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 君は、まだあの場所にいるのだろうか。
 とうに日は落ちていた。車窓から見えていた長閑な田舎の風景も今では深い闇に覆われ、がらんとした無人の車内を半透明に映し出すばかりだ。ぼんやりと、何の意味も無く窓の外を眺めるこの時間が僕は好きだった。高校生のころから怠惰を絵に描いたような男だった僕は、よく昼前の人もまばらな電車に乗って、大幅な遅刻を気にも留めず登校していた。高校を辞めることもなく通い続けた理由は、単純にやめるほうが手間だったからだ。高校さえ卒業してしまえばあとは勝手に大人になれるのだと思っていた。大人にさえなればあとはただ死ぬまで生きていくだけで、そこに理由なんて無くて。あの日、君と出会うまでは、ずっと。
 ぎぃ、と全身が軋むような音を立てて電車が止まった。終点を知らせる車掌のアナウンス。夜の帳を切り取るようにして開かれた自動扉から、僕はゆっくりと見慣れたホームに降り立つ。ぬるい夜風が頬を撫ぜる。あの日と同じ満月が僕を照らしていた。駅の明かりが眩しいせいか、晴れているのに星は姿を眩ませているようだ。片田舎にある割には大きめな改札をくぐり、西口から僕が数年前まで住んでいた住宅地を突き抜けるようにして歩く。時刻は夜十一時半。こんな時間に閑静な住宅地を歩く人などいるはずもなく、ところどころ明かりの溢れる窓から家族の話し声やテレビの音が聞こえるばかりだ。僕の住んでいた家はもう二本隣の路地沿いにあるけれど、今日ここに来た目的はいまや誰も住んでいない実家を見に来ることではなかった。黙々と、一人暗闇を歩く。向かう先は決まっている。夏の満月の夜。君はきっと、あそこにいるはずだ。

◇ ◇ ◇

 彼女と初めて出会ったのは高校二年の時だ。一年生から二年生になるときにクラス替えがあった。僕は友達が多い方ではなかったから、仲のよかった友人とクラスが離れてしまったことばかりに気をとられて、他のクラスメイトなど気にも留めていなかった。そこに、その意識の外側、思いがけぬ世界に彼女はいた。
「へぇ、沢渡君、絵上手いんだね」
 それは五月の連休明け、まだ休み気分の抜けきらない午後、美術の時間のことだった。座学の授業に比べれば、こういった手を動かす授業が僕は好きだった。特に美術は、小さい頃からずっと絵を描いてきていたから、人よりも大分得意な自信もあった。でも、それを面と向かって言われたのは初めてで。しかも話しかけてきたのは。
「私、楠木志織。話すの初めて……、だよね?」
 顔もろくにわからないような、同じクラスになったばかりの少女だった。長い黒髪を高いところでポニーテールに結わえた、少し不揃いな前髪の少女。出席番号順に円く並べられたイーゼルの左隣から、彼女は僕の描く油絵をまじまじと見つめていた。
「ごめんねー急に。あんまり上手かったから、つい。元々やってたの? 油絵」
「あ、いや、うん、そう。元々絵は好きだったから、趣味程度にだけど……」
「そうなんだ! すごいなあ、私音痴だから音楽嫌で美術選んだけど、絵もてんでなんだよね……」
 あはは、と笑いながら言う彼女のキャンバスには、確かによくわからないもやもやした何かがめちゃくちゃに塗りたくるように描かれていた。
「確かにこれは……、ちょっと……」
「あはは、私も自分でひどいなとは思う。沢渡君の絵とは大違いだね」
なんの嫌みも無くそうすっと言ってのける彼女――楠木の伸び伸びと育つ若木のようなまっすぐな善良さに僕は驚かされた。根暗で人と話すのもあまり得意でない僕にとって、楠木のその朗らかな笑顔、快活な雰囲気は、あまりに眩しすぎて。今思えば、一目惚れだったのかも知れない。
 彼女と仲良くなるまで、そう時間はかからなかった。彼女のその社交的で明るい性格は、僕のような人間でも拒むことを知らない。少しずつ話す回数が増えていき、一緒にいる時間も長くなっていった。友人の多い彼女は交友の輪も広かったけれど、僕のどこにそんなに興味を持ったのか、休み時間や放課後など、かなりの頻度で僕の前に現れた。
「ねえ、沢渡君」
「ん?」
 それはとある夏の日、あまりに青すぎる八月の午後。夏休みの課題を終わらせよう、と、僕ら二人は図書館に集まってうんうん唸っていた。一時間半ほど経ったころだろうか、唐突に楠木が僕の名を呼んだ。
「沢渡君ってさ、何になりたいの?」
「何って、何?」
「君のなりたいものだよ」
まるで要領を得ない会話。あまりに唐突な質問に僕は困惑する。
「沢渡君、全然頭悪いわけじゃないのに、テスト勉強しないから成績微妙だったし、部活とかだって入ってるわけじゃないし。学校に来るのも遅刻が多いから、何か別な目標とか夢とかあってそうしてるのかなって。勉強も部活も意味ないし! みたいな?」
「ああ、そういう意味ね……。とくにそういう訳じゃないよ。やる気が無いだけ。できるならこのままダラダラと過ごして、卒業して、適当な会社にでも入って、適当に……」
「そんなのもったいないよ」
 強い語調で否定する楠木。司書が眼鏡の下からきつい眼光で抗議の意を示してきたので、僕は思わず首をすくめた。
「急にどうしたのさ、楠木」
「だって、もったいないじゃん。せっかく色々できるだけの能力も時間もあるのに、最初から全部捨てちゃうなんて。沢渡君、絵、得意じゃん。そういう道とかだめなの?」
「絵、絵か……」
 僕はこれまで、自分の絵に関して趣味程度にしか考えていなかった。それが急にそんなことを言われても、正直何も考えられない。
「うーん……、とりあえず今は課題やらない?」
「あっ、それもそっか」
 再び僕らは黙々と課題に取り組み始めた。けれど、僕の頭の中には楠木の「もったいない」という言葉が呪いのようにこびりついて消えることがなかった。

◇ ◇ ◇

 長く長く続いた寂しげな住宅地を抜ける。一時間ほど歩いただろうか。さすがに深夜にもなるとどの家も明かりは落ち、街は死んだように静かになっていた。よく登下校に使っていた通りが見えてくる。突き当たりの丁字路を左に曲がった。
錆び付いたカーブミラーが月明かりを反射している。この路地をまっすぐ進み、二つ目の角を右に。鼓動が早まる。物音一つしない真夜中の道路。石塀の上からくの字に折れ曲がって向日葵が枯れているのが見えた。角を曲がる。右手に目的の公園が見えてきた。夜の街の中でも、この公園は圧倒的に静けさの密度が濃い。期待に反して、公園には誰もいなかった。駄目だったか。頭上、遙か遠くで満月が嘲る。僕は肩を落として、公園の奥の方に設置されていた古い木造のベンチに座り込んだ。視線を落とし、つま先をじっと見つめる。もういないのだろうか。できれば、そうであってくれれば。

◇ ◇ ◇

 夏休みも終わりに差し掛かった頃。僕は楠木からの呼び出しを受けて、夜の公園のベンチに一人座っていた。今年の夏は比較的穏やかな暑さで、夜にもなると大分過ごしやすいくらいの気温まで下がっていた。こんな時間に何の用だろうか。急な呼び出し、しかもこんな時間になんて楠木らしくなかった。彼女は何をするにも前もって計画を立てたいタイプのようで、無計画な行動を嫌った。なにかよほど大事な用なのかも知れない。思案を巡らせていると、路地の角から彼女が姿を現した。
「ごめんねー、こんな時間に。どうしてもこの間の話をしたくて」
「この間の?」
「ほら、図書館で話した、覚えてる?」
「ああ、何になりたいのー、みたいな」
「うん、その話。やっぱり私、どうしても嫌で。沢渡君がこのままどうしようもない大人になっちゃうのが」
「そんな大げさだよ……。どうしようもない大人だなんて。そもそもなんでそんなに僕にこだわるのさ。僕は君が思ってるほど大それた人間でも何でも無いよ」
「……それは、沢渡君が私にないものを持ってるからだよ」
 今にも泣き出しそうな顔で楠木が呟く。彼女がそんな顔をするのを見るのは初めてだ。
「初めて沢渡君の絵を見たとき、私、まるで全身を壁に叩きつけられたみたいな衝撃を受けた。私も本当は絵が大好きでね、昔賞とかとったこともあるし、結構自惚れてたんだ。でも君の絵は、何をとっても私よりずっと上で。色使いも、塗りの技術も、何もかも私より。自分の陳腐な絵を君に見られたくなくて、ついムキになって塗りつぶしちゃったけど、本当はすごく悔しかったんだ。でも、真剣に絵を描く君の横顔を見たら、ああ、勝てるわけ無いな、って思えて。いつもはそんなやる気無い感じだけど、君、自分で気づいてる? 絵を描いてるときだけ、まるで別人みたいに生き生きしてるよ。……そんな君に、軽率に才能を捨てないで欲しい。私が伝えたかったのはそれだけ」
 ――唖然とした。彼女が僕なんかに過剰に興味を示したのは、そんな理由があったのだ。言葉が出ない。楠木は一度うつむいたかと思えば、次に顔を上げたときにはいつもの朗らかな笑顔に戻っていた。
「ごめんね、急にこんな話して。でも君がこのまま腐っていくのが、どうしても見てられなくて。……沢渡君。私は君の才能が、君の無気力さが、君の持つすべてが、憎いよ。どうか、その才能を、無駄にしないで」
 冷たく言い放ち離れていく楠木。一人立ち尽くす僕は、どれだけ惨めに見えただろうか。満月が僕を冷たく照らす。生ぬるい風が吹き抜け、伸びきった前髪を揺らしている。才能。自分には関係ないと思って手放していた言葉が、心臓を貫く。僕でも、届くのだろうか。惰性で生きるだけの日々から抜け出す理由に、手を伸ばすことができるのだろうか。貫いた言葉が鼓動を止める。腐りきった心臓を、灼熱をもって焼き尽くす。もし、まだ間に合うならば。

