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おとぎ話のような

   おとぎ話のような


 今日は雨だから出かけられないね、って笑う。
 ベッドの片隅、君は膝を抱えている。
 今日は寒いね、とストーブをつける。
 天国に一番近い場所。この先はもうない。
 君は顔をあげた。何がそんなに悲しいの。
 灰色の瞳は今日の空と同じ色だね。
 何か温かいものでも食べる、と訊いても知らない顔。
 何を必要としていたのだろう。この場所からは分からない。
 言葉は辛うじて意味を手放していない。
 コーヒーが美味しいよ、と君にマグカップを向ける。
 ああもう、少しは私を見て欲しい。
 ざらついた絶望と流行性感冒から何千マイルも転がり落ちて。
 世界の天井が手(て)りゅう弾で煤だらけになった朝。
 神さまは手のひらを合わせた。
 
 何もする気が起きないね、って笑う。
 夢の続き。後味がわるいなあ、もう。
 君は鉛の心臓を洗濯機にかけた。
 大きな燃料タンクの周回軌道上。
 流星群とお菓子な家。どこかに王子様がいたの。
 私は君といるだけ。ただ、それだけ。
 素っ気なくていいよ。返事をしてよ、ああもう。
 脱脂粉乳とマーブルチョコが懐かしいの。
 君にそう訊いても知らない顔。
 不思議の国は鏡の向こう。ああ、でもだって要らないね。
 夜はもう来ない。凝ってしまった雲の向こう。
 子ども心とコンクリートを土星の環に手放した。
 海が人口筋肉に満たされた朝。
 神さまは手のひらを合わせた。

 マフラーと手袋がよく似合うね、って笑う。
 君はマッチを擦った。
 首を絞めて欲しいな、って笑う。
 泡になった女の子。屍体好きの王子様。
 螺旋階段を上っていた途中。免疫診断の結果も待たずに。
 誰かが幸福になっても幸せにならないねって。
 誰かが不幸になっても幸せにならないねって。
 ここはかび臭いね、って笑う。
 君は澱んだ鼻歌を響かせる。雨と同じ音。
 ああもう、うまくいかないなあ。
 うずまき貝の化石は包み紙の中で時間を楽しんでいる。
 栄養たくさんの鳥かごの中で発育不全を起こし続けて。
 電卓が宇宙の真理を割り切った朝。
 神さまは手のひらを合わせた

 神さまが手のひらを合わせた朝。
 世界が小さくなった朝。
 それからずっと私と君だけ。
 ああもう、返事をしてよ。泣きたくなるから。
 今は本当にそれだけなのに。


「本当は何も望んでいないくせに」
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第二十九回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2015.01.06(Tue) 13:47

オオカミ少年

   オオカミ少年

本作品はしろずきんの裏ストーリーです。著者としてはしろずきんを先に読むことをお勧めします。

 むかしむかしあるところに嘘吐きの少年がいました。彼はいつもオオカミが来たと言い、村の人々を困らせていました。そんな彼を村の人々はだんだんと無視するようになりました。
 しかし、ある日、羊の番をしていた少年のもとに本当にオオカミがやって来て、羊を食べ始めました。
 そのことを村の人に伝えますが、誰も相手にしてくれません。最後には羊は一匹もいなくなってしまいました。
 それを知った大人たちは、今度は羊を逃がしたことをオオカミが来たと誤魔化したのだと思い、少年を叱りつけました。
 少年がいくら、本当にオオカミがやってきたのだと言い張っても、みんな嘘つきだと彼を罵りました。
 そんな彼に村の人々は愛想を尽かしました。
 少年は一人ぼっちになってしまいました。誰も相手をしてくれません。
 その日の夜、村はずれの丘で泣いていると、夜空に光がともり、途端に少年の視界が覆われました。眩しさに慣れ、目を開けると、目の前には美しい女性が現れていました。
 突然のことで、呆然としている少年に、その女性は話しかけます。
「私は女神です。あなたの行いは全て見ていました」
 少年は驚き、言われたことを理解すると、すぐに涙を目に浮かべ、泣いて許しを請いました。
「あなたのしたことは許されることではありません。しかし、チャンスをあげましょう。先のことを真実に変えてあげましょう」
 少年がすがるような目で女神様を見上げました。
「そうすれば、あなたへの嫌疑は少し晴れるでしょう。その後は自分で償いなさい」
 少年は喜び、首を上下に振り、女神様に感謝の意を告げました。
「ただし、あなたには試練を与えます。それでも構いませんか?」
 それでもお願いします、と頼みました。
「分かりました」
 すると、再び視界が真っ白になり、目を開けると女神様は消えてしまいました。
 自分は夢でも見ていたのかと不思議に思いながら、村に帰ると遠くで叫び声が聞こえました。
「オオカミが出たぞーーー」
 その瞬間、少年はさっきの出来事は夢ではなく現実だったのだと思いました。
「女神様が僕にチャンスをくれたんだ」
 それから続々と村人が出てきました。一部の大人は棒などの武器を構えています。
「どっちだ!」
「あっちだ」
 その人の指先は少年の方を指しています。
「僕の後ろにいるの?」
 すぐ後方にいるというのは恐怖でした。しかし、振り向くとそこには草村しかありません。
 少年は不思議に思いました。後ろには何もいません。でも、村人たちは確かにこっちを見、警戒しながらこちら側にじわじわと歩を進めてきます。
 少年は怖くなり、避難しようと村の方に近づくと、
「こっちに来たぞ!」
「えっ」
 もう一度、後ろを振りまきました。それでも、何もいません。再び前を向くと、すぐ足元に棒が振り下ろされました。後、一歩踏み込んでいたら、大怪我を負うところでした。
「何をするんだよ!」
 少年は振り下ろされた大人に向って言いました。そこであることに気づきました。
(おじさん、こんな背が大きかったっけ?)
 そういえば目線も低い気がします。
 そのままぼうっとしていると、再び棒が振り下ろされました。
「わぁ!」
 少年は後ろに飛びずさり、四本の足で着地しました。
(四本?)
 そこでようやく少年は自分が四つん這いになっていることに気づきました。それだけではなく腕は毛むくじゃらになっています。腕だけじゃない。足も体も全身に茶色の毛が生えています。
(まさか)
 村のみんながオオカミと呼んでいるのは少年自身のことでした。
「僕だよ、みんな」
 しかし、何を言おうとしてもただ吠えるだけになってしまいます。
「こいつめ。さっさとここから去れ」
 大人たちは棒を振り回してきた。
(危ない危ない)
 少年は後退ることしかできません。

バンッ!!
 足元に銃弾がめり込みました。
(じ、銃?!)
「ちっ。外したか。次は」
村の猟師さんたちが銃を持ってきました。その中でこちらに銃を向けて発砲したのは―――――――
(父さん)
 少年の父親でした。
「父さん! 僕だよ、僕!」
 しかし、そんな言葉が伝わることはありませんでした。傍目には吠えているようにしか見えません。
「まだ抵抗するのか」
 お父さんは銃を再び構えました。
「父さん……。くそ――」
 少年は諦め、今はとにかく逃げることに決めました。すぐ後ろの森に逃げ込み、茂みに身をひそめるようにして走っていきます。
 少年の逃げる後方からは猟師さんたちの足音と銃声が聞こえます。少年は振り向くこともせずにひたすら走り続けました。
 どれほどの時間を逃げたのか、分からないくらい走り続け、少年が気づくころには日が暮れ始めていました。
「これからどうすればいいんだろう」
 ようやく落ち着いて考えることができるようになりました。自分自身がオオカミになってしまったこと、今いる場所がどこなのか、これからのことについて。
 そんなとき再び女神様が少年の目の前に姿を見せました。
「ああ女神様、一体どうして」
「その姿で過ごすことがあなたの試練です。いずれ時がくれば、もう一度あなたの前に現れます。その時にあなたの償いが認められれば、元の姿に戻してあげましょう。それまで必死に生きなさい」
 言いたいことだけ言って、女神様はとっとと消えてしまいました。
「待って、女神様…。償いって何をすれば」
 ぐーーーーーー
 少年はとりあえずお腹がすいたので、ひとまず食糧を探すことにしました。
 少年は落ちている木の実などを食べ始めました。しかし、いくら食べてもお腹は満たされません。かと言って、昆虫を食べようという気にもなりません。小動物を殺して食べることもできませんし、そもそも捕まえる技量がオオカミに成りたての少年には備わっていませんでした。
 仕方ないので、その後も木の実や水で飢えをしのいでいましたが、数日後ついに限界が来てしまいました。
 空腹に疲弊が少年の体から気力を奪っていきました。もはや、足を一歩も動かすことができませんでした。
「結局、僕はこのまま死んでしまうのかな。嘘をつくだけでこんな目に遭うなんて想像してなかったな」
少年の意識も段々と遠のき、生への未練を諦め、目をつぶって楽になろうとした、その時でした。
「そこの茂みにいるのはどなたですか?」
 女の子の声が聞こえました。それに返答する力も残されていません。返答がなかったのにも関わらず、気になったのか女の子が段々近づいてくる足音がしました。
 茂みのすぐそこまで来ると、顔だけを覗かせてきました。
「あら」
 その女の子は白い頭巾がよく似合う可愛い女の子でした。少年の姿を見た白頭巾の女の子は始めはびっくりした様子でしたが、弱り切っているところを見ると、怖がるどころか心配そうにこちらをじっと見つめてきました。
 近寄って来て、声を掛けてきました。
「大丈夫? どうしたの、迷子になってしまったの?」
「お腹が減ったよ。もう疲れてしまったんだ」
 しかし、そんな少年の嘆きも実際にはクゥンという鳴き声にしかなりません。
 でも、そんな鳴き声を少女なりに理解したのか、食べ物を分けてくれました。
「そうだわ。おばあちゃんに持っていく食べ物を少しだけ分けてあげましょう」
 そう言って、少年の目の前にパンとお肉を置いてくれました。
「さぁ、どうぞ」
 少年は感謝の言葉を述べることもなく、目の前のパンにがっつきました。久しぶりにまともな食事でした。お肉は生でしたが、そんなことも気にせずに少年は食べ進めました。
 その様子を白頭巾の少女は笑顔で見守っていました。
「もうちょっとゆっくり食べなさい。喉に詰まらせてしまうわよ」
 それでも、口を休めることもなく、一気にたいらげました。とりあえず動けるまでは回復をすることはできましたが、まだ食べ足りない少年は目で少女に訴えることにしました。
 少女も察したようでしたが、これ以上は分けてはくれないようです。
「ごめんなさい。これ以上はあげられないの。私がおばあちゃんに起こられてしまうわ」
分けてもらう身である以上強くは言えません。もとから、通じる言葉はないのですが。
「仕方ないか。でも、食べ物を分けてくれてありがとう」
 そう言っても、少年は少女に向かって、そう伝えました。それでも少年はこれからも同じことを繰り返すのかと思うと気が重たくなりました。
 少年が今後について考えていると少女が言いました。
「そのうち、また食べ物を持ってきてあげるわ。それまで辛抱してちょうだい」
 それを聞いて、少年は安心と共にとても喜びました。意識してないのに尻尾までぶんぶん振り回しています。
「それじゃあ私はもう行かなくちゃ。いい子で待っててね」
 そう言い、白い頭巾の少女は行ってしまいました。
 少年は姿勢を正して、お座りの体勢になりました。少女が一度振り向き、手を振ってきたので、それに少年も尻尾を振って応えました。それを見た少女は微笑み、去って行きました。
「可愛い女の子だったな。それに優しかった。こんな姿になっても優しくしてくれる人もいるんだな」
 久しぶりの人の優しさに触れ、心が暖かくなった少年でした。今は少女が再び来ることを信じて、待つことにしました。

 それから白頭巾の少女は頻繁に少年のもとに食べ物を持ってきてくれました。それも肉を中心に持ってきてくれました。鳥や豚、他にも少年がいままでに口にしたことない食べ物を持ってきてくれました。それをおかげで走り回ることが出来るまでに回復をしました。
 そして、少年と少女はよく遊んだり、話をしました。話と言っても少女が一方的に話すだけなのですが。少年もできるだけ、吠えたりして相槌を打ちます。
「おばあちゃんったら私にばかり意地悪するの。本当に嫌になっちゃう」
など、おばあちゃんに関する愚痴をよく聞かされていました。
(こんなにいい子なのにそのおばあさんは何でこの子のことをそんなに気に入らないのだろう)
 少年は不思議に思いましたが、特に心に留めませんでした。そんなことよりも少女と過ごし時間がオオカミなった少年にとって、何よりの至福でした。
 そんな時でした。
 少年はいつもの場所ではなく、森の入り口で少女が来るのを待っていました。彼女の姿を確認し、森に入った所で飛び出して、彼女のもとに駆け寄りました。足元にじゃれ付いたりしました。
 少年も徐々にオオカミとして生きることに慣れ、人間の体に戻ることもほとんど考えなくなっていました。
「こんにちは、オオカミさん」
「早く遊ぼうよ。待ちくたびれたんだから」
「ごめんなさい。おつかいを頼まれているの。すぐに済ませてくるから、ちょっと待っていてね」
 それを聞いて、少年は大人しく待つことにしました。
「いい子ね。じゃあ、行ってくるわ。すぐに戻ってくるわね」
 そう言って、小走りにかけて行きました。
 少女が行ってから、少し経って、待つことに飽きてしまいました。
「まだかな。そうだ。彼女を迎えに行こう。ついでにいつも聞かされているおばあちゃんの姿でも見てやろう。一体どんな悪い人なんだ」
 そう決めた少年はいつも少女が向かっている先を追っていきました。多少道に迷いながらも少女のおばあさんのだと思われる家を見つけることができました。
 近づいていくと、何やら騒々しい音が聞こえました。物が割れる音も聞こえてきました。
「一体、何だ!」
 ドアが半開きになっていたので、そこから入りました。
 まず目に入ってきたのは、少女をぶっているおばあさんの姿でした。部屋の中もあれてしまっていました。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
 少女はひたすら謝り続けていました。一方でおばあさんはそんなこと気にもとめず、言葉にならない声を発しながら、少女を物や手で叩き続けています。
「やめろーーーーー!」
 少年は我慢ならず、おばあさんのお尻に噛みつきました。
「ぎゃあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁーーーーーー!」
 おばあさんの叫び声が部屋の中に響き渡りました。少年は噛みついたまま離しません。おばあさんが痛みにのたうちまわります。
「なんだい! 痛い痛い! 一体なんなんだい?!」
 突然のことでおばあさんも少女も何が起きているか分からない状況でした。その中で少女は少年のオオカミの姿を見つけました。
「オオカミさん!」
「オオカミだって? なんでこんな所に。ええい、いい加減に離しな!」
 おばあちゃんは思いっきり少年を叩きました。
 さすがに少年は耐え切れずに口を離してしまいました。
「彼女から離れろ! でないとまた噛むぞ」
 その言葉にはならなくてもその覇気は十分に伝わりました。その姿を見たおばあさんは腰を抜かしました。
「ひぃあゃ」
 その隙に少女は立ち上がり、真っ先にドアへと向かいました。
「オオカミさん! こっちよ」
 その声の方を向くと、少女が扉の方に逃げていました。少年もその後に続きました。一人と一匹はそのまま振り向きもせずに家から離れていきました。
 しばらく走った後、足を止めた少年と少女は息絶え絶えになっていました。少女の方は服も汚れたり、所々破けてしまいました。その白い肌にも赤い線が見えていました。
「大丈夫、オオカミさん?」
「大丈夫だよ」
 そこで落ち着きを取り戻した少年は気づきました。彼女のお気に入りだった白い頭巾がなくなっていました。
 続いて少女も頭から頭巾がなくなっていることに気が付きました。
「あら、私の白い頭巾がないわ。逃げている最中に落としてしまったみたいだわ」
 少女は残念そうにしていました。
「どうしましょう? お母さんからもらった大事なものだったのに。でも、もしかしたら近くにあるかもしれないわ。オオカミさんも探してくれる?」
「もちろん」
 二人は少しだけもと来た道を引き換えしました。でも、少女はまだおばあさんのことが恐ろしいようで、ほとんど戻ることができず、足をとめてしまいました。それ以上は行けないそうです。
「残念だけど探すのは諦めましょう。おばあちゃんの家に落としていたら、もう取り戻せないもの。それにね、これでオオカミさんのことがばれてしまったわ。おばあちゃんが狩人さんに知らせてあなたを殺しに来てしまうかもしれないわ。だから、あなたは早くここから逃げなさい。遠くへ逃げるのよ。わかった?」
「そんな僕はまだ…」
「私も寂しいけれど、オオカミさんと遊べたのは楽しかったわ。それじゃあ、私も行くわよ。おばあちゃんのことをお母さんにも言わなきゃいけないし、今すぐここを離れるのよ。これでお別れよ。バイバイ」
 お別れの言葉を告げた少女は村の方へ歩き始めました。
(僕はまだ独りで生きていかなきゃいけないのか)
少年は残念に思いましたが、命には代えられません。少女の言うことに従うことにしました。少女が一度振り返りました。その顔には不安や心配の表情の他に違う何かを感じました。
 でも、少年はすぐにその場を後にしました。
 森から離れるよう言われた少年ですが、そうは言われても行く当てなどありません。それに土地勘もほとんどありません。少女と遊ぶ場所しか知りません。
少年はぶらりぶらり歩いていました。そうしていると、おばあさんの家に戻って来てしまいました。
 少年は先ほどのおばあさんの形相を思い出すと恐ろしくもありますが、どんな様子になっているか気になりました。
 さっきまでとは打って変わって静まりかえっています。家に近づいていくと、中から人が出てきました。
(何で……)
 出てきたのは帰ったはずの少女でした。その頭にはさっきまでなかった白い頭巾をかぶっています。少女はそのまま走り去りました。
 おばあさんとは喧嘩していたのではないのか。争っていた声などは一切に聞こえませんでした。
 気になって、開いている扉を覗くと、そこには血塗れになって倒れているおばあさんがいました。ピクリとも動きません。すでに死んでしまっています。
「彼女がやったのか。一体どうして。やっぱり頭巾を取りに戻って来て、口論になったのか」
 少年は焦ります。このままじゃ、少女が殺したと疑われるかもしれない。もしかしたら押してしまったはずみでたまたま死んでしまったのかもしれない。
 そうに違いないと思った少年は何かをできることはないと考えると、この死体をどうにかするしかないと考えました。でも、方法が思いつきません。
 そのとき少年の目の前に再び女神様が現れました。
「女神様。助けてください。僕は一体どうすれば」
「前に言った時が今です。あなたが正直に村の人たちにこの真実を告げるならあなたを人の姿に戻しましょう。しかし、その場合、彼女は間違いなく不幸な人生を送ることになります。生きている間ずっとです。でも、あなたが黙っていればそのようなことはありません。さぁ、彼女の罪を告白するか、しないか、選びなさい」
「僕は……」
 ここで正直に話せば、元の生活に戻れるかもしれない。それに彼女は悪いことをしたんだ。それを告げるのは当然のことだろう。頭ではそう分かっていますが、不思議と少年の心は決まっていました。
「僕は…誰にも言いません」
「では、その姿のまま一生を過ごすと」
「はい。慣れてくれれば特に不自由もないし、それに…」
 女神様は了承し、うなずきました。
「あなたがそう決めたなら何も言いません。自分の信じた道を行きなさい」
 そう言うと、少年の目の前は白い光に覆われ、あまりの眩しさに目をつぶってしまいます。少年が目を開けると、もう女神様の姿は消えていました。
(それに彼女だけが僕を助けてくれた。今度は僕が助ける番だ。僕が誰にも言わなきゃいいんだ)
 少年は彼女を守り続けると決意しました。それともう一つある決意しました。
(この死体を処理するには―――――――)
 ゴクリッ。
 少年は口先をおばあさんの亡骸に向けました。


