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『てっちゃん』

 どうも、はじめまして。それとも久し振りかしら。私は東武鉄子。主に埼玉・栃木・群馬辺りを走っている某鉄道会社とはまったく微塵もこれっぽっちも関係のない、ごく普通の女子高生よ。
「――はっ! お弁当忘れた!」
 カバンに片手を突っ込んだ体勢のまま突然叫んだコレは、私の幼馴染、千堂樹。能力ポイントを運動神経に全振りしたような、おつむがちょっと……いえ、かなり残念な子だけど、まあ悪い子ではないわ。
「どうしようてっちゃん、あたしのお昼がない!」
「……あーはいはい、いつものアレね。どんまい」
「てっちゃんセリフに心がこもってないよ⁉」
「だって、週に二回も聞いてたらそりゃ聞き飽きるわよ。またいつものか、ってなるわよ」
「そんなに頻繁に忘れてないよ!」
「本当に?」
「…………ぐぬぬ」
 自覚がなくはないのか、言葉に詰まる樹。この子の弁当忘れ癖は中学から一向に直る気配がない。いくら私が注意しようと翌週にはしれっと忘れてくるから、もうこの癖を直すのは諦めたわ。
「で、でもしょうがないじゃん! 朝練があるから朝は時間がないんだよ!」
「……あー。剣道部のエース様は大変ね」
 さっきも言ったように、能力ポイントを運動神経に全振りしているだけあって、樹の運動神経はちょっと人間の域を超えている。中学からやっている剣道は余裕で全国レベルで、今は主将を任されているわ。とはいえ。
「でもそれって、樹が早起きすれば解決することじゃない?」
「それができれば苦労はしないんだよ!」
「いや、それぐらい頑張りなさいよ高校二年生」
 威張って言うことじゃないでしょう。
「……で、結局お昼はどうするの? 言っとくけど、私のぶんを分けてあげたりはしないわよ?」
「てっちゃんの鬼っ!」
 だって、前に分けたら半分以上持っていかれたんだもの。運動バカの食事量をなめてたわ。
「……仕方ない、面倒だけど購買に……ダメだ、この時間じゃもうマイナーでマニアックなサラダ、略してマニラくらいしか売れ残ってない……!」
 ……なに、その酷い略称。きっとこの子、それがフィリピンの首都の名前だって知らないんでしょうね。
「……樹のネーミングセンスに関して小一時間くらい議論したいところなんだけど……まあ、後でいいわ。さっさとその……まにら? でも買ってきなさいよ」
「あんなので健全な女子高生の胃袋が満足するわけないでしょ!」
「いや、私は食べたことも見たこともないから知らないのだけど……」
 それと、樹の胃袋を健全な女子高生の基準値にしてはいけないと思うわ。
「じゃあどうするのよ」
「……しょうがない、コンビニまで行ってくる」
「……無駄だと思うけど、一応忠告しておくわ。昼休みに校外に出るのは校則違反よ」
「パッと行ってパッと帰ってくれば問題ない!」
「……ここから一番近いコンビニまで一キロくらいあるけど」
「五分で帰ってくる!」
「……待ちなさい。今軽く計算したけど、仮に買い物が一分で済むとしても、五分で帰ってくるには百メートル十二秒の速さで移動し続けないといけないのだけど――」
「行ってきます!」
 そう言うと、樹は止める間もなく教室を飛び出していった。……いや、いくら樹の足でも五分は無理でしょ。昼休み中には余裕で帰ってきそうだけど。……せっかくだし、タイムでも計っておこうかしら。
 というわけでスマホのタイマーを立ち上げたのだけれど、結局樹が昼休みの間に帰ってくることはなかった。