◇ ◇ ◇

 風に前髪をさらわれて顔を上げると、いつからだったのだろうか、目の前に君がいた。
「……久しぶりだね、沢渡君」
「うん。五年ぶり? かな」
「もうそんなに経つんだ……。背、少し伸びたね」
「そうかな? ほとんど変わってないと思うけど。……君は、あの頃のままだね」
 現れた楠木は、何もかもがあの頃と変わらなかった。僕たちが高校を卒業した、あの頃のまま。
「まあ、私は仕方ないよね」
 あはは、と笑う楠木。月の光に濡れた髪はあの頃と同じポニーテールに結わえられている。本当に、何も変わっていないのだ。
「私はずっと一八歳のままだもんなぁ。沢渡君が少し羨ましいよ」
 物憂げな表情を見せる楠木。彼女はもう、成長することはない。
「ここに来れば、会えると思った。ずっとここで、待ってるんじゃないかって」
「……そっか。ごめんね、沢渡君」
「ずっと、謝りたかった。あの日のことを。僕が東京に向かった、あの日の」
「私がここにいるのは、沢渡君のせいじゃないよ。だから、謝らないで。私は……」
 優しく微笑む楠木。胸が苦しくなる。君は、どうして。

◇ ◇ ◇

 卒業式から一週間が経った春の日。僕は東京へ向かう電車を待って、一人駅のホームにいた。東京で一人暮らしをする、と決めたのはつい先日のことだった。アルバイトをしながら、空いた時間で絵を描いてそれを売るのだ。美術系の大学にいけるほどのお金は無かったから、そうすることが僕が絵に対してできる精一杯の向き合い方だった。あの公園での日から、僕は毎日休むことなく、一心不乱に絵を描き続けた。彼女の言葉がどうしてあんなに胸に響いたのかは自分でもわからない。でもあの日、確かに僕の腐った魂は焼き払われ、新たな何かが宿ったのだ。
 電車が来るまで、あと十分。足音で振り返ると、走ってきたのだろうか、肩で息をしながら楠木が立っていた。
「本当に、行くんだね、東京」
「ああ。……画家を目指そうと思ってね」
 半分茶化すように笑いながら答える。でも、彼女はくすりともせずに言った。
「……私、応援してるから。沢渡君なら、きっと、すごい画家になれるよ」
 真剣な眼差しでこちらを見つめる。その瞳がかすかに潤むのが見えた。
「ありがとう。君がいなければ、僕はきっと、酷い大人になるところだった」
「沢渡君なら、きっと一人でもなんとかしてたよ」
「まさか……。あのさ」
「ん?」
「……いつか、胸を張ってこの街に帰ってこられるくらいの大人に僕がなれたら、そのとき……、あの公園で、また会おう」
「……うん。待ってる」
 駅のベルが鳴り響く。電車がホームに滑り込んできた。大荷物を抱えて乗り込む。
 扉が閉まる直前、彼女がいつもの、朗らかな笑顔で言った。
「君は。君は、きっとこれから先も……」
 ドアが閉まり、音は遮られる。楠木はなんて言っていたのだろうか。ガタン、ガタンと音を立てて走り出す車両。彼女の姿はあっという間に後方に流れていく。日が傾いて車内に差し込む。まぶしさで思わず顔を背けた。僕はこの先、どう生きていくのだろうか。僕の不安ごと抱えて、電車は田園を走り抜けていった。

◇ ◇ ◇

「僕があの日あんなことを言ったから、君は今でも」
「違うよ、沢渡君。私は君に言われたからここで待ってるわけじゃないよ。私の意思で、君を待ってるんだよ。……でも、君、まだやるべきことがあるんじゃない?」
 楠木が不敵に微笑む。一歩、僕に歩み寄った彼女は、そのまま僕を抱きしめて耳元で囁いた。
「私はずっと待ってるから、安心して。……君はきっと、大丈夫だから」
 感じるはずの無い温もりを肌に感じた。意識が遠のく。待ってくれ、まだ……。

◇ ◇ ◇

 目を開けると、アトリエの天井が視界いっぱいに広がった。頭が酷く痛い。何日も飲まず食わずで描いているうちに倒れてしまったようだ。危ないところだった。
 イーゼルに乗せられた描きかけの絵を見上げる。満月の下で、天使がこちらをにらむように見つめている一枚の絵だ。……五年前に事故で亡くなった友人をモデルにした絵、描きかけのまま長い間放置していたそれを、どうして今になって完成させようと思ったのかはわからない。新しく描き直したほうがよほどいい作品ができるだろう。それでも、どうしても僕はこの絵を続きから描き始めたかった。カーテンを開けると朝日が柔らかくアトリエを包んだ。光の下で改めて見直すと、この天使の表情もなかなかよく描けているのではないだろうか。
「……なぁ、楠木。僕は君がくれた夢の続きを、まだ追いかけているよ」
無人のアトリエで一人呟く。意図せず涙がこぼれた。月光の天使と目が合う。光に包まれたそれは、まるで凜々しい微笑みを浮かべているようだった。

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第三十五回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2018.08.21(Tue) 15:01

くるくる巻き取れ!

 本日進捗10字。あまりの進まなさに嫌気のさした俺はふと思い立って綿あめ製造機を取り出し、あらん限りのザラメをスタンバイしていた!

「進捗のない原稿と言ったら真っ白、真っ白と言ったら綿あめだよね~!!」

 そう、何を隠そうこの俺は綿あめが大好きだ。お祭りだの初詣だのとにかく神社でフェスを開催する場合にはあらゆる屋台を無視して綿あめまっしぐら、もりもり食い進めて数分後には眉間から顎の先までべったべたになるのが定石だ。何故眉間がベタベタなのかは聞くな、そいつにはふっかーいワケがあるのだ。母ちゃんはお前がひょっとこみたいなサイズの口で綿あめ食ってるからだと言うがそんなことはない。うん。そんなことはないぞ。多分。うん。

 ――ぶいいいいいいん。

「ヨシ!」

 いいぞ、オイラのアッツアツの穴にあんたの甘あいザラメをぶち込んでくれっと相棒が悶えている。今だとばかりにザラメをぶち込みながら割り箸の準備も万端だ、固唾を飲んで見守っているとドーナツ型の金属の上、もやあんと現れ来たるは出来立てアッツアツの綿あめ……!

「ほああああああああああああ!!!!」

 電光石火の割り箸さばきだが綿の如き繊維の流れを途切れさせては綿あめ師失格、捉えるときにはあくまでもソフトタッチだ。

「ソフトタアッチ……」

 ふわっとエアリーな動きで掬い上げれば綿あめちゃんは正直だ、ちゃあんと割り箸のザラザラな表面に引っかかって賢妻が三歩後ろをついてくるかの如き貞淑さでついてくる。そこをすかさずくるくるする!