 それから少年は少女の言いつけに逆らい森に残り続けました。村の様子も遠くから窺ったりしていました。少女の姿も時々見かけましたが、以前の生活となんら変わりないようです。そのことに少年は安堵しました。
 一方で、森に異変が起きていることを少年は感じていました。やたら、鳥やネズミといった小動物の遺体があるのです。しかも、どれも腹を破られたり、残忍な殺し方をされていました。
 動物ではなく、人の仕業だと少年は思いました。でも、行われている現場を目撃したこともないので、なんとなくの推測でした。
 ただ、獲物を仕留める必要がなく、有難く食料として有用していました。おかげで、少女に食べ物をめぐんでもらわなくても飢えなくなっていました。
 そんなある日、少年の身に危険がせまってきました。朝早くから少女の村の猟師たちが少年を駆除にしに来たのです。
「村の近くに頻繁に顔を出していたのが不味かったかな」
 銃を撃ちながら、追ってきます。少年は必死に逃げる中で、自分の村でのことを思い出しました。
「あのときは混乱していて、ただ怖かったけど、今は!」
 もちろん、心の中に弾が当たったらという恐ろしさがありました。でも、逃げるその足には力がみなぎっていました。うまく身を隠しながら猟師たちを翻弄していました。
 しかし、夕方になってくると、流石に体力がなくなってきました。ぼろぼろになりながらも逃げていましたが、とうとう足に一発かすってしました。たいした傷ではありませんが、力尽きそうな少年には大きな痛手です。
「ここまでか」
 半ば、諦め始めた少年は覚えのある匂いを感じました。
「この匂いは、彼女のものだ」
 足を引きずりながらも匂いを辿っていくと、そこには猟師たちの方を向いている少女の姿を見つけました。どうやら少年のことを心配して駆けつけたようです。
 少年はできるだけ脅かさないように少女の服を引っ張りました。
 少女は驚いて振り向きました。少年の姿を確認すると安心したようでした。
「オオカミさん、無事だったのね」
「まぁなんとかね」
 少女は少年の足の傷に気づきました。
「まぁ大変。怪我をしているわ。弾がかすってしまったのね。もう少し我慢してね。すぐに手当してあげるから」
 少女は少年の姿を抱きかかえました。そのまま、ゆっくりと距離を取った後、走りだしました。
 少年は揺れる少女の腕の中で先ほどまでの緊張感から解き放たれ、全身から力が抜けてしまいました。安心して、少女に身を任せました。
 それから少女は少年を部屋まで連れて行き、傷の手当をしてくれました。
「ちょっと痛いかもしれないけど我慢してね」
 傷には沁みましたが、じっと大人しくしていました。手当を終えた後、寝床も作ってくれました。少年の身も心もかなり回復しました。
 それから少女は少年に言いました。
「これからはとりあえずここで過ごしてね。でも、ここから出たりしちゃだめよ。もしお母さんにばれたりしたら、私も怒られてしまうし、あなたも殺されてしまうのだから」
「分かったよ」
 すると、部屋の外から女性の声が聞こえました。
「しろちゃん、ちょっと手伝ってくれる」
 どうやら彼女の母親のようです。しろちゃんとは少女のことだろう。
 少女は返事を返した後、再び少年に向き直り言いました。
「それじゃあ、ここで大人しくしていてね。後でご飯を持ってきてあげるから」
 そう言って少女は母親のもとへ行きました。
 少女が去った扉に向かって少年は言葉にはならないありがとう、を言いました。
 そして、朝からの疲れが溜まっていた少年は暖かい部屋の中で、眠りに落ちていきました。


 少年が目を覚ましたのは夜中でした。目の前にはパンが置いてあるのが陰で分かりました。少女が置いてくれたものだと判断し、静かに食べました。
 食べ終わって、再び眠りにつこうとしても、なかなか眠れません。むしろ目が冴えてしまっていました。かと言って、出歩くわけにもいかず、ぼうっとしていました。
 すると、突然目の前の月明かりが遮られました。少女が起きたようです。そのまま部屋の外に出ていきました。
「こんな夜中に何しにいくのだろう」
 少年は好奇心からこっそり彼女の後をつけることにしました。部屋を出ると、他の部屋の明かりがついているのが見えました。その部屋に少女は近づいていきました。その後に続きます。部屋の前で少女は立ち止りました。
 少年も足を止めます。少女は部屋の中の様子を窺っているようです。中にはおそらく母親がいるのでしょう。
 もう少しだけ少年が近づくと声が聞こえました。
「…にをしているのかしら? あら、こんなところに赤いシミが…………
「パクリ」
 と言って、少女が突然部屋に入り込みました。
「ビックリしたぁ。どうしたの、しろちゃん。こんな夜中に」
「喉が渇いたから水を飲みに来たの。そしたらお母さんが起きていたから、驚かそうと思って。ごめんなさい」
「そう。早く寝なさいね」
 少年は母と子のやり取りをドアの隙間から眺めていました。自分にもあった情景が頭に浮かび懐かしく感じました。
「そうだ。ちょうどよかった。最近、服を汚しすぎよ。頭巾だって、前みたいな白くないじゃない。少し黒くなってしまってるわよ」
「ごめんなさい」
「今日も汚してきて。この赤いシミだって、これ血じゃないの?」
「そうよ」
 平然と少女は言いました。
 母親はすぐに心配した様子になりました。
「どっか。怪我してるの? 見せなさい」
「私は大丈夫よ。それより大丈夫? お母さん」
「? お母さんはど…こ……も? あ……れ………?」
 少年は少女の母親がゆっくり崩れ落ちていくのを見ました。その体からは赤黒い液体が広がっていきました。
 少年は目を見張りました。いつ間にか少女の手には血の滴る包丁が握られていました。
「ごめんなさい、お母さん」
 三度目の謝罪の言葉を少女は述べました。
「どう…し……て?」
「疲れたの。いい子の振りするのを。誰にでも笑顔の優しいしろずきんちゃん。そんなきれいな心の人いるわけないのに、誰も彼も仮面を被って生きているのに、そんなことに気づきもしない。私だって黒い部分を持ってる。でも、曝け出せない。出せなかった」
 少年は少女の闇に驚愕しながらも気づきました。すでに母親が息絶えていることに。
 しかし、少女はそんなことに気づきもせずに口を止めません。
「めんどうだったの。ある意味おばあちゃんの方がよかったわ。全部本音で接してくれたから。でも、乱暴なとこは嫌いだったわ。そんなときにね」
 少女の笑みを浮かべました。少年はじっと耳を傾けています。
「オオカミさんが現れたの。本当はそんな危険な存在すぐに大人に言わなくちゃいけない。でも、黙っていたわ。なんだか、ちょっとだけ悪いことをしている気分になったの。それに自分だけの秘密。初めてのどきどきだったわ。最初のうちはそれだけで十分だったけど、ちょっとずつもの足りなくなっていったの。
 で、今度はおばあちゃんが本気で私を痛めつけてきた。オオカミさんのおかげで助かったわ。でも、私の気は納まらなかった。頭巾も取り戻したかったから、仕返しに家に戻ったの。おばあちゃん、まだ腰を抜かしていたから、思いっーきり突き飛ばしたの。そしたら、きれいに机の角に頭ぶつけて動かなくなったわ。そのときは怖くて、逃げ出したけど、少しずつ他の命を自分が支配している気分になったの。おばあちゃんのこともばれなかったし、もう一度だけ生き物を殺したくなってみたの。始めは虫、次にネズミ、それから小鳥。そうすると私の何かが満たされていくのを感じたのよ。簡単にいうと、楽しかったの」
 少女の顔は少年がかつて遊んでいた頃の笑顔となんら変わりのないものでした。だからこそ、少年はショックで愕然としていました。それでも少女は一人語りを続けます。さらに次の言葉が少年に追い打ちをかけます。
「最近はオオカミさんのことが噂になっていたし、犯人はオオカミさんということになってくれるだろうとも思っていたし、気にせずにできたわ。いざとなれば、オオカミさんを差し出して…」

 キィ

 少年はあまりのショックにドアによりかかってしまい、扉が動いてしまったのです。
 少女の頭だけがこっちをぐるんと向きました。その顔はさっきまでの楽しそうな表情はなく、無表情の面が張り付いています。何も言わず、ただ扉をじぃーと凝視しています。
 幸いなことに少年の姿はまだ見られていません。少年は一歩一歩ゆっくり少女の部屋に戻ろうとします。
 続いて少女がこちらに向かうのが視界の隅に入りました。少年は急いで戻りました。そして、元いたベッドの下に潜り、眠ったふりをしました。

ヒタッ、ヒタッ、ヒタッ……

 少女が近づいてくる足音がします。ベッドのすぐ横、少年の前で足を止めました。そのまま少女はじっと動きません。少年は身動きできません。体が縛られたように固まっています。
 少女はこちらに声をかけることもなければ、覗きこともせずにベッドに入り、寝息を立て始めました。
 少年は今すぐにでも逃げたかったですが、少女が完全に眠りに着いたと思えるまでじっとしていました。
 翌朝、日が昇り始めるころになって、ようやく少年は動き出しました。少女が寝静まっているのを確認すると部屋を飛び出し、森に逃げ込みました。
「女神様、女神様。僕が間違ってました。今すぐ彼女の罪を言いますから。僕にもう一度、もう一度だけチャンスを」
 そんな声が届くはずもなく、何の返答もかえってきません。
「くそっ」
 少年は闇雲に森の中を駆けることだけしかできませんでした。
 しばらく逃げるとおばあさんの家に辿り着きました。一先ず、ここで休憩することにしました。奥の椅子の陰で寝転がりました。
「オオカミさんいるの?」
 少しだけ休むつもりが、ついうとうとしてしまいました。少年の意識が少女の声によって引き戻されました。昨日までは安らぎを与えてくれたその声も今では恐怖以外何物でもありません。
 少女がちょうど家の中に入りこもうとするところでした。ゆっくり一歩ずつ入ってきます。
 そして、奥の方に入っていき、家具の後ろなどを探し始めました。
「まだ、ばれてない。今なら…」
ガタンッ!
「しまった」
 椅子に足を引っ掛けてしまいました。
「仕方ない。このまま逃げるしか―――」
 ダッシュで家を飛び出しました。速度を緩めることなく、森の中を駆け抜けていきます。体にひっかけて、傷を作ってもお構いなしです。
「私よ! どうして逃げるの! 待って!!」
 後ろから少女の声が聞こえます。
「待っていられるか」
 全身の力を振り絞って逃げます。すると、茂みを抜けた先で猟師たちに鉢合わせしてしまいました。
「しまった」
「オオカミだ。オオカミが出たぞ」
 猟師たちはすぐに猟銃を構えました。
「くそ」
 逃げる方向を変えようとしたときに少女の姿が目に入り、一瞬足がすくんでしまった、その瞬間――――――
バンッ
「ぐはっ」
 銃声が森に響きました。少年の体は吹っ飛び、木に打ち付けられました。少年の体は血で染まり、手足を動かす力もありませんでした。
「僕はこのまま死んでしまうのだろうな」
 少年はもう無理なことを悟りました。
「オオカミさん!!」
 少女は大声で叫び、少年のもとに駆け寄りました。
 すると、すぐに猟師さんたちもやってきました。
「こら、しろずきん。危ないから近づくんじゃない。まだ息があるかもしれん」
「違うわ。このオオカミさんは何もしていないわ。私と遊んでいただけなのに」
「それでもオオカミはオオカミだ。危険な生き物だ。今は子どもだから良かったものを。成長したらどうなるか分からん」
「でも! でも! オオカミさんは、この子は大事なお友達だったのに…。大事なおと…もだ…ち……。わた…しのだいじ…な……お…も……ち…ッ…」
掠れた少女の声もすぐ近くの少年の耳にはしっかりこう聞こえていました。
「私の大事な、お・も・ち・ゃ」
 少年の見た少女は赤黒い頭巾をかぶった悪魔に見えました。しかも、その後ろには女神様の意地悪い笑顔が見えました。
「僕はあの時、彼女の罪を告白すればよ…かったの…か……な」




「馬鹿な子」
                       END
第二十九回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2015.01.06(Tue) 13:38