 単にサボりなのか、それとも何か事件に巻き込まれたのか。悶々とした気持ちのまま五限、六限と時間だけが過ぎていく。授業の合間に電話も鳴らしまくっているけれど、一向に繋がる気配がない。……そもそもあの子スマホ持ってったのかしら。持ってってない可能性の方が高そうよね……。
 HRも終わった放課後。不安になった私が教室に置きっぱなしの樹の鞄を探ろうとしたそのとき、私のスマホが着信を告げる。ディスプレイには『樹』の文字。
「……もしもし」
 スマホ持ってたならもっと早く連絡くらいしなさいよとか、私の電話に気付きなさいよとか、言いたいことは色々あったけれど、その辺りの感情は一旦飲み込んで普通に電話に出る。
『あ、もしもしてっちゃん? あたしだよあたし』
 ……人が心配してたっていうのに、なんでこの子はこんなに暢気なのかしら……。腹いせにちょっと樹で遊んでも文句はないわよね。
「……あたしあたし詐欺は間に合ってますので」
『詐欺じゃないよ⁉ っていうか、画面に名前出てたでしょ⁉ あなたの幼馴染、千堂樹だよ!』
「……お掛けになった電話は、現在あなたの電話番号を着信拒否しています」
『そんな心を抉るメッセージがあってたまるかっ! っていうか、そろそろマジレスして!』
 ……仕方ないわね。樹の事情も気になるし、遊ぶのはこの辺で勘弁してあげましょう。
「……これはこれは、午後の授業をエスケープしたくせに今の今までなんの連絡も寄越さなかった樹さん。私に一体なんの用?」
『わ、わーお……もしかしなくてもてっちゃん、怒ってる?』
「別にそんなことないわよ? ただ、急に消えたあなたについて『お前が一番仲いいだろ? 何か知らないか?』と教師たちから質問攻めにあって、ちょっとうざかっただけよ」
 樹からは何の連絡もないから答えようがないし、ほんと困ったわ。
『やっぱり怒ってるよねごめんなさい! こっちにも色々事情があって!』
「……はあ。まあ、いいわ。それで? その事情とやらは、当然私にも説明してくれるのよね?」
『も、もちろんだよ! えっと、実はかくかくしかじかでね、今喫茶店にいるんだけど……』
「……樹。現実で『かくかくしかじか』と言っても、相手にはなにも伝わらないのよ?」
「え、嘘⁉ 伝わらないの⁉」
 ……この子、一体どこまで馬鹿なのかしら……。というか、こんなことで来年の受験は平気なのかしら。
『さっきボクもそう言いましたよね⁉』
『だ、だって、たまにてっちゃんに使うと『あー、はいはい』ってなるよ? ちゃんと伝わってるよ?』
『……いやそれ、多分適当に流されてるだけだと思いますよ……』
『⁉』
 ……電話口から聞こえてくる会話の内容はその通りなのだけれど……。
「……樹以外に誰かいるの?」
『あ、うん。かくかくしかじかの過程で知り合った子なんだけど……詳しく説明してるとおよそ六千文字くらいになるから、説明は後でいい?』
「……わかったわ」
 その表現の仕方はよくわからないけれど、それを電話越しに聞くのは面倒そうだし。あと、字数制限的にも危なそうだし。
「それで、私に連絡してきたのはどういう用件なわけ?」
『うん。お金貸して?』
「……切るわ」
 やっと連絡してきたと思ったら用件がこれって……。
『わー待って待って! てっちゃんに見捨てられるとあたしたちマジで捕まるから!』
 ……さすがに幼馴染が捕まるのは寝覚めが悪いから、話しくらい聞いてあげましょうか。
「……というかあなた、コンビニに向かったんじゃないの? なんでお金持ってないのよ」
『財布を開いたらフィリピンペソしか入ってなかったの』
「……なにその、どこぞの漫画みたいな話……あなたホント、なにしに校外に出たのよ」
『財布の中がこんな惨状だとは思わなかったんだよ!』
「自分の財布の中身くらい把握しときなさいよ……。で? 私はどこの喫茶店まで支払いに行けばいいの?」
 ……こんな風に樹の世話ばかり焼いているから、周りから『樹の保護者』なんて呼ばれるのかしら。
『てっちゃん……! ホントにありがとう! 愛してるよ!』
「……ごめんなさい、私に百合趣味はないのだけど」
 世話は焼くかもしれないけど、そういうのはちょっと……。
『あたしにもないよ! とっ、とにかく! あたしたちは『なっちゃん』にいるので、お願いします!』
 なっちゃん……意外と学校から近い喫茶店ね。どういう経緯でそこに至ったのかはわからないけど……お金を払いに行くついでに事情を説明してもらいましょうか。
「……わかったわ。そんなにかからないと思うから、少し待ってなさい」
『はーい』
 無銭飲食しておきながら相変わらず返事が暢気ね……。反省する気あるのかしら、この子。
 喫茶店についたらまずは説教しようと心に決めて、私は教室を出た。