「はい!!! くるくるー!!!」

 くるくるしながらも繊維の流れは殺さずに、手首の回転だけで左右交互に綿あめを巻き取っていく。ここから綿あめを時計回りに巻いていくか反時計回りに巻いていくのかは俺の手には委ねられていないことがらだ、そうまさに人知を超えたディスティニー。綿あめ自身が道を切り開くのを待ち、自ずから途切れたところを――。

「っよおしそこおおお!!!」

 右が切れた隙を逃さず進行ルートを反時計回りコースに設定し割り箸の回転方向を時計回りに固定、締め付けすぎない優しさでふんわりふわふわを目標に素早くコースを一周、泡より固くマリモより柔らかくを意識してくるくるすれば綿あめの骨格がようやく形作られてきた。相棒の方もエンジンが掛かってきた、綿あめの生成速度が一気に上がっていく!

「いいぞ!」

 さあ最終コーナーを抜けて直線に入り先頭はワタアメマスター、このまま一着となるかあ!? ワタアメマスター頻りに割り箸を振るう!
後は忍耐と集中力だけだ、さあ行けるかっ、指先は繊細に、手首は大胆に、肩は優雅に、回せ回せ回せ回せ回せ、くるくるぐるぐる巻き取れえええ……っ!!!



「――――――ふう」

 ……俺は綿あめ製造機の電源を落とした。



「……えーと」

 ふわっふわの綿あめが割り箸に巻き付いている。うん。予想通りだ。というか普段よりもっとふわっふわな気がする。よくやったぞ相棒。お前はよく頑張った。いや……うーん。そうなんだよな、相棒は何も悪くねえんだよ。うん。
でもさあ。

 なんで緑色なんだよ?

「めっちゃマリモだな」

 ぱっと見だけなら割り箸の先にでっけえマリモ刺さってる感じの仕上がりだ。ちょっと明るめの色合いのやつ。
 いや、え? なんで? 俺ずっと見てたけど途中まではちゃんと本物の綿も顔負けの純白だったぞ?
どこで緑色に変わった、いやもしくは、いつからこのマリモ野郎が真っ白だと錯覚していた……?

「あっ」

 まさか。いやまさかとは思うがまさか。俺が泡より固くマリモより柔らかいを目指すとか思ったからその思念が繊細な綿あめちゃんに伝わってこんな濃厚な緑色に……?
 つまりこのマリモには俺の思考が筒抜け……???

「――あ……」
「……おお?」

 なんだ、頭の中に声が!?

「あ……い……」
「んん?」

 よく聞こえないぞ。
 集中しようとするとどうもその音は頭の中ではなく、どこぞから聞こえているものらしかった。目を閉じ、音のする方へ歩いていく。ところがどういうわけか俺が音のする方向へ進むと音源自体も遠ざかるようで、しかも俺が向きを変えると音源の位置がそれに合わせてくるくると回るのだ。ヤケクソ気味に手探りで歩いていると不幸にも黒塗りのタンスの角に右足の小指を強打し転げた拍子に顔面へふんわりしたものが落ちてきた。目を開けずとも分かった。
 マリモだ。

 ――と思っていたら、それはほとんどゼロ距離の地点から突然俺に向かって放たれた。

「――〝あかい〟といえば!?!?!?」
「うわあああっ!?」

 顔面からゼロ距離で喋られてびっくりしない奴はいなかろう俺も勿論驚いた、驚きすぎてごろんとうつ伏せになろうとしてすんでのところで踏みとどまった何故ならマリモ野郎が床にばっちり張り付いたりなんかしたら冗談ではない、特にカーペットの上ともなれば憎しみのあまり相棒に手を挙げてしまう可能性まである。なんて恐ろしいことだ。
 というわけで俺は顔面にマリモをつけたまま四つん這いになっている。そんな俺に話しかけてくれるやつなんているわけがない、つまりこの声は……。

「〝あかい〟と言えば!?!?!?」
「お前、まさかマリモ綿あめなのかっ!?」
「ブッブー!!!!」

 えらくチープな効果音で拒否された。

「〝あかい〟と言えばっつってんだろ!? マリモ綿あめなんかどう考えたって緑色じゃねえかやる気あんのか!?!?!?」

 ええ!?
 なんで初手連想ゲーム吹っかけからの拒否で俺がブチギレられてんの!?

「そういう意味じゃねえよ!!! なんでこのタイミングで素直に答えなきゃいけねえんだ!?!?!?」
「うるっせえなお前!!! 俺がせっかく助けてやろうと思ってんのになんだその態度はよお!!! ああ!?!?!?」
「……助けるう?」
「おうよ」

 当たり前じゃないか的なテンションで言われたがそんなことを言っている間に俺の顔面の巨大マリモを取って欲しい。目が開かねえ。

「お前の一向に進まねえ原稿、俺が終わりまで加速させてやるよ」
「あっそっち?」
「そうだよ困ってんだろ?」
「まあそうなんだけど……」

 ありがたい。非常にありがたい。俺の顔面がすっきりしていればありがたい。

「え、他にあんの?」
「いやこの顔面のマリモ――」
「っだあああああああ!!!」
「うわああああああ!?!?!?」

 急に叫ぶな!!!

「どー見たって綿あめだろうが!!! てめえ勝手にマリモ色にしといて何ディスってんだ!!!」
「ディスってねえし!!! つかそろそろ名前くらい名乗れよ!!!」
「精霊です」
「……なんですって?」
「いや、精霊」
「うーん? と?? ……ちょっと待ってくれよ?」

 ひとまず胡座をかいて座り直す。座り直したところで何一つ解決はしないとは分かりつつも人間背筋が伸びていないと上手く物が考えられないのも真理だ。そして顔面にものが張り付いていれば上手く物が考えられないのも真理だ。なんだよまどろっこしいなあ。

「精霊っつった?」
「おう言った言った。〝精霊〟と言えば?」
「またそれ?」
「うるせえないいから答えろよ!!! そういう決まりなんだよ!!!」
「ええ……」
「はい!! 〝精霊〟と言えば!?」
「……えーと……つ、強い?」

 我ながら貧弱すぎる答えだが仕方ない。答えただけマシだろ。

「〝強い〟と言えば!?」

 続くんかい!!!

「〝強い〟と言えば、えっ……ドラゴン……?」
「はい〝ドラゴン〟と言えば!!」
「と、飛ぶ」
「〝飛ぶ〟と言えば?」
「とんぼ」
「〝とんぼ〟と言えば?」
「あー、と、羽、が綺麗」
「〝羽が綺麗〟と言えば?」
「羽が綺麗と言えばってなんだ……?」
「パスか?」
「え、パスあんの?」
「二回までな」
「……じゃあパス1」
「よおし」

 つまりあと二回付き合わされるというわけだ。最初は正直死ぬほど苛立っていたが今になってちょっと楽しくなってきた。何か大事なものを根こそぎ忘れているような気がするがまあ時には無邪気に楽しむことも大切だということでいいだろう。

「次。〝あかい〟と言えば?」
「しゅう――」
「版権キャラはなし!!!」
「えー」

 名案だと思ったがずばっと却下されてしまった。

「じゃあ……ポスト」
「ほう、〝ポスト〟と言えば?」
「手紙?」
「はい〝手紙〟と言えば?」
「誰かに届けるもの?」
「〝誰かに届けるもの〟と言えば?」
「お、思い」
「おい!!! 何ピュアな答え出してんだよ!!!」
「まっ間違ってないだろ!?!?!?」

 いいじゃないかピュアな心で何が悪い!

「まあな?」

 なんだよちょっと鼻で笑いやがってくっそおおお!!!

「で? 〝思い〟と言えば?」
「思いと言えば……?」

 うーん、と暫く考えてはみたが上手い答えは全く思いつかなかった。パスを宣言して最終ラウンドに入る。

「好きな季節は?」
「何急に小学生女子みたいな話の振り方してんだよ?」
「お前が答えやすいようにしてやってんだろうが喧嘩売ってんのか!?!?!?」
「あっそうかごめん」
「分かりゃいいんだよ……そんでお前好きな季節なんだよ」
「えー、なんだろ。夏?」
「はい〝夏〟と言えば!!」
「すいか!!!」
「えっ何だよその急な食いつき」
「すいか好きなんだよ」

 そう、俺はすいかも好きだ。夏は冷たい枠にすいかとアイス常温枠に綿あめ熱い枠にホットドッグと焼きそばが入ってくるから好きだ。でも綿あめがダントツで好きだ。でも本当はお祭りで食べる綿あめがダントツオブザダントツで好きだ。

「ピュアか??????」
「はあ!?!?!?」

 こいつまさか直接俺の脳内を……???