しろずきん

   しろずきん

 むかしむかし、あるところに白い頭巾がとてもよく似合う可愛らしい女の子がいました。お母さんからもらったお気に入りの頭巾です。汚れなど一切ない純白です。
そのことから女の子は村の皆から、しろずきんちゃん、と呼ばれていました。
 しろずきんちゃんはとても優しく、元気な女の子。お母さんのお手伝いもきちんとこなします。他の大人の頼み事も快く引き受けます。友達もいっぱい。皆から頼りにされるしろずきんちゃん。
 でも、そんなしろずきんちゃんにも苦手なものがあります。
 それは村から離れた森に住んでいるおばあちゃんです。おばあちゃんはいつもしろずきんちゃんをいじめます。あれをやれ、これをやれ、このノロマな娘め、としろずきんちゃんを叱りつけます。
 そんなおばあちゃんのことをしろずきんちゃんは少し嫌いでした。
 でも、しろずきんちゃんはお母さんの言うことを聞く、偉い子です。おばあさんに食べ物を持って行って、とよくお母さんから頼まれます。
 嫌でも断れません。仕方なく笑顔で引き受けます。
 そんな、ある日のこと。
 学校を終え、家に帰ってきたしろずきんちゃん。さっそくお母さんからお手伝いを頼まれます。
「しろちゃん。ちょっと頼まれごとをしてくれる?」
「何をすればいいのお母さん?」
「おばあちゃんのおうちにね」
 しろずきんちゃんはおばあちゃんと聞き、心の中ではしかめ面です。それでも、顔は絶やさない笑顔です。
「お肉と野菜とパンを届けて欲しいの。お願いできる?」
「分かったわ。お母さん」
「ありがとう、しろちゃん」
「それじゃあ、さっそく行ってくるね」
 早く終わらせて、遊びにいこうと思いました。
 テーブルの上に置いてあるバスケットを腕にかけ、元気よく家を出ました。
 おばあちゃんの家が森にあるのは人が嫌いだからだそうです。それでも自力で生活するのは面倒なので、こうして人を使うのです。そのくせにグズだ、ノロマだというので、優しいしろずきんも困ってしまいます。介護も家族の責任だと思うので、一応従うしろずきんちゃんです。
 それに怖いものが森には住んでいます。時々、クマやイノシシが出たりするそうです。お友達のアリスちゃんはウサギさんを追いかけていたら、怖い目にあったそうです。
 と言っても、本当に希なことなので、さほど心配はしていません。やっぱりおばあちゃんの家に行きたくない口実です。
「あーあ、めんどくさい。また嫌なこと言われるんだわ。早く済ましちゃおう」
 少しだけ足早になるしろずきんちゃん。そんなときです。

ガサッ

 しろずきんちゃんは、ビクッとして、歩が止まってしまいました。
 後ろを振り向くと再び、ガサガサ、と草が蠢いています。何かがそこにいるそうです。
 おっかなびっくりでしろずきんちゃんは震えた声で呼びかけます。
「そこの茂みにいるのはどなたですか?」
しかし、その掛け声に返答はありません。ゆっくり茂みに近づいて行き、顔だけを覗かせました。すると、そこには
「あら」
 なんと、出てきたのはオオカミでした。でも、そのオオカミに恐ろしさは微塵も感じられませんでした。
 というのも、子どものオオカミだからでした。体も小さく、それに何だか弱っているようです。今にも死んでしまいそうに突っ伏しています。
哀れに思ったしろずきんちゃんは近寄り、声をかけてみました。
「大丈夫? どうしたの、迷子になってしまったの?」
 その呼びかけに対して、子オオカミは力なく、クーンと鳴くだけです。
「そうだわ。おばあちゃんに持っていく食べ物を少しだけ分けてあげましょう」
 少しなら気づかれないだろう、とパンを一つとお肉を子オオカミの前に置きました。
「さぁ、どうぞ」
 すぐに子オオカミはがっつきました。よほどお腹が減っていたのでしょう。警戒する様子もなく、むしゃむしゃむしゃむしゃと食べます。
「もうちょっとゆっくり食べなさい。喉に詰まらせてしまうわよ」
 そう言い、ニコニコ笑顔で見ていました。
 そして、あっという間にたいらげてしまいました。それでも、子オオカミは食べ足りないのか、もっとくれないのかと、見上げてきます。
「ごめんなさい。これ以上はあげられないの。私がおばあちゃんに怒られてしまうわ」
 言葉は分からなくても、納得したようで、一言ウォンと吠えました。
 でも、心優しいしろずきんちゃんは可哀想に思い、こう声をかけました。
「そのうち、また食べ物を持ってきてあげるわ。それまで辛抱してちょうだい」
 しろずきんちゃんの想いは伝わったようで、子オオカミは喜んで、尻尾をぶんぶん振り回しました。
「それじゃあ、私はもう行かなくちゃ。いい子で待っててね」
 そう言い、前を向き、再び歩き始めました。少しだけ振り返り、子オオカミを見てみると、待て、と言われた犬みたく、その場で行儀よく座っていました。
 それを見て、しろずきんちゃんは微笑み、小さく手を振りました。
 子オオカミは尻尾をふりふりして、応えていました。

「寄り道をしてしまったわ。急がなくちゃ。おばあちゃんにまた叱られてしまうわ」
 そう気持ちが急かされているのに、さっきまでよりも足が軽く思えるしろずきんちゃん。
 あの子オオカミのおかげかもしれません。自分だけのペットができたようで嬉しかったのです。
「次は何を持って行ってあげようかしら。元気になったら、一緒に遊びたいわ」
 これからの楽しみを想像していると、おばあちゃんの家が見えてきました。
 現実に引き戻され、一瞬憂鬱になるしろずきんちゃんでしたが、気を取り直して、おばあちゃんの家のベルを鳴らしました。
「おばあちゃん、私よ。しろずきんよ」
 そう声をかけると、扉の向こうから、コツコツと歩く音がします。扉の前まで来ると、少しだけ扉が開き、そこからおばあさんの顔がこちらを覗き込んでいました。
「ごきげんよう、おばあちゃん。食べ物を持ってきたわ」
「ふんっ。遅かったね。本当にノロマなんだから」
 いつもことで慣れっこなのですが、それでも心の中でむっ、とします。でも、顔にはできるだけ出しません。大人なしろずきんちゃんなのです。
「ごめんなさい。学校が終わるのがちょっと遅くって…」
「言い訳なんかいいんだよ。さっさと、食べ物だけ置いて帰りな」
「分かりましたわ」
 バスケットを渡そうと、腕を伸ばすと、ひったくるようにしろずきんちゃんから奪い取ります。
 そして、中を確かめます。
「それでは私はおいとましますわ」
 早く立ち去ってしまおうと、後ろを向いたところに
「ちょっと待ちな」
 低い声でしろずきんちゃんを呼び止めます。
「何かしら、おばあちゃん?」
「いつもより、何だか量が少ないようだけど」
 子オオカミにあげた分、少なくなっていることに気づいたようです。鋭いおばあちゃんです。
 でも、しろずきんちゃんは何でもないように答えました。
「そう? 私はそれを渡すようにお母さんから頼まれたから、分からないわ。気のせいではなくて」
 おばあちゃんは審議を確かめるように黙って、じっとしろずきんちゃんを睨んでいます。
「あの女に次からはもっと多く入れておくように言っておきな」
「分かり―――――――
 バンッ
 返事も聞かないで、扉を勢いよく閉めてしまいました。
 ひと仕事終えたしろずきんちゃんはようやく一息つきました。
「もう。本当に意地悪なんだから。早く帰って、遊びましょう。それにあのオオカミさんのことも色々考えてあげなくちゃ」
 足取り軽く、スキップして家路に着くしろずきんちゃんでした。

 それからしろずきんちゃんは足繁く子オオカミの所へ通うようになりました。給食や晩ご飯を少し持ち出しては子オオカミにあげました。
 子オオカミもすぐに回復しました。走りまわることもできるようになりました。しろずきんちゃんにもよくなつきました。
そして、森の中で一人と一匹は仲良く遊びました。ですが、これは秘密の関係です。他の人にバレてしまっては今の関係も崩れてしまうでしょう。しろずきんちゃんも十分に理解していました。
 だから、仲良しの友達にもお母さんにも内緒にしていました。
 気をつけてはいたのです。

 ―――――――が、そんな日常はいつまでも続くことはありませんでした。
「しろずきんちゃん、遊びましょう」
 さよならの挨拶を済ませるとすぐにお友達のアリスちゃんが声をかけてきました。ですが、やんわりと断ります。
「ごめんなさい、アリスちゃん。今日はお母さんに頼まれごとをしているの」
「そうなの? 最近、あんまり遊べないね」
「ちょっと忙しくて。本当にごめんなさい。また今度ね」
「分かったわ。それじゃまた明日。バイバイ」
「バイバイ」
 お別れを言うと、日課となっている子オオカミのもとへ急ぎます。でも、おウチには一度帰らないとお母さんが心配するので、帰宅します。
「お母さん、ただいま」
「お帰りなさい、シロちゃん。帰ってきたばかりでなんだけど、おばあちゃんのところにおつかい頼めるかしら」
 今日はすぐに子オオカミのところへ向かうつもりだったのですが、本当におつかいを頼まれてしまいました。
 森にどちらに行くつもりだし、アリスちゃんへの嘘もなかったことにできるので、引き受けました。
 行ってきます、と元気に家をでたしろずきんちゃん。まず、始めに向かうのは子オオカミの所です。
 森に入ると、すぐに奥の茂みから飛び出してきました。
 足にじゃれついてきます。
「こんにちは、オオカミさん」
 早く遊びたいと言うように尻尾を振っています。
「ごめんなさい。おつかいを頼まれているの。すぐに済ませてくるから、ちょっと待っていてね」
 そう言うと、おとなしくなり、お座りの体勢になりました。
「いい子ね。じゃあ、行ってくるわ。すぐに戻ってくるわね」
 小走りにおばあちゃんの家へ急ぐしろずきんちゃん。すぐに家に着きました。
「おばあちゃん、私よ。扉を開けて」
 すぐにおばあちゃんは出てきました。
「こんにちは、おばあ…
「あんただね、私の家にいたずらしたのは」
 突然の物言いにしろずきんちゃんはこまってしまいました。
「何を言っているの?」
「とぼけてもダメだよ。私は誤魔化せないんだから。いいから、早くこっちに来な」
 そのままおばあちゃんはしろずきんちゃんの腕を引っ張り、家に入れました。
 状況をうまく飲み込めないしろずきんちゃん。おばあちゃんが怒っていることはいつものことなのですが、今回のいつもの怒りとは違うものを感じました。
「痛いわ。おばあちゃん。私が何をしたって言うの?」
「まだしらばっくれる気かい。私の家に忍び込んで荒らしまわっただろう」
「そんなこと、私していないわ」
「嘘吐きな子だね」
「本当よ! 私何も知らないの!」
「黙りな!」
「ひッー」
 おばあちゃんの怒気に怯え、しろずきんちゃんはすくみ上がってしまいました。
「どいつもこいつも私を馬鹿にして! そんなに面白いかい? 愉快かい? この老いぼれをからかって! ええっ!」
「わた…しはなに…も」
「黙りなって言ってんだよ!」

 バシッ

「きゃあ」
 なんとおばあちゃんはしろずきんちゃんを思いっきり、はたきました。そのまま倒れてしまいました。
しかも、一回だけでは終わりませんでした。何度も何度も叩きました。
 その中でもしろずきんちゃんはずっと謝り続けています。
「ごめんなさい、おばあちゃん。ごめんなさい。痛い。ごめんなさいごめんな、いたいごめんなさい」
 でも、その声はおばあちゃんには届きません。
 バシッバシッバシッバシッ
 顔をはたき、頭を叩き、しまいには足で蹴りはじめました。
「このッ! このッ!」
 しろずきんちゃんの体はあっという間に傷だらけです。痣ができたり、腫れてきています。
 そんな時、当然叫び声が家の中に響き渡ります。
「ぎゃあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁーーーーーー」
 その悲鳴はおばあちゃんのものでした。
 何が怒ったのか、しろずきんちゃんには分かりませんでした。ただ顔をあげると、痛みに顔を歪めるおばあちゃんの姿が見えました。そして、暴れまわります。
「なんだい! 痛い痛い! 一体なんなんだい?!」
 誰も冷静ではなく、ただただ混乱が満ちていました。
 そんな中でしろずきんちゃんは見ました。のたうち回るおばあちゃんのお尻に子オオカミが噛みついているではありませんか。
 それに気づいたしろずきんちゃんは思わず声をあげました。
「オオカミさん!」
 子オオカミは振り回されながらも、必死にお尻から離れません。
「オオカミだって? なんでこんな所に。ええい、いい加減に離しな!」
 おばあちゃんは思いっきり子オオカミを叩きました。
 そのせいで子オオカミはおばあちゃんから引き離されました。
 離された後でも子オオカミはおばあちゃんを威嚇します。唸るその姿はいくら子どもとは言え、迫力があります。
 はっきり子オオカミの姿を見たおばあちゃんは腰を抜かしてしまいました。
「ひぃあゃ」
 その隙にしろずきんちゃんは立ち上がり、真っ先にドアへと向かいます。
「オオカミさん! こっちよ」
 外へ駆け出すと、後ろには子オオカミがきちんと付いてきました。そのまましろずきんちゃんは振り向きもせずに森の中へと逃げました。

 一人と一匹は息絶え絶えに逃げてきました。
「大丈夫、オオカミさん?」
 ウォン、と一鳴き。
 しろずきんちゃんの姿はぼろぼろです。服は汚れてしまって、所々破けてしまっています。それに殴られてできた傷以外にも枝にひっかけてできた擦り傷もたくさんです。
 それにお気に入りのものまで無くしてしまったようです。
「あら、私の白い頭巾がないわ。逃げている最中に落としてしまったみたいだわ」
 どうやら白い頭巾を無くしてしまったようです。しろずきんちゃんはとても悲しくなりました。
「どうしましょう? お母さんからもらった大事なものだったのに。でも、もしかしたら近くにあるかもしれないわ。オオカミさんも探してくれる?」
「ウォン」
 しろずきんちゃんたちはちょっとだけ来た道を引き返してみました。けれども、おばあちゃんが追いかけて来ているかも、という可能性もあります。そんなには戻ることもできずに諦めてしまいました。
「残念だけど探すのは諦めましょう。おばあちゃんの家に落としていたら、もう取り戻せないもの。それにね」
 子オオカミへ語り掛けます。
「これでオオカミさんのことがばれてしまったわ。おばあちゃんが狩人さんに知らせてあなたを殺しに来てしまうかもしれないわ。だから、あなたは早くここから逃げなさい。遠くへ逃げるのよ。わかった?」
 クーン
「私も寂しいけれど、オオカミさんと遊べたのは楽しかったわ。それじゃあ、私も行くわよ。おばあちゃんのことをお母さんにも言わなきゃいけないし、今すぐここを離れるのよ。これでお別れよ。バイバイ」
 お別れの言葉を告げたしろずきんちゃんは村の方へ歩き始めました。
一度振り向くと、まだそこに子オオカミはいましたが、もう一度振り向いたときにはもう姿を消していました。

 その後、家に帰ると、お母さんはしろずきんちゃんの汚れた姿を見て、怒りました。しろずきんちゃんは子オオカミのことは触れないで、ただ、おばあちゃんに少し叩かれただけと誤魔化しました。
 それを聞いたお母さんは、おばあちゃんのことを分かっているので、すぐに態度を変え、しろずきんちゃんを慰めてくれました。
 汚れてしまった白い頭巾も洗ってもらいました。でも、元通りにきれいにはならなくて、少し黒い部分が残ってしまいました。それでも、しろずきんちゃんは前と同じように大事にしようと思いました。