 それから約十分後。樹の言っていた喫茶店に無事到着。店に入ってすぐに、樹から昼休み以降の顛末を聞きだす。
 曰く、コンビニに向かう道中で湊君と偶々出会い、追われてるっぽかったのでとりあえず助けたらしい。で、追手を撒いた後この喫茶店に入って、湊君が国内でも結構有名な湊グループの社長の一人息子として過保護に育てられてきたけど、屋敷から出られない生活に嫌気がさして家出してきたという事情を聞き、じゃあそれをなんとかするために湊家に乗り込もうと店を出ようとしたところで、財布にフィリピンペソしか入っていないことに気付いたんだとか。ホント、間抜けよね。せっかく助けたのに格好がつかないわ。
 ……でも、今日会ったばかりのこの少年のために家にまで乗り込もうなんて……いや、昔から樹はそういう子だったわよね。困ってる人がいたら積極的に首を突っ込んで颯爽と解決していく。そんなヒーローみたいな子だった。だから私も……いえ、この話は今は関係ないわね。
「それで? この後二人は、湊家に行くの?」
「うん。交渉しに行かなきゃいけないからね」
「そう。じゃあ、頑張ってらっしゃい」
「うん。……ってあれ⁉ てっちゃんは来てくれないの⁉」
 ……まあ、この感じだと普通は私もついていく流れなんでしょうけど……湊君が屋敷の外に出るのを許してもらうために『外出中は私がSP代わりとしてこの子を守る!』なんて男前な交渉をしに行こうとしている樹に、私がついていってもできることはなさそうだし。
「私がついていってもなんの力にもなれないでしょう? 樹みたいにSPの代わりなんてできるわけないし」
「まあ、そうだね。てっちゃん運動音痴だもんね」
「それは関係ないわ」
 あなた基準で見たら大抵の人は運動音痴になるわよ。私だってそこまでひどくはないわ。……ほ、本当よ? 五十メートル走だってちゃんと十秒台でゴールできるのよ?
「……まあとにかく、私は行かないから、二人で行ってきなさい。私も湊君の境遇はおかしいと思うし、あなたたちの味方だから。自宅から応援してるわ」
「あっ、ありがとうございます、東武さん!」
「いえいえ。それじゃあ湊君、機会があればまた。樹はまた明日ね」
「うん。いい知らせを持って帰るよ!」
「そういうフラグになりそうなことを言うのはやめなさい」
 最後の最後で変なフラグを立てた樹にそう突っ込むと、私は二人と別れて自宅方面へと歩き出した。

 その日の夜。交渉が上手くいったという樹からの報告メールへの返信を自室で考えていると、コンコンと扉がノックされた。
「私だ。少しいいか?」
 やってきたのは父だった。
「構わないけど……こんな時間になに?」
「大事な話だ。……樹、お前今、彼氏とかいるか?」
 ……突然なにを聞いてくるんだろうか、この父は。
「別にいないけれど……それが?」
「……うちの会社の業績が最近伸び悩んでいるのは知ってるな?」
「……ええ、まあ」
 言い忘れていたけど、私の父はゲーム会社の社長よ。だからまあ……湊君ほどではないけれど、実は私もそれなりにお嬢様。ちなみに、うちの会社はゲームセンターに置いてあるようなアーケードゲームを中心に扱っている会社で、代表作はクイズ黒猫アカデミーというクイズゲーム。昔は結構業績もよかったのだけれど、近年のスマホゲームの波に押されて最近はやや下降気味。これでも社長の娘兼次期社長候補だし、それくらいは知っている。
「それを受けて、うちのゲームのシステムの開発を一部委託している会社が撤退したいと言ってきた」
「それは……また大変ね」
 業績の落ちかけているこのタイミングで、しかもシステム開発を委託しているような重要な会社に撤退されてしまえば、業績の巻き返しはより厳しくなる。
「ああ。今この会社に抜けられたらうちはほぼ終わりだ。更なる業績悪化は免れない。だから私も必死に引き止めた。結果、一つだけ条件を引きだせた」
「……それは?」
 ……いや待って。さっきの質問……それに、その話をわざわざ私にしに来るってことは……まさか――!
「……条件はお前だ、鉄子。相手方の社長の息子さんとお前が結婚すれば、撤退は取りやめると言ってきた」
「っ!」
 やっぱり……! なによそれ、そんなの漫画の中だけの話じゃないの⁉
「……だから、私にその見ず知らずの男と結婚しろと……?」
「……私だって父親としてそんなことはさせたくない。だが、私だって会社のトップに立つ者として、責任ある立場として、これ以上業績を悪化させることも、その結果多くの社員を路頭に迷わせるわけにはいかない。……わかってくれるな?」
「……私に拒否権はないのね」
「……すまない」
「謝らないでよ。そうしたところで、結局私が望まぬ結婚をさせられる現実は変わらないのでしょう?」
「それは……」
「用はそれだけ? じゃあもう出てって」
「…………」
 私がそう言うと、父は無言で部屋を出て行った。ちょっときつい言い方だったかもしれないけれど……仕方ないじゃない。だって、結局自分の娘よりも会社の人たちを取ったのだから。社長としては素晴らしくても、父親としては最低よ。
「……ふぅ」
 ベッドに倒れ込み、ぼんやりと天井を眺める。まさか、この歳で結婚することになるとは。納得することは今後一生できないでしょうけど……だからって、私が結婚するという現実が覆るわけじゃない。会社のために、会社の人たちのために、自分の人生を棒に振らなければいけない。こんなの、漫画の中だけの話だと思ってたのに……やっぱり、私はこっち側なのね。
 それでも、何かこの確定事項をひっくり返せる方法はないかと考えてしまうことは止められなかった。でもその度に、会社の人たちの顔が脳裏をよぎる。私の我儘の結果、職を失ってしまうかもしれない人たち。彼らの幸せな家庭を、私が壊してしまうかもしれない。そう思うと、思考が鈍る。
 結局、私に残された選択肢は一つだった。