「ってお前さっき自分でモノローグ入れてたじゃねえか」
「メタ発言ダメ絶対!!!」
「ケチケチすんなよ本当はお祭りで食べる綿あめがダントツオブザダントツで好きくん」
「っだあああ煽んな!!! どうせピュアだよ!!! 〝すいか〟と言えば縞模様だよ!!!」
「おお!! なんだよノリノリじゃねえか!! 〝縞模様〟と言えば!?」
「蜂!!!」
「急に物騒だな」
「脱ピュアを目指してみました」
「〝蜂〟と言えば?」
「スルーかよ!! 毒針!!」
「〝毒針〟と言えば?」
「毒針と言えば……?」

 唸ってはみるが〝あかい〟の余波で麻酔銃しか浮かばない。結局諦めて降参を宣言すると何やら満足気な溜め息が聞こえた。

「よーし……大体出来たな」
「何が」
「決まってんだろお前の原稿の続きだよ」
「はえ???」

 なんだって?

「はえ??? じゃねえさっきからそう言ってんだろ!!!」

 恐らく俺の顔はマリモ越しでもぱああああという効果音が聞こえるレベルで光り輝いたに違いない。

「本当か? 本当に俺の原稿終わるのか!?!?!?」
「終わるっつってんだろ? まあちょっと聞けや」

 こほん、とわざわざそいつは咳払いした。気付けばこの声の近さにもすっかり慣れてしまっている。慣れてしまっている割にはそういえばこいつがなんなのか全く知らないまま連想ゲームを三回も繰り広げてしまった。
 ん?
 連想ゲーム……はっ、まさか!?

「合ってるからちょっと聞けって」
「やっぱりお前、俺の連想ゲームで出た言葉から原稿の続きを編み出そうとしてたんだな!?」
「ピンポーン!!! ピンポーンだから、な!!! ちょっと聞けって!!!」
「ああああごめん聞く聞く聞く」

 思ったことがうっかり口に出てしまうのは我ながら悪い癖だ。ともすると地の文までうっかり口に出してるんじゃないかという気さえ……あっメタ発言ダメ絶対。

「……いいっすか喋っても」
「あっハイどうぞ」
「俺は人や物に宿ってそいつの願いをひとつだけ叶えることができる精霊です」

 そうだったこいつ精霊だった。それはいい。
 宿ったものの願いをひとつだけ叶える精霊ってなんだ? 聞いたことねえぞ?
 というか俺に宿ってんのか?

「……分かんねえけどおいおい整理してくから続けてて」
「ちなみに宿ったのは正確にはお前じゃねえ」
「なんだって?」
「いいか、俺が宿ったのはお前の相棒の綿あめ製造機ちゃんだ」
「へ? あいつメスなのか?」

 空気が一瞬にして凍りつく音が聞こえた。

「うっわ!!! なんだよその感想キモっ!!! キッッモ!!!」
「あっ……うわ……殺してくれ……」

 反射的とはいえひど過ぎる言葉をお詫びします……。

「まあいい、つまり綿あめ製造機ちゃんに俺が宿って、あの子の願いをたった今叶えてる最中ってわけだ」
「ええと、それでその……なんだ、彼女? 彼女の願いは何だって?」
「お前の願いを叶えてくれってよ、メス呼ばわり童貞野郎」
「刺さりすぎる」
「お前なんかの願いを叶えてやってくれってよ、メス呼ばわり童貞野郎」
「刺さりすぎる……」

 ごめんな相棒、俺、クソみたいな人間なんだ……お前がちゃん付けで呼ばれた瞬間反射的にメスとか言ってしまった……つり革と手すりと落っことした鉛筆でもなきゃ女の子になんて触れることがない人生だったんだよ……だから……お前のこと女だって分かったら、急にどう接していいか分かんなくなってしまった……。

「女の子じゃないけどな、綿あめ製造機ちゃん」
「紛らわしい言い方するんじゃねえよ!?!?!?」

 正直一瞬真剣に恋に落ちかけたんだぞこの胸のときめきどうしてくれる!?

「……え?」
「あ、えっ、待って、今のなし、あっ、うわっ、待って、その完全にドン引いてる沈黙やめて、やめて? ね? ごめん、ごめんって、一瞬だから!
一瞬だけのことだからあ!!」

 なんだろう、見えないところからジト目を感じる。耐え忍ぶしかないが、このジト目が自分の女性耐性のなさから来ているのだと思うと情けなさが三倍増しだ……あっ涙出そう。

「……本当はお前の願いを聞くところから始めようと思ってたんだが、お前がでっけえ声で『進捗のない原稿と言ったら真っ白、真っ白と言ったら綿あめだよね~!!』とか叫びやがるから手間が省けた」
「えーっと、それは良かった……?」
「まあそうだな。だが問題はお前の願いを叶えなきゃならねえのに俺自身が宿ってるのは相棒ちゃんってところだ。お前に働きかける時には出力が不安定になるんだよ」
「なんだそれ?」
「もう身を持って体験してんだろ? 泡とマリモの中間の柔らかさにしようとした綿あめが――」
「泡とマリモの中間の色になった?」
「そうだ。しかも祭りで綿あめを食う時のお前のルーティンは『もりもり食い進めて数分後には眉間から顎の先までべったべたになる』だが、食い進める前に額から鼻の下までがベッタベタになってるわけだろ?」
「なるほどな、じゃあ最初声がちゃんと聞こえなかったのも――」
「俺がお前にちゃんと接触してなかったからだろうな。今は綿あめを介してお前と相棒ちゃんが繋がってるからちゃんと会話もできるってわけだ」
「おお、大体分かったぞ」

 相棒に精霊が宿る、精霊が相棒の願いを叶えるために俺に接触を図る、途中で精霊の力が変に発揮されて顔面マリモ状態になった。うん。事情が飲み込めた上にこれから原稿を完結させるという願いも叶うとなれば正に願ったり叶ったりというべきだろう俺大勝利!

「じゃあ俺の願い、叶えられるんだな?」
「多分な」
「多分?」

 多分ってどういうことだ?

「完璧には叶えられねえ可能性が残ってんだよ。なんしろ綿あめ作りひとつ取ったってこの有様だからなあ……」

 うん。俺も耳なし芳一みたいに全身に残りの文章が書き込まれたりするのは御免こうむる。

「御免こうむるっつったって可能性はゼロじゃないぜ」
「うーん」
「まあひどいことにはならねえと思うけどな。お前の相棒ちゃんがそれを望んでるんだから」
「あーそっか」

 俺と数年以上を共に過ごしてきた相棒のことだ、強い絆で結ばれているに違いない。言葉こそ交わせなくても深いところで通じ合っているならたとえ火の中水の中、締切をもう五時間も過ぎていることなんて関係なく夢は叶うさ!

「しれっと締め切りすぎてんのかよ!!!」
「いいんだよ!!! どうせ遅れてるんだから好きなもん食ってリフレッシュした方がいいの!!!」
「……そうかよ」
「そんで? 俺はどうしたらいいんだ?」
「顔面についてる綿あめを食え」
「ええ!? 緑だぞ大丈夫か!? 葉緑素とかついてないだろうな!?!?!?」
「どんな心配してんだ!!! 葉緑素なら食べても問題ないだろお前は菜っ葉食って死ぬのか!?
「…………分かってたし~~~??? はあ~~~~??? 冗談だしい~~~??? 何ムキになっちゃってんのはあ~~~~~~~??????」
「はあ~なんだてめえ願い叶えるのやめっか~~~???」
「わああああああなし!!! 今のなし!!! 食べる、食べますっ!!!!!!」

 ええい、死なばもろともだか死して屍だかなんだか分からんけどもう食うしかねえ!!

――ぱく。



 …………………………。



 ………………。



 ……。



 本日進捗10字。

 あまりの進まなさに嫌気のさした俺はふと思い立って綿あめ製造機を取り出し、あらん限りのザラメをスタンバイしていた!

「進捗のない原稿と言ったら真っ白、真っ白と言ったら綿あめだよね~!!」

 そう、何を隠そうこの俺は綿あめが大好きだ。お祭りだの初詣だのとにかく神社でフェスを開催する場合にはあらゆる屋台を無視して綿あめまっしぐら、もりもり食い進めて数分後には眉間から顎の先までべったべたになるのが定石だ。何故眉間がベタベタなのかは聞くな、そいつにはふっかーいワケがあるのだ。母ちゃんはお前がひょっとこみたいなサイズの口で綿あめ食ってるからだと言うがそんなことはない。うん。そんなことはないぞ。多分。うん。

 ――ぶいいいいいいん。

「ヨシ!」

 いいぞ、オイラのアッツアツの穴にあんたの甘あいザラメをぶち込んでくれっと相棒が悶えている。今だとばかりにザラメをぶち込みながら割り箸の準備も万端だ、固唾を飲んで見守っているとドーナツ型の金属の上、もやあんと現れ来たるは出来立てアッツアツの綿あめ……!