 数日後、おばあちゃんがいなくなったという報せが朝早くにしろずきんちゃんの家に届きました。
 話によると、おばあちゃんの家の近くに通りかかった猟師さんが家の扉が開いたままになっているのに気付き、部屋を覗くと誰もおばあちゃんの姿はなかったそうです。
 先日のこともあったので何か知らないか、しろずきんちゃんは聞かれましたが、あの後のことは何も知らないと言いました。
 また、床には血の跡もあったそうです。最近、森でオオカミを見たという話がちらほら流れていたそうで、さらには色んな動物の死体が頻繁に見られるようになっていました。それでおばあちゃんはオオカミに襲われたのではというのが猟師さんの意見だそうです。
 まさか、あの子オオカミが食べてしまったのでしょうか。でも、あの小さいオオカミが気性の荒いおばあちゃんをどうにかできるとは思いません。あのときは突然のことで驚いていましたが、なんだかんだ言っても、大人なのです。むしろ返り討ちにされてしまうでしょう。
 しかし、そんなことも知らない猟師さんたちはオオカミを退治しに行くと、これから森に捜索しに行くそうです。
 別れ際に子オオカミには森を離れるように言ったしろずきんちゃんでしたが、ちゃんと逃げてくれたか不安でした。
 確認しに行こうと出かけようとすると、お母さんにオオカミ出くわすと危ないと言って、家から出してくれません。
 仕方なく一旦、部屋に戻りました。でも、しろずきんちゃんは諦めたわけではありません。大人しくしているふりをして、隙をついて逃げ出そうと考えていました。
 しかし、お母さんは隙を見せません。入り口が見えるような位置で家事をしています。結局お昼を過ぎるまで機会は訪れませんでした。
 日が傾き始めた頃、ようやくお母さんがうつらうつらし始めました。早朝におばあちゃんの報せが来たので、いつもより早く起きていたので、眠気が来たようです。しろずきんちゃんはきちんとお昼寝をしたので、平気です。
 お母さんがテーブルに突っ伏し、居眠りを始めたところを確認したしろずきんちゃんは音を立てないように裏口からこっそり出ていきました。
 しろずきんちゃんは森に急ぎました。もしかしたら、すでに子オオカミは退治されてしまっているかもしれません。
 森に入ると、すぐに銃声が聞こえました。
 一発、二発……三発なりました。
 しろずきんちゃんの鼓動は早まります。できるだけ急いで音の鳴った方へ向かいます。
「お願い、無事でいて。オオカミさん」
 すぐに猟師さんたちの姿が見えました。見つかると怒られるだろうし、物音を立てて間違って撃たれるかもしれないので、それ以上近づかないことにしました。
 様子を窺っていると、どうやらまだ子オオカミは仕留められていないようです。辺りを見渡し、探しています。
 そのとき、しろずきんちゃんの背中が急に引っ張られました。
「ッ!」
 驚き、声をあげそうになるのを押さえて、振り返ると、そこには子オオカミがいました。
「オオカミさん、無事だったのね」
 子オオカミは息を荒立てていて、必死に逃げていたようです。そして、よく見ると左後ろ脚を引きずっていて、血が流れ出ています。
「まぁ大変。怪我をしているわ。弾がかすってしまったのね」
 そこでしろずきんちゃんは家に連れ帰って、手当することにしました。
「もう少し我慢してね。すぐに手当してあげるから」
 しろずきんちゃんは子オオカミを抱えて素早く、でも音を立てないようにその場を離れていきました。
 十分な距離を離れた後、走って家に戻りました。家に着くと、窓からお母さんの様子を見ると、家を出た時と同じ格好で眠っていました。
 静かにゆっくり扉を開いて、そのまま自分の部屋に子オオカミを連れて入りました。そして、お母さんを起こさないように救急箱を取ってきました。
「ちょっと痛いかもしれないけど我慢してね」
 傷口を消毒し、包帯を巻いて一通りの手当をしました。出血もほとんど止まって、子オオカミはさっきよりもかなり元気になりました。
 しろずきんちゃんはひとまず子オオカミをベッドの下に布などを敷いて寝床を作ってあげました。
「これからはとりあえずここで過ごしてね。でも、ここから出たりしちゃだめよ。もしお母さんにばれたりしたら、私も怒られてしまうし、あなたも殺されてしまうのだから」
 理解したのか、してないのか、子オオカミは小さく「ウォン」と鳴きました。
「しろちゃん、ちょっと手伝ってくれる」
 お母さんも起きたようです。しろずきんちゃんを呼んでいます。今行くわ、と返した後、子オオカミに言いました。
「それじゃあ、ここで大人しくしていてね。後でご飯を持ってきてあげるから」
 そう言ってしろずきんちゃんはお母さんのもとへ行きました。
 その後、しろずきんちゃんはお母さんの夕ご飯のお手伝いをして、お母さんと一緒にご飯を食べました。
 ご飯の後はお皿を洗うお手伝いです。
「これが終わったら、先にお風呂に入りなさい」
「はぁい」
 お皿洗いを済ませた後、一度着替えを取りに部屋に戻りました。しろずきんちゃんがベッドの下を覗くと子オオカミは眠っていました。
 それを見て、しろずきんちゃんはニコッと笑いました。
「いい子にして眠っていてね。ご飯ももうちょっとで持ってくるから」
 そう言った後、静かに部屋を後にしました。
 お風呂で十分に暖まったしろずきんちゃんはお母さんがお風呂に入ったのを確認した後、食卓に置いてあったパンを二個持って、自分の部屋に戻りました。
 でも、子オオカミはよほど疲れていたのか、まだ眠っています。しろずきんちゃんはパンを子オオカミの前に置いて、自分も疲れたので、そのままベッドで眠りに着きました。

 その日の晩、お母さんは明日の洗濯物をまとめていました。そのとき、しろずきんちゃんの白頭巾を見て、汚れを見つけました。
「この間、洗ったばかりなのにまた汚して、一体何をしているのかしら? あら、こんなところに赤いシミが…………

「パクリ」





 次の日、しろずきんちゃんが目を覚ますと、すぐに子オオカミの様子を確認しました。
「オオカミさん、おは…よ……う…………?」
 そこには昨日寝る前には存在した子オオカミの姿はありませんでした。
 目が一瞬で覚めて、慌てて周りを探しました。でも、部屋中どこを探しても見つかりません。
「どこに行ったのかしら? 出ては行けないと言ったのに」
 しろずきんちゃんはひとまず落ち着くことにしました。服を着替えて、部屋を出ました。洗面所に行き、お気に入りの白い頭巾を身に着けようとすると、その頭巾は一部赤く染まってしまっていました。
「あら、こんなに汚れてしまったのね。気づかなかったわ」
 湿った布巾でこすっても落ちないので、後で洗うことにしました。
「この部分なら隠すこともできるわね」
 汚れの部分を外から見えないように被りました。
「オオカミさんを探しに行かなくちゃ」
 しろずきんちゃんは家を出て、森に向かいました。
「オオカミさーん、オオカミさーん」
 しろずきんちゃんは声を出して、子オオカミを呼びます。でも、反応はありません。
 しばらく森を歩いていると、おばあちゃんの家に着きました。家の扉が少し開いています。 覗いてみて、中の様子を窺います。話に聞いた通り、床には血が固まったと思われる茶色い汚れがありました。
 誰もいないことを確認した後、中に入りました。
「オオカミさんいるの?」
 返答はなく、ただ静寂のみがしろずきんちゃんを包み込みます。一歩一歩ゆっくり中に入っていきます。
 家具の後ろなど隠れていないか、確認していきます。
「ガタンッ!」
 そのとき後ろで物音がしました。しろずきんちゃんが咄嗟に振り返ると何かが扉から出ていくのが見えました。
「あれはオオカミさん? 待ってオオカミさん」
 追いかけて外に出ると、子オオカミが物凄い勢いで逃げていくのが目に入りました。
「私よ! どうして逃げるの! 待って!!」
 しろずきんちゃんも必死に追いかけます。でも、相手は子供とはいえオオカミです。とても追いつけるような速さではありません。
 しろずきんちゃんの呼ぶ声にも足を止めることもなく、走り続けています。しろずきんちゃんの体力にも限界が訪れようというときに―――

バンッ
 銃声が森に響きました。しろずきんちゃんの目の前で子オオカミが横に吹っ飛んでいきました。
 子オオカミは一瞬で血まみれになり、ピクリとも動きません。
「オオカミさん!!」
 しろずきんちゃんは子オオカミの元へ駆け寄りました。しかし、こんな体でもまだかろうじて生きています。
 すると、すぐに猟師さんたちもやってきました。
「こら、しろずきん。危ないから近づくんじゃない。まだ息があるかもしれん」
「違うわ。このオオカミさんは何もしていないわ。私と遊んでいただけなのに」
「それでもオオカミはオオカミだ。危険な生き物だ。今は子どもだから良かったものを。成長したらどうなるか分からん」
「でも! でも! オオカミさんは、この子は大事なお友達だったのに…。大事なおと…もだ…ち……。わた…しのだいじ…な……お…も……ち…ッ…」
 しろずきんちゃんは子オオカミを抱きかかえました。服やお気に入りの白い頭巾が赤く染まることを躊躇せずに愛おしく抱きしめました。
 しろずきんちゃんは小さく掠れた声で子オオカミに言いました。
「ちょっとの間だけど、一緒に遊べて楽しかったよ。ありがとうね、オオカミさん……」
 その後も二、三言声をかけているうちに子オオカミの心臓はゆっくりと止まっていきました。
 しばらく森にはしろずきんちゃんの青く湿った声だけが残りました。
第二十九回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2015.01.06(Tue) 13:37

あかさきさん

   あかさきさん


 ――どうしてこんなことに。
 ゆるいパーマのかかった栗色のショートボブの自分――大神の姿が化粧台に映る。引き出しから化粧品を出し、自らの顔に理想の女性を描いていく。描き終わる頃に目の前にいたのは自分とは全く違う顔の女性。
 よし、と一つ気合を入れて化粧台の前から立ち、姿見の前へと移動した。いくら生まれつき線が細いと言っても、体のラインが出る服はあまりよろしくない。ゆったりとしたワンピースの上にカーディガンを羽織る。
 くるりと鏡の前で一回転。
 目の前にいるのは何処から見ても美少女。大丈夫と、目の前の少女に対して言葉を投げかけた。
 そして、『少年』は赤崎の来宅を待った。

 きっかけは数日前のことであった。
「ねえ、この娘だあれ?」
 赤いニット帽を被った少女――赤崎の手にあったのは大神の携帯電話。どうやらトイレで席を立っている間に大神の携帯を勝手に弄っていたようだった。
 勝手に携帯を弄るな、と注意をしたいところではあった。抑、この女ときたら携帯に限らず大神のものを本人に断らずに勝手に使ったり、食べたりするような女なのである。いい加減にその癖を直せ、と言いたかった。
 しかし、そんなことを言っていられないようなものが自らの携帯電話の画面に映しだされていたのである。
 ゆるいパーマのかかった栗色のショートボブ、不自然のないようにメイクした顔。紛れも無く、女装した自分の顔であった。
 普段から携帯電話を勝手に触る奴がいたのだから、内部ストレージには残さないように気をつけていたのだが、どうやらうっかり消し忘れてしまったらしい。
「どうしたの? 顔色悪いよ?」
 ぐい、と赤崎は顔を覗きこむ。青い顔のまま固まる今の大神の姿を見れば、だれでもこんな反応になるだろう。
「い、いや別に……」
「まさか……浮気?」
「いやいや、そんなわけないだろ」
 自分と浮気なんてできる訳がない。
「だよね。知ってた。大神くんはそんなことしないもんねー」
 赤崎はにかっと唇を三日月のように曲げる。
「じゃあ、この娘誰……?」
「えっと……」
「待って、当てる」
 そういうと彼女は画面をじっくりと眺め始めた。そのうち首を捻り、しばらくしてはっとした顔になり、大神の顔をじっと見つめる。
「……何?」
 大神のその言葉に返答はせず、画面と顔を交互に見始めて、一言。
「なーんか、パーツパーツが大神くんに似ている気がするんだよね……」
「そうかな?」
 吹き出す汗が止まらない。鼓動は大きく速くなり、全身が燃えるように熱い。
「まさか……」
 ごくり、と大神は唾を飲む。
「……お姉さん?」
「……はい?」
 自分の女装した姿だと宣言されるとばかり思っていた大神は気の抜けた返事をしてしまった。
「違うの? 結構自信あったんだけど……」
 この時大神は思った。――乗るしかない、と。
「そうそうそうそうそう! この人は僕のお姉ちゃんだよ」
「やっぱりねー。似てると思ったんだよ」
「うん。よく言われる」
「姉弟して綺麗な顔しやがって、羨ましいなあ」
「いやいや……」
 こうして話を合わせていれば、この難を逃れることができるだろうと彼は思っていた。
「じゃあさ……」
 ――しかし。
「今度会わせてよ」
「……へ?」
「この写真さ、撮ったの大神くんの家でしょ? しかも撮影した日付が昨日だし、こんな何もない平日のど真ん中ってことはお姉さんも一人暮らししてないってことでしょ? じゃあ、会えるよね」
 いつもは何処か抜けているところがあるくせに、こういう時ばかり赤崎は鋭いのである。
「今度お姉さんのいる日教えてね」
「え、ちょっと……」
「きーまり! 楽しみだなー」
 半ば強引に、架空の姉を紹介する予定を立てられてしまったのである。