 それからの日々は、ひどく憂鬱だった。先方との顔合わせの日時や式の日取りが決まっていき、私の望まぬ結婚への準備が着々と進められていくのを、じっと見ていることしかできない。納得のいかない感情を、押し殺すことしかできない。そんな苦しい日々だった。
 そんな中唯一の心の支えだったのは、毎週末に樹や湊君と一緒に出掛ける時間。樹がそばでSP代わりをすることを条件に外出許可を獲得した湊君と樹と私の三人で過ごす時間はとても楽しかったし、何より憂鬱な現実を忘れることができた。初めての場所にテンションの上がる湊君と常にテンションの高い樹の面倒を見ている間は、他のことは何も考えなくてよかった。それは一時期湊家という大きな障害の前になくなりかけたけれど、樹がどうにかしてしまった。ずっと家に囚われていた湊奏という少年を、華麗に助け出してしまった。湊君にとって樹は紛れもなくヒーローでしょうね。
 ……そう、湊君のヒーロー。かつて私のヒーローだった彼女は、もう私だけのヒーローじゃない。だから助けを求めてはいけない。もしかしたらなんて、期待してはいけない。ほら、その証拠に私の式の日は、樹の高校最後の大会の予選の日。もう樹に頼るなと、これがお前の人生だと、神様が言っている。
 ああ、たった十八年の人生だったけど……あなたのおかげでそれなりに楽しかったわ、樹……。