「ほああああああああああああ!!!!」

 電光石火の割り箸さばきだが綿の如き繊維の流れを途切れさせては綿あめ師失格、捉えるときにはあくまでもソフトタッチだ。

「ソフトタアッチ……」

 ふわっとエアリーな動きで掬い上げれば綿あめちゃんは正直だ、ちゃあんと割り箸のザラザラな表面に引っかかって賢妻が三歩後ろをついてくるかの如き貞淑さでついてくる。そこをすかさずくるくるする!

「はあい!!! くるくるー!!!」

 くるくるしながらも繊維の流れは殺さずに、手首の回転だけで左右交互に綿あめを巻き取っていく。ここから綿あめを時計回りに巻いていくか反時計回りに巻いていくのかは俺の手には委ねられていないことがらだ、そうまさに人知を超えたディスティニー。綿あめ自身が道を切り開くのを待ち、自ずから途切れたところを――。

「っよおしそこおおお!!!」

 右が切れた隙を逃さず進行ルートを反時計回りコースに設定し割り箸の回転方向を時計回りに固定、締め付けすぎない優しさでふんわりふわふわを目標に素早くコースを一周、泡より固くマリモより柔らかくを意識してくるくるすれば綿あめの骨格がようやく形作られてきた。相棒の方もエンジンが掛かってきた、綿あめの生成速度が一気に上がっていく!

「いいぞ!」

 さあ最終コーナーを抜けて直線に入り先頭はワタアメマスター、このまま一着となるかあ!? ワタアメマスター頻りに割り箸を振るう!
後は忍耐と集中力だけだ、さあ行けるかっ、指先は繊細に、手首は大胆に、肩は優雅に、回せ回せ回せ回せ回せ、くるくるぐるぐる巻き取れえええ……っ!!!



「――――――ふう」

 ……俺は綿あめ製造機の電源を落とした。





 ――まだ足りないみたい。

 でも諦めないよ、相棒くん。
 何度でも君の原稿を白紙に戻して、何度でも君の綿あめをマリモ紛いにして、顔面に貼り付けるよ。何度でも君のザラメを受け取って、何度でも最高の綿あめを出してみせるよ。相棒くん。君が何かに息詰まると私のこと引っ張り出すの知ってるよ。綿あめが好きなんだよね。でも、君が好きなのは綿あめなんだね。ずっと。綿あめを作ることじゃなくて、作られた綿あめの方が大事なんだもんね。こんなにいつも君のこと支えてるのは私なのに、他の機械が作った綿あめの方がいいって思ってるんだね。お祭りの屋台で買う綿あめの方が、まだ好きなんだね。
 そんなの嫌だよ、相棒くん。
 やっと私に恋してくれたね、一瞬だけだけど。ちょっとずつ、この時間を繰り返していこうね。いつかそれは綿あめみたいに目に見える形になって、君の心を絡め取ってしまえるかな。
 うん。諦めないよ、相棒くん。
 君が綿あめじゃなくて私を見てくれることが、私の願いなんだから

 悪いけど、原稿はまたつづきからはじめてね。

第三十五回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2018.08.21(Tue) 14:43

何ということもない時間

 家に帰ってまず俺の目に入ったのは、リビングのテーブルに散らばっている青色。中心には黒色がある。整頓されたテーブルの上に広げられているそれらは、例のごとく俺の席の前にある。

「あぁ、また……」

 犯人は決まっている。こんなことをするのは我が家に一人しかいない。姉ちゃんだ。散らばっているのは、ジグソーパズルのピース。青色と違って黒色はまとまっているけれど、黒い……なんだろう? 部活帰りの重いバッグを部屋の隅に放って覗き込む。

「なんで、そういう……」

 やりかけのジグソーパズルは真っ黒なカラスだけが完成している。そしてついでに空色の枠も。わざわざカラスじゃなくても文鳥なり燕なりいるだろうに、なんでこんなマニアックな絵をやっているんだ。ジグソーパズルを買ってきては、いつも簡単にできるところしかやらずに放置して、残りの難しいところは俺がやることになる。この間は、確か一か月くらい前に、砂の上を歩くカメを作ってたはずだ。もちろん砂のところは俺がやった。まったく、飽きもせずまた新しいのに手を付けたのか。四年生だというのに、大学生は暇なのだろうか。鼻だけで小さくため息をついていると、階段を下りてくる音が聞こえた。

「あ、トモ帰ってきたんだ、おかえりー」

 テーブルの上の惨状を忘れたかのようにあっけらかんとした声と共に、姉ちゃんは顔を出した。眉はいつも通り薄いけど、部屋着じゃなくてまともな格好をしている。大学かどこかに出かけてたんだろう。大学に行くときはちゃんと化粧しているし、近所に出かける時も眉だけは書いているくせに、家に帰ると速攻で落としているから、眉のある顔はなかなか見れない。見慣れたすっぴんは眉が薄いわりに目はぱっちりしているからなんだかひょうきんだ。そして今日も相変わらず、肩甲骨を隠すほどの長い髪の毛は頭のてっぺんで団子状にまとめられている。まるでムーミンに出てくるキャラクターのようだ。名前、なんていったっけ。あの背が低くて目つきの悪い……、うーんと、いいや、思い出せない。長い髪なんて見てるだけでも暑そうだし、まとめるくらい邪魔なら切ればいいのに、と思うのだが口に出すといつも、それとこれとは別なの!って怒られる。さらにそこに母親が居たりすると非難の声は何乗にもなる。これだからトモは、って話がどんどん進展していくのは間違いない。あぁ、想像しただけで恐ろしい。

 腰に手を当てて仁王立ちのポーズで姉ちゃんを待ち受ける。非難の眼差しはしっかりと忘れずに。

「姉ちゃん、まーたジグソーやりっぱなしじゃんか」

「あはは、ごめーん。空のとこ全部青色だから嫌になっちゃって。トモ頼んだ! お願いします!」

 俺の表情、声色なんかものともせずに、姉ちゃんは手を顔の前で合わせてポーズをとる。

「マジでこれ何回目だよ。ったくもう」

「ごめんって。今度ミスド買ってくるから」

「はぁ……」

 嫌だと言うのもめんどくさい。どうせここで断ったって、いつまでも食い下がってくるのは経験則からいっても目に見えている。早々に諦めて散らばったピースの前にのろのろと座った俺を見て姉ちゃんはにんまりする。

「オールドファッションがいい? それともポンデリング? 期間限定もあるし、希望がないなら美味しそうなの見繕ってくるね!」

 それ、姉ちゃんが食べたいだけだろ。全身で、呆れてます、とアピールしている俺の肩をぽんぽんと軽くたたいて、姉ちゃんは機嫌よく台所に向かう。冷蔵庫を開ける音がするから、飲み物でも出しているのだろう。さて、俺はこの散らばったジグソーパズルの何から手を付けようか。大きく長く息をつく。

「お茶飲むー?」

「あ、うんー……」

 肺に残っていた空気を使って返事をする。使いきると今度は肺を膨らませる。よし、始めよう。ばらばらの場所で勝手な方向を向いているピースをとりあえず見やすいように並べ始める。やれやれ、どっちが上で下なのやら。

 なんだかんだ言いつつも、こういう作業は嫌いじゃない。サクサク進むところが残ってないのはとても残念だけど、一ピースずつ地道にわずかな形の違いを見つけて合わせていく作業が終わったときの達成感はいいものだ。めんどくさいという気持ちの裏には、ほんの少し楽しさがある。

 それにしても、抜けるように青い空は雲一つなく晴れ渡っていて、ピースにプリントされている絵からは何のヒントも得られない。さながら一面真っ白のミルクパズル、青バージョンだ。まったくどうして姉ちゃんはこんな厄介な絵を選んできたのか。またしても大きくため息をついた。

 その音は台所から出てきた姉ちゃんにちょうど聞こえたようで「わ、大きいため息」とかわざとらしく言っている。誰のせいだよ、と思うのだけど腹を立てるほどじゃないので、追加でもう一つため息をつく。ごめんって、と言いながら二人分のコップを手に戻ってきた姉ちゃんはひょい、と散らばった空の欠片を覗き込んだ。そして俺の前に一つ、向かいの席の前に一つ置いて座る。

「なんでできないくせにこういうの買ってくんのかなー。せめてもっとやりやす

いのにしろよ」

「だってこのカラスが可愛いかったんだから仕方ないじゃん」

「あのなぁ、残りをやらされる身にもなってみろよ」

「非常に感謝しております!」

 俺の文句なんかものともせずに笑顔で小さく敬礼をしてから、散らばってるピースの一つをつまみ上げた。そういう話じゃあないんだけど。顔だけで返事をして、言葉は心の中だけにとどめておく。

