねとだけ言うわけ?」
「そうよ。それが私の神様」

 琴葉は、どこか震えを隠すように笑った。その周りだけが真空になっているような遠さを感じた。琴葉は遠くへ行こうとしている。神だかなんだか、ほとんど呪いのような幻聴に惑わされて。

「……とんだ邪神様だ」

 何故、琴葉にはそれが聞こえて。

「そうかもね」

 何故、私にはそれが聞こえない。

「でも、神様よ。間違いなく」

 聖女のような美しさを湛えて琴葉は言い切った。がちゃがちゃと上下に揺れてバスが止まる。私は言葉を探していた。けたたましいブザー。扉が開き、扉が閉まる。

「どうしてそう言い切れるの」
「私がそう確信しているから」

 ふっと、見上げた琴葉の視線が私を捉える。

「……他に何が必要だって言うの? 私の世界なのに?」

 圧倒的な、暴風のような感情が私をもみくちゃにした。
 ああ、勝てない。琴葉は本物で、私は紛い物。未完。見せかけだけの狂気と苦しみ。

 私はまだ、正気だ。全然狂えちゃいない。

「弥生は、どうしてそうするの」

 琴葉はぽつりと零した。

「あなたには神様、いないのでしょう?」
「いないよ」

 ほとんど絶望的な気分で私は言った。

「じゃあ何故?」
「止める必要がないから」
「それは先生の言葉ね」
「そうだよ」

 沈黙。バスの動く音ばかりが煩い。揺れた左手首にヘアゴムが当たる。そのざらついた表面の感触。無意識に右手を下ろして、それをぱちんと弾いた。遅れてやってくる小さな痛み。刃に裂かれた痛みに比べればごく僅かな、一瞬の後には痒みに変化してしまうようなもの。

「ふふっ」

 琴葉はそれを見て笑った。何を笑ったのかははっきりとしなかった。ただ、琴葉は自分の右手首を持ち上げて、アイビーグリーンのそれを左手で弾いた。ぱちん。プラスチックの割れるのにも似た、鈍く軽い音。

「街中で何人か、これと同じのをした人を見かけたわ」

 まるで猫か何かを慈しむような目で、琴葉はヘアゴムを見つめていた。左手が弾く。ぱちん。

「でも、思ったのね。この中の誰ひとりとして、神の声なんて聞こえてないんだろうなって。聞こえていないのに自分で自分を傷つけているんだって。それって、何のためなの?
自分の肌に傷を作って、消えない傷痕をつけて、おしゃれとか、もしかすると仕事とか恋愛とか、もっと近い未来もそう。そういう人生のいろんなことを自分で制限してしまうのは、何のためなの?」

 琴葉の手がするりと伸びて、ボタンを押す。ピンポーン。次、止まります。
 綺麗な、本当に綺麗な、澄み渡った眼差し。

「弥生。教えて。神に死ねと言われていない人が、どうして死のうとするの?」
「別に」

 一瞬、つっかえる。

「……別に、死にたくはないよ」

 零れた。
 琴葉は微動だにしないまま、私を見つめていた。

「じゃあ、どうして傷を作るの?」
「元々、そこにあるべき傷だったから」

 ほろり、ぽたり、と言葉が落ちていく。

「でも、傷なんてない方がいいでしょう」
「確かに、ない方がいい」
「でもつけるのね」
「そう」
「どうして?」

 バスが減速する。

「それは」
「それは?」

 沢山の回答が、脳みその中を走り回って掻き混ぜていく。
 傷なんてない方が、いい。絶対に。でも、私の体には傷があるべきだった。体の傷にするべきものがあった。最初から体の傷であれば良かった。心なんてどこにあるかもよく分からないところじゃなくて、最初から体の傷で、血を流すことができれば良かった。血を流すより涙を流せればもっと良かった。泣かなくて済むならもっともっともっと良かった。でも、私は。そういう戦い方しかできなかった。そんな戦い方でも、戦うことを選んだ。それは。

「それは」

 すう、と息を吸う。
 停車。

「生きるためだよ」

 ブザー。

「……そっか」

 琴葉は少し笑った。さらりと立ち上がりながら、ヘアゴムを外して私の前に差し出した。

「私、死にに行くから。あげる」

 私はそれを受け取った。不思議と躊躇いはなかった。

「じゃあね」

 そよ風のように軽く、琴葉はバスを降りていった。特にかける言葉が見つかるわけではなかった。またね、では確実になかった。
 余程、死んでほしいと、思った。

 琴葉が死ねば、私もおかしくなれるかもしれない。その妄想は少しだけ私を楽しませた。その妄想で楽しさを感じている自分が酷く醜いもののように思えた。さながら巨大な一匹の蛆虫のようだ。風に舞う蝶になれる望みもない。もしかすると蝿にすらなれないかもしれない。あるだけで何かを蝕み、損なっていく、巨大で、重くて、鈍くて、醜くて、吐き気を催すほどの、それなのに、どこか愛おしい。
 私。
 ああ、なんてどうしようもない、私。

 けたたましいブザーと、閉まるドア。発車。流れ出す、ひどく長閑な車窓の景色。



テーマ「アイビーグリーン」+預言

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第三十三回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2017.08.08(Tue) 00:00
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