 そして、今日がその日。
 何度も断ろうとした。だが、一度決めたことは頑として変えないのが赤崎である。別の予定が入ったと言っても代替案を出してくる。もう、死んだというくらいしか逃れる方法は見つからなかった。その嘘も色々と面倒なことが起こりそうなので、止めた。
 一緒に帰りつつ大神の家に向かおうとしていた赤崎に、姉はケーキが好きだから少し寄り道してケーキを買うと良いだの適当に言いくるめ、先回りをした。
 こうして今に至るという訳である。
 正直、ばれやしないかと今から緊張で胸が弾けそうだった。少し会って、満足した頃に用事があると言って帰ってもらおう。そうすれば、もう会いたいなどとは言い出さないだろう。
 ――そして。
 玄関のチャイムが、部屋に響いた。
 一つ深呼吸をして玄関のドアを開ける。
「おじゃましまーす」
 聞き慣れた声が耳に届いた。
「あら、いらっしゃい」
 なるべく声を高く、高く。女性らしく振る舞う。
「はじめまして! 赤崎って言います」
「はじめまして、大神の姉です。よろしくね。こんなところで話すのもあれだから、ほら上がって上がって」
 そうして、大神は赤崎をリビングへ通した。どうやら今のところはばれていないらしい。このまま何事もなく赤崎が帰ることを願うばかりである。
「ちょっと待っててね。今お茶を淹れるから」
「あ、おかまいなくー」
 ちらりと赤崎の表情を伺うと、目をキラキラと輝かせながら自分の方を見ていた。
「はい、どうぞ」
 ことり、と赤崎の前にお茶を置く。
「そう言えば、大神くんは?」
「あ、ああ、お茶請けを買いに行かせたの」
「それなら、ここにケーキが」
「あら、ありがとう。ここのケーキ好きなのよ」
「へへ、それは良かったです」
 大神自身が教えたのだから好きでないはずがなかった。
「いやー、それにしても美人さんですねー」
「あらそう?」
「大神くんも女の子と見間違えるくらい綺麗な顔ですけど、お姉さんはもっと綺麗ですね!」
 大神は乾いた笑みを浮かべながら、ありがとうと返した。正直な話、自分と比べて綺麗だと言われてもどう反応して良いのか分からなかったのであった。
「赤崎さんも可愛らしくて素敵だわ」
 彼自身も驚くくらいすっとその言葉が出た。普段は恥ずかしくなって赤崎のことを褒められない大神も、この姿ならどうやら言えるらしかった。
「いやいやいや、お姉さんに言われても嫌味にしか聞こえませんよ」
「お世辞なんかじゃないわ」
 そう言う大神の顔は真剣そのものであった。
「美人と可愛いは違うと思うの。赤崎さんは確かに美人というタイプではないかも知れないけれど、とても可愛いことは間違いないわ」
「いやいやいやいやいや……」
 急に褒められた所為か、赤崎はどうやら動揺しているらしい。
「それに、初対面の私にも人懐っこく楽しそうに喋るんですもの。性格も可愛らしいと思うの」
 いつもは言えない思っていること。それがすらすら口をついて出た。
「いやはやお世辞がうまいですなー」
「だから、お世辞じゃないわ。こんな娘が彼女だなんて弟は幸せ者ね」
 この姿だから言えること。別人になりきっているから言えること。そんなこともある。女装して赤崎と会うのも悪いことばかりじゃないと、大神は感じた。
「は、はは、ははははー。照れちゃうなー」
 普段こういうことを言われるのに慣れていないのか、顔を真っ赤に染め上げながら動揺している。
 取り敢えず、この流れを止めようと赤崎はお茶に手を伸ばすが。
 ――ことん。
 伸ばした手はお茶を掴めず、真っ直ぐ前に倒れていった。その先にいるのは、勿論大神。
 お茶は机を伝い、大神のワンピースを濡らしてしまった。
「あああ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
 更なる動揺が赤崎を襲う。
「いやいや大丈夫よ、これくらい」
 少しやり過ぎたか、と大神は反省する。どう見ても赤崎は焦っていた。
「いえいえすみません。お拭きいたします!」
 そう言うと鞄から赤崎はハンカチを取り出す。
「いいわよ、このくらい自分で拭くから」
「いやいや、そうはいきません。私めに拭かせて下さいませ!」
 焦りすぎて喋り方がよく分からなくなっている赤崎である。
「大丈夫だから」
 その言葉を制して赤崎は大神のワンピース――特にお茶の零れた太もも周辺を拭いていく。
 ――そして。
「へ?」
 間抜けな声と共に、異物の感触を手に味わった。
 それは本来そこにないはずのもの。今まで目の前にいたのが女性であれば。
 念の為、もう一度触れる。
「何で二度も触るんだよ!」
 はっとして大神は口を押さえる。今まで気を付けていた話し方、声のトーンが男性の時のそれに戻ってしまったのである。
 赤崎は大神を床に押さえつけた。ひゃうん、だとかそんな声が大神の口から飛び出る。もう意味はないのに、何故か女性のような声であった。
 そのまま胸元からワンピースの中へと赤崎は手を忍び込ませる。
「え? ちょ、赤崎……さ、んっ」
 そして、大神の胸元に詰め込まれていたものを勢い良く引っ張り出した。ぺたりとワンピースの胸元がしぼむ。
「……へえ」
 口はにやりと孤を描いている。目は細めているものの、それは明らかに笑っている時のそれではない。
「赤崎さん、これは、その……」
「大神くんって女装好きなの?」
 着飾らぬ、ストレートな言葉。
「うん、まあ……」
「まあ、確かにこれだけ顔が整っているんだし、様になってるよね。……私も騙されたし」
 ふふ、と笑い、赤崎は口元を大神の耳まで近付ける。
「……この」
 吐息がかかり、体がぞくりとする。
「変態」 
「んっ……」
 大神の口から息が漏れ出る。
 赤崎は耳元から口を離すと、大神の瞳を見つめ直す。騙されてしまう程にしっかりと化粧が施されていた。それは、女子顔負けと言えるほど。
 耳に手を添える。ひやりとした指先に大神は先程の悪寒似た何かをもう一度感じた。
 ゆっくりゆっくりと耳から頬を伝い、首、鎖骨ときて胸で止まる。その際に人差し指が突起に触れた。
 男性のものとは思えぬ可愛らしい声を上げる大神。それはもう女性のそれに近かった。
「いつもはこんなところ触ったってそんな反応しないのにね。女装すると弱くなるの?」
「それは……」
「女装して感じやすくなるとか、本当に変態だねえ、大神くんは」
 女装はただの趣味だった。別段そこに性的観点はない。だから、今まで女装をして性的な行為をしたことなんて一度もなかった。それ故に、自分の身体の変化に彼自身、驚きを隠せなかったのである。
「どうせだから、もっと触ってあげるね」
 赤崎の指が艶めかしく円を描く。時折その指が突起に当たり、その度に声にならない声が響いた。 
「だめ、だよ……あっ、かさき、さん……」 
 辛うじて言葉を振り絞る。
「何が駄目なの? 大神くん、嬉しそうだよ」
「そんなこと……ない……」
 徐々に息が荒くなっていく。
「こっちはどうかな?」
 もう片方の手が腹のあたりから下半身の方へ伝っていく。
「そっちはっ、だめぇっ!」
 大神が声を荒げたその時。
「何やってんだ?」
「へ?」
 リビングと玄関を繋ぐ扉の前に、長い髪を後ろで一括にし、煙草を銜えた背の高い女性が立っていた。
「え、誰?」
 再び動揺を隠せない赤崎。その手は自然と止まっていた。
「誰はこっちのセリフだぜ? 人んちなのによ」
「ああ、この人は……」
 徐ろに大神は口を開く。
「僕の姉だ」

「いやあ、なんかすまなかったなあ。邪魔してよ」
「まさか、本当にお姉さんがいるとは……」
 あれから数分後。お互いに自己紹介を終え、事情を説明し終えたあとである。
「それに、まさかうちの弟に女装の趣味があるとはな」
 にやにやと大神の姉は笑っている。
「本当ですよ。私もびっくりでした!」
「その割にはノリノリだったじゃねえか」
「あはは、ばれました?」
 お互いに人当たりの良い二人である。既に意気投合済みだ。そんななか、唯一の男性である大神は隅っこで肩をすぼめながら、その光景を眺めていた。因みにまだ女装のままである。
 大きく溜息を一つ。それを聞いた二人は大神の方を向く。
「どうしたんだよ、おまえ」
「そうだよ、大神くん。どうしたの?」
「どうしたもこうしたも、実の姉と彼女に女装が趣味なのがばれたんだよ!? こんな風になって当然だろ?」
「まあ、いいじゃねえか。似合ってるぞ、それ」
「そうだよ、可愛いよ、大神くん」
「慰めはいらないから放っておいてくれ……」
 部屋中を二人の女性の笑い声が満たした。大神の肩はいっそうすぼまっていった。
「さて、そろそろ帰りますか」
「もう帰んのか?」
「そろそろ晩ごはんですしね」
「また来いよ。なかなかあんた気に入ったぜ」
「ありがとうございます」
 女性陣は非常に仲良くなったようだった。
「大神くん、またね」
 返事は返せなかった。
「おら、玄関まで見送ってこい」
 姉に言われ、渋々赤崎の後を追う。玄関に向かうと、既に彼女は靴を履き終えていた。
 扉に手をかけようとして、止める。くるりと振り向き、彼女は言った。
「続きは、今度ね。勿論、また女装で」
 じゃあねー、と言って彼女はそのまま家を飛び出した。
 今回のことで、少し女装に懲りた。
 ――しかし。
 大神は先程の赤崎とのやりとりを思い出し、にやりとする。
 ――やはり女装も悪くない。 
第二十九回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2015.01.03(Sat) 20:31

トム・ティット・トット

   トム・ティット・トット


 序章


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%cat biochip.txt
1981年 J.H.McAlearらは、生体分子から構成されるバイオコンピュータの素子としてバイオチップの提案を行った。
人間の脳や神経系の機能を模倣した非ノイマン型のコンピュータ構築のために生体分子を活用すれば、三次元上の自己組み立てや自己組織化ができ、これらの素子では熱発生も無く、並列処理ができる複数の回路網が組み立てられるという概念である。
この概念により描かれた生体素子(バイオチップ:biochip)の例として
1.タンパク質の単分子膜上にポルフィリン分子を配列させたスイッチ素子
2.抗原タンパク質の単分子膜上にその抗原結合する抗体を配列させ、酵素を介して情報の入出力を行わせる素子
 などが発表されたが、実際の素子の構築構造や作動原理については不明瞭で疑問な点が多く、学会では机上の空論として扱われるに過ぎなかった。





%cat Asterios.txt
 アステリオス、そう呼ばれる存在がある。かつてインターネットと呼ばれていた物を前身とした大型電子空間であり、人間社会における多くの「流れ」がその内を通っている。
 アステリオスの時代とインターネットの時代、そんな区分を明瞭にする最大の相違点はCPUの性能である。
 アステリオスの時代のCPUは、そのプログラムやアルゴリズム、ソフトウェアだけでなく、ハードウェア物質的な材質すら人間の脳に似せて造られている。
 肥大化した人間の脳、その集合体とも言えるアステリオスは、もはやニューラルネットワークの体現などと卑下される事無く、人類の進化した姿と呼ばれるまでになっていた。




%cat tinker.txt
 「修繕屋」それはアステリオスの時代に生まれた奇っ怪な職業。
 アステリオスの電脳空間は本来「カオス」と形容されるフレキシブルな機構によって構築された超大型記憶領域を根幹とし、さらに「マホラ」と呼ばれるカオスより分離された表層の一部にアプリケーションを設置するという、所謂アフォーダンス思想に基いた構造になっている。
 修繕屋とは、制御の難しいハードウェア領域である「カオス」、制御の容易なソフトウェア領域である「マホラ」、この二つを分離する為に作られた領域「セクター2D」、通称「基礎」の管理人である。
 基礎には「柱」と呼ばれる巨大な建造物が数百本存在し、柱は下層領域「カオス」に突き刺さり、上層領域「マホラ」の支えとなっている。
 彼ら修繕屋はそんな「柱」の、文字通り修繕が主な業務。
 マホラとカオスでは流れが大きく異なり、その双方の領域に跨っているこの柱は暫し大きく捩れ、ひび割れ、へし折れてしまう事が多々ある。
 この現象は「クエイク」と呼ばれている。
 クエイクは暫しカオスに多大な影響を与えその構造を激変させてしまう、その為にカオスで作業中の「拾い屋」「廃棄屋」が多数死亡してしまうケースが少なくない。
 修繕屋は定期的に柱の状態を調査することでクエイクの予測やアフターケアを行い、クエイクによる死傷者を一人でも少なくすることが彼らの一番大きな役目である。




%cat base.txt
「基礎」は非情に障害が多く、危険な領域である。
 カオスとマホラ、空間構成要素の大きく異なる二つの領域の橋がけである基礎は、その構造に根本的かつ致命的な問題を幾つも抱えている。
 その為に情報の独立性が非情に曖昧であり、容易に崩壊が始まってしまう。
 通常の人間が何の防具系のアプリケーションを搭載せずにこの基礎に接続した場合、五分と持たずに脳が焼かれる。
 それ程に不安定で負荷の多い領域なのだ。
 従って、この領域で作業を行う修繕屋は、かなりの重装備パッチを自身に施す。
 自身の体積より遥かに大きい鎧を着込んだり、さらには完全に球体のシールド内に入ったり、各人多種多様な防壁を展開している。






%cat TomTitTot.crb
**PROTECTED**
***LEVEL7 EYES ONLY***
Received:1 January 2153
Protected:21 May 2153
**SUMMARY:Internal reference to the Richtofen Project
***START***

 date:2 4 2029

 覚書宛先 K
 送信者 主任分析官リヒートフェン

 件名:"Little Lady"(NO.18)
 生誕地:ロシア、レニングラード(現ヴィクトル領)
 国籍:アメリカ\白人
 生年月日:二0一五年十一月七日
 年齢:十二
 身長:百二十センチ
 体格:華奢
 体重:四十三キログラム
 眼の色:ブラウン
 髪の色:ブラウン

 
 K、添付した動画を見てるか?
 お前の呆けた顔が眼に浮かぶよ
 全て私の言った通りだったろ?
 やはりあのプロジェクトは停止すべきではなかったのだ
 今更後悔したって遅い、もう貴様らの出る幕は無い
 分かるか? これはお前に対する報復だ
 俺はお前の偽善を見下し、お前の情熱を冷笑し、お前の努力を無益にし、お前の全てを奪い取る

 じゃあな、哀れな操り人形さん




%cat Richetfen Project.dir
**PROTECTED**
***LEVEL12 EYES ONLY***
Received:NO Data
Protected:NO Data
**SUMMARY:Suspended
***START***






一章


《ロンドンの西のある農家に、リーズと言う陽気でほがらかな娘が住んでいました。
 すこーし考え無しの所がありましたが、本人は何事も良いように考える方でしたから、いたって幸せでした。

 ある時、お母さんがパイを五枚かまどで焼きましたが、でき上がったパイは焼けすぎていて、固くて食べられませんでした。
「リーズ、このパイを棚を上に乗っけて冷ましておおき。そうすりゃ、またもどるから。」
 お母さんは、しばらくすると、固い皮がもどって、やわらかくなると言ったのですが、リーズは良いように考えました。
「パイを食べても、またもと通りにかえって来るなら、何枚食べてもへらないわよね」
 そうです、リーズはこのパイは食べても戻ってきて一枚も減らないと思ったのです。
 リーズはお茶を入れるとパイを一枚、また一枚と五枚全部食べてしまいました。

 夕方、お母さんが帰ってきて、「リーズ、パイは戻ったかい?」と聞きました。
 リーズはお昼からずっとパイが戻ってくるのを待っていたのですが、まだ一枚も戻ってきていません。

「ううん、お母さん。 まだ一枚も戻ってこないわ。」
「一つもか?」
「ええ、一つもよ。」
 お母さんは困ったように言いました。
「仕方ないわね、やわらかく戻ってなくても、晩ご飯にパイを一つ食べようね。」
 リーズはびっくりしました。
「お母さんが戻ってくるって言うから、全部食べちゃったわ!」
 お母さんは棚の所にいってパイが一つも無い事にびっくりしました。
「パイは食べても戻ってこないの?」
 リーズの言葉にお母さんはあきれてしました。

 お母さんは再びパイを焼くと、その間に糸車を外に出し、歌を唄いながら糸をつむぎました。
 「うちの娘はパイ食べた
  一日五枚パイ食べた
  パクパクパクパク、パイ食べた
  五枚一度にパイ食べた」
 そんな時、ちょうど馬に乗った若い王様が通りかかり、歌を聴きました。
「面白そうな歌だな、もう一度聞かせてくれないか?」
 お母さんは娘の事を正直に歌う事が出来ず、慌てて違う歌を歌いました。
 「うちの娘は糸つむぐ
  一日五かせ、糸つむぐ
  クルクルクルクル、糸つむぐ
  五かせ一度に糸つむぐ」
 王様は歌を聞くなり、「お前の娘はたいしたものだ。一度あわせてもらえないか?」と言いました。
 すると、ちょうどそこにリーズが「お母さんパイが焼けたわ」と出てきました。
 王様は目を奪われました。
 何事も良く考えるリーズの屈託の無い笑顔は王様の心を奪ったのです。
 王様はすぐさまリーズにプロポーズしました。
「私は妻をめとらねばならず、よい女性を探していた所だ
  そなたは美しく、また一日に五かせも糸をつむぐ事の出来る素晴らしい娘だ
 父も母も臣達も気に入ってくれるだろう
 一年のうち、十一ヶ月は王妃として好きなだけ食べ、好きなように着飾るが良い
 残り一ヶ月は国の手本として、毎日五かせの糸をつむぐのだ
 もし、出来なければ私はお前を殺さねばならぬが、そなたならできような?」
 何事も良く考えるリーズはすぐさま「はい」と答えました。
 母はリーズの顔を見ましたが、いまさら取り消す事も出来ませんでした。
でも……その時になれば、いくらでも言い逃れ出来るし、そのうち王様も五かせの糸をつむぐ事なんて忘れてしまうかも知れない。
 リーズは王様に、にっこり笑顔で会釈しました。》








 所々腐食によって黒く変色した、木製の大きな橋。
 今にも破れ解けそうな皮紐と、湿り気と虫食いによって弱り果てた木々によって作られたその橋の下には、底なしの闇が広がっている。
 欄干の闇の奥を覗くと、遥か遠くに小さな赤い焔が微かに舞っているのが見えた。
 まるで現実の様な雰囲気と質感を持つ空間であるが、ここは決して現実世界ではない。
 ここは広大な電脳空間「アステリオス」の中にある領域の一つに過ぎなかった。
 ここは「基礎」と呼ばれる領域。
 不安定な虚無の大渦が生み出した世界。

 木々の軋む音が響く。
 今、一人の男が橋を渡っている。
 奇妙な格好をした男だ。真鍮製の重厚な鎧を身に纏い、身の丈程もありそうな大きなリュックを背負っている。
 男はやがて橋を渡り終え、赤く多肉質な地衣類に覆われた大地に辿りついた。
 闇の中にぽつんと浮かぶその地の中央には、一本の金属質な柱が突き刺さっていた。
 その柱は大きな亀裂が中央に大きく斜めに走り、そこから黄土色の気体が噴出している。
「時刻にーまるなななな、ガザ、第百○七号側土台を目視」
 男はブツブツと独り言を呟きながら、ゆっくりと柱に近づいていく。
「目標の損壊は予定よりも深刻、中央部に大きな断裂、ラムダの漏洩も視認可能なレベル、今週は持ちそうだが来週末以降は怪しい」
 男は背中のリュックから大型のリベットガンを取り出すと、それを構え、柱に向けて二本の弾丸型のネジを撃ち込んだ。
「オシロの打ち込み完了、値の記録を開始する」
 男はそう呟くと銃を降ろし、その場にリュックを下ろす。
 そしてポケットの中から一掴みの黒水晶の欠片を取り出し、それを辺りに適当にばら撒いた。
「少し休むか」
 彼は最後にそう言うとリュックの上に腰掛けて、そっと眼を瞑った。