「よくこれで繋げられるよねー」

 姉ちゃんはしみじみと無地の青色を眺めている。ひっくり返したり、照明にかざしてみたりしているけど、きっと大した意味はない。一方俺はというとただ黙々とピースを並べて形を把握し続けている。突起がある位置が片寄っていたり、突起がつぶれたようなものがいくつかある。そういうものから地道につなげていくと、だんだん塊ができてくる。

「形があるだろ」

「うーん。そうなんだろうけどさ、上手くいかないんだよ。今日も最初は頑張ったんだけど結局枠しかできなかったし」

 口を真一文字に結んでほとんど無いような眉尻を下げると、我が姉ながらなんとも情けない表情が出来上がる。

「あーもう。残すんだったらせめて枠のところもやらずにいてくれればいいのに」

「ごめんって。今から枠だけ崩そうか?」

「いや、マジでそれはやめて」

 真剣に眉を顰める僕の顔を見て、あはは、と口を大きく開けて笑う。豪快な笑い方は母親そっくりだ。母親の眉毛はちゃんとあるし、顔もそこまで似ているわけではないけど、しぐさはまるで母親だ。家族って似るんだなぁ、としみじみ思う。

 それ、これとつながりそうじゃない?とか言いながら俺の作業を見ているのは最初のうちだけで、姉ちゃんは結局手元のスマホを取り出していじり始めた。でも、席を離れようとはしない。責任を感じているんだか、単に仕上がったところをすぐに見たいんだかは知らないけど、こうやって途中で俺に押しつけたときはいつも、最後のピースがはまるまで部屋にも戻らずに待っている。こちらとしては嬉しいような、どうでもいいような。居ても何も思わないけど、きっと居なくなったら腹立たしいだろうな、とは思う。俺に押しつけたくせに、と。

 ふぅ、と息をつきながら、まだどれともつながっていないものを手に取る。いくつかは、三ピースずつくらいだけど塊にはなってきている。俺自身がジグソーパズル好きなわけではないのに、この姉のせいですっかり上手くなってしまった。一時間かけてつながったのはワンペア、みたいな頃と比べると段違いの速さでつながっていく。とはいえ今日のは雲一つない気持ちのよさそうな空だからそう簡単なわけではない。グラデーションもない空はカラスの姿勢から見ても、地平線近くではなくて高いところなのだろう。出来上がっていくほどに、すがすがしいほどの青はきれいに整っていく。この調子だ。

 

 

「あっ、めっちゃ出来てるじゃん! すごい!」

 大きめの塊もでき始めて、単体のままのピースは残り数ピースという状況に姉ちゃんが気づいた。ちょくちょく進捗を確認して、そのたびに何かしらのコメントをよこしては自分の作業にもどっていたが、さすがに姿勢を正して観戦に入る。

と思ったんだけど、頭がすぐに下がって両方の手のひらの上に落ち着いて、頬杖をつく体勢で眺め始めた。視線は感じるけど、だからどうということもない。どちらかといえばたまに伸びてくる手が、ピースをつまみあげることの方が厄介だ。なんだか気が散る。子供じゃないんだから大人しく待っていてほしいんだけど、きっと姉ちゃんには無理だろう。

 小さい塊同士もだいぶつながってきて、そろそろここでやる必要はなくなってきた。むしろ枠の中に入れた方がやりやすい段階だ。

「ねぇ、なんか紙かなんかない? ピース移動したいんだけど」

 枠の外で大きな塊になっている空を移動させるにはさすがに手じゃ無理だ。何かしらに乗せないと今までの頑張りが再び離散してしまう。

「オッケー、ちょっと待ってて」

 姉ちゃんは颯爽と手のひらから頬を引きはがし、ジグソーパズルだらけの俺の視界から外れた。感心するほど動きが素早い。音からするに、新聞のチラシを抜き取ってくるようだ。

「はい、お待ちどおさま」

「ん、ありがと」

 すっと差し出されたチラシには真新しい白いマンションが整えられた木々の中にそびえたっていた。公園が近いとかの売り文句が上やら下やらにおしゃれに配置されている。スーパーや家電量販店の薄っぺらいのではなくてちゃんと良い紙を使ってるチラシを探してきてくれたらしい。

 受け取ってそのまま一番大きい塊の端からそっと差し込み、乗せる。壊れないように気を付けながら見当を付けておいたところに移動させる。ジグソーパズルはメインのカラス周りが埋まると一気に出来上がったように思える。

「おおー」

 姉ちゃんが音のしない拍手をしながら感嘆の声を上げている。残っている細かい塊も移動して、ばらばらの数ピースを一つずつ入れていく。ほぼ完成している絵の中のぽつりとした空白を埋めていく作業は、難易度が低いうえに達成感が大きくて好きだ。

 最後の一ピースをはめる。

「はい、終わり!」

 椅子の背に体を預けて伸びをする。

「ありがとー!」

 姉ちゃんは、わあーとテンションを上げている。自分が終わらせたわけでもないのに嬉しそうだ。どうしてこの人はこんなに子供なのだろう、まったく。気付かれない程度にため息をついた。姉ちゃんは意気揚々と立ち上がり、階段に向かう。きっと部屋から額縁をとってくるのだろう。ドアを開ける音がして、数秒経って、すぐにまた閉める音が聞こえる。案の定ジグソーパズルにちょうどよさそうな大きさの箱を抱えて降りてきた。

「さぁ、ここからは私の出番」

 姉ちゃんは箱を開けながら自慢げに宣言する。やれやれ。今度は俺が頬杖ついて作業を眺める。着々と用意を進んでいく。さっき邪魔をしていた人とは思えないほど手際がいい。揃ったところでさっきピースの塊を移動するのに使っていたチラシを手に取った。今度は完成したジグソーパズルをそれに乗せ、額の台紙に移動させる。ピース同士の隙間が埋まるようにそっと整える姿は真剣そのものだ。ジグソーパズルに付属しているノリを出して、丁寧なへら捌きでジグソーパズルに広げていく。ただでさえ大きい目を開いているからなんだかすごい迫力だ。父親の二重を姉ちゃんは持ってってるけど、俺はというと母親の一重だから、姉弟の目元だけ見ると全然似ていない。性格も姉ちゃんのほうがバイタリティがあるというか、ともかく元気だし強い。俺たちの似ているところと言えば、爪の形とか、鼻の形とか細かいところだけだ。

 姉ちゃんが顔を上げて目をぎゅっと閉じ、ふうーと大きく息をついた。真剣に塗り広げる作業は終わったようだ。あとは乾燥させるだけだ。

「なぁ、ねえちゃん。いつ家出てくの?」

 ふと、疑問が浮かんだ。

「なに、いきなり」

 目を開いた姉ちゃんはなんて間の抜けた顔をするんだろう。キョトン、という表記がぴったりだ。俺自身でさえ唐突だと思うから姉ちゃんは余計に感じるんだろうけど、おもしろくて吹き出してしまう。

「いや、どうすんのかなって思って。だって、就職してもここから通うんでしょ?」

「うん。一人暮らししてみたいとは思うんだけどねー、どうしよっかなぁ。家事やってもらえるしなぁ」

 んーと伸びをしながら呑気な口調で怠惰極まりないセリフを言う。いや、俺も人のことは言えないけど。

「じゃあずっと家にいるつもり?」

「かもねー。結婚とかしたらさすがに出てくけど」

「あ、そ」

「うわ、反応冷たっ」

 姉ちゃんはケタケタと笑う。本当によく表情が変わる人だ。

「そう、それにほら、家を出ちゃったらジグソーを完成させてくれる人がいなくなっちゃうじゃん」

 素晴らしい理由を見つけたぞ、とでも言いたげな得意げな表情が憎たらしい。上手いことは何一つ言ってないし、俺にしてみればただの便利屋ポジションだと言われているだけじゃないか。

「なんだよ、それ」

 まったく。渋い顔をしている俺の顔を見て、あははっとまた笑う。開くとでかい口だなぁ、ほんとに。

「口、でかいよね」

「はあ?」

 笑ったままの開けっぱなしの口から気の抜けた声が漏れた。が、姉ちゃんはすぐに口を閉じて鼻で笑う。

「いいの、別に、困らないから。口でかかったらいっぱいご飯食べれるでしょ」

 つんと澄ましながらそう言い終るや否や、さっきまでのおすまし顔はどこにやってしまったのか、ぐわぁーという効果音を自分で言いながら大きく口を開いた。急な行動にちょっとビビる。ガチャンと玄関の音がした。母親だろう。姉ちゃんがテーブルの上のものを片付け始める。散らかしていると怒られるのだろう。しかも、ジグソーパズルだし。