 私と樹が初めて出会ったのは、小学一年生の時。偶々席が隣だった。当時から樹は明るくて元気で、いつもクラスの中心にいた。一方の私はちょっとませた子供で、常に騒がしい樹を『馬鹿なやつ』なんて思っていた。社長の娘として、当時から色々な大人と接する機会が多かったから、そんな嫌な子供だったのかもしれないわね。だから私たちは、本当に正反対の二人だった。席は隣だったけれど、話すことはほとんどなかった。
 そんな私たちの関係が変わったのは、クラス内でのグループも確立してきた六月のある日のこと。私は案の定孤立していた。原因は、近所に住む同じクラスの男子が『アイツ社長の娘なんだぜ!』『金持ちなんだぜ!』と言いふらしたことで『すげー!』『うらやましい!』と寄ってきた子たちに対して、私が『金持ちの家なんて何もいいことないわよ。あなたたち普通の家の方がよっぽどうらやましいわ』と答えたこと。……私は本当のことを言っただけなのよ? 確かに私の家は金持ちだけれど、その使い道は当然私の自由ではない。そのお金が使われるのは、専ら私が望みもしてない習い事やら家庭教師ばかり。クラスの子たちは金持ちなら自分の好きな物なんでも買って貰えると思ってるのかもしれないけれど、そんなのはお金の有無じゃなくて両親の教育方針次第。私の場合は一切その辺の自由がきかなかった。控えめでも、時々でも、自分の好きな物を買って貰えるあの子たちの方が、私にはよっぽど羨ましかった。
 けれど、そんなことを言っても普通の小学一年生には理解できない。結果、私は『金持ちだのくせにムカつくこと言うヤなやつ』と認識され、クラスの皆から避けられていった。まあ、別に仲良くする気もなかったし、構わなかったのだけど。
 でも。このクラスには、そういうのを是としない人がいた。いつも独りで過ごす私を、放っておかない人がいた。
「ねえねえ、なんでいつも一人なの? 一緒に遊ぼうよ!」
 ある日の昼休み。その人は突然そう声をかけてきた。
「ちょっ、いつきちゃんダメだよ! その子は嫌な子だから、話しかけちゃダメ!」
「なんで? あたし、別にいやな思いしてないよ?」
「いや、でも……」
「だったら、一緒に遊んでもいいじゃん。きっとそのほうが楽しいよ! ほら、行こ!」
「えっ? あ、ちょっ……」
 その人に手を引かれるまま、私は時間いっぱいグラウンドで遊んだ。凄く、楽しかった。思えば初めてだ。こんな風に同年代の子たちと思いっきり遊んだのは。家のことを忘れて、おもいっきり笑ったのは。
 いつも大人に囲まれて、東武家に縛られていたませがき、東武鉄子を、普通の女の子にしてくれたその人は――
「ふーっ、楽しかった! ねっ、名前は?」
「わ、私? 私は……東武、鉄子よ」
「鉄子……じゃあ、てっちゃんだね! あたしは千堂樹! 樹でいいよ!」
 ――『てっちゃん』にしてくれたその人は、私のヒーローだった。


 ……もう、十二年くらい前になるのね。あの時は、まさかここまでの腐れ縁になるとは思ってもいなかったけれど……それも今日で終わりね。
 物思いに耽っていた意識を現実に戻すと、豪奢に飾り立てられた式場の様子が目に飛び込んでくる。そう、今日は私の結婚式。私の……『てっちゃん』としての人生が、終わる日。
「汝、是を夫とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで、是を愛することを誓いますか?」
 ……あら、ちょっと物思いに耽っている間に。……もう、私の番なのね。
「…………ええ、誓うわ」
 この期に及んで何かを期待している『てっちゃん』を無理やり抑え込んで、『東武鉄子』が返事をする。
「では、誓いのキスを」
 促され、向かい合う。相手は三十代後半のおじさん。下心を隠そうともしない下劣な顔で私のベールをまくる。そして、汚い顔をこちらに近づけてくる。
 ……これで、いいのよ。私はもう十分楽しんだ。樹がくれた『てっちゃん』という人生を、十二分に全うした。だから『てっちゃん』はここで死んで、これからは『東武鉄子』の人生。……それで、いい。
 ゆっくりと、おじさんとの距離がなくなっていく。そして――