 ――あぁ、またこの夢か
 棺を囲む人々
 手には白い花を持ち、棺の中を覗きこんでいる
 泣きたければ泣きなさい
 何時かは来る日だと分かってはいました、でも
 母の嗚咽
 彼女はこの三年後、あの家に僕を捨てた
 ――父は廃棄屋だった、そしてクエイクに巻き込まれて死んだ
 廃棄屋は仕方ないんだ
 拾い屋みたいに高価な防具やオペレーターは付けれない
 可愛そうに、まだ八歳だぞあの子は
 だから所帯なんて持つなと
 僕も白い花を手に取り、黒い列に並んだ
 列は短く、並ぶ人々はそっけなく、僕の順番は直ぐに来た
 ――父の死は純粋に悲しかった、だから僕は修繕屋になった
 四人、廃棄屋の月平均での死者だ
 修繕屋になるといい、そして減らしてやるんだ
 こういう悲しみは無くさないといけないよ
 棺の前に立つ
 僕はその淵にそっと手を掛け、中を覗き込もうと……


 男の夢はそこで途切れる。
 何かが蠢く気配を感じて、そっと瞼を持ち上げた。
「あなたはだあれ?」
 幼児特有のまんまるで大きな瞳が二つ、そしてあどけない声。
 彼の眼の前には、いつの間にか一人の少女が立っていた。
 男は状況をその状況を全く飲み込めていないようで、何度も眼を瞬かせる。
「なんだ……お前……誰だ? いや、なんで子供がこんな所に……」
 彼の呟きを聞くと少女は少し恥ずかしそうに笑いながら、そっと右手を差し出した。
 そこには先ほど彼がばら撒いた黒水晶が、大量に握り締められていた。
「落し物ですよ、こんなに綺麗な物、落としちゃ駄目ですよ」
 彼女はにっこりと微笑む。
 男は困惑しながらも腕を伸ばし、水晶を受け取る。
「おい……お前、子供がどうやってここに……」
「え?」
 突然男は手を伸ばし、少女の腕を掴んだ。
「いや、痛いッ」
 少女が悲鳴をあげる、だが男は手を離さずに力づくで少女を引き寄せる。
「答えろ、子供がどうやってこんな所に……いやお前どうしてそんな軽装備でここに――」
「お願い離してッ」
 叫びながら暴れる少女を、男は押さえつける様に抱えあげ、リュックから識別機器を取り出しそれを少女に突き刺そうとする。
「じっとしろガキ、大して痛くねぇから」
「離して、離さないと貴方つぶれちゃうよ」
「は? 潰れる?」
 その時、酷く不快な金属音が周囲に鳴り響いた。
「柱が、倒れるからッ」
 男は弾かれた様に顔を上げる。
 柱が、ついさっき彼がオシロを打ち込んだばかりの巨大な柱が、中央の断裂からゆっくりと斜めに傾いて――
「おい……嘘だろ」
 男が言葉を失う。
 少女が隙を突いて男の拘束から逃れる。
 そして今度は逆に彼女が男の腕を掴むと、力任せに引っ張った。
「危ないッ!」








「へぇ、元気そうじゃんガザ」
 クエイクに巻き込まれたんじゃなかったのかよ――ホロレリと呼ばれている男はそう言うと、ベッドに横たわる僕を興味深そうにジッと眺めた。
「運が良かったのさ」
 僕はそう言うと半身を起こして、楊枝が刺さったリンゴを取って口に運ぶ。
「ふーん、まぁそういう事もあるのか」
 そう言う彼にあまり納得した様は見えなかったが、一応怪我人の僕を気遣ってくれた様で、あっさりと引き下がってくれた。
 ここは現実世界、修繕屋専用の共同住宅の一室、僕の部屋。
 目の前でへらへらと笑っているこのホロレリという男は、僕の上司筋にあたる人間だ。
 一昨日、クエイクに直下で巻き込まれながらもほぼ無傷で生還する、という稀有な体験をした僕は、とりあえずの自宅療養を命じられていた。
 多少のブラストが端末を逆流し、海馬の一部が軽く焼け付いた程度の傷で得たこの一週間の休暇は、些か大げさで僕は随分と暇を持て余していた。
「――で、今回のクエイクで死者は?」
 僕がそう問うと、ホロレリは酷く面倒気な視線を返してきた。
「何時も思うんだが、お前それを聞いてどうするんだよ」
「どうするも何も、覚えておくだけだ」
「バーカやめとけ、そんな物まで気に負うんじゃないよ」
「別に、そんなんじゃないよ」
 僕はそう言うと気楽そうな微笑を彼に見せた。
 だが僕の思惑とは逆に、彼は益々不満げな表情に顔を歪めてしまった。
「なぁガザ、お前もう少し気楽に仕事しろよ」
 見てるこっちが辛いときがあるよ――彼は半ば懇願するようにそう言ったが、僕は首を縦に振ることはできなかった。
「ごめん、無理だよ」そう言うとリンゴをもう一つ取って齧る「――僕は父親をクエイクで亡くしたから」
 諦め半分忌々しさ半分、そんなため息をホロレリは漏らすと、俺に一枚のデータスティックを投げた。
「ありがとう」
 俺はそう言ってそれを頚椎プラグに差し込み、中のデータを読み込んでいく。
 中身はパーソナルデータ、三人の拾い屋の物。
 それはつまり、あのクエイクで三人の死者が出たという事だった。
 僕はできる限り丹念にその情報を読み込み、彼らの存在を脳裏に焼き付けていく。
 僕にとってこれはとても大切な儀式であった。
 弔い、僕なりの弔い――
 データスティックを引き抜く。
「ありがとう」
 僕はもう一度礼を言った。
「どういたしまして、お役に立てて光栄です」
 ホロレリは嫌味をたっぷりにそう言うと、指でデータスティックをへし折った。
「こんな死者の事ばかり見てどうする、バカみたいじゃないか」
 独り言を呟きながら彼は何度もスティックを折り、入念に不正ダウンロードしたデータを破壊する。
 ――あぁ今だ、今なら聞いても怪しまれない。
「なぁ、幽霊っていると思うか?」
 僕はもう一つリンゴを頬張り、何気ない感じを演出したが、案の定ホロレリは「はぁ?」と困惑の声を上げると、僕を疑り深い目で凝視した。
「幽霊だよ、死んだ人の魂がアステリオスの中を歩く。そういう事ってあると思うか?」
「あるわけねぇだろバーカ」
 ホレロリは強い口調でそう言いきると、データスティックの残骸をゴミ箱に投げ捨てた。
「そうだよね、あるわけないか」
「下らない事ばかり考えてないで、さっさとその焼け付いた脳味噌を治せ」
 ホロレリは投げやりにそう言い捨てると腰を上げた。
 そのまま帰るのだろうと僕は思った、だが彼は何かを考え込む様に暫くその場に棒立ちしていた。
「どうしたホロレリ」
「……そういえば、前にそんな話を聞いたな」
「え?」
 俺は少し戸惑った声をだす。
 言ったホロレリ本人も、何故か不思議そうな顔をしてる。
「なぁガザ、リルナッハの所に女の修繕屋がいるだろ」
 お前面識あるか――そんな目線が向けられた。
「女? 女の修繕屋なんているのか?」
「まだ驚くには早いぞ、その女は元拾い屋だ」
 僕は一瞬言葉を失う。
「……なんだその素性は」
「若干十五歳の天才拾い屋つーことで持て囃されてたらしい。まぁちょっとした不祥事で記録には残ってないけど」
「なんだよその不祥事って」
「知らないよ――」彼はそう言って肩を竦めてみせる「――何れにせよ超一流技師集団の中でも輝いていたその十五歳の才媛は、今や場末の瓦礫の補修工だ。嗤えるだろう?」
 ホロレリはそう言って笑ったが、僕は真顔だった。
「で、その天才少女がどうしたのか?」
「噂だとそのお嬢ちゃん『幽霊』を見たらしいぞ、それが拾い屋を辞めた理由に関係あるとか」
 それと、もう少女じゃない。二十四のお姉さんだ――と彼はどうでもいい事を付け加えた。
「幽霊……」
「今度会ってみたらどうだ? 死人にご執心な者どうし気が合うんじゃないかな」
 幽霊
 彼女も「あの子」に会ったのか
 それとも――
「おい、どうしたガザ」
「あぁいや、なんでもない」
 僕はそう言ってひくつく瞼をそっと閉じた。
 記憶の殻が貝の様に口を開き、昨日のあの出来事を想起させる。
 ――あなたはだあれ?
 



 次の日の昼、ガザは「基礎」に居た。
「みんなのねーがーい、からだにうーけーてー」
 彼はデタラメな歌を唱えながら、赤い植物に覆われた大地を進んでいる。
 そこは二日前、彼があの少女と出合った区画だった。
 着込んだ真鍮の鎧が男の歩みに合わせるように、大げさにガシャシャと金属音を鳴り響かせていた。
「さーあよーみーがーえーれー、ライディーン、ライディーン」
 ガザの右手からは歩調に合わせて、一定の間隔で美しい紫水晶を地に零れ落ちている。
 それはまるで道しるべの様に、彼の行動の軌跡を地面に残す。
「フェードイーン、フェードイーン、たちまち溢れ……っとこんなもんで良いかな?」
 そう言うと彼は歩みを止め、残った紫水晶を周囲に適当にばら撒いた。
「こんな罠に掛かるとは思えないが……まぁいい」
 最後にそんな独り言を零すと、ガザはその場にリュックをどかりと降ろし、その上に座り込んだ。
 そしてあの時と同じように眼を瞑り、適当な物思いに耽る事にする。
「ウサギ……か」
 彼がぼそり呟いたその名は、昨日ホロレリの話していた「女の修繕屋」の名前だ。
 やはりというかなんというか、女の修繕屋なんてほぼ存在せず、見つけ出すのは非情に容易だった。
「元拾い屋、ねぇ」
 一応、オープンなパーソナルデータをある程度読み込んではみたが、ホロレリの言ったように「拾い屋をやっていた」という記述は何処にも見あたらなかった。
 だが彼女の取得している資格、免許、そして脊椎に埋め込まれたやたら高額な端末を見る限り……
「今度一度リアルコンタクトを取ってみようか」
 あまり気乗りしなかった。
 恐い――ガザは彼女に対してそんな印象を抱いているのだ。
 データベースで彼女の画像を見た時――死んだ魚の様な瞳をしたその女性を一目見た時、彼は思わず眼を逸らした。
 明らかに、普通の人間の「それ」ではなかった。
 壊れた人間
「まぁ、その辺はおいおい考えて行こう」
 そんな言葉を発したとき、微かに人の気配を感じた。
 彼は軽く息を整え、うっすらと眼を開ける。
 遠くに人影が見えた。
 酷く小さく、華奢な少女の影。
 その子は体をくの字に折り曲げて地面を凝視し、時折屈み込みこんではじわじわと男の下へ近づいてくる。
 彼女は男が落とした水晶を拾っていた。
 ただ一心に、とても楽しそうに。
 男の直ぐ目の前まで来ても、その少女は地に散らばった宝石ばかり追いかけ、一向にガザの存在に気づかない。
「おい」
 痺れを切らした彼がそう呼びかけると、彼女は弾かれた様に顔を上げ、そして眼を丸く見開いた。
「あッ」
 少女小さく声を上げると、一歩後ずさる。
 二つの大きな瞳が、不安げに揺れ動く。
「待てよ、もう無理矢理腕を掴んだりはしないから」
 あれはすまなかった――そうガザは謝るが、彼女はさらに一歩後ずさってしまう。
「おいおい、そんなに警戒しないでくれ。お前は僕の命の恩人なんだ、僕はお前に礼がしたいだけだ」
「恩人?」
 彼女の声には、まだ若干の怯えが含まれている。
「柱が倒れた時、お前は僕の腕を引いてくれたじゃないか。お前が助けてくれなかったら僕は今頃――」
 彼女の表情に僅かだが安堵の色が覗いた気がした。
 ――もう一押しだ、もう一押し何か
「その石をくれてやるから、ちょっと話をしよう」
 ガザはそう言って、少女が大事そうに握っている黒水晶を指差す。
 途端に彼女は瞳を輝かせ、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「いいの? 本当に?」
「いいよ持って行け」
 そんな安い設置型リーコンなんざ、幾らでも支給してもらえる。
 すっかり警戒心の解けた彼女は男の側に歩みよると、そっと男の顔を覗き込んだ。
「あなたはだあれ?」
 あなたの事を、いろいろ教えて








二章


《こうしてリーズは王様に嫁ぎました。
 王様はリーズを立派な馬車に乗せお城に連れていき、盛大な結婚式を行いました。
 リーズは王妃として、大勢のお付きの者に世話をさせ、好きなだけ好きなものを食べ、好きなだけ綺麗な物を身に付けました。
 王様はそんなリーズを微笑んで見ていました。
 そして何処へ行くにもリーズを連れて行き、二人は幸せな十一ヶ月を過ごしたのです。

 十一月目の最後の日、王様はリーズを東の高い塔の中にある小部屋に連れて行きました。
 その部屋には糸車と腰掛け、そしてベッドが一つあるだけでした。
 「王妃よ、明日から一ヶ月の間城の者はもちろん国中の者に、糸を一日に五かせ紡いで見せるのだ。
 それで、我が国には素晴らしい王妃がいると隣国にも知らせる事が出来る
 もし出来なければ、私はお前の首をはねなければならん
 頼んだぞ」
 王はそう言うとリーズを残して出て行き、戸に鍵をかけて行きました。

 リーズは驚きました。
 糸つむぎの事などすっかり忘れていたのです。
 そして、糸つむぎなんてやった事も無かったのです。
 試しに糸車を廻して見ましたが、糸車がカラカラ音をたてるだけで、糸などつむげるはずもありませんでした。
「こんなとこからは逃げだしちゃおう」
 しかし、窓を開けるとそこは目もくらむような高さでした。
 風がビュゥウと吹きました。
 リーズは慌てて窓を閉めました。

 もう、どうにもなりませんでした。
 リーズは生まれて初めて泣き出しました。
 何も良い方に考える事が無かったのです。
 そんな事は生まれて初めてでした。

 リーズが泣いていると、窓をトントン叩く音が聞こえて来ました。
 振り向くとそこには小さな黒いものが見えました。
 リーズが窓を開けると、その黒いものはタッと部屋の中に走り込み椅子の上に座りました。
 そいつは長いしっぽを持ち、全身は茶色の毛に覆われた小人でした。
「どうして泣いてるんだ?」
 その不思議な小人はリーズに聞きました。
 リーズはその小人が何なのか良く考えもせずに、事のあらましを全部話してしまいました。
「なら、俺がかわりに糸をつむいでやろう。」
「ほんと?」
 リーズは小人の言葉に顔をほころばせて聞き返しました。
「ほんとさ、朝一番にこの窓の所に来て麻をもらって、夜には五かせ、持ってきてやる。」
「まぁ、うれしい!」
 リーズは大喜びしました。
「一ヶ月、」
 小人は娘をちらっと見て、言いました。
「俺はお前の代わりに糸をつむいでやる。
 お前は毎晩三回、俺の名前を当てて見ろ。」
「名前を当てるの?」
 リーズは聞き返しました。
「そうだ、でも一ヶ月たってもお前が俺の名前を答えられなかったら……」
「答えられなかったら?」
「お前をもらっていく。」
 小人は歯をむき出しにして、ヒヒヒヒヒと笑いました。
 その小さな口には牙がチラチラ見えました。
 リーズはこの黒い小さなものがなんなのか、良く考えもせず、一ヶ月もあれば、名前なんか言い当てられるわ。
「ええ、いいわよ。」と、答えてしまいました。
 しっぽのある小人は「じゃあ、約束だ。」と言うと、またタッと外に飛び出していきました。》