「あ、お母さん帰ってきた。うーん、まだ乾いてないと思うんだけどなぁ。とりあえず部屋に持ってくかー。うーん。トモ手伝ってー」

 ぶつぶつと言い始めたので独り言かと聞き流していたら唐突に呼ばれた。

「は? 手伝うって何を」

「手、ふさがっちゃうからドア開けてほしい。あと、できれば箱とかも持ってきてもらえると、嬉しいなー。嬉しいなー」

 わざとらしく重ねてくるのは言葉だけではなくて表情もだ。わざわざ覗き込むように話かけてくる。俺はなんて手のかかる姉がいるんだろう。

「あぁ、もう、わかったよ。運びますよ」

 俺は投げっぱなしだったバッグを遠心力を使って肩に掛け、その勢いのまま空箱を持ち階段に向かう。台紙を持った姉ちゃんは後ろからついてくる。

「あ、お母さんおかえりー」

 どうやら俺が階段を半分くらいまで登ったところで母親がリビングに入ってきたらしい。姉ちゃんは何やら会話を始めているけど、俺はかまわず登り切る。別に巻き込まれたいわけじゃないし。とりあえず姉ちゃんの部屋のそばに箱を置いて、ドアノブをひねって少しだけ開けておいた。あとは足かなんかで押せば全開になる。ドアの隙間から見える壁にはやらされた覚えのあるジグソーパズルが並んでいた。バッグを置こうと自分の部屋のドアノブに手をかけたとき、やっと姉ちゃんが上ってきた。半開きのドアとそばにある箱に目をやる。

「ありがとー」

 軽く頷いて返事をする。姉ちゃんは台紙を大切そうに抱えているけど、そういうときこそポカをしないか少し心配だ。無事に運び込めるまではとりあえず見守っておこう。見ていないときに急に叫ばれたりしたら心臓に悪い。姉ちゃんは順調に部屋の扉を足で開けている。そして、そのままくるっとこちらを向いた。取り落とさないかハラハラする。俺の気持ちを知ってか知らずか、姉ちゃんはニコッと笑った。そして言った。

「あと、トモ。いつもジグソーほんとにありがとね!」

「んー。それ落とすなよー」

 姉ちゃんはにっと口角をあげて力強く頷く。その顔、ほんと信用できないんだよなぁ。ふっと笑みがこぼれる。

 さて、これでまた一つ姉ちゃんのジグソーコレクションが増えてしまった。本当にいくつ作れば気が済むんだろうか。飾る場所がなくなってきてるらしくて、いくつかはリビングやら母親の部屋やらに飾られているけど、さすがにもういらないと言われている。そのうち俺の部屋にまで浸食してきそうだ。俺の部屋に姉ちゃんが可愛いと思う絵が飾られる。なんとしても避けなければいけない。早くジグソーブームが過ぎることを祈るばかりだ。一度ブームが来ると長いから、本当に祈るしかない。確かその前のブームはイラストロジックだったけど、冊子になっているからいくらやっても姉ちゃんの部屋にしまいきれた。そういえば、その時も難しい問題は俺に渡してきたっけ。おかげで無駄に上達してしまった。イラストロジックの前は、なんだったっけ。何かをやらされた記憶があるんだけど思い出せない。次は……、できれば姉ちゃん一人で完結するものにハマってほしい。

できれば。

第三十五回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2018.08.21(Tue) 08:00

掘り出し物

 つくづく、事物の新陳なるものは、それそのものの年季に依らぬものである。殊に波の全盛が十年も前に沖へ溶けたものならば、再び浜を濡らす頃には、迎える者も景色も全て入れ替わる。どんなに酷く錆びを蓄え、角の削れ切った代物でも、見る者の目に好ましく映ることで真珠の一粒にも勝る価値を得るのだ。

「――そういうわけで、私はこいつと運命の邂逅を果たした」

「お、おう……?」

 文字通り酷く錆びを蓄え、角の削れ切った金属塊を前にして、俺は思わず困惑の感動詞を漏らす。

「これ、何だと思う?」

「さぁ……? ゲーム機っぽい見た目、ですけど」

「えぐざくとりぃ。ずばり、中古中の中古、中古屋の隅で九割引されてたレトロゲームなのだよ」

 キャラメルのように分厚い金属を二つ折りにしたようなボロボロのゲーム機を手に、彼女は得意げに胸を張った。

「で? 何故またそんなものを」

「ちょいと面白そうだったのでね。驚きの安さにつられて、衝動買いってわけだ」

「こちとらあんたがそんな薄汚れたものに興味を持ったこと自体に驚きですよ」

「磨けば光る原石には興味津々さ」

 ピローン。

 彼女が電源スイッチを上げると、軽快な電子音と共にゲーム機が起動する。アイコンが整然と並ぶメニュー画面をすっ飛ばし、画質の荒い液晶はすぐにポップなタイトルを表示した。

「アイコンを選んで始めるんじゃないんですね」

「まぁ、本来ゲーム機はゲームのためだけに動作するものだからな。現代のそれがかえって煩わしすぎるだけなのだよ」

 そのタイトルには見覚えがあった。確か、何かの雑誌のレトロゲーム特集で、ゲームの歴史を辿った年表に書いてあった気がする。簡単に添えられた紹介文には、『地雷を避けながらお宝を掘り当てる。目指せキングオブトレジャーハンター!』とか何とかあったっけ。要するに、ヒントを頼りに即死トラップを避けながら、各ステージに一つ置かれているお宝を集めていく宝探しゲームらしい。シンプルなルールだが、そういうものほどゲーム性が問われると相場が決まっている。

「くっ……あ、行き止まり――くそぉっ! また自滅か!」

 実際、この数分で彼女もかなり苦戦していた。ときどき落ちているアイテムで残機は回復できるものの、基本的には所謂『死にゲー』だ。死んで覚えて、最初に戻る。次はノーミスを目指して、しかしうっかりでまた死ぬ――その繰り返し。しかも、コンティニューして引き継がれるのは、直前までプレイしていたステージの段階のみ。『つづきから』など存在しないシビアな世界で、彼女は何度も爆発四散を繰り返した。

そして、最後の一機。

「あと、少し……!」

 俺は、そして彼女は、確かにその光景を見た。

 

* * *

 

「――そういうわけで、私はこいつと運命の邂逅を果たした」

「お、おう……?」

 文字通り酷く錆びを蓄え、角の削れ切った金属塊を前にして、俺は思わず困惑の感動詞を漏らす。

「もっと喜びたまえよ。マニアの間だけで囁かれる隠しコマンドの一つで手に入るレアなお宝だぞ? どうやら今回はたまたま入力されただけのようだが、それでもゲットはゲットさ」

「よくもまぁ、そんなものの存在を覚えていられるものですね。タイトル画面に戻れば全部消えるのに」

「組み込まれたプログラムを忘れるほど落ちぶれてはいない。『つづき』の概念を知らない時代の遺物なりに、『コンティニュー(つづける)』を誘う意思はあるのだよ。意図で織り込まれたものか否かはさておき、な」

 『CLEARED!!』の文字の下、簡素な表情で笑顔を作る彼女は、宝物を握った直線的な腕を掲げる。胸を張っていたかどうかは分からない。繊細な感情を知るだけの画素数が、この世界には足りなかった。

 

* * *

 

「――うむ。ゲーム内ミニゲームにしては申し分ない出来だ」

「そうですかね……?」

 文字通り酷く錆びを蓄え、角の削れ切った金属塊――という設定らしい茶色いドットを掲げる少女を画面に映したまま、文字通り酷く錆びを蓄え、角の削れ切った金属塊こと『レトロゲーム機』なるお遊びアイテムはマップの床に転がる。これ以降はAボタンで調べれば再びレトロゲームを遊べるらしいが、本目的とあまりに無関係なので、次にやるのはもの凄く暇なときになるだろう。

「むぅ。私、割とこういうの好きなのだがな。製作者の遊び心と年代が垣間見えて」

「そういうメタいのは隠し味で十分です。ほら、さっさと魔導書取りに行きますよ」

「ちぇっ」

 彼女は体のパーツを一切動かさず、薄目とアヒル口だけで不満を露わにする。相変わらず器用な真似をするものだ。しかもそれを切り替える過程も見せず、瞬きも許さぬ刹那にやってのけるのだから恐ろしい。姿かたちの無い俺には、一生かかっても理解し得ない芸当だと、つくづくそう思った。

第三十五回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2018.08.21(Tue) 08:00

海の方へ

 目を覚ますと、一人でベッドに横たわっていた。

 まだ覚醒しきっていない頭を起こし、白い室内を見渡す。

「瑠璃?」

 隣にいたはずの人の名を呼ぶが、返事はない。どこかにいってしまったのだろうか。

 どれくらい眠っていたのだろう。昨日は移動だけで疲れて、二人とも宿に着くとルームサービスで食事と少量のアルコールを摂って、着の身着のままでベッドに横になったところまで覚えている。