「その結婚、ちょっと待ったぁ‼」


 ドカン、という爆音とともに、式場の扉が吹っ飛んだ。会場のすべての視線がそこへと向かう。そこにいたのは――
「アンタみたいなゲス野郎に、てっちゃんは……あたしの親友は、渡さないよ‼」
 鮮やかな烏の濡れ羽色をした短髪を汗を飛ばしながら翻し、一切の迷いや躊躇なく右足を振り抜いた姿勢で凛と立つ、右手に竹刀を携えた真っ直ぐな眼差しの少女――私の、ヒーローだった。
「いっ、樹⁉ どうしてここに⁉」
 あまりに非常識な光景に会場全体が呆ける中、思わず私は叫ぶ。だって、樹には今日の式のことなんて一言も言ってない。それに今日は。
「あなた、今日は高校最後の大会の予選でしょ⁉」
「そんなのはどうだっていいんだよっ‼」
 叫びながら、一歩、また一歩。真紅のカーペットの上を、樹が進んでくる。
「日本一を取れる機会なんて、今後いくらだってある! でもっ! 今日を逃したらてっちゃんは……あたしの親友は、もう二度と戻ってこない‼ だったらこっちの方が優先に決まってるでしょっ‼」
「……っ!」
 その剥き出しの叫びに、心が震える。死にかけたはずの『てっちゃん』の鼓動が、再び強く動き始める。
「……事情は全部かなで君から聞いたよ。最近てっちゃんの様子が変なのはわかってた。あたし馬鹿だけど、親友の様子がおかしいのくらいわかるよ? でもてっちゃんはなにも言ってくれないから、湊家の人たちに頼んで調べてもらった。……なんでこんな大変なことになってるのに、あたしに言ってくれないの⁉」
「だって……だって! こんなこと言ったら、あなた絶対に助けようとするじゃない!」
「当たり前だよ!」
「でもそれじゃダメなのよ! 私がここで助かるってことは、それはそのまま沢山の社員の失業に繋がるかもしれないの! これでも次期社長なの、そんな選択肢私には取れないのよ‼」
 ずっと独りで抱えていた感情が、口をついて出ていく。秘めておかなければと思っていた言葉が、自然と流れ出ていく。
「なら、それごとあたしに言ってよ! そうすれば、てっちゃんが犠牲にならずに、てっちゃんの会社も助ける方法が見つかったかもしれないでしょ! てっちゃんは何でも一人で背負いすぎなんだよっ! 親友なんだからっ…もっとあたしに頼ってよぉっ! てっちゃんともう会えないかもって言われたとき……あたしっ、ホントに怖かったんだよ……? もし間に合わなかったらどうしようって、そればっかり考えながらここまで走ってきたんだよっ……?」
 途中から涙をボロボロと流しながら泣き叫ぶ樹の額には、大粒の汗がいくつも滲んでいた。よく見れば服装だって剣道着だ。多分、この式のことを今日知って、剣道の試合を放り出して駆けつけてきたのでしょう。
 ……ああ、そうか。私は、勘違いをしていたのね。私にとって樹が特別なだけじゃない。……樹にとっても、私は特別だったのねっ……!
「いつ、き……っ、いつきぃ!」
「てっちゃん……っ!」
 自分がウェディングドレスを着ていることも忘れ、樹に駆け寄って抱き付く。もう、涙を堪えることはできなかった。
「……おかえり、てっちゃん」
 そんな私を優しく抱きとめ、『私』の名を呼ぶ親友に、ヒーローに、私は。
「……ええ。ただいま、樹」
 今の『私』にできる最高の笑顔で、そう応えた。


 結論から言ってしまえば、今回の騒動は全て相手方の会社の陰謀だった。次期社長に既に私が内定しているのが気に入らなかったらしい。そこで、業績の伸び悩みに付け込んで私と自分の息子を結婚させ、自分の息子を次期社長にさせようとしたのだとか。証拠の音源も湊家のSPさんたちが握っていて、それを聞いた父が大激怒。私の結婚は当然白紙で、この会社との契約も即行で切った。代わりにシステムを担ってくれる会社は、これまた湊家が紹介してくれるそう。ホントもう、湊家さまさまよね。湊君は『いつきさんの親友のためですから。気にしないでください』なんて言ってくれてるけど……流石にちゃんとお礼した方がいいわよね。何か考えておきましょう。
 で、結局今回も全てを救ってしまったスーパーヒーロー、樹はというと……。
「あー、やっぱりてっちゃんのウェディングドレス、撮っとけばよかったなぁ。もう今後見られないかもしれないし」
 などとのたまっていた。
「……いや、私だってそのうち結婚するし、その時また着るわよ」
「いやいやいや! 今回みたいなこともあるし、てっちゃんとはそうそう結婚させないよ! あたしが認めた相手じゃないと!」
「樹は一体どんな立場なのよ……」
 まるで父親ね。実際私の父も似たようなこと言ってた気がするわ。
「もちろんデートだって毎回あたし同伴だからね?」
「それはさすがに嫌だわ」
 もはやデートじゃないじゃない、それ。
 ……でも、そうやって心配してくれる気持ちは、凄く嬉しい。だから私も、そんな樹を安心させるために素直に言おう。
「……心配してくれてありがとう、樹。でも、大丈夫よ」
 恥ずかしさを堪えて、でも真っ直ぐに。

「私、もう樹より格好いい人じゃないと、ときめかないから」



テーマ「濡羽色」

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第三十三回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2017.08.08(Tue) 00:00
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