「なあ、そろそろ僕も質問していいか?」
 ガザはそう言って少女の言葉を遮った。
「え?」
 少女はちょっと困った様な表情を作る。
 彼女は僕の命の恩人だ、求められた物はすべて与えよう――そう男は考えていたが。名前、年齢、職業、家族構成、趣味はまだしも女性関係まで根掘り葉掘り聞かれそうな段になっては、流石に話題を逸らす他なかった。
「お前、名前は何ていうんだ?」
「私? 私は……」
 彼女はそう言って暫く考え込む。
「どうした?」
「……エルエルだったかな? みんなからはそう呼ばれてた気がする」
 気がする?
「なぁエルエル、お前ってその――」
 男は言葉が続かなかった、彼女に関して分からない事ばかりで何をどう質問すれば良いかさえ、上手く整理できていなかった。
 どうして子供がこんな領域に? どうしてそんな軽装備で大丈夫なのか? どうして自分の名前さえもあやふやなのか?
「――普通の人間ではないよな?」
 できる限り柔らかい言葉を捜したが、結局そんな棘のある問い方しかできなかった。
 少女はそっと微笑んだが、目には悲しみの色があった。
「私わからないんだ、『普通の人間』がどんなのか。ずーっと私一人ぼっちだったから」
 うん確かに、普通の人間じゃないのかも――彼女は弱弱しくそう付け加えた。
「『ずーっと』ってどれくらいだ?」
 ガザはそう尋ねたが、少女はそっと首を横に振るだけだった。
「そうか、まぁなんとなく分かったよ」
 男は最初にこの子と出合ったとき、「幽霊」という印象を受けた。
 きっとそれはあながち間違ってはいないのだろう――彼はそう心の中で呟く。
 ――この少女は、常世の理から外れた存在なのだ。
 男はそういう超自然的な認識を持つことに、あまり抵抗を感じなかった。
 その名の通り混沌の坩堝である「カオス」を長いこと見続けてきた彼には、この程度の不思議が実在する事はむしろ自然の摂理に思えた。
「ねぇガザさん、質問してもいい?」
「なんだ?」
 彼女の表情には、もう悲しみは名残さえも残っていない。
 男はそれに多少の安堵を感じながら、やはりこの子はその幼い外見には似つかわしくない賢さを持っているのだと知る。
「ガザさんて、今お付き合いしてる女性はいるんですか?」
「いや、だからそういうのは聞くなって」



「そうだエルエル、最後にもう一つ質問してもいいか?」
「なぁに?」
「お前この前、柱が丁度僕目がけて倒れた時。実際に倒壊の始まる直前に言ったよな『潰れる』って」
「……うん」
「どうやってそれを察知したんだ?」
「それは、その……」
「お前、予め柱が倒れるって知ってたのか?」
「……」
「ひょっとして予知できるのか? 倒壊の瞬間を」
「……ガザさんのお仕事って、柱の点検なんだよね」
「あぁそうだ、クエイクの予防が仕事だ」
「私がもし予知ができるなら、それは貴方の役に立つ事なの?」
「当然だろ、それで何人もの命が救える」
「もし予知できるなら、また会いに来てくれますか?」
「それどころか、足しげく通う事になるだろうな」
 僕はそう言って少しおどけてみせた。
 でも彼女はただ静かに俯いていた。
 やがて静かに顔を上げ、僕の眼をじっと見つめる。
 その時一瞬、本当に一瞬だったが、彼女の瞳が暗く沈みこんだ様な気がした。
 幼子らしいきらきらとした輝きが消え、気の遠くなるような年月を経た人間だけが持つ深い闇、それを宿したような気がした。
 エルエルはそれを彼から隠すように顔を背けると、虚空の遥か彼方を見つめた。
「このままずっとあっちに行って二つ目の柱、それが多分明後日……」


 二日後、その柱は正しく彼女の言ったとおりに倒壊した。








「ほら、アレが『ウサギ』だよ」
 ホロレリはそう言って、食堂の隅に一人座っている女性を指差した。
 僕はじっと彼女を観察する。
 長く美しい黒髪、雪のように真っ白な肌、全体的に細く簡単に折れてしまいそうな華奢な体格。
 一見すると美人なのだが……
「気味悪いよな、まるで日本人形だ」
 ホロレリの言ったその感想は、彼女の雰囲気をよく言い表していた。
 眼が異常なのだ、獣の様に瞳孔が大きく見開かれ、それでいて生気が一切感じられない。
 死んだ魚みたいな眼だ。
「知らなかったよ、ガザ君はあんなのが趣味なのか」
 彼はそう言って僕の肩を慣れ慣れしく叩く。
「そんなじゃないよ」
 僕は素っ気無く言うと、席を立つ。
「がんばれよガザ君、上手くデートに連れ出せるといいな」
 そんな冷やかしを背中に受けながら、彼女に近づく。
 枯れ木のような人間だ。
 近くで見てそう思った。余計な肉の殆ど無い彼女の体は動物と言うよりも、植物のそれを連想させる。
「どうも、始めましてウサギさん」
 できる限り気さくに声を掛けてみる。
 だが彼女は僕の方をちらりとも見ず、ただただ手元のスープを匙で突いている。
「自分はガザと言うものです、ホロレリの所で修繕屋をやっています」
 言いながら彼女の直ぐ正面に、向かい合うように腰掛けた。
 だがそれでもウサギは何の反応も示さない。
 まるで自分が空気になったような錯覚を感じる。
「ウサギさん?」
 ――少々強引に行こう、仕方ない。
 僕は心の中で深く溜息をつくと、覚悟を決める。
「僕も幽霊に会いました」
 ガチャッ、と鈍い音が鳴った。
 彼女が匙で皿の底を強く叩いたのだ。
 数瞬の沈黙。
「消えなさい、私は他人が好きじゃないの」
 一切僕の方を見ることなく、彼女は冷たい言葉を落とした。
 僕は顔を顰めながらも、一枚のデータスティックを彼女に差し出す。
「これは僕の視覚記録の一部です、一度眼を通してはもらえませんか?」
 彼女は言葉を返さず、視線はじっと下に伏せたままだ。
 それでも僕には「彼女は興味を持っている」という確信があった。
「教えてください、ここに記録されている幽霊は、貴女が九年前に遭遇した物と同じですか?」
 彼女は一つ舌打ちを発すると、乱雑にデータスティックを取って自分の頚椎プラグに差し込んだ。
 ウサギの目が大きく見開かれる。
 スティック内の視覚データが、彼女の現在の網膜に映し出されているのだ。
 穴の様に真っ黒なウサギの瞳は今、子供らしい無垢な輝きに満ちた少女の姿を追っているはず。
「なるほどね」
 彼女はスティックを引き抜く。
 その視線は冷ややかだった。
「幽霊、確かにその表現があってる」
 そう言うとウサギは顔を俺に向け、データスティックを差し出した。
 初めて彼女と眼が合った。
 僕は何故か萎縮してしまう。
「ガザって言ったかしら。教えてガザ、この幽霊は今何処にいるの?」
「どこって、だから基礎に――」
「基礎の何処? 詳しい座標を聞いているんだけど」
「えっと、東区の……」
 僕はそこまで口にして言葉に詰まった。
 決して座標を失念したわけではない、嫌な想像が脳裏に走ったのだ。
 ――この女、どうして真っ先にそんな事を?
 僕は彼女の瞳を覗き込む。
 彼女もこちらの意図に感づいたのか、僕から視線を外した。
 再び沈黙。
 互いを推し量るような、長い間が空いた。
「……ウサギさん、貴女はどんな幽霊に会ったんですか?」
 僕がそう問うと、彼女は僅かに首を左右に振った。
「幽霊じゃないよ」
 スープを匙で軽く掬い、それを舐める。
「私が逢ったのは過去の人の影」
 彼女はもう僕の方は見ようとしなかった。
「私はその影に触れて、とても大切な事を学んだのよ」
 半端な無視。
 それは「貴方は相手をする価値も無い」そんな冷酷な意思表示に映った。
「『この世の道理に背いた存在、それは災いでしかない』ってね」
 ――この女、まさか……
 悪い予感の翼がバッと開いた。


「幽霊の場所を教えなさいガザ、私がそれを殺してあげる」







「エルエルッ!」
 ガザは大声でその名を呼びながら、彼女の元へ駆け寄った。
 少女は男の取り乱した様子に、不安と戸惑いの混じった表情を向ける。
「どうしたんですかガザさん」
 男は少女の側まで来るとリベットガンを構え、かなり警戒した様子で周囲を見渡した。
「エルエル、誰か来なかったか?」
「え?」
「女の修繕屋が来なかったか? 日本人形みたいなヤツだ」
 少女は状況がまるで良く分からなかった。
 ガザの腕をそっと掴み、怯えた声を発する。
「誰も来てないよ、ガザさん以外は誰もここには」
「そうか、なら……いいんだ」
 ガザは深く息を吐き出すと銃をしまい、首を垂れた。
 少し冷静になってみれば、それは当たり前のことだった。
 ウサギがここに辿り着けるはずが無い。
 彼女に見せたのは僕の視覚の、それもほんの数十秒間に過ぎない。
 たったそれだけの情報からこの広大な基礎の内の、この座標をドンピシャで見つけ出すことは干草の中から針を探すような物だ。
 男は自分にそう言い聞かせ、心を落ち着けると、そっと顔を上げエルエルと向き合った。
「ガザさん――どうしたの?」
「いや何でもないんだ。驚かせたな、もう大丈夫だ」
 男はそう言うと、一目で作り物と分かる下手な笑みを浮べた。
「大丈夫ですか?」
 少女は心配そうに僕を見つめる。
「ひょっとして、私の予知が――」
「いや違う違う。そんなんじゃないよ、エルエルの予知は外れてない。それどころかまた、正にその通りに柱が倒れたよ」
「そっか……それなら良かった」
 彼女は沈んだ声でそう言うと、ガザに抱きついた。
 男はどう反応すれば良いのか分からず、なんとなく彼女の頭に置いてあげた。
 ――少女は泣いていた
 ガザにしがみつき、さめざめと涙を流していた。
 彼にはその涙の理由も意味も分からず、ぎこちない仕草で少女の頭を撫でてやる事しかできなかった。








 三章



《次の日、王はリーズのもとへ、食べ物と五かせの糸がつむげるだけの麻を持ってきました。
 王が出て行くと、窓にはあのしっぽのある小人が待っていました。
 リーズは小人に麻を渡すと、小人はその麻を持ってどこかに消えてしまいました。
 そして夕方、つむいだ五かせの糸を持ってやって来きました。
「俺の名前はわかったかい?」
「ルーク?」
「いいや」小人は首を振りました。
「ハーン?」
「い〜や」小人は黒い尻尾を振りました。
 リーズは少し考えて聞きました。
「じゃぁ、ネッドかしら?」
「ちがった〜〜〜!!」
 小人はクルクル体を回して答えました。
「あと二十九日だぞ!」
 小人はそう言うと、窓から飛ぶように消えました。
 リーズは小人の名前が言い当てられませんでしたが、「あと、二十九日あるなら大丈夫ね」と、嬉しそうに糸を手に取りました。
 すると入れ替わるように王様が部屋に入って来ました。
 リーズは小人のつくった糸を王様に渡しました。
 王様は「今日はお前の首をはねなくてすんだ。 明日も頑張っておくれ」と食べ物を置いて出て行きました。

 こうして次の日も次の日も、朝、王様は麻の束と食べ物をリーズに渡し、しっぽのある小人はその麻を受け取りにやって来ました。
 リーズは小人に麻を渡すと、一日中小人の名前を考えました。
 そして夕方小人がつむいだ五かせの糸を持ってくると、リーズは小人の名前を言いました。
 しかし小人の名前はいつまでたっても当たらず、ただ、夜、やって来た王様に、五かせの糸を渡すだけでした。

 もう今日と明日しか小人の名前を当てる機会がありませんでした。
 夕方になって、また尻尾のある小人がつむいだ糸を持ってやって来ました。
「どうだ? 俺の名前がわかったかい?」
 小人は尻尾をグルグルグルグル回して、聞きました。
「ビル?」
「違うよ」
「サムソン?」
「違うよ〜」小人は嬉しそうに尻尾を回しました。
 リーズは今日最後の名前を聞きました。
「だったら、ネッド?」
「違ったぁ〜〜〜!」
 小人は尻尾を思いっきり回すと、リーズの顔をのぞき込みました。
「明日、名前が当てられなかったら、お前は俺のもんだからな」
 小人はそう言うと、タッと外に飛んで消えました。
 何事も良い方に考えるリーズも不安になって来ました。
 明日、あの小人の名前がわからなかったら、私はどうなってしまうの?そう考えると怖くて怖くて仕方ありませんでした。
 そこへ、王様がやってきました。後には侍女がテーブルと椅子を持っていました。
 王様はつむいである糸を見ると、部屋の中に侍女にテーブルと椅子を運び込ませ、食事を運び込みました。そして、リーズと食事をはじめました。
「もう後一日で糸つむぎも終わる。私もお前の首をはねなくてすんで、本当に安心しているよ」
 王様はリーズを見て、安心したように言いました。
 リーズは王様に悪い事をしたと思いました。
 自分は自分の事ばかり考えて、王様の事はちっとも考えていませんでした。
 こんな王様とあともう少ししか一緒にいられないと思うと、リーズは悲しくなりました。
「そうだ、今日、面白いもの見たよ。」
「なんですか? 王様。」
 リーズは明るく聞き返しました。
 後一日、王様と一緒にいられる時は楽しくすごそうと、良く考えたのです。
「今日、狩りに出かけたら、何処からか歌が聞こえてきたんだ。
 歌の聞こえる方に行って見ると、石が積み上がった所があって、その奥に何かが住んでいるようだったんだ。
 私はその穴をそ〜っとのぞき込んで見ると、尻尾をもった小さなものが歌を唄いながら、凄い早さで糸車を回していた」
 王様はどうやらあの小人を見たようでした。
 リーズは「それで?」と身を乗り出して聞きました。
「そいつの歌は変わっていてな。」
 『おいらの名前をいってみな。
  トム・ティット・トット!
  おいらの名前を当ててみな。
  トム・ティット・トット!』
 そう自分の名前を歌いながら、小さな糸車をびゅんびゅん回していたんだ」
 王様は笑いながら話しました。
 リーズは飛び上がるほど嬉しくなりました。
 これでもうあの小人を恐れる事はない、また王様と暮らせる。そう思うと自然に笑顔がこぼれました。》






「管理官の連中がお前に会いたがっている」
「僕に? 理由は?」
「――惚けるなよッ」
 そういうとホロレリは僕の肩にガバッと抱きついてきた。
「この三ヶ月で五連続でクエイクを予見した偉大なるガザ様を、直々に表彰したいんだとさ!」
 ホロレリは興奮した様子で一息にそう言うと僕の髪を乱暴に撫で回した。
「やめろ、やめてくれホロレリ」
「はッ、やめねー絶対やめねー。来月にはお前はユニットリーダーに昇進だ、俺よりも上の地位に着きやがって許せねー」
 彼は楽しそうに喚きながら、サルのように僕に纏わりついて小突き廻す。
「ホロレリ、その話本当なのか?」
「本当だよ本当、既にお前の部下の選定もされた」
 僕は内心安堵の息を吐く。
 小さな間が空いた。
「長かった」
 無意識の内に、そんな言葉を僕は発していた。
「長かった? どこがだよ、お前が怪しげな予見を始めてからまだ三ヶ月じゃないか」
「三ヶ月も掛かった、その間に僕の予見した五回のクエイクで、八人が死んだ」
 上の連中はなかなか僕の言葉を真に受けてくれなかった。
 八人もの死者を出して、ようやく僕の言葉を信じてくれたのだ。
「気に負うなガザ」
「別にそんなつもりじゃないよ」
 ――八人、救えた筈の命。
 それは僕の心の奥底に、棘の様に突き刺さっている。
「そんな暗い顔すんなって、来週末はお前の昇進祝いで飲みに行くぞ。他の班の同期も呼んどいたからな」
「あぁ、ありがとう」
 僕は複雑な内心を隠し、嬉しそうな笑みを顔に貼り付けてそう返した。
 彼はそんな僕の様子に満足したように何度も頷くと、「それにアイツも呼んどいた」と嬉々として付け加えた。
「アイツ?」
 嫌な予感がした。
「ウサギだよ、あのお化け女も来させるようリルナッハに厳命しといてやったぞ」
 ウサギ、その名前を聞いた途端、全身を冷たい物と熱い物が駆け巡った。
 ――私がそれを殺してあげる
 闇の様に色のない瞳。
 感情を欠片さえも見せずに、彼女は言い切った。
 僕の鼓動は秒針の様如く時を刻んでいた。
「どうしたガザ、余計なお世話だったか?」
 彼の声で現実に引き戻される。
「あ、いや――」
 彼女は結局あの後、何もしてこなかった。
 この三ヶ月、エルエルにはもちろん、俺にさえ一切のコンタクトを取って来なかった。
「――別に、大丈夫だ」
「あはぁ、フられたか?」
 ホロレリはそう言うと、今日一番楽しそう僕を小突いた。