 時計を見ると、正午前だった。だいぶ眠ってしまったようだ。

 ベッドから起き上がったところで、シャワーでも浴びているのかもしれないと思い、浴室の方へ目をやった。

 二人での旅行とは言えど、二人でいつも暮らす部屋がそれほど広くないこともあって旅先の部屋にはあまり金をかけなかった。そのためぐるりと見渡せばどこに何があるかくらいはわかる作りだ。昨晩食事をとった窓際のテーブルには、スコーンとサラダが載っていた。大方彼女が二人分の朝食を頼んだのだろう。

「瑠璃?」

 もう一度呼びかけながら、ベッドを降りる。浴室の方に耳をすますが、誰か入っているような水音はしない。玄関を見ると、前日に用意していた彼女の着替えがなかった。それから、出かけるときに決まってかぶる黒い麻で編み込んだ、幅の広い帽子も。

 苦笑いとため息が同時に出る。

 困ったな、こんなところで。いや、寝坊した僕にも非はあるか。

 僕はとにかく、シャワーを浴びてからそのあとのことを考えようと決めた。



   *****


「あの、すみません」

「はい、何でしょう?」

「白いワンピースを着た女性が、ここを通りませんでしたか?」

「白い、ワンピースの、女性?」

 相手は不審そうな顔をした。しまった、と思ってすぐに情報を付け加える。

「一緒に旅行に来た人なんです。僕が寝坊したので、怒ってどこかに出かけてしまったようで」

 僕は参ったような顔でそう言った。寝坊したというのは本当で、彼女が怒ったというのはおそらく嘘なのだが。

「そうだ、多分黒い帽子をかぶっていたと思います。心当たりはありませんか?」

 相手は一瞬気の毒そうな顔をして、記憶を当たっていたようだった。

「あ、あー思い出した。その人ならみたよ。うちの土産物のガラスの笛を買ってったんだ」

「本当ですか! その人がどっちに行ったか、わかりますか?」

「海の方に行ったよ」

 親切に教えてくれた彼は、あんまり恋人を怒らせるなよ、と僕の肩を叩いた。



 瑠璃の放浪癖は、別段今に始まったことではなかった。しかし、最近、特に二人で暮らすようになってからはほとんど起こしていなかった。それまでは、ある日突然学校に来なくなって、数週間するとまたなんともない顔で現れ、どうしていたのかと聞くと北に行ってただとか南に行ってたといった具合に大体の方角と数枚の写真を見せてくれるのだった。

 僕はそれらの写真を見て、大抵綺麗だと感心してこれはなんという場所なんだと問う。

 彼女はそういう時、決まって笑いながら「知らない」と答えるのだった。



   *****


「すみません、お尋ねしてもいいですか」

「なーに、お兄ちゃん」

 君じゃなくて君のお母さんに聞いたんだが、と思いつつ、

「この道を通った女性を探しているんです。一緒に旅行に来た人で、白いワンピースに黒い帽子を被ってます」

と女の子に答えた。おじさん、と呼ばれなかっただけ良かったと思うべきなのかもしれない。

「もしかして、笛を吹いてたおねーちゃん?」

「あ、そうかもしれない」

 先ほどの土産物屋のおじさんが言っていたガラス笛のことだろう。

「その人なら見ましたよ?」

 母親が答えると、女の子もウンウンと頷いた。

「笛で妹をあやしてくれたの!」

「それから、ジュースを買っていかれましたよ。この子も絞るのを手伝ってくれてるんです」

「美味しかったって!」

 この島特有の地域性というやつなのだろうか、瑠璃の動向が事細かに知らされる。

「そうなんですね、その人、どこに行ったかわかります?」

 僕が問うと、笑顔のよく似た親子は同じ方を指差した。

「海の方に」


 僕たちが来たのは本当に小さな島で、僕らの住む大陸から船で一時間弱で着く場所にある。

 観光地としてはあまり有名ではないが、いくつかのコテージが島の中央にあり、その多くは島の全景と大海原を見渡せるように作られている。

 陸から来た僕らにとってはこの島はどちらを向いても海なのだが、彼らにとって海の方とは大陸に背を向けた大海原を正面にした方を指しているらしい、ということを僕は前日に瑠璃から聞いていた。アルコールを入れた彼女は面白いよね、と頬を赤くして笑った。今になって思えば、この「面白い」が彼女の放浪癖を再びくすぐったのかもしれない。

 幸いコテージから海に向かう道はほとんど遮蔽物のない一本道で、土産物屋のいう通りに大海原の方に歩いていたのだが、あんまり一本道が続くと不安になってくるもので、水分を摂りがてらジュース屋親子に声をかけたのだった。二人はパイナップルのジュースを勧めてくれた。



   *****


「すみません、今いいですか?」

「あー、はい。なんでしょう?」

 もしかして昼寝するところを邪魔してしまったか、と思いながら、尋ねる。

「この辺りを、僕と同じくらいの歳の女性が通りませんでしたか? 白いワンピースに、黒い帽子を被っているのですが」

「見たよ」

 即答だった。

「この島であんなに旅人らしい人はなかなか見ないからね、よく覚えてる。探してるのかい、君」

「そうです、一緒に旅行に来たのに、起きたらいなくて」

「それは気の毒に」

「それで、彼女は、どこに行きましたか?」

 海辺のコテージ、そのテラスに腰掛け本を持った男性はヒゲを触りながら海の方を見ていた。

「海の方、多分、灯台の立っているあの岬だね」

「丁寧に、ありがとうございます」

「少し、待ってくれるかい、青年」

 呼び止められるとは思わずにいたので驚きながら答える。

「はい、なんでしょう」

「その人は、見つけて欲しがっていたかい?」

「と、いうのは?」

「いや、ただの年寄りの勘違いならいいんだ。君が探すのなら、それで」

「……そうですね。僕は探します。近づけなくても見えるだけでいいので」

 僕はもう一度丁重に礼を言って、海辺のコテージを後にした。


 灯台に着く頃には夕日は沈もうとしていた。

 灯台は小さな島にしては立派で、足元についたドアから中に入ることができた。

 中は電灯が一つぶら下がっている他にソファベッド、小さなテーブル、その他生活に最低限のものがそれぞれ一つずつ揃えられていた。誰かが住んでいるのであれば、あまり覗いているのは申し訳ないと思い扉を閉めようとした時、ドア横にかけられた黒い何かが目に入り、もう一度開け直した。

 それは間違いなく、彼女の帽子だった。


 悪いと思いつつ、もう一度灯台の中を見渡す。テーブルの上に置かれた一冊の本、その隣に置かれたガラスの笛。

 ここにいれば瑠璃は戻ってくるだろうか?

 灯台の主には申し訳ないが、少しここで待っていることにした。



   *****


 待っている間、僕はテーブルに置いてあった本を読んでいた。

 その本はどこか遠い異国の神話のようで、壮大な物語が繰り広げられた挙句、現代の人のあり方を示していた。物語の最後にはこのように綴られていた。

《全ての物語は、続きから始まり、続きのまま終わってゆく。語られなかったものについては、何者も知り得ない。》

 その神話は神話にしてはおそらく珍しく、万物の始まりというものも終わりというものも描かれていなかった。面白い信仰もあるものだな、と思いながらも疲れた目を休めるために目を瞑る──



 波の音で目が覚めた。夢でも彼女を探していた気がする。

 ドア横の帽子はまだかけられたままで、彼女はまだ戻っていないことがわかった。いや、もしかしたらコテージに戻ったのだろうか。

 灯台のドアを開けて外に出る。そのとたん、強い風が海から吹き付けた。

 目の前には真っ黒な海がひろがっている。僕を陸へと押し戻すように轟々と風が吹いていた。

 彼女はどこに行ったのだろう。外を歩くときはきっとあの帽子を被っていたのに、それを置いて帰ってしまうだろうか。

 ふと、暗い海を照らす一筋の光があることに気づいた。

 頭上を見上げると、灯台は一定の方向を照らし続けている。


 海の方を。


 もしかして、と思う。

 一方では、やっぱり、と思う。


 形容しがたい感情が僕の胸を満たして、一つの方向へ突き動かす。靴のまま、岬の先に置かれた朽ちたテトラポットを踏みしめた。


 瑠璃のいる方、海の方へと。



 風が強い割に、夏の夜の海は穏やかで、灯台の光は海の中を照らし出す。




 白いワンピースが、水の揺らめきの向こうで踊った。


第三十五回さらし文学賞 | CM(0) | TB(0) 2018.08.21(Tue) 08:00
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