「ガザさーん!」
 エルエルは嬉しそうに駆け寄ってくると、僕の体に抱きついた。
「遅いよー待たせないでよー」
 彼女はころころと楽しそうに笑っている。

 三ヶ月
 ――僕がエルエルと出会い、彼女の予知を利用するようになってから、もう三ヶ月もの時が流れた。
 全てが順調に進んでいる。
 

「ガザさん、なんで今日は遅れたの?」
「ちょっと報告会が長引いてね」
「報告会ってなに?」
「え?」
「教えてくださいガザさん、報告会ってなんですか?」


 ――彼女は発生するクエイク全体の内三割程を予知する事ができ、その精度は恐ろしい程に高かった。
 僕はその予知のお陰で多くの人命を救うことが出来た。


「……っとまぁそれが報告会の内訳」
「そっかー、じゃあ毎月やってたんだ」
「こんな話が面白いのか? エルエルは」
「うん」
 少女はその輝きに満ちた瞳で僕を覗き込む。
「だって私は、あなたの事をもっともっと知りたいから」


 ――父が死んだあの日、僕は心に決めた。
 こういう悲しみは無くさないといけない
 僕はそう自分に言い聞かせ、それだけを生きがいにして来た。
 でも僕は今までずっと無力だった。
 修繕屋になってもやる事はクエイクの後始末ばかりで、人の命を救うことができなかった。
 命の弱さ、運命の残酷さ、世界の非情さ、そんな乾いた物ばかりをかみ締める日々だった。


「ガザさん」
「なんだ?」
「次はいつ来てくれます?」
「そうだな……まぁ来週にもう一回来るよ」


 ――無力、それはもう昔の話だ。
 今の俺は自分の無力さに嘆くことは無い。
 僕は、エルエルに出会えたから。
 僕は、彼女のお陰でやっと成りたかった自分に成ることができたから。
 僕は、父が死んだ時の様な悲しみを減らしてるのだから。
 夢が適ったんだ。
 悲しみを減らす、そんな仕事を僕はしているのだ。


「ばいばいガザさん」
「あぁ、じゃあまた来週」
「うん」
 彼女が僕を見送る
 千切れそうな程に右腕を振って
 いつまでもいつまでも
 
 彼女はとても幸せそうで
 僕も幸せだった






「……ガザ」
 唐突に呼びかけられ、僕は反射的に振り返る。
 幽鬼の様な女性が僕の後ろに立っていた。
「ウサギ――本当に来ていたのか」
 月明かりを受けて浮かび上がる彼女の青白い顔からは、相変わらず表情らしき物は一切汲み取れなかった。
 時刻は午後十一時を廻り、僕の送別会は佳境に入っていた。
 さほど広くない座敷にはホロレリ班とリルナッハ班の修繕屋が渾然とひしめき、文字通り足の踏み場も無い。
 大して酒も飲めず、そもそも人付き合いがあまり得意じゃない僕は、主役だというのにこっそりと抜け出し、外でタバコを吸っていた。
 ウサギはそんな僕の真横に立つと、頚椎の端末からプラグを一つ伸ばし、僕に差し出した。
 ――有線で話そう、そういう意味だ。
「いいよ、口頭で話したい」
 なだめるようにそう言って、僕は彼女の方を向いた。
 ウサギがプラグから手を離す。
 しゅるしゅると繊維の摺れる様な音を立て、それは彼女の脊椎に戻って行った。
「それで……何の用だウサギ」
「聞きたい事があるんだけど」
「何?」
「リヒートフェン計画について知ってるかしら?」
「は?」
 まったく聞き覚えの無い言葉だ。
「今から百年ほど前、アステリオスを開発したコンソーシアム社は、根源領域であるカオスを観測する為に、極秘裏に非人道的な実験を繰り返していた。後にそれは『K計画』と呼ばれ、最終的には公安の連中に切裂かれて中止に追い込まれる」
 いきなり説明が始まった。
 僕は虚をつかれる形で呆然とする。
 ――百年前? コイツなに言ってるんだ?
 彼女の言っている言葉の意味は半分も理解できない。
「K計画の中止から十年後、当計画の中心人物の一人、主任分析官『リヒートフェン』が東アの小国で『K計画と良く似た実験』を開始する」
 彼女はそんな僕の様子に構うことなく、一人言葉を流し続ける。
「彼の行った一連の実験、通称『リヒートフェン計画』は概ねK計画のコピーだったが。ある一点、カオスの観測に関して『軍事的利用価値』を追い求めた、という点はリヒートフェン独自の物であった」
 お前は何を言ってるんだ――僕はそんな抗議にも似た質問をぶつけるが、彼女はそれに何の反応も示さずに説明を続ける。
「その九年後、リヒートフェン計画は小国が内戦に突入した事により凍結されたとされている。ただ試作段階の兵器は幾つか完成していた」
 ――リトルシリーズ、それらはそう呼ばれていたらしい。
 そう言うと彼女は軽く息を吐き出し、ようやく僕の方を見た。
 僕はたじろぐ。
「で、それが何なんだよ?」
「何でもないわ、今のはただの私の勘。正直どうでもいい話だから」
「は?」
 彼女は答えない。
 代わりに僕をじっと凝視した。
「意味わかんないよウサギ、何が言いたいんだお前」
 彼女は何も言葉を発さず、僕を見つめ続ける。
 底なしの闇が、まったく理解できない薄気味悪い穴が、僕の眼の前に浮かんでいる。

 ……どれ程の時間が経っただろうか。
「火、貸してくれない」
 彼女は唐突に沈黙を破った。
「はい?」
 ウサギはコートからしわくちゃになったタバコのパックを取り出すと、針金の様な指で一本引き抜き、口に加えた。
 憮然としながらも、安物のライターを彼女に差し出す。
「点けて、火」
 僕はため息を漏らしながら彼女に近づき、そっと火を点したライターを近づけた。
 その時彼女の右腕が動いた。
 それは有り得ない程に素早く、僕は殆ど認識できず――
 車が突っ込んで来た様な衝撃。
 ――次の瞬間、僕の体は後ろに吹き飛んだ。
 二秒ほどの滞空時間の後、全身が冷えたアスファルトに叩きつけられる。
 息ができない、首に鈍く巨大な痛みが遅れてやってくる。
「――ッ? ――ッ」
 言葉を発することもできず、僕は死にかけの金魚の様に口をパクパクとさせる。
 掌底打ちを、喉に叩き込まれた?
 僕は今になってようやく理解する。
 自分の喉を掻き毟り、必死に呼吸をしようとするが、気味の悪い音が鳴り響くだけだ。
 肺が崩れたスポンジの様に萎縮し始める。
 ――助けて、誰か、助けて
「お前達は罪を犯した」
 刃の様な彼女の言葉が降ってくる。
 顔を上げると、僕を見下ろすウサギの姿があった。
「――ッ?」
「罪は償わなければならない」
 意味がわからないッ――彼女は何を――
 ウサギは僕の髪を掴むと、乱暴に顔を床に叩きつける。
 視界に火花が散り、口に血の味が広がった。
 死ぬ? 僕は死ぬのか?
 恐怖で視界が狭くなる。
 脳が悲鳴をあげる。
「違うか? 違わないね」
 彼女は僕の脊椎端末のカバーを強引にはがし、ポートを露出させる。
 そして一枚のメモリースティックを強引に差し込んだ。
「償え」
 僕の視界に別の映像が割り込んで来た。
 今、この現実の映像じゃない、古い、三日前の……
 視覚データを無理矢理挿入されてる?
 彼女の視界だ、彼女の三日前の。
 何かの書類を見ている、書類には大量の数字が並んでいる。
 これは――クエイクの調査報告書?
 僕は必死に体を動かし、現実でのウサギの束縛から逃れようとする。
「黙って見てなさい」
 彼女の力は驚くほどに強く、僕の抵抗は何の意味も成さない。
 そうして必死にもがいてる間に、どんどん視界の時は進んでいく。
 データ、データ、データ
 幾つもの資料が視界に現われては、次々と消えていく。
 意味が分からない、意味が……
 僕のパニックが頂点に達したその時、視界一杯にある資料が表示された。

 ――え?

 それは恐ろしくシンプルなデータだった。
 本年度の月別のクエイク発生件数の一覧表。
 管理官に問い合わせれば誰でも、何時でも閲覧することのできる資料。


 でもそこに記されていた情報は、それまでの僕の動揺を一瞬にして鎮めた。









   四章



《次の日になりました。
 リーズは少しだけ考えました。
 あの小人に出し抜かれたら、元もこもなかったのです。
 朝、あの小人がやって来た時には、困ったような沈んだ顔で麻を渡しました。
 小人はそんなリーズの顔を見ると嬉しいのか、いつもより元気に飛び跳ね帰って行きました。
 リーズはじっと夕方になるのを待ちました。
 そして夕日が西の空を染める頃あの尻尾をもった小人が、つむいだ糸を持ってきました。
 リーズが窓を開けると、その小人は大きく口を開けて、
「さぁ、おいらの名前を言ってみな」と言いながら入ってきました。
 リーズは糸を受け取ると困ったように、
「ニコラスかしら?」と言いました。
 小人は大きく開けた口をもっと大きく開けて、キキキキキと笑いました。
「違うよ。 さあ、あと残り二回だ」
 小人は燃えるような真っ赤な目でリーズを見ました。
「だったら、メルビル?」
 リーズはおびえたように答えました。
 小人は大きな声でカカカカカと大笑いすると、指から鋭い爪を出し、尻尾からも尖ったヤリのようなものを出して、リーズに言いました。
「違うな、さぁ、これで最後だぞ」
 小人は勝ち誇ったように、ケケケケケケケを笑い続けました。
リーズはそっと息を吸い、そして静かに答えました。
「お前の名前は、」
「名前はぁ?」
 小人は口から牙を出して問い返しました。》




――あぁ、またこの夢か
 棺を囲む人々
 手には白い花を持ち、棺の中を覗きこんでいる
 泣きたければ泣きなさい
 何時かは来る日だと分かってはいました、でも
 母の嗚咽
 彼女はこの三年後、あの家に僕を捨てた
 ――父は廃棄屋だった、そしてクエイクに巻き込まれて死んだ
 廃棄屋は仕方ないんだ
 拾い屋みたいに高価な防具やオペレーターは付けられない
 可愛そうに、まだ八歳だぞあの子は
 だから所帯なんて持つなと
 僕も白い花を手に取り、黒い列に並んだ
 列は短く、並ぶ人々はそっけなく、僕の番は直ぐに来た
 ――父の死は純粋に悲しかった、だから僕は修繕屋になった
 四人、廃棄屋の月平均での死者だ
 修繕屋になるといい、そして減らしてやるんだ
 こういう悲しみは無くさないといけないよ
 棺の前に立つ
 僕はその淵にそっと手を掛け、中を覗き込もうと……



 棺の中に父の死体は無く、代わりに八人の見知らぬ男の死体が入っていた。


全ての屍は、真っ黒な瞳で僕を見ている。
 僕は思わず棺から離れる。
 棺が傾く。
 中の死体が式場に散らばる。
 潰れた死体だ。
 クエイクで潰された、八人の男。
 列に並ぶ人々が僕に群がる。
 僕の手足を掴み自由を奪う。
 死体がゆっくりと起き上がる。
 彼らに瞳はない、代わりに黒い穴が、底の見えない闇が二つ。
 死体はゆっくりと僕に近づく。

 ……お前達は罪を犯した……




「ガザさん? 起きてガザさん」
 男の夢はそこで途切れた。
 そっと眼を見開くと、目の前には一人の少女が立っていた。
「起きてガザさん。ごめんね、今日は私が遅れちゃった」
 彼女は悪戯っぽく言うと、小さな舌を少し出しておどけてみせる。
 少女はそこからいつもの様な楽しい会話を始めたかった。
 始まると思っていた。
 でもそうはならなかった。
 男は静かに立ち上がると、絡みつく彼女をそっと突き放した。
「エルエル、聞きたい事がある、正直に答えてくれ」
 それは今まで彼女が聞いたことも無いような、冷え切った声だった。
「え……何? どうしたのガザさん」
 ガザはゆっくりとリベットガンを構え、その銃口をエルエルに向けた。
「お前、本当に予知してたのか?」
 少女が眼を見開いた。目元に浮かんだ狼狽の色が瞬時に顔全体に広がった。
 ガザは続ける。
「本当に『崩れる』場所を『言った』のか?」
「そう……だよ? どうしたの、ガザさん……」
 そう言う彼女の顔から、みるみる血の気が引いていった。
「嘘だろ」
「やめてよガザさん、そんな事言わないでよ……」
 エルエルは男の腕にすがり付こうしたが、彼はそれを無造作に振り払う。

「お前、『言った』場所を『崩した』な」



 昨日ウサギが僕に見せたデータ
 それは月別の「クエイク」の発生平均値と、ここ三ヶ月のクエイクのデータだった。
 明らかに増えていたのだ。
 この三ヶ月、あきらかにクエイクの発生件数が多かった。
 そしてそれは、丁度エルエルが予知した分の数だけ、平均値より多かった。



 ――ごめんなさい
 ぽつりと少女は言った。
「ごめんなさい……ごめんなさい、ガザさん」
 そこからは、まるで堰を切ったかの様に言葉と涙が溢れた。
 ごめんさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい
 彼女は泣いていた、涙をぼたぼたと流しながら、彼に言葉を届けようとしていた。
「ごめんなさい。私は、寂しかったから……ずっと一人ぼっちで寂しかったから……あなたの側にずっと居たかったから……」
 エルエルはそう言って、縋る様にガザを見た。
 同情して欲しかった。
 理解して欲しかった。
 許して欲しかった。
 抱きしめて欲しかった。
 愛して欲しかった。
 ――だが彼の瞳には、彼女が望んだような感情は何一つ無かった。
 死体の様に無感情な眼球が、少女を冷たく見下ろしているだけだった。
「お前、僕に人殺しをさせたな」
 銃の照準が、彼女の胸を指す。
「ガザ……さん」
 彼はなんの躊躇いも無く、引き金を引いた。








  終章


《 「トム・ティット・トット」
 リーズは悪魔の名前を言いました。
 その名前を聞くと小さな悪魔は、顔をくしゃくしゃにゆがませ、「ギャァァァ!!!」と悲鳴を上げ、窓の外の闇に消えていきました。

 悪魔は消え去りました。
 リーズは糸を五かせ持ち部屋から出ると、王様のもとへと走って行きました。》








 虚しい
 僕はただ、ただただ虚しかった。

 父が死んだあの日から、僕はただ誰かを助けたかった。
 誰かの命を救いたかった。
 純粋にそれだけを思って、それだけを願って、それだけを糧にして生きてきた。
 たったそれだけの、簡単で、純粋で、当たり前の欲求だった。

 ――僕はリベットガンから、空になった弾薬のカートリッジを外し、新しい物に替える。

 僕は人を殺してしまった。
 八人もの無実の人間を殺めてしまった。
 父を救うつもりで、父と似た人々を、大勢殺めてしまった。

 ――ボルトストックを引き、薬室に弾丸を装填する。
 
 僕は、僕は何故
 僕は何の為に生きてきたのだろう

 ――右腕でバレルを握り、銃口を自分に向けた。

 涙が頬つたう。
 全てが、自分の全てが虚しく
 全てが悲しかった

 ――左手で、引き金を引く。

 躊躇は無かった
第二十九回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2015.01.03(Sat) 20:28
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